アナ・ログ

怖い話

2008/08/14

生死をかけて怖い経験のお話です。ということで6月11日の「私の必須アイテム」の続きを書かせて下さい。

前回は、出国許可が取り消された翌日、バスでイラクを出国しようとした一行にトレーラーが突っ込んできたとこまで書きました。
その後、砂漠をフロントガラスなしで走るバスでしたが、道中一番大変だった人は間違いなくイラク人運転手でした。バスが向かうはイラク西方・ヨルダン。前方からの砂風に煽られつつ夕日に向かって走る彼の敵は大地、風、太陽。それは私達の想像以上に強大だったのかもしれませんが、前回ジャック・バウアーの如く大立ち回りを見せた彼には何てことないはずです。この状況で彼は言いました。『疲れた。僕はもう運転できない』

はっ?

彼は知らぬ間に挫けていたのです。前回トレーラー運転手を殴り倒した右拳にハンドルを握る力は残されていませんでした。誰も「砂漠の真ん中で運転をやめたらジャック・バウアー君、キミだって帰れないのだよ」という当然の突っ込みを入れることなく、日本人代表者が運転続行を懇願しました。傍から見ると不毛なやりとりですが当人は必死です。日本人30人の命を背負った思いが運転手の胸に届いたのか、彼は運転の意思を見せてくれました。運転手と代表者に大きな拍手、パチパチパチ。

バスはとうとう国境検問所に。出国許可のない私達はもしかしたら砂漠道を逆戻り、最悪の場合は拘束されるかもと不安がよぎります。
ドスン!日本人の列の前方から聞こえる低い音が室内に響きます。荷物検査員の厳しい視線。少しずつ歩を進める私達。そして私の目の前で検問員が右手を振り下ろし、ドスン!…パスポートに出国スタンプが押されました。一同、胸を撫で下ろします。どうやら中央政府の方針が国境まで伝わっていなかったようです。瞬時に情報が溢れ出す今の日本では考えられませんよね。
ここで見送りの父に別れを告げヨルダンに入国、首都アンマンから無事に日本へ帰国できました。父達、見送り組は来た道を帰り、ジャック・バウアー君に関してはどうなったか知りません。無論、彼に殴られて砂漠で伸びきっていたトレーラー運転手に関しても。父は数ヵ月後、イラク政府の人質になりました。さぁここから本当の怖い話の始まりです!と思ったら今回も字数制限のためこれで終了です♪

次は梅島さんの、みんなが経験したあの怖い話です。

ふるさと

2008/08/11

私は東京下町の「門前仲町(もんぜんなかちょう)」出身です。『深川の門前仲町』と言えばよく時代劇や落語の舞台となります。例えば「竜馬がゆく」でも出てきますし、30年前の有名ドラマ「前略おふくろ様」や去年の「陽炎の辻」などの舞台も深川です。現代ではあまり有名な地名ではないですが、時代劇が好きな方などには活気と人情味溢れる下町の代表として以前から親しまれています。
また、江戸三大祭の一つ「深川八幡祭り」が行われるため、落語とお祭り好きの浅見さんも門前仲町という地名に思い入れがあるみたいです♪

深川八幡祭り・神田祭・山王祭の江戸三大祭は「神輿深川、山車神田、だだっ広いが山王様」と言われるだけあり、深川八幡祭りには大小あわせて神輿120基が担がれます。このうち54基の大神輿が“日本一大きなお神輿”が奉られている富岡八幡宮に集結した後「ワッショイ、ワッショイ」の掛け声とともに約10キロの道を一列に練り歩きます。
沿道には住民や商店の人が大勢出てきて、用意したバケツやホースでお神輿に水を掛けまくります。別名、水掛祭り!法被姿でお婆ちゃんと一緒にじょうろを持って歩くよちよち赤ちゃん。両手のポリバケツをグルグル回す豪快おばちゃん。いたるところで下町小劇場が繰り広げられます。
さらには荷台に水を満載したトラックからの水掛けに、すごいのは本物の消火ホースによる豪快な水掛けです。道のあちこちで消火ホースから昇り龍のような猛烈な勢いで水が立ち上って通りの向こう側が見えなくなるほどです。
3年に一度しか開催されないこのお祭りの参加人数は実に2万人。さらに見物客50万人以上が訪れるこの日ばかりは普段会社で真面目に働いているふりをしているサラリーマン達もちゃきちゃきの江戸っ子に戻り熱気ムンムン、江戸の活気が甦ります。
浅見さんも富岡八幡宮を訪れた際、7カラットのダイヤや2千個のルビーを着飾った、高さ約4m40cmの“日本一大きなお神輿”に感動したそうです。入社前の研修初日の休憩時間は、「あんな大きなお神輿は見たことがない」と、このお神輿の話しかしなかったような……。

そんな深川八幡祭り、今年は開催年で8月15日と16日に開催されます。七夕祭りの次に、よかったら足を運んでみて下さい。

ということで、みなさんのふるさと話でした。
次のテーマは出射さんからです。

一度訪れてみたいあの場所

2008/07/23

昨年度末に卒業旅行に行きました。イタリア、ドイツ、オーストリア、ニューヨーク、グランドキャニオンなどなど。
かなりたくさん行きましたが、行きたかったのに唯一行けなかった場所がありました。それはイタリア南部、地中海のナポリ湾に浮かぶカプリ島です。イタリアの観光パンフレットの中には、表紙のすぐ裏に載せているものがあるほど、近年注目が集まっている観光スポットですが、その名を一躍有名にしたのが島にある『青の洞窟』です。

ナポリ湾にひっそり口を広げる青の洞窟には、海から手漕ぎボートで入ります。洞窟の入り口は小さなボートの上に寝そべらなければ入れないほど狭いものです。しかし、奥にはナポリ湾のコバルトブルーと地中海を照らす太陽が作る、碧色にきらめく世界が広がっています。
“世界一神秘的な洞窟”としてフジテレビの番組「世界の絶景100選」で紹介されたのを見た瞬間、行って見たいと思いました。
ところが少し波が立っただけで入り口が飲み込まれてしまうため、海の穏やかな日でなくては中に入れません。夏だと高確率で洞窟に入れるようですが、卒業旅行シーズンの冬の地中海は荒れることが多く、せっかくカプリ島に行っても青の洞窟までの船すら出ないことが多いというのです。
結局、旅行同伴者が「そんなんじゃ嫌だぁーい。゜゚(>_<)゚ ゜。」と言ったため、カプリ島は旅行プランから外してしまいました。この青い奇跡にはなかなかお目にかかることができません。

それでもイタリアの各有名都市を訪れることができました。写真のピサの斜塔では塔内にある螺旋階段を昇っていくため、左に傾いていたはずがグルっと半周するといつの間にか右に傾いているため、危うく酔ってしまうところでした。
ミラノではサッカー・セリエAの首位決戦「インテル・ミラノ対ASローマ」というビッグカードを観戦することができ、こちらは本場の迫力にバッチリ酔いしれました。
このイタリア旅行は父と二人での列車旅行という特別な旅だっただけに、これまでの旅行の中では最も思い出深いものでした。
もし夏にまたイタリアに行ってローマ~ナポリ~カプリ島を旅することができたら、自然と頭の中を駆けめぐる卒業旅行の思い出に浸りながら、“世界一神秘的な洞窟”を楽しめる気がします。

地中海のカプリ島の次は、林さんが南のアイランドのお話です♪

雨の日のすごし方

2008/06/25

板垣さん、奇遇ですね。私も雨の日はお家で映画DVDを観ています♪今度一緒に観ましょっか?雨の日に男二人で…

私が特によく観ているのはチャーリー・チャップリンの作品です。なんたって「世界の三大喜劇王」。今更、魅力を説明するまでもないですが、何度観ても笑ってしまうことが好きな理由です。チャップリン映画を観ていると、どこかで観たことがあるようなギャグシーンによく出会います。子供時代から見てきたギャグにも、チャップリン映画をお手本としている物が多くあるからだと思います。その影響力は時代をも超えるんですネ(^-^)
しかし周りにチャップリンファンがあまりいないのが残念です。そこで勝手ながら、個人的にお勧めするジャンル別作品ランキングを作りました!

まずは感動編。笑うばかりがチャップリンではありません。笑いつつも涙を誘います!
【感動編】
3位「街の灯」
放浪者チャップリンを、目の見えない女性が金持ち紳士と勘違いして恋する物語。目が見えるようになった女性がチャップリンの正体を知って…。
2位「キッド」
あのチャップリンが子供を育てます。当然ちゃんと育てられずはずはなく、すべてがはちゃめちゃです。この作品では名子役ジャッキー・クーガン君の演技に注目。すっごくキュートです☆
1位「独裁者」
ラストシーンでチャップリンが平和を訴える力強い演説は圧巻!『言葉』の持つ重みを感じさせられます。

次はお待ちかね(?)のお笑い編。これは何も考えずともずっと笑えちゃう作品ばかりです。
【お笑い編】
3位「のらくら」
DVDではいくつかの作品とまとめられて短編集に入っているような短い作品です。チャップリンのゴルフテクニックにビックリ。ゴルフ好きのお父さん、家族で笑って下さい!
2位「担え銃」
これも短編作品。時代は第一次世界大戦。生死をかけて緊迫する戦場で浮きまくるチャップリン。アンバランスな組み合わせが作るギャップに大笑いです。
1位「サーカス」
これは文句なしにずっと笑えます。説明不要、抱腹絶倒、爆笑悶絶。

という感じです。私も全作品観たわけでもないですし、ここに名前が挙がっていない作品でも面白いものがたくさんあります。チャップリン映画をぜひご覧になって下さい!

次は梅島さんです。映画が二人続きましたが梅島さんの雨の日の過ごし方は?

私の必須アイテム

2008/06/11

ある夏の長い一日限定での必須アイテムについてのお話です。

父の仕事の関係で90年8月にイラクの首都バグダッドに住んでいました。意外と平穏に生活していましたが、湾岸戦争のきっかけとなるイラクのクウェート侵攻から事態は一変。空港は閉鎖され、いつ日本に帰れるか分からない状況でした。
ただ、女性と子供には早い段階でイラク政府から帰国許可が下りたため、母と姉と私は父を残し約1300キロ離れた隣国ヨルダンの首都アンマンにバスで向かい、そこから飛行機で日本に帰ることになりました。
とりあえずは一安心…と思いきや!出発前日、イラク政府は私達への出国許可を取り消してしまいました。今後どうなってしまうのか暗雲立ち込めます。
しかし父達はイラク脱出に希望をかけ決断しました。長い長い一日、極秘の逃走劇の始まりです!

日本人約30人を乗せたバスは、父など見送りの車数台と共にバグダッドを朝6時にひっそり出発。関門の国境検問所までは普通のバス旅行になるはずが…トラブルが連続します!街を抜けて果てしなく続く砂漠の一本道を激走するバスを襲った第一撃はクーラーの故障です。
何たって砂漠のど真ん中ですよ!しかも逃走劇はまだまだ序盤。もう暑い暑い(*_*)
気を取り直して発進したバスに悪夢は続きます。なんと居眠り運転のトレーラーが衝突してきました(>_<)イラクでは何が起きても驚いちゃいけないんです!
2台とも道を反れて砂漠に突っ込みバスのフロントガラスは粉々、トレーラーは横転。ここはジャック・バウアーの世界か?単調な運転に眠くなる気持ちは分からなくもないですが、極秘逃走中のバスだけには突っ込んでくれるな!さらにひっくり返ったトレーラーの脇ではバスの運転手が馬乗りになってトレーラー運転手を殴り始めました。だ・か・ら…ここは砂漠のど真ん中だっつ~の!

半分も話さないうちに残念ながら字数制限で終了です。ボコボコのバスに乗った家族は?残された父は?続きはまたの機会に書かせて下さい。
忘れてましたが、テーマの「必須アイテム」は長旅対策に事前に配られた携帯トイレです。ただ、結局使った人がいるのか知りません(言い忘れましたがバスはトイレなしです)。

さて次は原さんのニュース本番直前の必須アイテムです。

みどりと言えば

2008/05/22

『日本って汚いね』と言われたらどう感じますか?
多くの方がひとまずカチンとくるはずです。
この言葉はなんと2歳半の幼児・広瀬修一が発したものでした!

私は生後3ヶ月で、父の仕事の関係上インドネシアに住むことになりました。
熱帯性気候のインドネシアは一年中緑に覆われています。
首都ジャカルタにある私の家の周りも緑が豊富でした(ちなみにジャカルタはジャングルではなくちゃんとした都市です)
父の会社のジャカルタ駐在員は一つの土地にまとまって住んでいました。
と言っても集合住宅ではなく、広い芝生の中にそれぞれの家が10mほど離れて点在しています。
隣り合う家同士の土地に境目はありませんが、立ち並ぶ木々が柵の役目を果たしていました。
イメージしにくいですが、とりあえず家の周りは緑が豊かだったと言いたいわけです(^o^;

そんな環境で育った私が2歳半になり日本に帰ってきた時のこと。
一家を乗せた飛行機が早春3月の空から降り立った瞬間、日本を知らない幼児は冒頭の言葉を言い放ったのです!
なぜか!?
3月の日本には緑がなかったからです!
草木が枯れた一面に広がる茶色の風景はインドネシアから来た子供には衝撃的だったのでしょう。
育った環境が与える影響の大きさを実感できる経験でした。


ところでわずか2歳半の幼児がそう感じたということは、もしかしたら人間の“本能”に「緑色はよい色」とインプットされているのではないでしょうか?
本能でそう感じるということは緑色には鎮静効果など人体にダイレクトに及ぼす何かしらのよい影響があるのだと思います。
事実、緑色は目に優しいとよく聞きます。
そういえば最近なんとなく選んで買ったアロマランプの色も緑色でしたし(^o^)
きっと他の色も気付かぬうちに人に大きな影響を与えているはずです。

さて、仙台の街並みを見渡すと通りには必ず大きな木々があります。
仙台は誰が見てもその緑の美しさに癒される都市なのです。
それがインドネシアから来た赤ちゃんだとしても。

まだまだ慌しい新社会人生活ですが、これからますます色濃くなる杜の都で、少しでもゆったりとした心持ちを持って過ごしていきたいです。

次は林さん♪生物学科出身の林さんが「みどり」と聞いて連想するものは…

子ども時代の宝物

2008/05/13

おかげさまで先日、夜のニュースでデビューさせて頂きました。まだまだ拙い原稿読みですがこれからもよろしくお願いします!

子ども時代…保育園生の時を思い出してみると、当時、クラスで『トントンブーム』が起きていました。
たまたま最近も話題になっていましたが、トントンとは弟のユウユウとともに上野動物園で大人気だったパンダです。テレビに映るトントンの愛くるしい姿は園児のハートをガッチリと掴みました。
そのトントンの話で教室は持ちきりに。実際に見た子は英雄気分で自慢します。私も両親にねだってトントンを見に行きました。水遊びしているかなぁ?もぐもぐ笹の葉を食べてるかなぁ?胸躍らせて向かった上野動物園。父親に肩車されて見たトントンは微動だにせずイメージ通りではありませんでしたが、この思い出は今でも鮮明に覚えています。

さて、その時に買ってもらったのが写真にあるトントンの財布です。
絵柄が可愛いという理由だけで買ってもらったこの財布。保育園時代はお金を持つ機会はなく、小学生になっても100円玉をズボンのポケットに入れるくらいで財布を持ち歩くことはありませんでした。しかし、お年玉をしまっておく銀行の役割としてトントンの財布はタンス預金を守り続けてくれました。
中学校時代。部活動の遠征に、初めて財布を携え外出しました。そこで本来の財布の役割としてデビューしたトントンの財布ですが、周りに比べてあまりにも可愛らしすぎました、笑。またもやタンスに戻るはめになったトントン。しかしその後も長年、銀行代わりとして活躍してくれたのです。
時は経て社会人に。仙台へ引っ越す際、身の回りの整理を行いました。部屋にあったほとんどのものがゴミ袋に入れられる中、トントンは生き残りました。最近では便利なATMが増えたためタンス預金は0です。もはや何の役割もありませんが、慣れ親しんだ手触りと触れたときに頭に浮かぶ思い出がトントンの行き先を決めました。

代わりなんていつでも見つかりそうなトントンの財布。長年ひっそりとタンスにしまわれていたトントンの財布。それでもいつの間にか保育園時代からの自分を知る唯一のものになったトントンの財布は、仙台での春を過ごし、きっとこれからも引き出しの中から私の人生を見守り続けてくれると思います。

続いては梅島さんです。どんな宝物か楽しみです♪

私のひとり暮らし

2008/04/14

入社して半月ほどが経ち、だいぶ会社に慣れてきました。
それと共に迎えた初の一人暮らしも、寂しさなどからアッサリ気持ちを切り替えてエンジョイしています(^_^)v
(写真は同期入社の6人。男性5人全員が一人暮らしです)

しかし苦労もあります…
最初の敵は仙台の寒さです。
入社前研修が始まった3月上旬の夜の寒さは、気持ちだけでは乗り越えがたいものでした。
夜は布団にもぐって春の到来を待ち望んでいた毎日。
あ~さぶい。

そして4月…。
想定外の事態が起こりました。
春が来たのです!
それも“急に”(と私は感じた)来たのです!!
さて何が想定外なのかという話です。
私はまだ冷蔵庫を持っていません。
寒い部屋自体が冷蔵庫のようなものでしたし、家計のノウハウが分かってから買おうと思っていました。
ところがその前に春が来ました。
あれほど待ち焦がれた春も、急に来られるとドギマギしてしまいます。
ここで一人暮らしの悩みの定番、食事の問題が出てきました。
朝食用に前の晩に用意しておいた海草サラダがダメになってしまいます。
スーパーで買ったバナナが熟れ過ぎて早めに傷んでしまいます。
寝起きに飲む野菜ジュースがぬるくなって爽快感に欠けます。
春と一緒に、大切な朝食の危機が訪れました(>_<)

しかし思わぬ救世主が登場しました。
大学の先輩が引越しするという事で、余った冷蔵庫を下さるというのです!!
しかも洗濯機も付いて(コレもまだ持ってません)。
ヤッター\(^o^)/

この一月で一人暮らしにも慣れて心身ともに独立できたつもりでいました。
しかし自分の周りには先輩、同期、友人、ご近所さん、親戚などさまざまな人との繋がりがあります。
そういった方達がいるから自分が楽しくいられるのですネ☆
人に頼ってばかりではなく、これからは早く独り立ちして、少しでも人の役に立てる人間になれるよう頑張ります!

続いては仙台よりもずっと寒い北国で新人時代を過ごした寺田さんです♪

私の新人時代

2008/04/01

はじめまして。
新人アナウンサーの広瀬修一です!
4月1日のまさに今日が入社式!ということでこの場をお借りして自己紹介させて頂きます。

私がアナウンサーになろうとした理由はごく単純で「テレビが好きだから」の一言です。
大学やアルバイトが終わると18時には家に帰り、すぐにお風呂に入って、19時にはリモコン片手にテレビの前に正座する。1日の予定はテレビを中心に決まるという日々を送っていました。
さらには生の笑いを求めてバラエティ番組の観覧に参加するなど“どんだけぇ~!”なテレビオタクです。

そして、広瀬と言えばキーワードはもう一つ、
「スポーツ好き」です。
イタリア・サッカーのセリエAや米大リーグのヤンキース戦など生で観たい試合にはどこにでも足を運びます。
生で観戦した中で特に思い出に残る試合は、楽天・田中将大投手とハンカチ王子こと斎藤祐樹投手が歴史に残る大激闘を演じた2006年・夏の甲子園決勝です。このまま決着がつかないで欲しいと多くの人が願ったあの一瞬は
これまでにない一体感と緊張感が球場を包み込みました。

テレビを観て笑ってもらいたい。スポーツの臨場感を楽しんでもらいたい。そして少しでも多くの方にテレビを好きになって頂きたい!その思いを胸に、アナウンサーの道を歩んで参ります!!
どうぞよろしくお願い致します!!!

では、続いては私にとって頼れる兄貴分。
何でもやさしくアドバイスしてくれる板垣先輩です。

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