アナ・ログ

テレビあれこれ

佐藤 拓雄

2023/01/24

この1月期のドラマは、私にとっては「当たりシーズン」でした!
観るものが多すぎて、時間が足りない!うれしい悲鳴です。

ところで、私のテレビ史を振り返ると、記憶の最初にあるのが、NHKの幼児番組です。
当時の「うたのおにいさん」田中星児さんが私のスターでした。(田中星児さん、分かりますか?)
番組のレコード(CDでもダウンロードでもなく、レコード盤のことです)も、新しいものが出るたびに買ってもらい、擦り切れるまで(レコード盤ですから、文字通り擦り切れることがあるのです!)毎日何度も聴いたと、もう少し大きくなってから母親によく聞かされました。

そんな物心ついた頃、テレビに夢中になると同時にいつも思っていたのは、テレビに人が出てくるのはなぜなんだろうという疑問です。
この箱(ブラウン管テレビですので)の中に小さな人がいるのか?時間になるとどこからか人が入ってくるのだろうか?と本気で考え、それでも答えは出ず、不思議で不思議で仕方なかった記憶が鮮明に残っています。そのくらい、テレビを見る度に不思議に思っていたということです。実に純粋で素朴ですが、家庭にビデオカメラもない時代ですからね~。
映像メディアだらけの環境にいる今の子どもは、そんな疑問を持つことはないのでしょうか。

私が、いつその仕組みを子どもなりに理解して不思議でなくなったのかは全く覚えていませんが、そういう不思議も含めて、テレビをつけるワクワクは、私の今につながる原点なのかもしれません。

【写真】6年くらい前に、カメイアリーナ仙台の会議室で見かけたブラウン管テレビ。もはや骨董品レベルでなんとなく触るのも憚られたので、写真だけ撮っておいたものです。

明日は、金澤アナウンサーです。

2023年にやりたいこと

佐藤 拓雄

2023/01/17

きょうは、阪神淡路大震災が発生した日ですね。
ここ数日は新聞などでも阪神淡路大震災に関する記事が目につきますが、28年経ってなお、心の復興は大きな課題だということが分かります。

さて、私は今年最初のアナ・ログです。

早朝、家にいるところへ電話がかかってきて、「おーい大丈夫?」と言われ、時計を見ると、放送15分前。
え!?うわ!なんでこんな時間?!いやとにかく行かなきゃ、と出ようとするのに、玄関にすらたどり着かない。焦りに焦っても、刻々と時間だけが過ぎていく。
・・・という夢を、新年早々、元日の夜に見ました。放送に間に合わない、という夢を見るのは、「アナウンサーあるある」ですが、当然目覚めは悪く、朝からぐったり。
「初夢」の定義はいろいろあるようですので、これを「初夢」と言うのかどうか分かりませんが、新年最初の夜の夢がこれでは後味が悪すぎです。

今年の正月はそれだけではありませんでした。

1月4日の夜の夢。
どういうわけか、私はサッカー日本代表のゴールキーパー。コスタリカ戦に先発出場のはずが、ピッチにたどり着かず、皆に探されている間に相手のゴールが決まってしまい・・・というところで目が覚めました。またも朝からぐったりです。
私のサッカー歴はスポ少でほんの少しやっただけですし、サッカー観戦が大好き、というほどでもありません。
それなのに、自分がサッカー選手であるという設定の夢をけっこう見ます。ベガルタ仙台の選手のこともあれば、何のチームか分からないこともありますが、毎回同じなのは、活躍するどころか身体が全く思うように動かなず、苦しい思いをするという点。今回は、とうとう日本代表まで昇りつめていました(笑)この設定の理由はなんとなく見当がつきます。その日の昼に放送されていた「僕らの時代」に、日本代表のGK権田修一選手が出ていたからです。

夢が深層心理の表れだとするならば、私は相当「間に合わない」ことを恐れているのでしょうか?
普段そこまで意識していないと思うのですが。

ともかく、2023年は、万事「間に合わない」ことのないように、気をつけて行動していきたいと思います。
「やりたいこと」というにはあまりに消極的ですね。

もう少し積極的なものとしては、今年も、多くのドラマや小説に触れたいものです。
私の心には、フィクションという「栄養」が必要なのです。

末筆ながら、今年も仙台放送アナウンス部をよろしくお願いいたします。
そして、皆様にとってよい年になりますように。
【写真】は今年の初日の出です。

明日は、梅島アナウンサーです。

2022年を振り返って

佐藤 拓雄

2022/12/30

今年も、全局横断、思い出した順、思いつくまま、ドラマで一年を振り返ります。
あくまで個人の感想です。(基本的に敬称略)

「エルピスー希望、あるいは災いー」
私の中では、今年の優勝です。別に何かのアワードではないです。
関西テレビの佐野亜裕美プロデューサーが長年温めてきた企画だそうですが、流石の一言。
俳優陣も皆よかったですが、私のお気に入りは岡部たかしが演じた村井ですね。
ただ、長澤まさみや眞栄田郷敦の独白的ポエトリーなナレーションは、どういうわけか頭に入ってこないことが多かったです(笑)
11月に関西テレビへ出張したら、玄関前が【写真】のようになっていて、思わず一枚。

「親愛なる僕へ殺意をこめて」
第1話の残虐シーンでドン引きした人は多いでしょうね。
私は、真相が気になったので見続けましたが、門脇麦と遠藤憲一にフラグが立ちすぎていて、真犯人についての意外性はありませんでした。

「監察医朝顔2022スペシャル」
間違いない安定感。今回も泣かされました。
ただ、シリーズの頃からずっと思っているのですが、日常生活を丁寧に丁寧に描く割に、ドラマの中の時間感覚にちょっとリアリティがないのが気になってしまいます。監察医の仕事を一日終えて帰宅して、それでもまだ明るくて、掃除機かけたり、ゆっくり夕食の準備したりできないでしょ!というような・・・ケチをつけているわけではないのですよ、決して。

「マイファミリー」
毎回、携帯電話の独特な呼び出し音がしばらく頭から離れませんでした。
最終回、なんでこんな場面でサンドウィッチを食べるんだろ?と思っていたのですが、ネタというか暗示というか、そういうものだったということでいいんですよね?

「今度生まれたら」
内館牧子の「老後小説」シリーズで、自分の近未来のようで身につまされるところもありつつ、まさかの展開に驚いた。こんな老後にならないようにしなければ(苦笑)

「真犯人フラグ」
去年10月からの2クールドラマ。なんともおぞましい結末でした。

「ノンレムの窓」
バカリズム原案・脚本。らしさ全開。このドラマによれば、私は「アナウンサー」ではなく、「ただ情報を言う人」です(爆笑)

過去のドラマで観ていなかったものも観ました。
山田太一脚本のものを4本。
「五年目のひとり」(2016年)、「時は立ちどまらない」(2014年)、「よその歌わたしの唄」(2013年)、「星ひとつの夜」(2007年)。
山田太一に傾倒しているくせに、まだこれだけ観ていないものがあったことに、自分は何をやっていたのかと残念な気持ちにもなりましたが、どれもじんわりと心に沁みるドラマでした。本当に、人の心の機微を描くのが上手い。
もう90歳近い山田さん。おそらく「五年目のひとり」以降、新たな脚本はないはずです。もっともっと山田作品を観たいのですが。

そして今年は、Netflixにも手を出しました。
と言っても、それほど観たわけではありませんが、そのうちの「イカゲーム」。最後まで観たし、つまらないわけではなかったのですが、ストーリーや仕掛けは、「ライアーゲーム」+「カイジ」で、既視感ありあり。どこが新しいのか??と思いました。そして、相変わらず、韓国の俳優の顔を覚えられない現象が(苦笑)

また、今年は、途中でやめてしまったドラマが多い一年でした。そのうちのいくつかを挙げておきます。

「ミステリと言う勿れ」 斬新でしたが、4、5回で飽きてしまいました・・・
「元彼の遺言状」 今思い出そうとしたら、「ミステリ」と記憶がごちゃ混ぜになってしまいました・・・
「競争の番人」 公取委という設定が微妙で、どうもストーリーの推進力を弱めているように感じてしまいました。
「初恋の悪魔」 最初は「新しい!」と思いましたが、いつの間にか観なくなってしまいました。
「silent」 第1回で挫折。オジさんには共感ポイントがありませんでした。

・・・失礼なことを書き連ねてきました。
それぞれのドラマの制作者の皆様、ファンの皆様には申し訳ないですが、あくまで個人の感想ですので、ご容赦ください。

そして、来年も、よいドラマ・面白いドラマに出会えますように。
まず1月クールは、月9「女神の教室」に期待しています。

さて、今年も、当「アナ・ログ」をお読みいただきありがとうございました。
年内の更新はきょうまでです。年明けは、仕事始の1月4日から再開予定です。
来年も、「アナ・ログ」、そして仙台放送アナウンス部を、どうぞよろしくお願いいたします。

末筆ながら、皆様、よいお年をお迎えください。

音楽あれこれ

佐藤 拓雄

2022/12/14

先日「めざましテレビ」に「ちいかわ」が出てきて、「めざましじゃんけん」をするというので、「指がないんだから、グーに決まってるけど、その裏をかいて札か何かを使ってパーを出すのでは?」とチョキを出したら、見事に負けてしまいました。やっぱりグーなのかよ!(さまぁ~ず三村さん風の言い方で。)
だから何だという話で、音楽とは全く関係ありません。

さて、ちゃんと音楽の話をします。

今、私のヘビーローテーションは、「時代遅れのRock’n’Roll Band」。桑田佳祐 feat. 佐野元春, 世良公則, Char, 野口五郎 という、私たち世代にはたまらないメンバー(全員同い年)のコラボ曲です。
全員が超一流のギタリストでもあり、軽快なギターのイントロから始まります。
自由と平和、反戦という、骨太でストレートな詞。
ロックンロールだなあ、と感じます。(と言っても、ロックンロールの定義はよく分かりませんが笑)
初めて聴いたとき、自由を歌う部分で、涙ぐんでしまいました。

私の一回り上の年齢の皆さん。
次の世代、さらにその先の世代に、私たち大人が何を残せるのか。自由と平和以外に何があるのか。
そのメッセージに強く共感し、私も、自由と平和を残せる大人でありたいと、今さらながら思う今日この頃です。

ちなみに、MVもネット上で公開されています。なんとここには、もう一人の同い年、宮城出身の大友康平さん、そして、原由子さんの姿も!たまらない!!

【写真】のギターは長女が置いていったものですが、弾く人がいないのでほぼオブジェ状態です・・・

明日は、高橋咲良アナウンサーです。

お風呂のこだわり

佐藤 拓雄

2022/11/25

お風呂へのこだわり、ないですね~。以上です。
・・・というわけにもいかないですね。

大学に入り、最初に一人暮らしを始めたアパートが、いったい築何年だ?という恐ろしく古い物件で、風呂はもちろんトイレまでが共同。しかも、風呂は週に3日と決められていました。
さすがに、人が入った後の湯には入りたくないので、一度抜いて沸かし直したり、入りたい時間には入れないし、とにかく不便でした。
入れない日は、歩いて10分くらいのところにあった銭湯に行ったりしていましたが、一応平成に入ったというのに、まるで昭和、「神田川」か!と思うような世界でした。「横町の風呂屋」には「二人で行った」わけでなく、いつも一人でしたが(笑)
ともかく、それまで実家で毎日風呂が用意され、母親からしつこく「早く入りなさい!」と急かされて、面倒くさいなあと、半ば嫌々入る日もあったことが、いかに恵まれていたかを思い知りました。

ですので、少なくとも風呂のある部屋に引っ越そう、というのが、当時のこだわりと言えばこだわりで、念願かなって風呂・トイレ付きの部屋に引っ越した晩、熱いシャワーを浴び、あー、自分の家に風呂があるのはいいなあ、としみじみ思ったたことは今でも忘れられません。

【写真】は、数年前に行った、愛媛・松山の道後温泉。一番安い入浴料で案内される共同の休憩所です。
文豪・夏目漱石も松山時代に通っていたという、「風情」という言葉がぴったりの、いい温泉でした。

次は、下山アナウンサーです。

こっそり教えます

佐藤 拓雄

2022/11/01

先週、ちょっと用があって会社の外に出たところ、仙台放送近くの歩道を走る二人組がいました。
服装や、きれいなフォームからして、陸上選手と思われます。
数日後の日曜日に、仙台で全日本大学女子駅伝が行われることを思い出しました。

問題は、その二人が進んだ先。
【写真】のように真っ黄色に色づいたイチョウ並木で、毎年のようにこの時期の「アナ・ログ」に書いていますが、猛烈な臭いを放つギンナンが、足の踏み場もない程落ちているのです。
先日は、ボトリと落ちてくる瞬間を目の当たりにして、震えあがりました(笑)

あー、その先へ走っていったら、ギンナン踏みますよ!大切なシューズがとんでもない臭いになりますよ!
・・・と教えてあげたくなりましたが、誰だか分からないオジさんが突然声をかけるのも躊躇われ、いや、それより、とても私が追いつくようなスピードではなく、二人はギンナンの道へと走っていってしまったのでした。

実は、これも以前ここに書きましたが、反対側の歩道は、ギンナンがほとんど落ちていないのです。
木の雌雄の違いのようです。

今度、駅伝選手に会ったら、反対側の歩道を走った方がいいですよ、と「こっそり教えます」。
今年の大会は終わってしまいましたが・・・

明日は、高橋咲良アナウンサーが、こっそり教えます。

秋を感じます

佐藤 拓雄

2022/10/12

秋が鳥取からやってきた。
・・・「重力ピエロ」を真似てみました。分からない?すみません。

要するに、鳥取の人(妻の知人)から梨をいただいた、という話です。
これが美味しいのなんの。

2種類送っていただいたのですが、一つは有名な「二十世紀」、もう一つが「新甘泉」という珍しい品種。「しんかんせん」と読みます。鳥取には「新幹線」は走っていませんが、「しんかんせん」。どうでもいいですね。

その「新甘泉」。とにかくみずみずしくて甘い!名前の通り、「甘い泉」です。
同封されていた説明書きによると、「二十世紀梨を親に持つ」「鳥取県オリジナル品種」「鳥取県でのみ栽培できる希少な梨」とのこと。
なるほど、どうりでこちらで見かけないわけです。
あまりに美味しくて、梨好きの次男と二人で、昼食後、3時のおやつ、夕食後、と一日3回食べた日もあります。

【写真】のように見た目でも違いますが(上が「新甘泉」、下が「二十世紀)、食べ比べてみると、味の違いがはっきり分かりました。
「二十世紀」は酸味があり、これがまたいい。
ちなみに、こちらで買ってきた「豊水」は、「新甘泉」と「二十世紀」の真ん中くらいに感じました。
この3種類限定なら、「利き梨」ができそうです(笑)

秋の恵みと妻の知人に感謝!

明日は、金澤聡アナウンサーの秋です。

お酒のはなし

佐藤 拓雄

2022/10/04

私の父には、「息子(私)が生まれてから、ずっと抱いていた夢があった」とよく言います。
それは、息子が仕事をするようになったら、お互い仕事帰りに待ち合わせてちょっと一杯、というもの。
私が、実家から遠く離れた仙台で職を得たため、実現することはありませんでしたが、リタイア後、仙台に両親が移り住んできたので、それ以降、父とお酒を飲む機会は多くなりました。

正月や、家族の誰かの誕生日などの機会に、父の選んできた地酒を家で飲むことが定番ですが、他愛もない話をしながら親子で飲むお酒は、やはり格別です。
元日は、毎年お昼前からお節で飲み始め、昼下がりに解散、私はそのあと夕方まで爆睡、というのが恒例(笑)
我が家の場合、お酒を飲めない妻が正気でいてくれるので、気兼ねなく飲めてしまうのもいいところです。

それにしても、つくづく思うのは、お互いの健康があって、ということ。
父は今年米寿を迎えましたが、年齢なりにいくつかの持病を持ちながらも、お酒を楽しむだけの健康は維持しています。
私は私で、年齢なりに(?)やはりいくつかの不調はありますが、まぁ概ね健康。
加えて、お互いお酒が飲める体質であったこと、近くに住んでいることなど、父と盃を交わす機会を多く持てる自分は、大変恵まれていて幸せだとしみじみ思います。

ところで、私の子どもたちは、というと、長男と長女は成人しましたが、あまりお酒を好まない様子で、その場にいて話には加わり、一口二口は飲んでも、「本格参戦」はしてきません。私も、自分の子どもと飲みたい、というささやかな夢はあるのですが・・・中学生の次男の将来に期待します(笑)

【写真】何年も前になりますが、私の仕事が終わった後、待ち合わせをして父と飲みに行った時のもの。父が夢に見ていたものとは少し違ったかもしれませんが、この日もいいお酒でした。


明日は、梅島アナウンサーの「お酒のはなし」です。字義どおりの「辛党」というイメージがありますが・・・

ファミリー

佐藤 拓雄

2022/09/05

今回の【写真】は、なかなかちょうどよいものが見つからず、ちょっとこじつけで「ファミリー」サイズの寿司で・・・。
次男が私に似て、いや私以上の、無類の寿司好きで、我が家では登場率が高くなっています。

さて、ちょっとカッコつけに聞こえるかもしれませんが、仙台放送アナウンス部が、私のもう一つの「ファミリー」だと思っています。

私たちアナウンス部は、基本的に他部署への異動はあまりなく、入社してからずっと、同じメンバーで、毎日のように顔を合わせ、20代前半から50代まで、十数人が一緒に年齢を重ねていきます。
これはもう、家族のようなものだと思うのです。
冷めた目で見れば、いかにも日本的終身雇用制、ということかもしれませんが、そんな野暮なことは言わず。

29年前、入社した時は、当然「末っ子」だった私。
世間知らず、怖いもの知らずで、今思うと恥ずかしいことばかりですが、並みいる先輩方、特にお姉さま方にかわいがっていただき(笑)、実際には長男で、とかく「お兄ちゃん」扱いされてきたことからすれば、これはこれで居心地の良いものだなあと思ったものです。
また、当時の柴山光由部長をはじめ、男性のベテランの先輩方は、威厳も大いにありつつ、毎日一緒に過ごしていると、父親や親戚のおじさんのような感覚もありました。

そのうちに、後輩のアナウンサーが入り、「末っ子」から「兄」に、そして、5年前からは最年長になり、「お父さん」のようだと言われることも多くなりました。
実際、今の20代のアナウンサーたちは自分の子どもたちと同じような世代で、採用から関わり、手塩にかけて育てているわけですから、気持ちはまさに父親です。

この「ファミリー」が、お互いを大切にし、尊重しあいながら、よい年齢の重ね方をしていけるように、「父親」として頑張っていきたいと思っています。

蛇足かもしれませんが、私の場合、「アナウンス部ファミリー」の中から、本当の「ファミリー」ができました。妻のことです(笑)


明日は、寺田アナウンサーです。

今年の夏の総括

佐藤 拓雄

2022/08/29

個人的には、結構マイナスなこともいろいろあったこの夏ですが、仙台育英の甲子園優勝が全て帳消しにしてくれた、そんな気分で、一週間経った今も、まだどこかふわふわと浮き足立った気持ちが続いています。

私も須江航監督の優勝インタビューに涙した一人です。見ていたのが職場だったので、なるべくこらえ、目頭をこっそり拭きましたが。
「青春ってすごく『密』なので・・・」。子どもたちを見守る大人としての温かさに溢れた言葉は、球児や高校生に限らず、全ての若者へのエールだと思いました。私が応援していたのは、青春そのものでもあったと気づかされ、さらには、コロナ禍で青春を送る自分の子どもたちにも重なって、胸が熱くなりました。
そして、こんな時代を生きる若い世代に対して、どういう世の中を作っていけるのかという、大人としての責任にも思いを馳せました。

また、この一週間で、今回の優勝の意味が、私の中でも、少しずつ理解されてきたように思います。
思うのは、東北勢の初優勝、という意義に加えて、高校野球が大きく変わる、革命的な優勝だったのでは、ということです。

今回の仙台育英のスタイルは、今までの高校野球には見られなかったものです。
5人もの投手による継投、「怪物」と呼ばれるような選手なし、初戦で18人全員が出場し活躍、チーム内の公平な競争、監督と選手の関係など・・・。「身の丈に合った丁寧な野球」という須江監督の言葉も新鮮でした。
そして、選手も監督も、仲間や相手に対する最大級の敬意をもって、「宮城大会初戦のような」という平常心で、かつ、高い集中力をもって試合をしていました。テレビで見ていても、決勝戦でさえ「硬さ」を全く感じませんでしたし、決勝戦を前に疲労困憊と見える選手が一人もいなかったのも印象的でした。
このチームがこれからの高校野球の手本、スタンダードになる、という人さえいて、大きく頷かされると同時に、こうしたチームが優勝したこと、しかもそれが宮城県から出てきたことを、心底うれしいと思います。

一方で、部員数の少ない公立高校には、仙台育英のようなチーム作りが難しいことも事実。そもそも仙台育英の門をたたくのは、中学までに腕に覚えのある有望選手たちで、そうした選手たちが100人近く集まるチームの選手層は、出発点からしてレベルがまるで違うのは明らかです。
ただ、それでも、多くの選手が投手に挑戦し、複数ポジションを守り、仲間を尊重し、公平に競争しあってレベルを底上げしていく。そして、自分たち自身のことをよく理解し、「身の丈に合った野球」を目指すことは、決して単なる理想論ではないと思うのです。

次の数十年で、高校野球が大きく変わり、振り返れば、あの2022年の仙台育英が始まりだった、と言われるような、大げさかもしれませんが、「歴史の転換点を見届けた夏」になる予感。

3年連続でどこにも出向かない夏でしたが、総括すれば、一生の思い出となりそうな夏でした。

【写真】上から、仙台市役所、仙台駅、仙台駅前アエルの「祝優勝」。どうしても自分で写真を撮っておきたかったので、3ヶ所行ってきました。


明日は、高橋咲良アナウンサーです。

次へ ≫