アナ・ログ

着(き)物を更(さら)に重ね着(ぎ)したくなる?「如月(きさらぎ)」に想う事

佐藤 拓雄

2014/02/24

前略

牧野隆志さん。

牧野さんと最初にお話ししたのは、震災直後でしたね。
社内で遠くから私を見かけて、わざわざこちらまで来て下さり、「震災の特番ずっと見ていました。すばらしかった。勉強になりました」とおっしゃっいました。
びっくりしました。
タレントとして揺るぎない地位にいる牧野さんが、私ごときに、「勉強になりました」なんて、そう言えるものではないと思います。なんと謙虚な方なんだろうと、心底頭が下がりました。
お話ししてみると、テレビのままの人柄。表も裏も全くなく、ますます尊敬しました。

しばらくして、私の友人が牧野さんと同じ病気になり、「牧野さんのブログに励まされている」と言うので、思い切って「何か励ましの言葉でも書いていただけませんか」と色紙をお願いしました。
快諾してくださったばかりか、心から気遣ってくださり、その後、その友人と実際に会ってお話しまでしてくださったと聞きました。

去年の夏、その友人のことを気遣うお電話を私に下さったのが、最後の会話になってしまいました。

牧野さんが亡くなって10日ほどして、牧野さんからのお手紙が私に届きました。
私だけでなく、仙台放送のスタッフ一人一人に、お手紙を遺して旅立たれたと聞きました。
なんということでしょう。こんな形で、旅立ちの準備をなさっていたのですね。さすがです。

「拓雄さんとは、ゆっくり話す時間がありませんでしたね」と牧野さん。
そうですね。もっともっと、いろいろなお話をしたかったです。
見習いたいところ、教えていただきたいこと、聞いていただきたいことがたくさんありました。
テレビの出役の大先輩として、父親仲間として、一人の人間として。

「残念ながら僕はお先に失礼しますが、どうぞ拓雄さんはこれからの人生をゆっくりゆっくり楽しんで。お子さんとも、しっかり触れあって下さいね」
49歳。お子さんを残しての旅立ち、どれほど無念だったことでしょう。

いつか、あの世でお会いできたら、ゆっくりお話しさせて下さい。といっても、牧野さんの周りには、そういう人がきっといっぱいいて、順番待ちになるんでしょうね(笑)

牧野さん、悲しいです。
本当にありがとうございました。
どうか安らかに。

女性じゃないけど、この言葉で結びます。あらあらかしこ。

2014年ちょっと経って…改めまして今年の抱負!

佐藤 拓雄

2014/01/28

去年の今頃、このアナ・ログに、今年の抱負(というより目標?)として「風邪などで休まない」、と書きましたが、それは達成できませんでした。

去年のゴールデンウイーク、連休に挟まれた平日のある日のことでした。
夕方のニュースを前に、トイレの鏡に映った自分を見て、あれ?
顔に赤い発疹が数個。痛くもかゆくもありません。
なんだろう?と思いながら、メイクさんに、「なんか顔にポツポツがあるんですよねー」「あ、耳の後ろにもありますよ!」「え、ホントですか?」
この時点でも自覚症状は何もありません。
異変が起きたのは、帰宅後。
寒気がしてきて体中が震えます。背中や関節も痛い。
夜中に熱はぐんぐん上がり、迎えた翌朝、発疹は顔中に広がり、真っ赤。胸などにも出ていました。
この時点で、ようやく思い当りました。
まさか・・・風疹か?!
当時、日本中で風疹が急増し、県内のニュースでも何度も伝えていましたが、自分は幼いころにかかったはずだし、今かかるなどとはゆめゆめ思わずいました。
病院に行くと、「症状からすると風疹が疑われるので、念のため、会社は休んだほうがいい。でも検査をしてみないと確定的なことは言えない」とのこと。
疑いがある以上、出社するわけにはいきません。感染を拡げては大変です。
そんなわけで、年が明けて半年もしないうちに病欠してしまいました。

話はここで終わりではありません。
一週間ほどして、検査の結果がわかりましたが、風疹はなんと陰性。つまり風疹じゃなかったってことです。
私の周囲では、すっかり「風疹で休んだ」ことになっていましたので、なんともきまりが悪いというか・・・
その週の風疹患者数のニュースでは、40代がいないことに気がついて、「拓雄さん、なんで数に入っていないんですか?」と鋭い指摘をしてきた人までいました。

結局なんだったのか、医者に聞いても、「まあなんらかのウイルス感染だったんでしょうね」という答えしかありません。わからず終いです。

今年は、こんな騒動もなく、病欠しないことを、改めて抱負および目標とさせていただきます。

明日は、高谷アナウンサー。どんと祭中継では、裸参りして、「今年はなんでも乗り切っていけそうです!」と元気よく話していましたが、抱負はどんな?

うまくいく?うまどしです!

佐藤 拓雄

2014/01/20

あけましておめでとうございます。
今年も、当コーナー「アナ・ログ」をよろしくお願いします。

年の初めに、今年の手帳用に、次男(4歳)に名前を書いてもらいました。
下は去年書いてくれたもの。右からの横書きだったのが、ちゃんと左からに、そして筆圧が強くなった所に、進歩と成長を感じます。

さて、親バカ話はここまでにして、ここ何年も、これを見ないと年を越せない、正月になった気がしない、という番組が2つあります。
紅白でも箱根でもありません。
他局の番組なのでなかなか具体的には書きにくいですが、全く毛色の違う二つの番組です。でも、「一流」というキーワードが、共通していることに、この年末年始に気が付きました。

その片方の番組には、今回もいろいろ考えさせられました。

人生がうまくいくとはどういうことだろうか。
一流だったはずの人たちの人生が、一瞬でうまくいかなくなる。
では、「一流」とはなんだろうか。
「禍福は糾える縄の如し」。
「人間万事塞翁が馬」。あ、馬だ。

なんてことを考えます。

翻って、ここまでの私の人生も、人からどう見えているかは別として、うまくいかないことのほうが多いわけで。
毎年毎年、今年こそはいい年に、と思うのは、前の年がうまくいかなかった証拠で、だけど、じゃあ、自分にとって「うまくいく」とはなんだろうか、とか、またまた考えます。

で、結局何が言いたいのかわからないうえ、新年早々あまり景気の良くない話になってしまいました。すみません。

とにかく、今年は、万事うまくいきますように。
皆様にとっても、うまくいく年になりますように。

明日は、梅島アナウンサー。今年は産休明け、復帰の年ですね。

2013年 今年一年を漢字一字で表すと

佐藤 拓雄

2013/12/13

すみません、どうしても、なかなか、これというしっくりくる一文字が思いつきません。

一年振り返っても、色々なことがありすぎて…
いいこと、よくないこと、今年はこれだと、まとめられません。

でも、一応、お題なので、何か答えを出さなければいけませんので、

「楽」という文字にします。

今年の野球界の主役は、「楽」天。
「楽」しませてくれてありがとう。
日本一への道のりは、応援する側も「楽」じゃなかったけど、本当にいい優勝でした。

自分のことを振り返ると、「楽」じゃないなあ、と思うことがずいぶんありました。「人生楽ありゃ苦もあるさ」ですが、まあ、それは置いておいて。

楽天といえば、流行語大賞の特別賞に、「東北がひとつになった・・・楽天日本一をありがとう」とかいう長ーーーいのがありましたが、そんな言葉流行しましたっけ?そもそも誰が言ったの?
これには首をかしげましたが、野球界の主役だからいいか。

写真は、日本一記念グッズ。ハンドタオルを買いました。

今回は、どうも話が膨らみませんでした。すみません。

次は、金澤アナウンサー。きっと面白い話を書いてくれるはず(笑)

クリスマスキャロルが聞こえる頃?

佐藤 拓雄

2013/12/05

「クリスマスキャロルの頃に」。大好きな歌手の一人、稲垣潤一さんの1992年の大ヒット曲です。
当時、私は、クリスマスはおろか、世間に目もくれず、ひとり暮らしのアパートに引きこもり、卒業論文をひたすら書いていました。(とか言いつつ、この曲が主題歌のドラマ「ホームワーク」にはハマっていましたが)
年明けの締切に、枚数(約200枚)と体裁だけは整えた、一応の論文を提出。その卒論の口頭試問で、恩師の教授は、私の論文を「正面から行って見事に玉砕しましたねー」と笑顔でバッサリおっしゃいました。そんな恥ずかしい卒論ですが、ともかく、落第にはなりませんでした。

時は流れ、その恩師から、ちょっと前に本を送っていただきました。

「十二単衣を着た悪魔」。脚本家内館牧子さんの書下ろし小説です。

これが実に素晴らしい作品でした。

ごくごく簡単に言うと、就職活動に失敗した二流大学卒の男が、突然「源氏物語」の世界に迷い込み、たまたま手にしていた「源氏物語」のあらすじ本を武器に、平安貴族の世界をたくましく生き抜いていく。その主人公を通して、内館解釈の源氏物語が語られていく、というものです。
ピンときた方もいるかもしれませんが、タイトルは、映画「プラダを着た悪魔」から連想したものだそうです。
意表を突くストーリー展開と男女の情の機微、人間に対する洞察は、内館さんお得意のところでしょうが、同時に私が感銘を受けたのは、内館さんの教養の深さです。「教養がある」とはこういうことを言うんだなあと、うならされました。こんなことを私がのたまうこと自体おこがましくて、恥じ入りますが、とにかく、すごい作品です。久々に小説の醍醐味を堪能しました。

恩師が、この本を私に送ってくれたのは、執筆にあたって内館さんに学術的なアドバイスをなさったからです。内館さんが東北大学大学院で学ばれたことは有名な話ですが、その当時に、私の恩師でもある教授に出会ったということが、あとがきにも記されていました。
私は、いまだ内館さんにお会いしたことはありませんが、こんなことから勝手にご縁を感じ、どこか近しい先輩のような気持ちを内館さんに抱いています。

次は、木下アナウンサーです。

燃える秋

佐藤 拓雄

2013/11/14

きっと何人もが書くんだろうなあ、と思いつつ・・・

燃えましたね!日本シリーズ!
宮城、いや東北の多くの人にとっては「燃えた秋」だったのではないでしょうか?

本当に素晴らしい日本シリーズだったと思いますが、毎日ハラハラドキドキ、力が入って苦しいというか、試合が終わるたびにどっと疲れる、その繰り返し。なんだか長男の野球を見ている時のようでもありました。

多くの方が感じたことだろうと思いますが、私は、この日本シリーズで、改めて「絶対にあきらめない」ということを見せてもらったと思っています。

第6戦の田中投手の最後の一球はその象徴のように思いますが、勝った試合も負けた試合も、シリーズを通じて、いや、楽天イーグルスの9年間を通して、あきらめないとはこういうことだと見せてもらったような気がしています。

リーグ優勝したあと、津波で家を失った方から手紙をいただきました。震災の取材で知り合い、とても懇意にしていただいている方です。
手紙には、「楽天の優勝は本当にうれしかった。今すぐに結果が出なくても、あきらめずに努力していれば、いつか必ずいいことがあると思えた。被災地にとって何よりのプレゼントです」という趣旨のことが記されていました。
今は仮設住宅で暮らされ、本業の建て直しに奮闘されていますが、様々な困難に直面し、なかなか思うように進んでいません。
ただ、熱心な楽天ファンというほどでもなかったはずで、そんな方から、こういう言葉を聞くと、この優勝がどれほどの人に勇気をもたらしたのか、まさに、スポーツの域を超えた、「野球の底力」を感じます。

人はそれぞれ何らかの悩みを抱えて生きていると思います。その中身も次元もそれぞれ違って当たり前ですが、それでも、あきらめることなく努力すること、前を向いてがんばっていくこと、そうすれば、その先にきっといいことがある、そして、そう信じることが生きる希望そのものなんだ、と私は今感じています。
やっぱり野球は人生そのものですね。

明日は、寺田アナウンサーです。

★写真は、私の買った優勝記念グッズです。

オータム・イン・MIYAGI

佐藤 拓雄

2013/10/24

もう15年くらい前のことになるでしょうか。

番組の中で、「宮城は、秋が短くて、夏が終わって秋が来たと思ったらすぐに冬になるように感じますね」
と発言したら、視聴者の方から苦情が来ました。

「東京目線の発言だ。宮城のことをもっと知れ」という内容です。

当時すでに10年以上宮城で暮らしていて、東京出身という意識もすでにほとんどなくなっていただけに、ちょっと傷ついたと同時に、考えても考えても、どこが東京目線なのか、全く理解できませんでした。
現在、宮城に住んで25年目。人生の半分以上をここで過ごし、身も心も宮城の人間という自負は当時以上ですが、やはり今もって、あの発言の何が「東京目線」だったのか、理解できずにいます。

そして、思い出すたびに、発言が客観的に事実と符合しているか、ということだけでない、言葉の難しさを感じてしまいます。何をどんなふうに言っても、100人中100人がこちらの意図通りに理解してくれるわけではないのだと、途方に暮れるような気持にもなります。
まあ、前向きに考えれば、だからこそ、発言は慎重に、よく考えて、言葉を選び抜いて、という戒めだと思うのですが。

今年も夏が終わり、短い秋が来ましたが、あれ以来、毎年この時期になると、やっぱり宮城の秋は短いよな、と確認しつつ、そんなことを思います。

つまらない話ですみません。

★写真は、景気よく、実りの秋で!仙台の玄関口の横断幕。なんか誇らしい(笑)

明日は、広瀬アナウンサーです。

神神・神無月

佐藤 拓雄

2013/10/11

10月。また新ドラマの季節がやってきました。

我が家では、私と妻のみならず、子どもたちもドラマをよく見ています。
中三=受験生の長男は、「もうテレビは見ない」と言ったその舌先も乾かぬうちに、「『リーガルハイ』だけは見るから」。
受験もまだ先の長女は、前クール、家族で一番多く連ドラを見ていました。
幼稚園児の次男も、妻が見るドラマを一緒に観ていることが多いらしく、「倍返しだ!」とか言ってます。意味分かってるのかな?

新ドラマもいいですが、午後の再放送も楽しみのひとつです。

先月は、大好きな「CHANGE」が再放送されていました。
DVDには保存してあるのですが、もっといい画質でブルーレイに保存しようと、録画し直してしまいました。

このドラマ、以前長男に見せたところ、非常に気に入り、今回も、学校から帰ると、録画を熱心に見ていたようです。おい!受験生!
いまだに勉強モードにならないのは、いかがなものか・・・

そんな親の気持ちを知ってか知らずか、次男は、
「○○くん、『あさくら』見てたよー」
と私や妻に報告してくれます。
そう、木村拓哉演じる「朝倉啓太」が選挙運動でかけているタスキには、ひらがなで「あさくら」。
ひらがなが読めるようになった次男の、無邪気な「内部告発」で、長男のサボりはあっという間に明るみに出てしまいます。

それにしても、これほど清々しいドラマも近年なかなかないと私は思っていて、だから、あらすじも結末も分かっていても、やっぱりまた引きこまれてしまうのです。

「僕は、世の中に必要な悪があるなんて、子どもたちに教えたくありません!!」
「僕のすべては、国民の皆さんと同じです!」
「いいから総理の言う通りにしろ!」(これは秘書役の平泉成)
・・・キリがありませんが、心にビンビン来るセリフやシーンの数々。
最後の最後も、その手があったか!と驚かされる結論、そして・・・

言ってみれば、「おとぎ話」です。
でも、現実の政治に失望させられることが多いからこそ、ある種の「理想の総理」を描いたこのおとぎ話に、カタルシスを求めてしまうのかもしれませんね。

今月からの新ドラマにも、「CHANGE」のような心躍る出会いを、家族で期待しています。

次は、寺田アナウンサーです。

秋のささやき

佐藤 拓雄

2013/10/02

自然と涙が出ました。

2013年9月26日、楽天イーグルス、リーグ初優勝。

やっぱりとんでもなくうれしかった。
ですが、楽天の優勝で自然に涙がこぼれるとは、自分としても予想外でした。
好きなプロスポーツのチームはいろいろありますが、優勝して泣けたのはこれが初めてです。

それにしても、優勝マジックが点灯して、今日か、明日か、と気をもんでいる時の心境は、まるで我が子が生まれるのを待っていた時のようでした。
そして、その間、何度も思い出したのは、球団誕生の頃の、あの大騒動でした。

対岸の火事にしか思えなかった、球界再編の動きが、突然私たちの宮城に「飛び火」してきたのが、2004年の9月のことでした。

2004年9月25日、私が担当していた報道番組「CATCH」は、新規参入に名乗りを上げた、楽天の三木谷社長生出演。宮城ローカルの報道番組で、「地元密着の球団を」と熱く語ってくださいました。
その一方で、こちらは、本当にここでプロ野球ができるのか、スピード勝負のIT企業だけに、ダメとなったらサッと引き揚げてしまうのではないか、地元に根付かせる覚悟はどれほどおありなのか?としつこく聞いた覚えがあります。

それから、実に丸9年。
素晴らしいチームが、宮城にしっかりと根を張り、ついに、実りの秋を迎えました。

9年という歳月は、長かったようでもあり、こんなに早く優勝できるとは、という驚きの気持ちもあります。
でも、球団初年度の2005年に小学1年生だった長男が、今は中学3年生。6年+3年の義務教育が終わるわけです。それほどの時間がかかったと考えると、長い年月か。
今年田中投手が「ひとつひとつ積み重ね」ということを何度も言っていましたが、今年に限らず、すべて積み重ねなんだなあ、とも。
あのボロボロのファーストシーズンがあって、今年の優勝がある。
昨日があって今日がある。あの日があって、今がある。
人生そのものですね。

大きな実りの秋、もうしばらく、夢心地を楽しんでいたいと思っています。

★写真は、最も愛用(?)している楽天グッズ。銀行の通帳ですけどね。

今回のテーマは、今日で全員回りました。
明日からは、新テーマ、まずは木下アナウンサーです。

2013 夏の総決算

佐藤 拓雄

2013/09/03

写真は、私の手帳の裏表紙です。
はさんである紙きれの文字、「おくたうとさ」ではありません。
横書きですが、なぜか、戦前のように、右から読んで、「さとうたくお」です。
実はこれ、この夏、次男が、生まれて初めて書いてくれた、私の名前なのです。
こうして手帳にはさんで、いつも持ち歩き、見るたびに、心をなごませています。

7月で4歳になった次男は、この夏、文字の読み書きに、かなり関心が強くなってきました。

一番よく書いているのは、自分の名前。
その次は、ママの名前。
同じくらい多いのが、お姉ちゃん(長女)の名前。

お兄ちゃん(長男)とパパ(私)の名前は、なかなか書いてくれません。
もっと言えば、私の名前は、家族の中で一番最後に覚えたほどで(あ、もちろん「パパ」とは言ってくれていましたが(苦笑))、男に関心がないのか、なんなのか、上二人はこんなことはなかっただけに、父親としては、なんともトホホな気持ちです。(とは言っても、三番目ともなると、こちらも「まあそのうち」とのんびりしていますが。)
ともかく、そんな次男ですから、私の名前を書いてくれたこの紙きれは、私にとってこの夏一番の、いや一生の宝物と言ってもいいくらいです。

先日は、私に手紙を書いてくれました。これも宝物。

次男から思わぬ宝物をもらったこの夏でした。

追伸
昨日の浅見さんの「母校ネタ」。社内ではもはや夏の風物詩です。ちなみに、私の本当の母校は、昭和55年に、都立としては初めて甲子園に出場。進学校だったため大いに話題となり、初戦で敗れましたが、当時小学生だった私にも鮮烈な記憶として頭に残っています。それ以降は甲子園に行けていませんけどね。

明日は、金澤アナウンサーです。

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