アナ・ログ

今年の自分を漢字1字で表すと

梅島 三環子

2011/12/12

「考」
2011年、今年は考える・考えさせられることがたくさんあった年でした。

3月11日 午後2時46分…
私たちの生活・日常を一瞬にして奪ったあの日の地震。

震災から9ヶ月が経ち、復旧・復興を遂げるものもありますが、それ以上に失ったものは未だたくさんあります。元に戻らない現実からは、逃れられません。

当たり前だと思っていた日常は、当たり前ではないことを考えさせられました。私たちの安心や安全は、誰も保証してはくれないことを考えさせられました。何の前触れもなく、大切な人がいなくなってしまうことも考えさせられました。
もちろん、震災前から頭ではわかっていました。

ただ、大きな不自由もせず、生まれた日から平穏な日常を過ごした私にとっては、今後もこれまでのように、同じ日常が続くことは当たり前と思っていたのが事実です。

仙台市の中心部で暮らして、本当に震災の苦しみがわかったとは到底言えませんが、震災によって受けた、悲しみ、そして不自由となった生活は私の考えに変化をもたらしています。

明日からは、テーマが変わります。
アナウンス部一人ひとりが、今年を振り返ります。

2011/12/09

どうしても、3・11東日本大震災は忘れられない、いや、忘れてはならない災害だと思いますが、その大震災から一文字とるのは、どうもいただけませんし、今考えると、地震発生から時系列で自分の記憶が余りはっきりしないのですね。それだけ、何もかもが、必死になっていたのかもしれません。

戦前・戦後という言い方をしますが、(まあ、若い方は使いませんが、)今後は、震災前・震災後といった表現が出てくるのではないでしょうか。
関東大震災直後に、芥川龍之介が震災の覚え書きとして「鸚鵡」という作品を残しています。芥川自身も「覚え書きを書くことが意味のない訳ではない」と記しています。
今でいうテレビや新聞のドキュメントといったものでしょうか。それだけの大震災であったということでしょう。

被災された方にとっては、震災後の新たな生活が始まっている訳ですが、私自身も今年は、個人的に新たな年として迎えましたが、そんな中での東日本大震災の発生でした。

震災後から、「新たな」というより「改」のあたらめること、あらたまること。こんな一字が大事なことなのかなあと思うようになりました。

「改」で思い出しました。
先日、立川談笑さんのCDを頂きました。
「鼠穴・改」という一席が入っていました。「名作?鼠穴」をあらためたものです。久しぶりにCD落語で笑いました。馬鹿馬鹿しいお笑いです…

余計な話でした。笑いも必要ということです。

お次は、梅島アナウンサーの番です。

林 佳緒里

2011/12/08

今年はとにかく“心”の大切さを学んだ1年でした。

あの未曾有の大震災で、一瞬にして多くの命が失われました。大切なご家族やご友人を亡くされた方がたくさんいらっしゃいます。

仕事柄、そうした方々にお話を伺わせていただく機会が幾度となくありましたが、初めはなんと声をかけたら良いのか?そこから、取材は始まりました。

しかし皆さんは、辛い思いをされているにも関わらず、真摯に向き合ってくださいます。
そして、ご自身のこと、ご家族のことを話してくださいます。

そんな時、私にできること。
それは、精一杯の心・気持ちで向き合わせていただくこと。これしかできません。
心から寄り添う気持ち・・・。
心で会話をすると、自然と距離も縮まってきます。
いわゆる取材ではなく、心同士の会話の中からいろんなお話を伺えます。

普段、平穏な生活を送っていると、親や夫、そして自分の子どもに対してさえ、優しさ・思いやり、そんな気持ちを忘れて接してしまうことがあるような気がします。
でも、今年はあらためて「心」の大切さをいろんな場面で感じることができました。

(★写真★は、以前取材をさせていただいた、震災で息子さんご家族を亡くされた漁師のご夫婦から送っていただいたものです。このご夫婦も本当に温かい心をお持ちでした。いくらの醤油漬けは優しい味がしました)

明日は、浅見さんです。

柳沢 剛

2011/12/07

今年は「驚」きの1年でした。

驚愕・驚倒・吃驚・驚嘆・・・・。

3月のあの日から、毎日でした…。

そして今、喪中のはがきの多さに「驚」いています。

つい数日前のことでした。
届いた葉書を読み出して…
「驚愕!」
固まってしまいました。

1枚の葉書でこんなにも心揺さぶられたのは
始めてです…。

その喪中をを告げる葉書には、
60歳代のご両親・30歳代の奥様・小学生の二人のお子さんの5人の名前が書かれていたのです…。
番組でお世話になった御家族でした。
親切で優しい御家族でした。
その時の皆さんの笑顔が脳裏に浮かび…
涙が溢れてきました。

切なすぎます…
辛すぎます…
9か月たった今…
まだまだ、大変な思いをしている方が沢山いるという現実…。

一人残された御主人の事を思うと…
いたたまれない、胸の鼓動とざわつきが繰り返されます。

簡単に、「頑張りましょう!」とは言えません…
きっと精一杯頑張っているのですから…。
と言っても…
かける言葉が見つかりません…。


津波にのまれながら、一本だけ残った木を見て(写真)
今、いろいろな事を考えています…。


次は、12月10日オンエアー「ともに」の準備で忙しい、林さんです!

2011/12/06

「怠」

入社以来、1年おきに体重が1キロアップしてきた私。
今年はこれまで毎週通っていたスポーツジムをサボリ気味。
筋力が落ちて体が小さくなったため、見た目は縮みましたが、実際は2キロアップ。
体重増ペースが早まってきました。
何とかせねばならぬと思いつつ、外は寒くなったため、ジムへの足は遠のきます。

そして冬が来る前に始めようと思った、料理。
結局1回カレーを作っただけで、それ以降、まるで何もしていません。
食生活は相変わらずいい加減で、ますます体重増に拍車が掛かりそうです。
これまで怠けた分を、12月までに何とか挽回したいと心では思い続けています。

次は、週末は少年野球チームで連投の毎日。私と違って全力投球の柳沢さんです。

稲垣 龍太郎

2011/12/05

今年の私を漢字1字で表すと「新」です。

新社会人、仙台での新しい生活、日々経験することは新しいことばかり…。東北にやってきて、これまで経験したことのない食文化にも触れました。

私が今年、東北で最も感動した食べ物は、「玉こんにゃく」です。特に、こんにゃく好きというわけでもなく、最初は山形県の屋台で見かけただけで、「へぇー、こういうものがあるんだ」というくらいでした。
しかし、ダシがよくしみこんでいることが一瞬見ただけでわかる、茶色のこんにゃく3個を目の前にし、思わず食べてみたくなりました。

口にしてみると、丸みを帯びたこんにゃくのプルプルした食感がたまりません。噛むと、ダシの香りが口から鼻へと抜けていき、癖になりそうです。

それ以来、コンビニのおでんコーナーで見かけると、ついつい買ってしまう、玉こんにゃく。
美味しくて、ヘルシーで、しかもお酒にも合う一品ですね!

次は広瀬アナウンサーです。

寺田 早輪子

2011/12/02

これほどまでに「故郷」を思った年はありませんでした。
『郷』。震災があった私の今年を一文字で表現するなら、「故郷」の『郷』です。

3月の震災ではここ宮城も、そして、私の故郷・福島県いわき市の人々も、多くの方々が、故郷を大津波、大地震で傷つけられました。
育った家が…、街が…、学んだ学校が…、思い出の場所が傷つけられた現実を思うたび、胸が痛みます。
子供の頃は、故郷の空気を吸って、走り回って、近くの港にあがった魚介類を頂くことを、特別なことだと思うことはありませんでした。

10年以上前に父が亡くなり、一時、一人暮らしになった母を心配していた私に、母はかつてこんな話をしたことがあります。
「ここは、早輪子たちの故郷だから、お母さんがここを離れちゃったら故郷がなくなっちゃうでしょ。一人になっても住み続けるから。大丈夫。」
母がかつて何気なく話した「故郷があることの幸せ」。震災があった今年、深く深く私の胸に響いています。

「故郷のために、自分が出来ることは何か?」
故郷を傷つけられた多くの人が抱いているこの思い。
生涯、私は自問自答し、自己満足でない形で行動したいと思います。

続いては…、今年、仙台放送アナウンサーに仲間入りした稲垣アナウンサーです。

金澤 聡

2011/12/01

私にとって今年の一年は、『生』でした。

今年は宮城に住む私たちにとっては、大変な年でした。大きな災禍が生じ、一瞬にして生活が変わりました。
生きることの意味を考えました。
そんな中、家族に新たな『生=命』が誕生しました。悲哀と疲労に覆われていた心に生気が宿ったような瞬間でした。
彼に今年は色んな意味で救われている気がします。きっと強い子に育ってくれることでしょう。

スポーツも被災した方の希望の光になりたいと生き生きした姿を見せてくれました。

星野監督を招聘して再生を誓った楽天。震災直後の開幕戦、あの奇跡のような嶋選手会長のホームランは間違いなく勇気を与えてくれました。シーズンは残念ながら5位という成績に終わりましたが、震災の復興は今年だけではなく長く険しい道程となるでしょう、ですから、ファンの方は来年以降に真の「東北の底力」を見せてくれると信じていることと思います。

ベガルタは躍進の一年となりました。拠り所にできる堅いディフェンスが生んだ数々の勝利。昨年J1残留の戦い方を探しに探してようやくたどり着いた理想郷、まさに生みの苦しみを味わったチームが、震災の逆境を見事に力に変えて具現化した負けない方程式。来年以降も楽しみです。

89ERSは、震災の影響で無期限の活動休止からまさに reborn(=再生)し、今シーズンのコートに立ちました。ブースターに支えられ生まれ変わったと言ってもいいでしょう。プロバスケチームもある街に改めて喜びを感じて今シーズンの活躍を期待しています。

来年はスポーツシーンに限らず、たくさんの歓喜が『生』まれることを祈ってます。


次は、寺田アナウンサーです。

佐藤 拓雄

2011/11/30

私の場合、「揺」でしょうか。

3月11日の揺れ。
正直に言いますが、揺れの中をスタジオへ向かった時、あまりのすさまじい揺れから、とんでもない被害が出る、ということが頭をよぎり、ものすごく動揺しました。「この世の終わり」かと思うと、心臓がとてつもない速さで動き、口から飛び出しそうでした。
動揺の正体は、緊張ではありません。恐怖です。

発生直後からの緊急放送に入ってまもなく、県内全域が停電していることが分かりました。
ということは、この放送が、一番届いてほしい人に届いていないということか?では、誰に向けて放送しているんだろう?
心が大きく揺れました。

物資不足が深刻になってくると、我が家も、食料が先細りになり、ガソリンも給油できない、一番下の子のオムツもひょっとすると足りなくなる?というような状況に陥りました。当然のことながら、私はろくに家にも帰らず、仕事。スーパーの列にも、ガソリンスタンドの列にも並ばず、家族を守らなくていいのか、と心が揺れたりもしました。
しかし、家族を含めたすべての被災者のために、自分の使命を果たすしかない、と自分に言い聞かせ、仕事に向き合いました。

それから8ヶ月半。
今でも、震災と向き合う毎日ですが、取材、放送の過程でも、一体何をどう伝えるべきか、今必要な放送とは何か、常に悩み、揺れ動いています。
でも、一人の宮城県民として、ともに前へ進んでいきたい、という思いだけは、揺るがず、強く持っています。

次は、金澤アナウンサー。震災を経て、第2子ご誕生という、はたから見ても大きな出来事が続いた一年を送ったのだろうなあと感じましたが、果たして・・・

飯田 菜奈

2011/11/29

11月も明日で終わり。12月になると、いよいよ2011年も大詰めだなぁという思いが強まりますよね。

アナログでも、今年1年を振り返るようなテーマで書いていきたいと思います。ということで、新テーマは『今年の自分を漢字1字で表すと』です。

私は、「学」です。

“人生楽あれば苦もある”と言いますが、私にとって今年は、後者の「苦」に感じることが多かった一年と言えます。漢字一文字を選ぶ際にも、この字にしようかと思いましたが、そんな体験の中から学ぶことが多かったので「学」に決めました。

【健康】
「社会人になって誰しも一度は体調を崩すものだ」とお医者さんに言われましたが、今年のはじめに3つの病を併発。今はもうすべてが完治し、いたって元気なのですが、改めて“健康”について考えさせられました。

【東日本大震災】
津波に遭ったことは、以前アナログ内で書きましたね。

【環境】
アナウンス部では春から夏にかけて、2人の頼れる女性アナウンサーの先輩が退社されました。代わりに、初めての後輩ができ、私も教える側に…。

【仕事】
中継、映画の舞台挨拶、映画のロケ取材、旅番組などなど、今年一年で仕事の幅が大きく広がりました。担当番組も変わりました。新しいことにチャレンジできるのは嬉しい半面、いざトライしてみると自分の力不足を感じ、もどかしく思うばかり。自分に足りないものは何かが見え、また一人前のアナウンサーになるために必要なモノも見えてきた1年だったと思います。

アナウンサーとして3年目を迎えた今年。
簡単に言うと、いろんなことを経験した一年でした。笑 
なんだか私自身強くなったような気がしますが…、今年学んだことを、来年以降に活かしながら、気持ちを新たに2012年もアクティブに頑張っていきたいと思います!!!

明日は、佐藤アナウンサーの登場です。