アナ・ログ

思い出の味

木下 瑠音

2014/08/20

はい、帰省先が富山の木下です。
最近、お盆の帰省ラッシュのニュースを読んだ時「そうか、今お盆なのか」と気づくと同時に、少し地元に帰りたくなりました。次は年末年始かな?

ということで地元の話を。
私の「思い出の味」は「やまや」というお店のラーメンです。
富山県魚津市にあります。
小さいころから通っていたお気に入りのラーメン屋です。魚津へ行くたびに必ずお邪魔しています。

昭和の空気を漂わせる店構え。前には小さな川が流れていて、とても雰囲気のあるお店なんです。
名物はワンタン麺。鳥ガラスープのとてもあっさりした味です。
富山で有名なのは「富山ブラック」ですが、これはその対極をいくラーメン。私はこっちの方が好き!
魚津に立ち寄る機会がありましたら、是非行ってみてください♪

甲子園は富山商業が3回戦進出を決めました。
利府の分も合わせて応援しようと思います。
野球もサッカーに続いてほしいです。

さて、明日からは新しいお題です。
トップバッターは飯田アナです(^^)/★

2014/08/19

土用のうしの日を前に、鰻を食べました。年に1回ぐらい食べても罰は当たらないでしょう。
あっ!今年は6月にも食べましたか。

でも高い! 今年は去年より豊富で、卸値が安いようでしたが、まだ価格には反映されないそうです。
興奮したためか、証拠写真を撮り忘れました。

鰻とすいかは、食い合わせが悪いと言われていますが、
科学的な根拠は、油の多いんものと水分の多いものの
食い合わせはよくないとうことでしょうね。

お盆で帰省した故郷の味、お袋の味、思い出の味といったテーマでしたね、今回も困っています。

東京が故郷といってもピンとこないのです。
帰省も逆Uターンですからね。
お盆帰省はしなくなりましたが・・・・

故郷の思い出の味・・・・という味が残っているお店もほとんどなくなってしまって・・・・・
やはり、年月ですね。

かき氷屋さんも何軒かあったのですが、今ではそんな姿は探せません。昔は東京の氷も美味かったのです。
水が美味しかったのでしょうね。
「氷すい」ですよ。氷が美味しいからできるメニューです。だた、砂糖シロップをかけただけです。


わずかに残っている、煎餅屋さん、生菓子屋さんがありましたね。
今度帰省したら、久しぶりに食しますか。

お袋の味はもう食べられなくなったものですから。

あすは、帰省先が富山の木下アナウンサーです。

柳沢 剛

2014/08/18

本日8月18日は…ロバート・レッドフォード、柴田恭平、吉川晃司、名取裕子、清原和博、仲居正広の誕生日…おめでとうございます!

そして…私も…。(笑)
だからどうした…? いやいや…ただ今日が偶然そういう日!というだけです…。

さて、お題は…「思い出の味」ですね…。
「アジは尻尾のところにゼイゴがあるから、すぐ解りますね!」と、家庭科の先生に教えてもらった…そんな思い出もありますが…?
「思い出の鯵」という話しではありませんね…。失礼しました…。

私の「思い出の味!」
それは…柳沢家特製「揚げあられ」です!
仰々しくネーミングしましたが・・・
ただ餅を乾燥させ…油で揚げ…醤油で味付けした…実にシンプルなもの…。
そしてこれが…実にシンプルにおいしいのです!

我が家では年末、母の実家から1升分の餅をもらい、正月用に切り分けて、お雑煮などに利用しておりました。食べやすい大きさの長方形に切り分けますが…どうしても切れ端が出ます…。
これを集めて…天日で乾燥させるのです。
「かかあ天下と空っ風」の群馬県高崎市…1週間ほどで餅はカラカラに乾きます。

これを油に投入!
最初沈んでいた餅は、2倍ほどに膨らみ…?きつね色になり、餅からおかきに変身し、浮いてきます。
これを掬いあげ、油をきり…醤油をサーっとかけ…軽くシェイクし、醤油をいきわたらせます…。

これがもう絶品!!!

そんなに好きならば…ということで…
小学生の頃、餅としてではなく、揚げあられ用に、もう一枚1升餅が追加されるようになりました…。
これをサイコロ型に切ったり…笹の葉のように薄く延ばしたり…。カビないように天日でしっかり干して、一斗缶にぎっしり詰め込まれておりました…。

これが、冬⇒春と食され、だいたい夏前に残り少なくなり…
ちょうど今の季節…
私の誕生日の頃に…
その年の残りすべての餅があげられるのです…。

久しぶりに帰省し、作ってみました…(写真)
今は、最高のビールの友です…。
うまいね~!

思い出の味!柳沢家特製「揚げあられ」のお話でした。

さぁ!次も…昭和の話が続きます…(笑)
江戸っ子、浅見さんの「思い出の味」です!

2014/08/15

思い出の味は、母方の祖母お手製の、赤ちゃんでも食べられそうなペチャペチャした饂飩です。
全くコシがないことに気付いたのはいつ頃か。

父が単身赴任中の7歳の時に母の実家で暮らしていました。
その頃から違和感はありました。歯応えゼロ。饂飩だけではなく、ご飯も随分と水気を含みネチョネチョしていました。皆それを当たり前に食べていたので「こんなものか」程度にしか感じていませんでした。
饂飩の表面が凄くベッタリしていることも、たった今思い出しました。ツルッとした喉越しは皆無。ザルから麺1本を掬い上げることは、麺同士がまとまってしまって不可能です。肌に触れると最後、ベタついて離れません。何度こっそりと台拭きで拭ったことか。
誰が食べてもペチャペチャと音がします。今もその響きが耳の奥に残されています。

中学入学前後になると‘スタンダードな味’が分かる時期です。
その時には感じていたはずです。
「お婆さんの饂飩は世界一コシがない」と。
ただそれを言い出すことはできませんでした。皆、口に出さないだけなのか、自分だけがそう感じてるのか。疑念ばかりが募る中、食卓は笑顔で溢れていました。

大学生の頃。
母の弟一家も含めて、祖母の家で食事です。もちろん饂飩が盛られています。なみなみと。
相変わらず食卓は和やかな雰囲気です。10歳以上も年下の従兄弟2人は美味しそうに饂飩をすすっています。その光景だけ見れば何ら違和感はありません。
その時お婆さんが「他に何を食べたい?」と問いかけてきました。いくぞ!私は決意しました。「コシのある饂飩」
すると従兄弟の母で小学校の先生をしている叔母が「コシのある饂飩はないよ」とサラリと快活に言ってのけ、祖母は優しい口調で「軟らかい方が美味しいよね」とこれ以上ない自然な流れで答えました。私は正直ホッとしました。
聞けば父も母もそう感じていたそうです。何しろ私より何十年も長く祖母の饂飩を食べています。母は「数分茹でればよい麺を30分以上茹でている」という情報を持ちつつも、口に出せないでいたそうです。
その夜は「お前もそう思っていたのか」「私の方が先に感じていたのよ」「コシがあったらお婆さんの饂飩じゃない」なんて話で盛り上がりました。
親戚一同の心が一つになった夜は思い出の1ページに刻まれています。
次は柳沢さんです。

佐藤 拓雄

2014/08/14

自分が子どもの頃の「思い出の味」もありますが、今回は、自分の子どもたちとの「思い出の味」の話をします。

長女が3歳くらいの小さいころ、遊びの延長でよく作ったのが、牛乳ゼリー。
牛乳と砂糖とゼラチンをまぜて火にかけ、冷やして固めるだけの簡単なもので、二人きりで留守番の時によく作って、家族へのサプライズ、というパターンでした。
とにかく、料理するというより、遊びの一つだったので、ただ単に楽しかったのと、材料をかき混ぜる長女の小さな手と真剣なまなざし、そういうことを含めて、思い出の味の一つです。

長男だと、小学5年生の時に、そば打ち体験をして、持って帰ってきたそばが、思い出の味のひとつ。
そば打ち体験を取材に来た他局のテレビニュースにちらっと長男が映って、それを何度も繰り返し見ました。これも、そういうシチュエーションとともに、思い出されます。

先日は、部活中の長男を除く家族4人で、ピザを作りました。
5歳になった次男は、一生懸命、ピーマンを切ったり、シメジをむしったりしつつ、ウインナーやベーコンをつまみ食いして、ゲタゲタ笑う悪ノリ。とても楽しい時間でした。
長女は、上手にピザ生地を伸ばし、きれいに盛り付けてくれました。

そして、写真のホットケーキ。
先日、たまたま私と長女の二人だけが家にいて、「お昼何食べよう?」という話から、長女が「ホットケーキ焼こう!」と言いだして作ったものです。と言っても、ほとんどの作業は長女がやってくれました。もうすぐ14歳。成長したものです。出来は満点でした!

こうした大切な、「思い出の味」がもっともっと増えてほしいと思っています。

明日は、広瀬アナウンサーの思い出の味です。

稲垣 龍太郎

2014/08/13

先日、ちょっと早めの夏休みを頂き、沖縄で羽を伸ばしてきました。ついでに、沖縄美人に、鼻の下も伸ばしてきました。
今回の沖縄一人旅で、この一杯のジャスミン茶は、間違いなく、「一番の思い出の味」となりました。

こんなふざけた写真を、笑いながら、一眼レフのカメラで撮影してくれた目の前の席のご夫婦に感謝です。
しかも、この画像を、後日送ってくださるなんて…

初めての沖縄。これから、ある意味「思い出の味」になるであろう、沖縄ならではの食材、料理を食べ尽くしてきました。

●ヤギの刺身
現地の後輩に「どこか連れていけ」とせがみ、案内されたのが「ヤギ料理」の店。そんなに生臭くはなく歯応えあり、お酒に合いそう…
ただ、宮城で初めて「ホヤ」を食べたときと同じくらいの衝撃でした。

●カラフルな魚の刺身
那覇市内の市場にて。
店員「まぐろ、いか、うに、美味しいよ」
稲垣「「違う!そんなのは本州でも食べられるから!沖縄の魚を!!」
沖縄ならではの、コバルトブルーや鮮やかなピンクの魚の刺身を堪能…ただ、「味」と「見た目」は比例しているのですね(苦笑)。少しだけ店員の言うこと聞いていてもよかったと思いました。
宮城が、塩釜が、石巻が、気仙沼が、少しだけ恋しくなりました。

●海ぶどう
つぶつぶ。ぷちぷち。塩気のある味。
まさに、世界三大珍味「キャビア」と同じような味でした。今年の夏休み、私に一番ハマった食べ物です。

3泊4日の沖縄旅。
美ら海水族館など定番の観光地...
平和祈念公園など訪れるべき場所...
充実し過ぎて、足も胃袋も、ある意味、休みなしの「夏休み」でした。
たくさんの「旅の思い出」と「(旅の)思い出の味」ができました。

次は、佐藤アナの「思い出の味」です。

飯田 菜奈

2014/08/12

母が作ってくれた食事は、なんて健康的だったんだろう~というのは、一人暮らしを始めて改めて気づかされること。
肉や魚と野菜のバランスはもちろん、毎食後にはフルーツも、必ず…。
私にとって実家に帰る一番の楽しみは、食事!だったりもします!

今でも、実家に帰った時に母と一緒に作る大好きなメニューは、水餃子!!
茹でたキャベツと長ネギ、ひき肉、春雨に、にんにくと生姜などを利かせた味付けのタネ。キャベツや春雨の食感が楽しい、さっぱりとした、あとを引く味の餃子が出来上がるんです!
ポン酢をつけて食べると、何個でもペロッと♪

小さいころは、その時の気分でいろんな餃子を作っていました。ある時はワンタンのように皮多めでタネを少なくした餃子を作ったり、ある時は具だくさんにしたくてタネをパンパンに詰めたりしていました…この場合結局は皮からはみ出てしまい、母の手直しが入りましたが…。笑 

我が家でも人気のメニューだったので、食事のときは取り合いに。誰か一人が欲張って食べ過ぎないように、何個食べたか数えていたことも。
懐かしい…。

家族団欒の時間って、いいですよね。改めて。
今度実家に帰ったときは、餃子をリクエストしよう~っと!♪♪

明日は稲垣アナです。

梅島 三環子

2014/08/11

思い出の味といったら、これでしょう。
静岡名物、黒はんぺん!

人生30有余年…
これまでに何キロの黒はんぺんを食したことか。

生で食べても、おでんで食べても、もちろん美味なのですが、子供の時に好きだったのは、断然“フライ”です。たっぷりのソースをつけて食べるのが大好きでした。

記憶に新しい思い出は、就職試験の時の「黒はんぺんフライ断ち」。
内定した際には、これ以上無理というくらい黒はんぺんフライを食べる!
という目標を立てて、就職戦線に臨んでいました。

無事就職が決まり、山のような黒はんぺんフライを母に作ってもらった日が懐かしく思い出されます。

でも、思った以上にお腹には入っていかず…
小中学生時代の胃袋は、もうないんだなと実感したことが印象的です。

昨年は、育休をいただき、何度か静岡に帰ることができました。
久々に味わった、黒はんぺん三昧の日々。
30を過ぎた今は、もっぱら生がお気に入りです。
焼きはんぺんのワサビ醤油も、おつまみに最高ですよ。

仙台でも、黒はんぺんが買えればいいのにと…いつも思っています。

明日は、飯田アナです!

寺田 早輪子

2014/08/08

夏と言えば「アイス」!

思い出深いアイスがあります。

「ドラキュラアイス」を覚えていますか?

それは、真っ黒いアイスキャンディーでした。
カリッとかじると、中から赤いソースが出てきました。

今、考えると、ちょっとコワい感じ…。
でも、子供だった私は興味津々!

近所の商店でよく買って、友達と食べていました。

このアイス。食べると、舌が真っ黒になるんですよー!
…で、友達と黒くなった舌を見せ合って、笑いあってました。
味はよく覚えていないのですが、そんな楽しい思い出があります。

でも、ある日、真っ黒なドラキュラアイスを食べて、黒くなった舌を親に見せたところ、
「そんな気味の悪いアイスは食うなーーー!!」と怒られ、我が家では「ドラキュラアイス」は禁止に…(^△^;)

黒と赤が逆転して、赤いアイスをかじると黒いソースが出てくる別バージョンもあったのですが…、今は販売していないのかなー?

☆写真は…小学生の女の子からいただいた「折り紙サイコロ」。
先日、講演をしたのですが、おばあさまと一緒に聞きに来てくれた船岡小学校の女の子の手作りです!

アナ・ログ、続いては、梅島アナウンサーです!

高谷 恵倫

2014/08/07

テーマは思い出の味ですね。
私は、「赤飯」です。それも、青森の赤飯です。

私が知っている赤飯は、甘くて、おやつ感覚で食べるものですが、世間一般は、「しょっぱい」そうですね。あずきで炊いて、ゴマ塩をかけるのだとか…。大学で関西に行って、初めて知りました。

私の家では、もち米に甘納豆を入れて、更に砂糖も足して甘くします。一概に、「青森県全域」とは言えませんが、私の青森の友達は皆この甘い赤飯で育ちました。
秋田と北海道の友達も「赤飯は甘い」って言っていました。皆さんの赤飯は甘いでしょうか??

どの地域が甘い赤飯なのでしょうね。少し気になります。

とにかく、青森を出てからこの「甘い赤飯」が思い出の味になってしまいました。食べたいですね。考えれば考える程食べたくなります。

写真は、思い出の味とは少し違いますが、最近嵌まっているずんだです。この日はずんだぷりんを頂きました。

明日は、同じ東北出身の寺田アナウンサーです。

金澤 聡

2014/08/06

両親は共働きだったので、小学生のときは祖母がよくご飯を作ってくれました。
学校から帰ってくると、おやつの用意も祖母がしてくれました。
甘酒、ピーナッツでつくった豆腐、茶碗蒸し、そして、お稲荷さんに手巻き寿司とおやつというより「おかず」ですが、いつも何かを作って孫たちが帰ってくるのを待っていてくれました。

その祖母のレパートリーの中でも、一番好きだったのが、『ちまき』です。
きな粉をまぶして食べるのが、最高のおやつでした。

先日、実家から荷物が届きました。
ちまきが送られてきました。
懐かしい味に舌鼓。
変わらない味に癒されました。
最高のおやつになりました。

中華ちまきも好きですが、素朴な『ちまき』も急に食べたくなる味です。

次回は、高谷アナウンサーです。

2014/08/05

きょうからのテーマは、「思い出の味」です。
思い出となると、やっぱり母の料理ですかね。 離れて暮らしてみて、改めて、毎日料理を作ってくれていた母が、すごいなと感じるようになりました!
一人暮らしを始めて、2年半。離れて暮らしていると、母の料理が食べたいな~と恋しくなることがあります。

実家に帰って、「何食べたい?」と聞かれると、毎回「カレーかビーフストロガノフ!」と答えています。一人暮らしを始めてすぐの時は、カレーやシチュー系は作っても余ってしまうかなと思って作っていませんでした。だから余計に実家に帰ると、カレーかビーフストロガノフが食べたくなっていたんですよね。

2年目くらいからは、思い出の味を普段から食べたくなったので、自分で作るようになりました☆でもやっぱり、母のビーフストロガノフには勝てないですね!
先週夏休みを頂いて実家に帰ったのですが、その時は食べられなかったので、また次帰る時まで我慢です…(泣)
カレーはいろんな、スパイスを合わせて、それにプラスココナッツパウダーを入れてマイルドに仕上げるのにはまっています♪ジャガ芋を入れなければカレー系は冷凍できるので、作る時間がなく、すぐ食べたいときに使えます☆

「思い出の味」次は金澤アナウンサーです☆