アナ・ログ

夏休みの思い出

金澤 聡

2007/08/03

小学生の頃、自分だけの秘密の木がありました。
両親にも、兄にも親友にも、誰にも教えていない木。
夏休み期間中、ほぼ毎日その木へ行きました。

ラジオ体操が始まる前の午前5時。自転車に乗って河原の方へ15分。
そこから藪をかきわけて歩いていくと、その木はありました。
その木は、ちょうど目線の高さに穴がありました。

穴の中は、樹液に群がっているカブトムシにミヤマクワガタ、ノコギリクワガタなどまさに宝庫。
さらに、その木を思い切り蹴ると上からオオクワガタが落ちてきたり、
木の周りの腐葉土を掘るとカブトムシのさなぎが出てきたりと、
当時の僕にとっては、魔法の木でした。
夢中になりすぎてラジオ体操に遅れていったことも何度かありました。

高校生のとき、堤防工事でその木は伐採されてしまいました。
カブトムシ採集に興味はなくなっていましたが、ものすごく寂しい思いをしたのを覚えています。

いまでも夏になるとあの木のことを思い出します。子供のころの夏休みのいい思い出です。


次は、二児のパパ、佐藤拓雄アナウンサー。お子さんに夏休みのいい思い出を作ってあげるんだろうな。

夏と言えば

金澤 聡

2007/07/25

夏といえば、頭に浮かぶのは「香」と「音」と「光」

 僕の実家は、夏は猛暑の新潟。しかも盆地。如何ともしがたいくらい日中は暑い。
 部活を終え帰宅するやいなや、畳の上にしばらく大の字。
 祖母がとなりに置いてくれた麦茶の香りと畳の香りに包まれて心地よい疲労感。
 
 聞こえてくるのは、扇風機の静かな風の音と蝉のなきごえ。しばし仮眠。
 目を覚ますと、外は夏の夜空に光輝く満点の星。
 まばたきせず見ていると、どんどん星が自分に近づいているかの様な錯覚さえする。
 庭先に1つ2つホタルの光の明滅。夢かと思うほど幻想的な風景。
 夏の夜風にあたりながら眺めることのなんとも贅沢な清涼感。
 
 20年前、僕の生まれたところにはこんな夏の風景があった。
 夏のある一日、仙台でボーッとしていたら、どんな「香」と「音」と「光」があるのだろうか。
 今度やってみようかな。
いまやったら次の日の朝まで寝ていそうだけど…なにも感じずに…

 次は、自称?他称?「夏女」の梅島アナウンサーです。そんなこと言われていたかな??

子どもの頃なりたかったもの

金澤 聡

2007/06/22

今回のテーマは、「子ども頃なりたかったもの」です。

「ジャイアンツの四番」と「若大将」といえば“原辰徳”世代の私は、子どもの頃、プロ野球選手になりたいと思ったこともありました。
そして、アニメは「機動戦士ガンダム」と「キャプテン翼」世代でもある私は、サッカー選手になりたいと思ったこともありました。
「オリンピック」といえば“カール・ルイス”と答える私は、陸上選手になりたいと思ったなど、スポーツ選手に憧れたことが多かったです。

しかし、一番なりたいと思ったのは、お寿司屋さんの「板前さん」でした。
威勢のいい「らっしゃい!」に憧れ、角刈りに憧れ、ねじりはちまきに憧れました。
そして、なによりも、厳つい親方のごつい両手から何であんなに美味しいものが作り出されるのか、その神秘性に憧れました。中学生くらいまでは、普通に『将来はお寿司屋さんで働くんだろうなあ』と考えていました。確か両親にも、『お前の将来はお寿司屋さんで修行することだからな』なんて普通に言われていたように思います。
果たして、人生のどの岐路でお寿司屋さんの道を選択しなかったのかはよく覚えていませんが、もしかすると今頃、「へい、らっしゃい!!」とお客さんを前にして握っていたのかもしれません。

次は、夢見る乙女、出射アナウンサーです。

金澤 聡

2007/06/19

自他ともに認める雨男です。

もし、雨男認定協会なるものがこの世に存在していたら間違いなく「1級雨男士」に認定されることでしょう。
公私ともに大事なときに雨を降らせてきました。

もともとスポーツ実況がしたくてアナウンサーを志しました。
11年前、初のスポーツ実況「リトルリーグ野球中継」の担当になりました。
スポーツ実況という念願の夢舞台。実況の1ヶ月以上も前から緊張の日々。
準備に準備を重ね、さあ実況という日に、大雨。1週間後に延期…。
1週間後。今度こそ実況!と思ったら大嵐。また延期。
結局翌週にようやく曇り空の中、初実況。極度の緊張が幾日も続き、疲労困憊となったのを覚えています。

それから11年後…。今年、自身初のプロ野球実況が巡ってきました。
午前中は雨。試合開始と同時に青空ものぞき、無事中継スタート!
しかし、そこは「1級雨男士」。
みごと雷雨のため7回コールドで試合は終了。雨男の力をまた存分に発揮してしまいました。
こうしてアナログを書いている今も雨が降っています。(写真が証拠です…)

この人は「雨女」?でしょうか。次回は梅島アナウンサーです。

私のイチ押し~食べ物編~

金澤 聡

2007/05/24

私の一押しの食べ物は、太白区西多賀の焼き肉屋さん『花牛』のいわゆる“塩もの”全てです!

以前の焼き肉の食べ方は、“タレ”をたっぷりつけてご飯にのせ、一息ついた所でまず焼き肉を一口で食べて、タレの付いたご飯を三口食べる、これが私の焼き肉流儀でした。“塩”はもっと人生経験を積んで、「肉より魚だな」なんて言い始める頃に手を付けようと思っていました。

しかし、『花牛』で出会った“塩もの”で私の焼き肉観は一変しました。
極上の肉に、上品な塩のハーモニー。
一口食べると、あっさりとしているが旨み凝縮の肉汁の情熱的なタンゴが口に広がり、後から塩と肉の風味がワルツの様にやさしく押し寄せるのです。(言いすぎかな…、書いていてちょっと恥ずかしくなってきた…)
塩カルビ、塩タン、塩ホルモン、塩ミノ、どれも珠玉です。
これまでは焼き網の上に豪快に肉をのせ、タレだく(牛丼の「つゆだく」みたいなものです)のご飯をほおばっていましたが、“塩もの”は本当に美味しい焼き具合で食べたいので一枚一枚丁寧に集中して焼いて食べています。
食を堪能する感覚を『花牛』の“塩もの”は私に教えてくれました。
ぜひご賞味下さい。
でも、そういえば最近、魚を食べることが多いような…。そういえば、30歳後半だし…、塩を好むのはもしかして…。


次は、肉派?魚派?たぶん魚派だと思います、浅見アナウンサーです。違っていたらすいません

旅行

金澤 聡

2007/05/17

入社して以来、ロケで色々なところに行かせてもらいました。北は札幌、南は沖縄、海外ではアメリカ、タイなどなど、中には仕事というよりはバカンス旅行?みたいな、それはそれは楽しいロケもありました。しかし、忘れもしない過酷極める温泉の取材が存在しました。

とある秋田の温泉。川原に湧き出る露天風呂。川のせせらぎをBGMに森林浴。それはそれは最高のロケーションでした。ディレクターの指示のもと、いざ入浴。体全身の毛穴からも発せられたような『あ~っ、気持ちいいですね~ぅ』の一言。カメラで撮影されていることも忘れてしまうような心地よさ。

ところが、次の瞬間、僕の周りを囲む、無数の耳障りなハネの音。ブ~ン、ブブ~ン、ブブブブ~ン。
それはそれは、“アブの大群”!!僕の裸体に襲い掛かってくるではありませんか!
慌てて露天風呂から上がり、タオルをしないまま猛然と50m以上ダッシュ。
難を逃れたと一息ついたとき、何者かがこちらを見ているような気配を感じました。
カメラです!!!一部始終撮影しているではありませんか。遠くこちらを見て爆笑するカメラさん、ディレクター、アシスタント。裸体のまま川原にたたずむ僕。
そのときのテープはいずこへ…。それはそれは恥ずかしいロケとなりました。

次は、今後たくさんのロケを経験するであろう2年目の板垣アナウンサー。新たな伝説が生まれることを期待します!

さくら

金澤 聡

2007/04/18

今回のテーマは「さくら」です。

入社12年目の春。桜の散り行く早さからか、毎年この時期は感傷的になってしまいます。
しかし…、
答えは過去にありました。

研修時期の桜中継で、桜よりも先輩の動きとしゃべりを見つめていた入社1年目。

夕方の情報番組で天気を担当し、緊張しすぎて開花宣言を鬼の形相で伝えていた入社2年目。

仕事に悩みながらも必死に働き、桜の記憶が全く無い入社3年目。

お花見で飲めないお酒を飲み、酔いつぶれた入社4年目。

懲りずにまた酔いつぶれた入社5年目。

桜中継のリポート直前に、お花見客にからまれた入社6年目。

東京に出張中、桜は満開だったが花粉症で不眠が続いた入社7年目。

桜中継で奇をてらい面白い花見グッズを紹介したものの、スベッてしまった中堅どころの入社8年目。

入院してしまい、病室から花見をしていた入社9年目。

視聴者のお宅を取材中、桜の枝を折ってしまい、しばし沈黙が続いた節目の入社10年目。

スポーツ担当に復帰し、取材に東奔西走で桜どころではなかった加齢臭が気になる入社11年目。

感傷的になるのも分かりました。宮城に越してきてから、いい思い出が「さくら」にはないのです。
今年こそ福音のさくらに出会いたい入社12年目の春です。

次は、おそらく「さくら」にはいい思い出満載?の出射アナウンサーです。間違っていたらごめんなさい。

入学

金澤 聡

2007/04/11

楽しかったことより、辛く苦しかったことを人はよく憶えているのではないでしょうか。
大学の入学式。
入学式二日前、浪人生活を1年経験した僕は、受験が終了した安堵感で入学式のことなど何も考えていなかった。夜、実家の母から電話。「入学式に着ていく服装は?」と突然の質問。「何も用意していないよ」と即答の僕。「どうするの?」と母。「スーツを友達から借りる」と即答の僕。僕と体格の似ている友達から借りればいいかなと楽観的だった。
入学式前日、友達にスーツを借りにいった。久々に会った友達。体格は同じだと思っていた友達が、若干小さくなったような気がした。僕が大きくなったのか。気のせいか。友達は快く貸してくれた。僕は、試着もせずスーツを借りていった。
入学式当日、友達から借りたスーツに着替えた。友達の体格は気のせいではなかった。スーツの丈が短くて、手足が出ている、そう、“つんつるてん”だ!入学式=人生の晴れの門出に、つんつるてん。スーツのズボンを腰ではいていた。ある意味、流行のはしりだったのかもしれない。しかし、もちろん当時はそんなズボンのはきかたは流行ってなかった。ジャケットは暑くもないのに脱いでいた。何とも辛く苦しい一日だった。式の内容などまるで覚えていない。とにかく恥ずかしかった。試着さえしていれば…。
皆さん、学生服の丈はいかがですか?スーツの丈は合っていますか?

(写真)計画性のない僕の机は資料が堆く積まれています。

次回は、人生の晴れ舞台に抜かりがなさそうな原アナウンサーです。

卒業

金澤 聡

2007/03/15

卒業式で一番記憶に残っているのは中学のとき。
雪解けもまだ遠く、日差しにほんの微かに春を感じられるような頃でした。
卒業証書授与式も終わり、別れを惜しみながら閉会の挨拶を聞いていた…その時!
同じクラスで生徒会長のY君が、突然、「ちょっと待ったー」と大きな声。
「このまま終わりにしたくないので、僕たち3年生が『大地讃頌(さんしょう)』を歌います!」
おお~っ!これが映画やドラマでしか見たことがないサプライズかっ!スゴイッ!と驚いていたのも束の間、
ピアノの伴奏が始まり卒業生全員が申し合わせていたかのように歌い始めた。僕も慌てて歌の流れに入っていった。
合唱が終わると、父母や在校生が感動の涙を流しながら大きな拍手をしていた。僕もその表情を見てもらい泣き。
それにしても、こんな突然のサプライズにもかかわらずみんな落ち着いて出だしよく歌えたなぁと感心しきり。
式後、サプライズを決行した生徒会長Y君に、すごい勇気ある行動だった、かっこよかったと労をねぎらった。が…、
「あれっ?金澤聞いてなかったの?きのうの放課後、卒業式の最後で『大地讃頌』歌うから伝えておいてって言ったのに、わり~な」
感動した父母や在校生よりも、実は僕が一番サプライズ!! 生徒会長と最後に交わした言葉「わり~な」が頭を何周も駆け巡った…。前日、誰が僕に伝える役だったのかは未だに不明だが、忘れられない卒業式となりました。

次は、アナウンス部の歌姫!?水上アナウンサーです。一体何に卒業するんでしょうか…。

私の携帯ストラップ

金澤 聡

2007/03/07

僕が初めて個人用の携帯電話を持つようになったのは、仙台放送に入社した1996年。
結構新しいもの好きのため、携帯電話の新機種が出てはすぐに変更。過去の携帯電話の変遷を辿ってみたが、何機種かは忘却の彼方へ…。それほど変えている。

しかし、変えていないのが携帯ストラップへのポリシー。
それは…、
僕はこれまで様々な携帯電話を使用してきたが、いままで「携帯ストラップ」は付けたことがない!一度もない!それがポリシー!

携帯ストラップ愛好家の方ごめんなさい。僕は正直、あの「携帯ストラップ」が邪魔なんです。何故付けるのか?僕に教えて欲しい!!パジャマに付いているポケットくらい必要ないのでは?と思ってしまうほど。
しかも、取り付ける穴にストラップを通すのも難儀なことではないですか。ましてや取り替えるなんて、これは重労働。

果たして、僕に携帯ストラップをつける日が訪れるのだろうか?
ストラップ自体が携帯電話だったら付けざるを得ないから付けるんだろうな。そんな日が来るのだろうか・・・。
僕の意見に賛同してくれている方はいるのだろうか?アナウンス部で付けてない人は他にいるのだろうか?
そして、こんな「アナログ」の文章でいいのだろうか?

色んな疑問を残しつつ、携帯ストラップ付けている派の佐藤拓雄アナウンサーにバトンを渡します。どんなストラップ付けているんだろうか?付けなかった時はあったのだろうか?あっ、また疑問だ!

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