アナ・ログ

2011年今年を振り返って

寺田 早輪子

2011/12/27

東日本大震災のあった2011年。今年は「子どもたちに勇気をもらった一年」でした。

今月、私は仙台市青葉区内の小学校で「授業」をしました。テーマは「震災に学ぶ ~僕たちに出来ることとは?~」。
その学校の6年生は、震災に関するテレビニュースや新聞記事を集め、宮城県内の被害状況や被災した方々が何に困っているのか?…などを追ってきました。
その学習のまとめとして、震災報道に携わった一人である私が、子供たちと「故郷の復興のためにできること」について話し合ったのです。

子供たちの声です。
「復興は僕らが大人になっても続くことが分かった。」
「僕らより小さい子たちに、この震災を語り継ぎたい。」
「未来の復興を担うために、震災に関するニュースをこれからも見続けたい。」
次々に自分の意見を伝えてくれる子どもたちを頼もしく感じました。

震災直後、津波で壊された街でも、子供たちの笑顔にいくつも出会いました。自分の家が流されたのに…、家族が亡くなったのに…、
「お姉さんはこれから仙台に帰るの?お疲れ様です!」と、声をかけてくれた小学生。
「お友達と久しぶりに会えて、すごくうれしいです!」と、笑顔を見せてくれた女の子もいました。

「津波で壊された故郷を震災前の姿に戻したい。」
大人と同じように、子供たちもそうした思いを抱いているのだと感じます。きっと街はよみがえると信じているその『笑顔』を守りたいと、心から思います。

今、私のお腹には小さな命が息づいています。2012年3月に生まれてくる予定の我が子にも、震災に負けまいと踏ん張る「宮城のお兄ちゃん、お姉ちゃん」のことを話して聞かせようと思います。

さて、本日から、出産のためお休みを頂きます。仙台放送スーパーニュースのキャスターになって、2年。たくさんの方々に支えていただきました。ありがとうございます!
初産で不安もありますが、まずは「出産」という大仕事を無事に成し遂げたいと思います!
復帰後も、東北生まれの私はライフワークとして故郷の復興を見つめ、取材し続けたいと考えています。

2012年。仙台放送アナウンスブログは『1月4日(水)』スタートです!!!

2011/12/26

今年は震災報道に携わり、多くの現場を目の当たりにしました。
振り返って感じることは、あの場所で出会った方々は今どこにいるのかな?という思いです。
特に、長くいた気仙沼の避難所の人達が頭に浮かびます。
とりわけよく話を聞きに行った3歳くらいの男の子は今何をしているのかなと度々思います。
その男の子には、1週間くらい停電が続いて気仙沼が久々に通電した際にインタビューをしたのが出会いでした。
「今、どんな気分?」という私の問いに「いま?いいきぶん」と答えてくれました。
もう一度「今、どんな気持ち?」と聞くと「いま?いいきもち」という返事をくれました。
それから時間が空いた時にはその子の所に遊びに行きました。
その子の笑顔から元気をもらったのは私だけはなかったはずです。

9月に同じ避難所を訪れた際には、もうそのお子さんはいませんでした。
その子を含め、多く出会った子供たちは今どこで何をしているのか。その想いが頭をよぎらない日はありません。

そんな中、10月、11月にフジテレビのイベントで沿岸部の保育園や幼稚園を訪れる機会がありました。
写真は竹内アナウンサーと行った時のものです。
紙芝居の朗読やマルモリダンスを一緒に踊ったりしますが、子供たちは本当に元気で、その笑顔からは改めて勇気をもらいます。
辛い思いをした子供たちの笑顔を見ると、ホッとする思いでした。
これからも一人でも多くの子供たちの笑顔に出会えたらと思います。

柳沢 剛

2011/12/22

2011年が、どんな年だったのか…

2011・3・11・14・46・18

多分私は死ぬまでこの数字の並びを忘れることはないと思います。

2011年3月11日14時46分18秒

この時代に生きている人にとって、鮮明な記憶として残るであろう東日本大震災。
現在のそして今後の対応いかんによっては、日本の歴史を大きく塗りかえる、ターニングポイントの年となりかねない危うさと危機感を感じるのは私だけでしょうか? 

津波による被害とその対策。そして様々な問題への対処の仕方…。
子孫の命を左右することを決めていくという視点も指摘されています。

冷静に、冷静に・・・
一つのことをじっくり煮詰め、深く考えると共に、俯瞰で全体を見ての、素早い対応も求められる様々な事象。

2011年から2012年へ!
一日でがらっと変わる事はないと思いますが、
復興に向け本格的に動き出す来年が、素晴らしい一年になることを願ってやみません。

次は広瀬アナです。

2011/12/21

前回のアナログでも少し触れましたが、あの3:11大地震・大津波は忘れられない、忘れてはならない年にしなければなりません。

千年に1回、あるいは何百年に1回という災害に我々は遭遇してしまいました。
吉村昭さん著の「三陸海岸大津波」には、明治29年、昭和8年、昭和35年に起きた大津波の様子が、体験者の貴重な証言をもとに書かれています。
今回の震災を繰り返す見るような体験談が記されています。
何ともやりきれない思いで、何回も読み直してみました。

災害報道の難しさも痛感した1年でもありました。

各自治体の復興計画が示される中、来年は本格的な復興の年にしなければなりません。

リストラクチュアリング
再構成・再編成・再構築をスピード感をもって取り組まなければなりません。

そのために、何ができるのかを常に自分自身も考えなければなりません。

個人的には、今年は「第2のご奉公」「第2のお仕事」という立ち位置でしたが、大震災という大変な年になってしまいました。

しかし、被災地にはたくさんの笑顔もあります。
笑顔があれば、何とかなるさ!!!
そんな気持ちも大事にしないといけません。

忘れたいけど、忘れてはならない2011年でした。

あすのアナログは、柳沢アナウンサーの担当です。









梅島 三環子

2011/12/20

2011年を駆け抜けたのか
はたまた、2011年が駆け抜けて行ったのか…
思い返すと、今年は本当に色々なことがあった年でした。

3.11直後の記憶は、あまり鮮明ではありませんが
必死に毎日を過ごしていたら
あっという間に1ヶ月が過ぎ、3ヶ月が過ぎ…
夏になり、冬になったという感じです。

皆様にとっては、どんな1年だったでしょうか。

先日、内陸ではありますが大崎市三本木の酒蔵が全壊し
川崎町に新しい蔵を建設した「新澤醸造店」を取材させていただきました。
震災から9ヶ月…蔵は再起の一歩を踏み出したばかりです。
全国から、復興を遂げた酒として注目される分、
これまで以上に、厳しい目で出来栄えを確認していた5代目の目は実に真剣でした。
思いも強い分、ぶれない信念を強く持つことの大切なのだそうです。
この年末は、伯楽星と一緒に県産の海産物…なんて最高の幸せですね。

たくさんのものを壊し、失った2011年。
来年こそ、たくさんのものを取り戻し
復旧だけでなく復興へと大きな飛躍を遂げることを願うばかりです。

明日は浅見さんです!

飯田 菜奈

2011/12/19

3月11日の大震災。

突然の激しい揺れに立っていられず、近くにあった柱に必死でつかまりながら、地球自体がおかしくなったのかと思いました。

避難先のビルの屋上で、津波に容赦なく流されていく車、木々。倒れる柱。あらゆる物同士がぶつかって壊れていく様子・・・。それを見たとき、この世の終わりかと思いました。

以前にも書きましたが、私より怖い思い、急死に一生を得るような体験をした方がたくさんいらっしゃる中で、私の体験はたいしたことではないかもしれませんが感じたことをいくつか・・・。

震災後、目の前に広がる崩壊した景色を見て、私たちが今住んでいる世界は、私たち人間が自然界に作ってきたものだということを改めて感じました。それを壊してしまうほど恐ろしい力も持つ、自然界に。

蛇口をひねったら水が出る、スイッチひとつで部屋の中が明るくなる、電話という機械で離れたところにいる人と話ができる・・・。私たちが当たり前のようにしてきたことの一つ一つが、なんてありがたいことなのかと思い知りました。そしてその一つ一つは、人間が作ったもの。誰かが作ってくれたもの。

人間は一人で産まれて一人で死んでいく。結局、何をするのも人間は一人なんだ。という考え方もありますが、一人では生きていけないと痛感しました。

食べ物がなかったらみんなで分け合う。気持ちが弱っている人がいたら寄り添ってあげる。何か自分ができることをして、困っている人の助けになれれば・・・人間は誰しもそういう精神を持っているんですよね。

私自身も、宮城に住む友人や知り合いだけではなく、離れたところに住む家族、友人、先輩、後輩、海外に住む友人、本当に多くの人に心配してもらいました。
みんなに支えられて、なんとか気持ちを強く持つことができたからこそ、今の自分がいると思います。

これから先生きていく上で、忘れてはいけないこと、心に留めておくべきことを、実体験を通してたくさん感じた1年でした。忘れられない1年です。

次回は、梅島アナウンサーです。

金澤 聡

2011/12/16

『禍福はあざなえる縄』といいますが、これほどまでに甚大な災禍に悩まされた続けた年はなかったのではないでしょうか。
いまだ不自由な生活をされている方がいらっしゃいます。一日も早い復興をお祈り申し上げます。

私が訪れた震災直後の避難所では、食料は一日に1度。それも具なしのおにぎりでした。
みなさん文句ひとつ言わず、並んで配給を待っていました。
夜は何日も真っ暗闇でした。すすり泣く人をやさしく励ます方もたくさんいらっしゃいました。

あるお婆ちゃんは、炊き出しで並んでもらってきた自分のお味噌汁を、取材にきた私に「飲みなさい」といって差し出してくれました。もちろん丁重にお断りし、召し上がっていただきました。
惨憺たる状況の中でも他人に気遣いができる優しさに触れ、人間の心根の良心に感動を覚えました。
今年は、枚挙に暇がないほど東北の方の強さを感じた年でした。
ただし、『耐えられる』東北の方の強さに国全体が決して甘えることなく、さらにスピード感を持って復興への歩みを進めてほしいと期待します。

禍福があざなえる縄であるならば、来年は『福』となる年になるのではないでしょうか。
改めて、大切なご家族を亡くされた方に哀悼の誠を捧げるとともに、被災された方に謹んでお見舞い申し上げます。

『ともに』の精神を胸に、復興の一助になれるよう来年も歩んでまいります。


次は、飯田アナウンサーです。

稲垣 龍太郎

2011/12/15

稲垣龍太郎の今年を振り返る!
1月:生まれて初めてたこ焼き器を買いました。というのも、この頃、「卒業を前に、大阪出身の稲垣の家でたこ焼きパーティーでもやりながらお酒を飲もう。大阪人ならたこ焼き器あるでしょ。」という大阪出身者なら当然自宅にたこ焼き器があるという認識の誘いが3件くらいあり、人生で初めてたこ焼き器を購入しました。
2月:仙台に引っ越しました。4年間暮らしたチャイムなしの古風なアパートの1室がもぬけの殻になると、少し寂しい気持ちにもなりました。
3月:仙台放送での研修がスタート。3月11日、東日本大震災が発生。目の前のできごとにあたふたし、目に飛び込んでくる映像が信じられませんでした。
4月:仙台放送に入社。下旬には柳沢部長に見守られながら夜のニュースで初鳴き。画像はその時のものです。
とにかく必死でした。終わった後、極限の緊張からの解放で涙が出ました。
5月:スーパーニュースのスポーツコーナーを担当させていただくことになりました。多くの先輩方に助けていただき、初オンエアを終えました。
6月:初めて整骨院へ。今では体調維持のために欠かせません。
7月:楽天戦の野球中継で初めてのサブアナを担当。目の前のプレーを見て、パソコンでデータを調べ、スコアブックを書き・・・目が3つあればいいのにと思いました。
8月:初めて平日のお昼のニュースを担当。8月の勤務表で「昼」の文字を見たときは、「ついに・・・きたか・・・」という気持ちでした。
9月:仙台放送まつり2011で初めてのステージMCをさせていただきました。
10月:関西テレビでフジテレビ系列の新人アナウンサー研修を受けてきました。私の甘さを痛感する4日間でした。ただ、就職活動で知り合った学生時代からの友人の懐かしい顔を見ることもできました。
11月:初めてやらせていただいた旅番組がオンエア。渡辺徹さんと鳴子温泉郷を旅させていただきました。掛け合いの難しさ、自身の表現力の乏しさを実感しました。そして、春の高校バレー宮城県大会で初めての優勝インタビュー。人から話を引き出すために、もっと質問の表現方法を考えなければいけないと痛感。
12月:こうして今年1年を振り返り、貴重な経験をたくさんさせていただいているのだから「あぁ、もっと前進しないと」と思うのでした。
次は金澤さんです。

佐藤 拓雄

2011/12/14

3月11日を境に、一変してしまった、今年、2011年。

今年をどう振り返っても、これ以外には考えられません。

私自身のことだけで考えても、仕事、生活、あらゆるところで、震災抜きに考えられるものはほとんどありませんでした。
我が家は、家の中でモノが散乱し、食器が大量に壊れ、扉の一部や壁紙が破損、停電・断水・物不足の影響で家族が大変な思いをしましたが、その程度で済んだと言ったほうがよいのでしょう。それでも、私を含め家族それぞれの心には、何かしらの傷が残ったはずです。
ですから、家族や家を失った方の心持ちはいかばかりかと察します。

「一隅を照らす」という言葉を、被災地の取材中に出会った、ある僧侶の方からいただきました。
天台宗開祖の最澄の言葉で、一人ひとりが自分の持ち場を果たすことで、世の中がよくなる、というような意味だそうです。
本当にそのとおりだと思いました。
私のできることなどあまりに小さいですが、それでも、目の前の自分の使命・役割を果たしていくことが、復興の道のりの一助になるのだ、と信じさせてくれる言葉でした。

今年も、来年も、そのあとも、この言葉を胸に、自分の使命を果たしていきたいと思っています。

そして、来年が希望のあふれる明るい年になりますよう、心から願います。


次は、稲垣アナウンサーです。前回の結論にはズッコケましたが、今回は立派に一年を振り返ってくれますよね?(苦笑)

林 佳緒里

2011/12/13

今日から新しいテーマ、そして今年最後のテーマとなる「2011年今年を振り返って」が始まります。

今年1年は、あっという間といえばそうですし、長かったいえばそうですし…。皆さんそれぞれに感じ方が違った1年だったのではないででしょうか?
でもいろんな意味でこのような年は、もう二度と来ないとも思いますし、大震災があったという点ではもう…。

去年10月に育児休暇を終えて復職した私にとって今年は、育児と仕事の両立に慣れることが一つ目標の年でした。しかし、そんな生活に慣れ始めてきた3月、大震災が発生。
多くの方たちの生活が一変しました。私自身も、育児どころではなくなってしまった部分も多くありましたが、辛く悲しい思いをされた多くの方のことを考えると、そんなことを言ってはいられません。
息子には、震災後1ヶ月ほどは寂しい思いをたくさんさせましたが、あれだけの震災を経験したことで私自身、自分のこと、家族のことを見つめ直すきっかけになったのも事実ですし、必然だったのかもしれないと思えるようになっています。

震災被害の大きかった地域では、年末といえども、この寒さをどう乗り切るか?来年以降の生活は?などまだまだ不安で不自由な暮らしをされている方が多くいらっしゃることと思います。

被災地の取材をさせていただいていると、復興への道のりが何か形になったときの皆さんの笑顔は何にも代えがたいものがあります。復興までは、長い道のりだと思いますが、来年はさらに復興への声が多く聞かれ、少しでも多くの方に明るい笑顔が戻ってくることをお祈りしております。
どうぞ皆様、お体を大切になさって、新しい年をお迎えください。

そして私は、来年プライベートでも、新しい変化の年になるかもしれません。気持ちを強く、前に進んでいきたいと思います。

明日は、復興への道のりをともに歩んでいきたいと一緒に番組を担当している、拓雄さんです。