アナ・ログ

2011 卯

2010/12/29

私の今回のブログで、今年のアナログの更新は最後となりました。
今年一年、アナログをご覧頂き、ありがとうございました。

さて、私の年末年始は、今回も仕事をしながら過ごすことになります。
3年連続3回目です。
年始の業務では、会社からおせちが振舞われます。
実家暮らしの時でさえ、おせちを食べる機会はありませでしたが、まさか一人暮らしになって毎年、おせちを食べられるとは思ってもいませんでした。
ただ、三が日、毎日がおせち綾里なのは、嬉しいような、そうでないような…。

本年のアナログ最後の写真を飾るのは、入社2年目の工藤健太郎記者です。
今年の初詣は、彼と行きました。
雪のような美白肌を持つ工藤記者の新年の目標は『規則正しい生活』だそうです!

それでは、皆様、よいお年を!
新年のアナログ第一号は年男の柳沢さん(36歳ではなく、60歳でもなく、おそらく48歳)です!

今年中にやっておきたいこと

2010/11/24

昨年末、アナログで書いた『2010年は…』で掲げたいくつかの目標。実現できたか検証してみます。
まずは
【食生活の改善】…現時点0点
野菜の皮むきができるようになるどころか、今年は一度も包丁を握らなかった。

【体力アップ】…50点
時期によって運動する頻度にムラがあった。

【エコな生活の改善】…98点
この夏は猛暑と言われていたけど、冷房を使った記憶がないので。ただ、季節感がないとの指摘も…。

【寝起きはしっかりする】…70点
最近は早起き。

【交友関係を広げる】…80点
人見知りは克服できなかったが、知り合いは確実に増えた。

【アナログの締切日を守る】…7点
今年15回のテーマのうち締切日を守ったのは今回が初。なぜなら全体の2番手だったから…。

目標達成へ!残り1ヵ月ちょっと頑張ります。

写真は新入社員の黒沢Dです。
黒澤Dからは「いつか塩釜港で一緒に朝食をとりに行きましょう」といわれているので、なんとか今年中にはと思っています。
次は寺田さんです~。

あったかエピソード

2010/11/08

寒い日が続いていますね。
写真は10月中旬くらいに蔵王に行った際のものです。
仙台に来て3年目にして初めて宮城県内の紅葉を見に行くことができました。


さて、あったかエピソードですが、私は映画をよく観ます。
特にあったかい話しのものが好きです。

最近だと「グラントリノ」や「ラフマニノフ~ある愛の調べ」がよかったです。(といっても一昨年の作品…)
「グラントリノ」には色々なメッセージが詰め込まれていると思いますが、観終えてからも心に残る不思議な余韻。時間が経るにつれて心が暖かくなりました。
「ラフマニノフ~ある愛の調べ」は音楽家・ラフマニノフの半生を描いたもの。
東北高校・羽生結生選手は世界ジュニアで(当時は中学生)、このラフマニノフのメロディに合わせて演技し、見事優勝に輝きました。その時の曲が作られるまでが描かれています。
映画のエンディングでは、みなさんもハートウォーミングになりますよ!

これからもあったかいお話に多く出会っていけたらと思います。

続いては寺田さんです。

耳に残るあの音

2010/10/04

『カット!はいOKです』

所狭しとセットが並び、照明ライトが天井を埋め尽くすスタジオに響き渡る声。10月12日からスタートの新ドラマ『ギルティ~悪魔と契約した女』の撮影現場にお邪魔してきました。

毎週火曜10時放送の新ドラマ『ギルティ』制作発表会見後に主演・菅野美穂さんにインタビューをさせて頂いたところ、翌日の収録見学の許可を頂いたのです。

入念なリハーサルの後に迎える撮影本番。様々な角度から撮るため、30秒ほどのシーンでも2時間近く時間がかかります。張りつめた雰囲気の中、撮影が行われ、一瞬の間を置いてから『OK!』の声。
緊張から解き放たれた後、頭の中では、『お疲れさま』の声が心地よく響き渡ります。

その現場で、なんと助監督さんから驚きの指令が!
写真は、刑事役の玉木宏さんが所属する捜査一課の衣装。
ということは…。
この様子は10月9日16:10放送の番組でお送りします!

さて、続いては原さんのお話です。

小さい秋

2010/09/24

ようやく涼しくなってきました。秋ですね。
私は日本中が猛暑に包まれていた9月上旬に夏休みを頂き、ポーランドを旅行してきました。

日本ではまだ30℃を超える頃、ヨーロッパは今の仙台と同じくらいで20℃前後。8月下旬から涼しくなってきたと言うことで、ちょうど秋の入り口くらいの時期。上着を1枚羽織って、首都ワルシャワ(写真上)や、ガイド本によると「ポーランドの京都」と呼ばれている古都クラクフ(『シンドラーのリスト』の舞台となった都市)を歩き回りました。

そして、このポーランド旅行のメインイベントは、人類最大の悲劇が行われた『アウシュビッツ強制収容所』。当時の姿のまま一部、現存しているバラックには、今は資料館として多くの人が訪れています。
収容所内では数多くの遺品が展示されていました。
繊維として再利用されるために刈られた女性の頭髪、当時は今ほど普及していなかったという眼鏡、靴、食器、カバン。それぞれがうず高く山積みにされていました。
その中で、収容所の解放時に敷地内の焼却場脇で見つかったという“人の灰”を見た時は言葉を失いました。収容所に資料として展示されている写真から分かる当時の状況は、映画やテレビである程度は再現されている通りだと感じた一方、実際に足を運ばなければ感じられないものも多くあると思います。

この時期は冒頭に記した通り、秋の入り口。道を歩いていても黄葉が時たま1枚、2枚落ちているくらいでした。しかし10月になるとポーランドは街中の木々が黄色に色づく“黄金の秋”と呼ばれる季節に移ります。さらに、ほぼ一月かけ、国際的に最も権威のあるコンクールの一つといわれる第16回ショパン国際ピアノコンクールが開かれます。今年はショパン生誕200周年ということで、一生に一度の記念に観に行きたかったですが時期が合いませんでした。
ポーランドを訪れる日本人は年間数万人程度で人気スポットとは言い難いですが、この秋は訪れる価値大であることは間違いありません!

お次は飯田さんです。

暑い夏を乗りきるために…

2010/09/01

小さい頃にインドネシアとイラクに住んでいたことがるので、私はもともと暑さには強いと思います。
イラクは40℃を越えたりしますが、意外と暑さには苦労せず、毎日遊んでいました。
そんなわけで、暑い時にも暑さを気にせず普段通りの行動をして夏を過ごしてきました。
逆に暑いからと一息ついた日から、夏バテが来ます。

今年の夏は甲子園の取材に行っている間に過ぎてしまいました。

ミラクルを連発した仙台育英、目標の『日本一』には届きませんでしたが、多くの方々の記憶に残るプレーを見せてくれました。
3回戦の興南高校戦。
前日に仙台育英・佐々木監督が話した『この大会は、興南のための大会』の言葉通り、プレーボール前から甲子園は優勝候補・興南高校を応援するファンやマスコミで埋め尽くされていました。1塁側のアルプス席は満員で、得点を重ねる度に大きな歓声が沸き上がりました。
しかし、3塁側アルプスの仙台育英応援団も、オリジナルのタオルを回しての応援で選手達を後押しします。7回のチャンスでは、選手や生徒など学校関係者がタオルを回して、劣勢のチームに声を枯らして声援を送っていました。その時、バッティングピッチャーとして帯同していたある野球部員が、一般の観客に応援を呼びかけました。すると、それに応えるようにタオルを回しての応援が少しずつ広がっていき、3塁アルプス席を埋め尽くしました。
そして知らず知らずのうちに仙台育英への応援の声が球場中を覆い始めました。
3塁内野席も。そしてレフトスタンドも。1塁内野席も…、さらには興南アルプス席にも応援が広がりました。
最後にはライトスタンドでも、育英のタオルが踊り始め、あの大きな大きな甲子園全体が育英の応援団にかわっていったのです。
結局、満塁から放たれた大飛球はセンターのグラブに収まり、ミラクルを起こすことはできずに、軍配は興南に上がりました。
しかし、佐々木監督は試合後の宿舎で選手達に言いました。『興南相手に観客を味方につけた君達は、甲子園に認められたのだ』
そして野球部員は笑顔でした。『日本一の応援ができた』と。
ベンチ入りできなかった悔しい思いを応援に捧げた野球部の応援団員達。
そういった仲間とともに戦ったナインは、勝利以上に大きな物を得たことでしょう。

次は夏が終わって秋の話題。原さんからの『小さい秋』

2010/08/06

私の知人で最も夏っぽい男。
それが右に映っている、榎並大二郎・フジテレビアナウンサー。
7月のお台場の夜に、夏らしい爽やかな表情を見せてくれました。

今でも充分、日焼けをしていますが、本人曰く『フジテレビに入社して、日焼けがようやく戻ってきた』らしいです。
思い起こせば、榎並クンと初めて会ったのはフジテレビ採用試験での筆記試験。
当時、榎並クンは慶應大学の体育会水泳部で遠泳をしており、今よりもさらに日焼けをしていました。
(ちなみに、その時、彼が私に抱いた第一印象は『片言の日本語しか話せない男』だったそうです(笑))

学生時代も、そして現在も、暑さに負けず毎日アクティブに動き回る榎並クンは、まさしく夏男にふさわしい爽やかボーイです。

フジテレビで活躍している彼を見て、この夏、私ももう少し頑張らねばと改めて感じました。
一緒に頑張ろう、榎並クン!

続いては、ラストバッター・寺田さんです。

2010/06/25

サザン・オールスターズの名曲「TSUNAMI」にある、“思い出は、いつの日も雨”というフレーズはあまりにも有名ですね。
私には大した雨の思い出はありません。
最も近い話を持ち出してみれば、先日一人でふらっと行ってきた神戸の話しくらいでしょうか。
最近、休みがあると、よく一人でちょっと遠くに出かけます。
神戸では北野の異人館に寄りました。
この日の神戸は雨でした。仙台を出たときは傘を持っておらず、神戸に着いて少ししてから振り出しました。
雨の雫とか混ぜつつ雨なりに綺麗な写真を撮ろうかと思ったのですが、そんなことを考えてられないくらい、雨脚が強まり、急いで撮った唯一の写真が右です。
この後、姫路城でも行こうかと思いましたが、神戸の雨はその思いすらも打ち砕き、姫路城は次回の楽しみに取っておくことにしました。

私自身、雨が降るとゲンナリしてしまうのですが、映画での雨のシーンは、心に残るシーンが多くあります。
挙げていけばキリがないので、誰もが名映画と認める作品の中では
『雨に歌えば』は、題名そのもの。
『ライフ・イズ・ビューティフル』は主人公カップルが出会ったシーン。
トラップ大佐の娘が、郵便配達員と雨の中で踊るシーンがある『サウンド・オブ・ミュージック』
『ショーシャンクの空に』では、脱獄する山場となる、ここぞという場面。
『風とともに去りぬ』では、チョロっとだけですが、スカーレット・オーハラの過酷な人生を象徴しています。
皆さんにも、それぞれ心に残る雨のシーンが多くありますよね。

決めのシーンでも、チョロっとしたシーンであったとしても、雨は強く印象に残っています。
ただ雨が降っているだけではなく、そこにドラマがあるからこそ、素晴らしいシーンが出来上がるのでしょう。
そう考えてみれば、“思い出は、いつの日も雨”と、振り返ることができる人生というのは、非常に素晴らしいことと思います。
これから、そんな瞬間といくつ出会えるのでしょうか。

さっぱり

2010/06/04

私は会社のデスクは汚いですが、部屋は割りとキレイさっぱりとしています。
ただ、正確には家に何もないので、汚くなりようがありません。
写真がそうですが、本当に何もありません。
「テレビ局に勤めているのだから大きいのを買え」と言われたテレビが、より大きく見えます。
草食系無趣味男子を象徴するような部屋です。

注目すべきは上段、右端のデスク。ここにも何もありません。むしろ、デスクを使用した形跡がさっぱりありません。
一時的でも、ありったけのノートや書物を机の上に置いてから写真を撮ればよかったなと後悔しました(^_^;)

次は林さんの「さっぱり!」です。

みどり

2010/05/17

グリーングラスという競走馬がいました。
1976年に菊花賞を制した馬です。
『Green Grass』
写真のユアスタのピッチのような“緑の芝”という意味の言葉です。

なぜこの話しをするのかというと、私は“スポーツ実況”をテーマに卒業論文まがいのものを書きました。
理工学部生でしたが、そういうのがOKなところに所属していたのです。
取り掛かった理由は、アナウンサーになることが決まっていたので研究してみようと思ったから。
しかし最大の理由は、スポーツ実況についてなら教授よりは詳しいであろうから、プレゼンも比較的楽になるかと思ったためです。
ただ、教授のプロレス好きが判明。「プロレスがスポーツかどうか」という、100人いれば100人が異なる答えを出しそうな議論にぶち当たりました。
教授は年齢不詳、見た目で判断すれば100歳をとうに越えています。仙人みたいな教授と、まさしく禅問答のようなやり取りが続きました。

よもやの展開です。
アルバイトをしていたスポーツ新聞社のプロレス好きの社員さんにプロレス観戦に連れて行って頂きました。
直木賞作家・村松友視著『私、プロレスの味方です』片手に、両国国技館でボディスラムを繰り出す曙の姿を見て、スポーツとは何ぞやという難問に立ち向かいました。
今思えば(当時もそう思っていましたが)稚拙な論文を書きました。

その中で当然、競馬の話も出てきます。
中でも名馬テンポイントが走った1976年・菊花賞『それ行けテンポイント!鞭などいらぬ!』という、元関西テレビの大先輩・杉本清さんの名実況は、多くの方の心に残っていると思います。
最近、浅見さんとの会話の中でふと、このフレーズが出てきました。スポーツの話題をしていたわけでもなかったのですが。
このレースで、テンポイントは最後の直線で交わされ2着になります。
交わした馬が“グリーングラス”です。
冬枯れの芝生の上を、グリーングラスがゴール板を鮮やかに駆け抜ける姿が、ハッキリと思い出されました。

私のような若輩者が杉本さんの実況の話をすることをお許し下さい。

続いては早坂さんです!

次へ ≫