アナ・ログ

新たなスタート!

梅島 三環子

2012/04/05

新学期もスタート!
私も早いもので入社7年目の春を迎えました。
22歳だった少女(…?)は、この夏29歳になろうとしています。
『29歳のクリスマス』を見ていた頃は、ずっと大人に見えていたのに。いざ自分の番になると…複雑な思いが致します。

最近、数年前に買った洋服を着ると「ちょっと違う。」と思うことが多々あります。真っ赤なニットが似合ってない気がする…ピンクのフリルのミニスカートは、着ているだけで妙に落ち着かない。
ショッキングピンクのスプリングコートでは、自分の顔が負けています。ちょっと前まで気に入って着ていたのに。不思議なものです。

紺とか黒とかベージュとかその手の服が妙に落ち着きのいい今日この頃。手持ちのワードローブを見直しつつ、“29歳らしい生活(?)”を今年は新たにスタートしたいと思います。

とは言いつつ、携帯電話も、名刺入れもかなり明るめのピンク。根本的には、嫌いではないようです。

明日は、広瀬アナウンサーです。

ともに(3)

梅島 三環子

2012/03/26

先週19日、南気仙沼小学校の卒業式へ取材に行ってきました。南気仙沼小学校は、この春から気仙沼小学校に統合されるため、この日は45年の歴史に幕を閉じる最後の卒業式となりました。
小学校は、もともとの校舎が津波で使えなくなり、震災以降は、気仙沼小学校を間借りして学校生活を送ってきました。
学校が被災したということで、近くにある児童達の家も多くが被災。350人いた児童のうち150人が転校を余儀なくされました。

写真の鐘は、「友情の鐘」というもので南気仙沼小学校の卒業生が、卒業式の日に1度だけ鳴らすという代々受け継がれた伝統の鐘です。
1度は海水に浸かり、さび付いてしまいましたが、卒業式のこの日に合わせ、元の校舎から曲がり先に移されました。最後の卒業式にも伝統はしっかりと受け継がれたわけです。

さび付いて、お世辞にもキレイな鐘とはいえませんが
鐘の音は本当に美しくよく響いていたのが印象的でした。

私にも経験がありますが、母校がなくなるということは、誰にとっても寂しいものです。まして、震災によって突然統合が決まってしまったら…
卒業生、在校生の悔しさは計り知れないものがあります。
でも、卒業式の日…児童が教えてくれました。
「南小はなくなっても、南小で培ったことは消えないし
南小の卒業生ということを誇りにして中学校に進みたい」と。

これから、形として残る南小は数少ないかも知れませんがこの鐘だけは心の拠り所としても大切にされていってほしいと心から思いました。

明日は、拓雄アナウンサーです。

ともに(2)

梅島 三環子

2012/03/12

震災から1年が経ちました。私は1年前のあの日のことを振り返ろうと思います。

私はあの日、東京に出張中でした。
午後2時46分。その瞬間は、東京へ向かう新幹線の中で迎えました。
車両は、上野駅手前の地下を走っているところでそれほど揺れは感じませんでした。「ぽんぽん」と、少し弾む感じといいましょうか…。
しかし、その後車内は真っ暗になり緊急停止。すぐに非常電源に切り替えられ、車内には灯りがともりましたが
そこから3時間近く閉じ込められることになりました。

一番不安だったのが、情報が無いこと。
「強い地震が発生した模様です。しばらくこのままでお待ちください。」
流れるアナウンスから思ったことはただ一つ。
「まずい…どっちだ?」
静岡出身の私は、東海の地震…そして、もちろん東北の地震が頭をよぎりました。
その後NHKのラジオが車両に流されてからは、被害状況をひたすら聞くのみ。
仙台が、東北が大変なことになっているのに何も出来ない自分が本当に情けなく、また悔しかった覚えがあります。

夕方、上野駅まで車両が動き全員新幹線を下ろされました。タクシーも捕まらず、歩いて宿泊先の赤坂まで…。
数多くの帰宅難民とともに土地感もそれほど無い都内を歩き続けました。
県内にいた方に比べたら、私なんて何の苦労にも値しませんがやっぱりそれなりにはしんどかったですね。

3・11…それ以来、新幹線が上野に近づくとちょっとドキッとしてしまいます。

明日は広瀬アナウンサーです。

ともに(1)

梅島 三環子

2012/02/20

先週土曜日、
石巻市に市内初となる「カキ小屋」がオープンしました。
店内で販売されるのは、
全て震災を乗り越え大きく育った湾内のカキです。
今年は本当に出来が良く、サイズが大きく味も良好!
私も、オープンに先立ち行われた関係者向けの内覧会のとき
味わわせていただきました。

はい、「最高」です☆

このカキ小屋、何故今回のテーマで書いたのかといいますと
福岡市漁協唐泊支所と県漁協石巻湾支所、
そして仙台市内でカキ復興支援PJを行う民間企業が
「ともに」手をとり、立ち上げたものだからです。
県内のカキは震災前には到底及びませんが、少しずつ生産を再開しています。
しかし、原発の風評被害や生産の安定が見込めないことから
全国からの引き合いが減っているのです。
「作ったのに、作れたのに、売れない。」
震災を乗り越えた生産者にとって、
こんなにさびしいことはありません。
このカキ小屋を契機に、石巻のそして県内のカキ出荷量を増やしたいと、関係者は意気込んでいます。
私もカキ好きですし、どんどん県内のカキを食していきたいと思います(笑)

因みに、カキ小屋は匂いはつかないのですが
炭焼きのため灰が服につくことがあります。
払えば取れますが、皆様もカキ小屋ルック(?)で行くことをオススメします。

写真は店長の阿部年巳さんと。
カキ剥きのコツも丁寧に教えてくれますよ。
明日は、ななちゃんです。

寒い日が続きますが3日は節分4日は立春…もうすぐ春ですね!

梅島 三環子

2012/02/14

もうすぐ春ですね。
しかし、こうも寒い日が続くとなかなか春は実感しづらいというのが正直なところです。

私の場合、割と単純な人間なので…
毎年、春が近づくと気持ちがウキウキしてきます。ただ今年は当たり前ながら、そんなことも無く。あの日から1年なんだなぁと色々と考えてしまいます。
悲しくて、辛くて、怖くて、とにかく先が見えなくて不安だらけだった春から1年です。

これからの春は、これまでの春と全く違った気持ちで迎えるものになるんだと思います。何年経っても、どこにいても気持ちは変わらないのでしょう。

春なのに。なんだか変な気持ちです。

次は、金澤アナウンサーです。

あの日あの時一番役立った物は?

梅島 三環子

2012/01/25

2・3泊くらいの旅行に使えそうな、キャリーケースです。

震災発生直後、スーパーがなかなか開かず困った方もたくさんいらっしゃると思います。
段々と流通が回復していったのに合わせ、少しずつ店は営業を再開していったものの、長蛇の列がオープン前から続く状況。しかも、待って待って…ようやく中に入ってもほとんど物がありません。

家に、食べ物のストックをまるでしていない私は、休みの日、丸1日かけて食材やら飲料などを買い集めることが多くなりました。

そこで役立ったのが、キャリーケースです。「ガラガラ」と愛称をつけ、一緒に町中を歩きました。
この店では、玉ねぎはあるが長ネギが無い…。
今まで通ったことも無い道を通り、何軒も何軒もガラガラと“売っていそうな店”をはしごをしました。
一方で、白菜が欲しいけど、1玉単位しか売ってくれない。
豆腐も3丁で1組など…
自分の好きな分量での買い物はできず、持ちきれないものをガラガラに詰めて、買い物をしました。

家から全て歩きのため、1回出かけると、4~5時間は引きずりまわされ、まさに酷使され続けたガラガラ。
普段使うスーパーが、普段どおりに営業するまでもってくれれば…
と願っていましたが、予想を反し未だに健在。ありがたいことです。

デコボコ道に強いとされる2輪キャスターが功を奏したのか…このキャリーケースには大変助けられました。

以上、これが私の役立ったものでした。

次は、柳沢アナウンサーの役立ったものです。

2012年 辰

梅島 三環子

2012/01/06

「おめでとうございます」と、これほど言わないお正月は初めての経験でした。
2012年 この新年を皆さまは、どんな思いで迎えられましたか?

今年、私は実家のある静岡市で過ごしました。風は無く、最高気温も13度ちょっと。夜もマフラー要らずなほどの、まさに穏やかなお正月です。
名前で選んだ、静岡の地酒「開運」を口に今年こそ穏やかで平和な年に…
欲を言えば己の運も開ければ…と願った元日でした。

年は明けても、震災からはまだ1年も経っていません。日常、当たり前に過ぎていく日々に感謝しつつ今年も過ごしてまいりたいと思います。

仕事では、今年は本格的な復旧・復興を遂げる人にたくさん出会えそうです。皆さんが去年、未来に向けて撒いた種がだんだんと実を結ぶころになってきているのではないでしょうか。たくさんの、明るい元気の出るようなニュースをお伝えできればと思っております。

みなさまにとって、2012年が良き年となりますように。
明日は、広瀬アナウンサーです。

2011年今年を振り返って

梅島 三環子

2011/12/20

2011年を駆け抜けたのか
はたまた、2011年が駆け抜けて行ったのか…
思い返すと、今年は本当に色々なことがあった年でした。

3.11直後の記憶は、あまり鮮明ではありませんが
必死に毎日を過ごしていたら
あっという間に1ヶ月が過ぎ、3ヶ月が過ぎ…
夏になり、冬になったという感じです。

皆様にとっては、どんな1年だったでしょうか。

先日、内陸ではありますが大崎市三本木の酒蔵が全壊し
川崎町に新しい蔵を建設した「新澤醸造店」を取材させていただきました。
震災から9ヶ月…蔵は再起の一歩を踏み出したばかりです。
全国から、復興を遂げた酒として注目される分、
これまで以上に、厳しい目で出来栄えを確認していた5代目の目は実に真剣でした。
思いも強い分、ぶれない信念を強く持つことの大切なのだそうです。
この年末は、伯楽星と一緒に県産の海産物…なんて最高の幸せですね。

たくさんのものを壊し、失った2011年。
来年こそ、たくさんのものを取り戻し
復旧だけでなく復興へと大きな飛躍を遂げることを願うばかりです。

明日は浅見さんです!

今年の自分を漢字1字で表すと

梅島 三環子

2011/12/12

「考」
2011年、今年は考える・考えさせられることがたくさんあった年でした。

3月11日 午後2時46分…
私たちの生活・日常を一瞬にして奪ったあの日の地震。

震災から9ヶ月が経ち、復旧・復興を遂げるものもありますが、それ以上に失ったものは未だたくさんあります。元に戻らない現実からは、逃れられません。

当たり前だと思っていた日常は、当たり前ではないことを考えさせられました。私たちの安心や安全は、誰も保証してはくれないことを考えさせられました。何の前触れもなく、大切な人がいなくなってしまうことも考えさせられました。
もちろん、震災前から頭ではわかっていました。

ただ、大きな不自由もせず、生まれた日から平穏な日常を過ごした私にとっては、今後もこれまでのように、同じ日常が続くことは当たり前と思っていたのが事実です。

仙台市の中心部で暮らして、本当に震災の苦しみがわかったとは到底言えませんが、震災によって受けた、悲しみ、そして不自由となった生活は私の考えに変化をもたらしています。

明日からは、テーマが変わります。
アナウンス部一人ひとりが、今年を振り返ります。

あなたのドラ1は?

梅島 三環子

2011/11/22

わたしは、焼き鳥が好きです。

ですから、焼き鳥屋さんで
ドラフト(選抜)すると考えるとしたら…
1位でハツを指名します。
2位は、砂肝。3位は、ひざ軟骨です。

学生時代は、「皮」とか、「ぼんじり」などに飛びついていましたが、味覚が変わったのか、少し大人になったのか、最近ではあまり食べなくなりました。
嫌いではありませんが。

そういえば、大学の近くにあった井の頭公園脇の焼き鳥屋さんでは、タンとかシロもよく頼んでいました。
でも思い返してみると、あれは「焼とん」だったんですよね。
お財布に優しい1本80円という価格で、友達と公園のベンチで2・3本つまんでから帰るということもよくありました。
誕生日も「梅ちゃん、3本買ってあげる」と言われて、プレゼントしてもらった記憶があります。

何よりです。

あとまた10年経ったら、また選抜メンバーは入れ替わるのでしょう。

写真は、レバーです。
ハツが一番好きなのですが、このお店ではレバーとつくねは、外せません(笑)

次は金澤アナウンサーです。

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