2013/09/19
秋を前に父がささやきました。
「11月のポール・マッカートニー来日公演に行こう」
父はビートルズの大ファン。
家で流れる曲は、ほぼビートルズ。
休日の昼間、父は自らギターを持って1人で歌っていました。
父の影響を受けた姉は大学時代、ポール愛用のベース・ギター“Hofner”を購入しコピーバンドを結成。「良い娘に育ったなぁ」と父が感じたのは間違いありません。
一方、あまり興味を示さなかった私。
しっかりビートルズを聞いたのは、今でも鮮明に覚えている1991年、横浜大洋ホエールズの試合を見に行った時のこと。
屋敷選手の応援歌がビートルズの“オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ”の替え歌だったのです。
帰り道で父はそのことを教えてくれ“オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ”を英語で口ずさみ、その素晴らしさを語ります。
これほど熱く語る父は初めてで、その不思議な言葉に私も興味を持ちました。
『中学の時、ビートルズの歌詞の意味を知りたくて英語を独学したのだよ。英語が喋れるのはその時のおかげかな。あっはっは』
父は野球観戦後の興奮もあってか、滑らかにエピソードを披露。
「それは凄い!」
私は溢れる好奇心を抑えられませんでした。
「ビートルズを勉強すれば、父のように英語が話せるようになれる!」
そして
『“オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ”ってどういう意味?日本語で歌ってみて』
と質問すると、父は息子に対し自慢げに話し出しました。
『モリーはデズモンズの手を握って、こう言った。オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ!……』
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「日本語訳が、そのまんま“オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ”?」
「結局オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダって何なんだ」
「なぜ父は、こんなことに情熱を燃やしたのだ」
“オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ”は造語と言われています。
その可笑しなフレーズを歌詞にしてしまう面白さを小学生の私は理解できませんでした。
以降、私はビートルズと縁遠くなります。
あれから22年。
その間、様々なシーンでビートルズに触れ、素晴らしさを実感しています。
秋の来日公演、もしその時が来れば私は父と共に叫びたいと思います。
“オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ”!!
次は寺田さんです。