アナ・ログ

子どもの頃の遊びと言えば

寺田 早輪子

2014/08/04

歌を歌うことが大好きだった子供の頃の私。
親に「駄目だ!」といわれるのに、ちゃぶ台に上がって、マイクを握るふりをして、アイドルを気取って歌うのが、最高の遊びでした♪

そんな「歌好き」DNAは息子にも受け継がれているようです。

保育園のお便り帳では、よく、先生から「お昼寝時、今日も歌いながら眠りについていました!」と、手書きのメッセージをいただいています。

先日の夜。寝室で息子と寝ようとしていたら、…突然!

♪「なっとー なっとー ねーばねば なっとー なっとー ねーばねば
こつぶなっとー おおつぶなっとー おかめなっとー みとなっとー!いえー!!」

…と、振り付きで歌いだした息子。

とても楽しそうで、しかも歌詞も面白く、私は爆笑してしまいました!!

2歳児の突然のフルコーラスに、びっくり!

…ところで、この歌。童謡?
一体、なんの歌なんでしょう????


☆写真は「伊達むらさき」という野菜でが入ったおにぎり。山元町の新しい特産を目指して、町内の生産者10軒が生産中!

アナ・ログ、次回のテーマは「お盆に帰省する方も多いのでは…『思い出の味』」です!

稲垣 龍太郎

2014/08/01

私の子ども時代の遊び場といえば、
やはり「ゲームセンター」です。

子どものころ、我が家には、
この時代に流行し、同世代の人間なら、
ほとんどの人が持っていたはずの
「テレビゲーム」がありませんでした。

というのも、私が生まれる前、
父と母の新婚生活が始まったころ、
我が家には、
「テレビゲーム」が、存在していました。
「インベーダーゲーム」が
あったそうです。
しかし、私が物心ついたときには、
そのインベーダーゲームは、
なくなっていました。

それは、母がインベーダーゲームに熱中するあまり、
家事をしなくなったためです(本当に)。
その様子を見かねた父が、
我が家にあったインベーダーゲームを「甥」にあげてしまったのです。
それ以来、我が家に「テレビゲーム」が戻ってくることは、ありませんでした。
そのため、両親は「たまに」、いや「結構な頻度で」私と妹を、
ゲームセンターに連れていってくれました。

母が、テレビゲームへの欲求を我慢して、
もっと我が子にとっての「健全な青少年の育成」というものを考える
という選択肢はなかったのかとも思いますが
、まぁ、私も妹も非行に走ることはなかったので、
結果的に良かったのでしょう。

周囲の友人たちが、
学校でテレビゲームの話をしていても話題についていけなかったり、
たまに友人の家でやる対戦型のテレビゲームで、
とてつもなく弱い負け方をしたりすることも多々ありましたが、
家族でゲームセンターに行き、
ワー!キャー!言い合ったのは、楽しい思い出です。
(画像は、「赤と白の旗上げゲーム」を楽しむ母(左)と私(右)です。
両者の背中、特に腰の入れ具合が「真剣な戦い」と「熱中度」を物語っています。)

P.S. 仙台放送まつりYoutube企画「稲垣ダイエット」vol.2
http://www.youtube.com/watch?v=hheadzuOktE

先日、続編がアップされました!!
今回も、理想的な体型を目指して、
私、この画像に負けず劣らず、真剣に挑んでいます!

そして、このテーマのアンカーは、劇的にスリムな寺田アナです。

佐藤 拓雄

2014/07/31

小学生の頃は、好きなこと・したいことがたくさんありすぎて、いつも「もっと時間がほしい」と思っていました。

学校から帰って外が明るいうちは、団地の芝生で友達と野球、サッカー、ときにはバットで「ゴルフ」。
家に帰れば、マンガを含め多読乱読の本の虫、当時流行ったヨーヨーの練習も熱心で、それから、出始めたばかりのLSIゲームや「ゲーム&ウォッチ」も、兄弟でいろいろ買い集め、代わる代わる熱中していました。
あまりに時間がほしくて、毎日のように読書のために早起きしたりと、今思うと、本当に楽しい充実した日々だったなあ…

そんな中でも、かなりハマっていたのが、切手収集。当時、少なくとも私の周囲では、ちょっとしたブームでした。「切手集め」ではなく「切手収集」と言うところに、小学生なりのプライドをもっていました(笑)
生まれ持ってのコレクター傾向と、なんでもすぐに本格的にのめりこむ性格も手伝って、けっこうな時間と、なけなしの小遣いの大半を切手に使っていました。
暇さえあれば、切手の整理、カタログながめ、そして、切手雑誌や切手の本を隅から隅まで熟読。
プレゼントや、読者同士の交換コーナー、読者便りなどにもいっぱい応募しました。
当時の切手雑誌には、何度か当選者などで「東京都 佐藤拓雄」の名が載りました。
さらには、コレクションとその整理・見せ方の質を競い合う、ジュニア向けのコンクールにも出品しました。佳作止まりでしたが、ない知恵を絞って、計画的に作品をまとめた記憶は今も残っています。すごい集中力でした。

中学校に入ってからもしばらくは続けていましたが、そのうちになかなか時間がなくなり、周囲の友達もなんとなく切手から離れていき、いつのまにか切手収集はフェイドアウトしてしまいました。
今となっては、切手収集は、自分の今の生活と照らし合わせると、最もハードルの高い趣味の一つかもしれません。

写真は、当時のコンクール応募作品。タイトルは、「アメリカ 書状・基本料金用の切手」。マニアックですかね(笑)
コレクションはすべて物置で塩漬け状態ですが、ちょっと引っ張り出してみました。

明日は稲垣アナウンサーです。

高谷 恵倫

2014/07/30

子どもの頃は、○○ごっこはもちろん(セーラームーン、おままごと、忍者などなど……)よく外でも遊んでいました!
幼稚園の頃は家の近くの公園で、毎日のように友達と一緒に遊んでいました。
当時の私のお気に入りは、ブランコです。
友達と2人で、どちらが高くいけるか競争していました。当時は楽しければ何でも良いとだけしか思っていなかったので、危険なことをしていたんだなと今になって感じます。

小学生になると、ドッヂボール、鬼ごっこ、こおり鬼等、大勢での遊びを楽しんでいました。とにかく走り回るのが好きだったようです。
中でもドッヂボールは高学年に上がっても皆で結構やっていた気がします。

中学生になると、体育の授業と部活以外で体を動かすことはなくなりましたね。
今思えば、小学生までが純粋に体を動かすことを楽しんでいた気がします。

久しぶりに、太陽の下で体を動かしてみようかな…。

明日は佐藤アナウンサーです。

金澤 聡

2014/07/29

夏は暑く、冬は雪が多いという四季がはっきりした自然豊かなところで育ちましたので、子供のころ遊んだといえば、虫取りです。
特に夏休みは、かぶとむしとクワガタ取りに没頭しました。
夕方になると、長袖長ズボンに着替え、藪の中をかき分けて、虫が集まりそうな樹に特製の蜜を塗りにいきます。
翌日の早朝、4時か5時くらいに起床し、蜜を塗った樹のところへ向かいます。
だいたい40匹は優に取れました。あまりたくさん取っても飼いきれないので、現場で選別が行われます。
家に持って帰るのは、大きいカブトムシのオス、大きいクワガタのオス、それと、ミヤマクワガタのオスです。
昆虫飼育用のケースに、常時100匹がひしめき合っていました。


そして、この夏…。
去年の秋から飼育していたカブトムシの幼虫が、さなぎになり、成虫へと我が家で成長しました。
子供の頃、成虫はたくさん見てきましたが、さなぎから成虫になる過程は見たことがなかったので大興奮しました。
(ちなみに、一生懸命育ててくれたのは、私以外の家族の方ですが…この場を借りて、「ありがとうございます」…)

夏休みは、童心に返り、大きなカブトムシ探しに行こうかと思っています。

次は、高谷アナウンサーです。

2014/07/28

私が幼稚園に行っていた頃の人気の遊びといえば、セーラームーンごっこと、仮面ライダーごっこですね!!やんちゃな性格だった私は、女の子の遊びよりも、仮面ライダーごっこなど戦隊ヒーローごっこにはまっていたようです。
 
小学生になってからは、公園でドロケイやかくれんぼをよくしていました。土日に学校の校庭が開放されるときには、一輪車で遊んでいました。幼稚園の頃から一輪車を始めたのですが、小学生の頃には、後ろ乗りなどの技もできるようになっていました☆

子どもの頃からよく遊んでいたトランプは、大人になってからも、旅行などで4人以上集まると毎回やりますね~。
去年あたりからはまっているのが、陰険ババ抜き!!
ババを持っている人と会話してしまうとババを渡されてしまうというゲーム。
ババの人はひたすら無視され続け可哀想になってくるのですが、いつ自分にババが回ってくるのかドキドキ感がたまらない!非常に盛り上がります!!

写真は、最近作ったアイシングクッキーです!
子どもの頃から、「お菓子作り」は大好きで、母とよく2人でクッキー作りをしていました☆
子どもにとっては、食べられる粘土遊びのようなものですよね~!
お菓子作りは、今も好きな遊び?です♪

次は金澤アナウンサーです☆

柳沢 剛

2014/07/25

♪海は広いな~大きいな~♪

海なし県に生まれた私・・・
海に対しては・・・
それはそれは、大きな大きな憧れがありました・・・。

夏休み最大のイベントは、何と言っても「海水浴」!!!
初めて海を見た時の驚きと、ウキウキ感・・・あの時の思いは、何とも言えない感覚として、今も残っています・・・。

海水浴?といっても・・・
私の場合は、コパトーンの香り漂う・・・?
ビーチボールやスイカ割りといった、砂浜での海水浴ではなく・・・
一番楽しかったのは、「磯遊び」!
磯の潮だまりの生物探訪…?と
今風にいえばシュノーケリング・・・?
水中眼鏡をしての海中探索でした。

見たことのない生物と、魚の群れに大興奮!!!

イソギンチャクやヤドカリ、カニや小魚を
父親に買ってもらったポケット図鑑と
その都度、照合作業を繰り返しておりました。
イシダイのように、色&形が成長によって変わってくる魚がいる!ということも、その時知りました。

365日のうちの、たったの2日~3日ではありますが・・・
子供の頃、最もインパクトがあった、夏の遊びの一つは、磯遊び!!!
でした・・・。

さー!次回は 小口アナです!!

飯田 菜奈

2014/07/24

思い出すのは小学生のころの夏。
一番の楽しみは、家族で一緒に行った地元の神社のお祭りでした。
シロップかけ放題のかき氷、じゃがバター、フランクフルト、焼きそば… よく食べていました。

そして、射的、輪投げ、スーパーボールすくいは、私の得意分野です!(笑) 
と言うのも、父親が“名人”と言っても過言ではないほど!?それらが得意で、私が「あれがほしい!」と言ったものは、何でもとってくれました。
当時の景品と言っても、プラスチック製のおもちゃとか、子ども用のアクセサリーとか、お菓子とかでしたが。
子ども心には、どの景品もキラキラと輝いて見えたんですよね~。

父に教わりながら、私も徐々にコツをつかみ、自分でも景品をねらえるようになりました。父に感謝です。

私と父にとって、お祭りの屋台ゲームは単なる“お遊び”ではないんですよね~もはや真剣勝負そのもの!
万一、欲しいものがとれなかったときの悔しさも人一倍。
だからこそ、一年に一度のお祭りがとても楽しみで、私にとっては大一番の時だったのです。笑

いまだに、“お祭り”と聞くと当時のワクワクした気持ちがよみがえります。
射的や輪投げの屋台をのぞいては、「あれなら、取れそう! いや、ここの屋台はちょっと難しそうだ…」と分析する癖がぬけません…。

写真は、お祭りの定番メニューの一つ“水あめ”です。
去年の夏、友人たちと屋形船に乗った帰りに、近くの神社でちょうどお祭りをやっていて立ち寄りました。
仙台七夕まつりも、もうすぐ!
もし、射的に夢中になっている私を見かけても、そっとしておいてくださいね!笑

明日は、柳沢部長の登場です。

2014/07/23

学校に行っている皆さんは夏休みに入っていると思いますが、皆さん、何をしていますかね?

都会育ちの私ですが・・・・・・
まあ、まあ、昔は都会にもいっぱい自然がありましてね、だたの空き地ですとか、やたらと広い公園ですとか、神社などは絶好のレジャー施設になるわけです。

ですから、夏・冬問わず、まあ1年中、野外活動なのですね。
もっとも、家の中にいる場といいましょうか、居場所がなかったのであります。

かくれんぼ!
鬼ごっこ!
馬乗り!
缶蹴り!
ワッカ投げ!これは少々ジャンブル性あり。
三角ベース!
川下り!近くに河川があったもので。
筏作り!近くに小沼があったもので。
色々出てきます。

夏の遊び?を話したほうがいいですね、それは、神社の境内での肝試しですか。怖いのです。ですから、涼しくなるのです。

水鉄砲遊び、鬼ごっこのように、追いかけて、水に当たるともうお終い、アウトになります。
雪合戦の水バージョンですね。
涼しいというより、これは暑くなります。

「アイスショー」
アイスを食べるだけです。遊びではありませんね。遊んだ後です。アイスクリームではありません。アイスキャンディーです。
ひょうたん型の、あのキャンディーです。
そうそう、あのゴム臭いキャンディーですね。
これも涼しくなるのです。涼しいというより頭が痛くなるのです。

50年以上の前の話を思い出してみました。

あすは、飯田アナウンサーと遊びましょう。

梅島 三環子

2014/07/22

私が記憶する、最初に熱中した遊びは「泥団子」づくりです。
幼稚園で、もくもくと作り…
家に帰っても、もくもくと作り。
硬く、ピカピカな大きなお団子を作り上げ、並べて鑑賞するのが好きな子どもでした。

別に根暗だったわけではありませんが、たまに無性に作りたい衝動に駆られていたような気がします。
割と、何事に対しても、飽きっぽい子どもでしたが、お団子さえ作らせておけば黙って一人で遊べる子どもでした。

しかし、当時の家には、私のことをライバル視しているハスキー犬がおりまして…
よく作った団子を壊され、喧嘩をしていた苦い記憶も。
はたまた、親に団子を食べてと強要し、マジギレされた記憶も。

子どもの時の記憶は、変な思い出ほど残っているものです…。

あと、世代物としては『ファミコン』!
ドンキーコング?でしたか…、ドンキーが胸を規定量まで叩くと虫の巣が落ちてくるというゲーム。(当時は熱中したんです。)
初期のマリオもよくやりましたねぇ。
海のシーンと、お化けのシーンが怖くて、そのシーンになると母親に交代してもらっていました。

懐かしい記憶です。

さて、写真は泉中央駅に咲いていたラベンダー。
駅前でも、こんな和やかな景色が楽しめるのですね。

あすは、浅見アナウンサーです。

木下 瑠音

2014/07/18

両親に聞くと、幼稚園では「セーラームーンごっこ」、家ではずっと絵を描いていたそうです。

小学校に入ってからはよく虫を捕まえていました。カブトムシ、アゲハ蝶、カマキリ、バッタ…下校中に卵や蛹を見つけては持ち帰り、虫籠に入れて育てていました。
朝、カブトムシの飛ぶ音で起こされたり、アゲハ蝶が羽化して飛び立つまでをビデオに撮ったり、道端で拾ってきたカマキリの卵をベランダに放置していたらいつの間にか孵化して、とんでもないことになったり…。

海の目の前から山の近くの家に引っ越したので、虫に囲まれた生活を送っていました。
この流れだと「またあんな生活を送りたい…」となるのでしょうが(?)、もう無理ですね(笑)触れません。
カブトムシの幼虫大好きだったのになぁ~。

☆写真は、換毛期を迎えた実家のインコです。
(虫ではなくて、ごめんなさい(?))

つづいては、梅島アナウンサーです☆★

2014/07/17

きょうからテーマは“子どもの頃の遊びと言えば”

小学校に入学直後のバグダッドに住んでいた頃は、庭で水撒きして遊んでいました。
気温は50℃近く。履いていた長靴に水を入れてヒタヒタにするのが気持ち良かったです。
あとは友達と一緒になって、庭のカエルに水をかけたり枝でつっついたり、という残酷なことをしていました男子なら結構こんなエピソードがあるものかと思います。
プールにも行きました。
「プールサイドは走ってはいけない!」というのは万国共通のルールと思われますが、悠長にしていると足の裏を火傷してしまうので、必死にプールに飛び込んでいました。
それと、よくやったのが卓球。駐在員の寮に台があったため大人と混じって遊んでいました。
腕前は申し分なく、「駐バグダッド日本人卓球選手権・バンビの部」があったら、間違いなく優勝していたはずです。
よく散歩した思い出もあります。
ある日、父と散歩から家に帰ると、母から「きょうはイランイラク戦争の終戦記念日で、兵隊が空に向かって発砲しながら行進しています。流れ弾に当たる可能性があるので外出は控えて下さい」との連絡があったことを伝えられました。
知らないまま無事生還、スリル満点の散歩だったようです。


帰国後は、外も安全だし暑くないので、野球や鬼ごっこをしていましたね。
何より友達が増えたので、目一杯外で運動して遊んでいました。何しろバグダッドの学校は少人数で、自分達の学年は6人。これでも多い方で1人だけの学年もあるくらいです。1人だけだと相撲もとれません。

一方、ゲームはあまりしませんでした。
買ってもらえなかったからという理由もありますが、単純に苦手でした。友達と当時流行っていた格闘ゲームをしていても、勝っても負けてもどっちでもよく、ボタン操作を覚えることすら面倒でした。
ますます友人に勝てるわけがなくなり「勝てない勝負は挑まない」と最初に思ったのがこの頃です。
小中学校時代の友人に、当時の私の印象を聞くと「クール。というか冷めていた」と言われます。
そんな自覚は当時ありませんでした、きっとこんな所からそう思われるようになったのでしょう。

子どもの頃の遊びは、暑く、熱く、クールな感じでしたね。
写真は大人になっても水遊びしている地元の友人たちの姿です。
次は木下さんです。