アナ・ログ

卒業式の思い出

金澤 聡

2016/03/31

「春」
「希望に満ちた春」
「雪の国にも、」 「春は訪れ、」 「きょうは晴れの卒業式」


小学校での卒業式の『別れの言葉』
兄の卒業式のとき、冒頭の「春」を小4のときに担当したのを覚えています。
その「春」を噛まずに良く言えたと、母が褒めてくれました。
まあ、普通は噛みませんけど…笑

その帰り、ご褒美にお寿司屋さんに連れっていってくれました。
まあ、普通は噛みませんけど…何のご褒美か分かりませんが…笑

好きなものを食べて良いと言われ、次々と注文しましたが、
母の財布に、2000円しか入っていないことが発覚!
まあ、アニメのちびまる子ちゃんに似たようなストーリーがありましたが…事実です…笑

早々にお寿司屋さんでのご褒美寿司を切り上げようと、
親方に、汗をかきながらモゴモゴ理由を話して帰ろうとする母に
何故か、申し訳ない気持ちでいっぱいだったのを覚えています。

「春」…、この一言が言えただけでお寿司ですから、なんとなく申し訳なくなったのと、
まあ、「春」一言なら、そのくらいの寿司の量が妥当かと…普通は噛みませんからね…笑

さあ、次回は年度が変わって4月です。
新たなテーマでスタートです!

梅島 三環子

2016/03/30

新年度への期待が大きすぎるせいか、いまいち卒業式の記憶が薄い私。
そんな私が、一番覚えているのが高校の卒業式です。

「なんで、こんなに泣いているんだろう…」
と自分自身に驚いたからだと思います。

中高一貫校の為、青春のすべてが詰まっているといっても過言ではない学校や仲間との別れ。

「仰げば尊し」の、「思えばいととし」の歌詞の辺りから悲しみがピークになり、涙していたことが思い出されます。
今思えば…懐かしいやら、恥ずかしいやら。

卒業式のあの瞬間だけは、苦しかったこと、つらかったことは全て忘れ、良い思い出だけが、走馬灯のごとく駆け巡るから不思議です。
それと同時に、大学生活に向け地元を離れる不安も溢れてきたのでしょう。
そして、感受性豊かな年頃だったのでしょう(笑)。

社会人になり、卒業式は取材でしか縁が無くなってしまいましたが、いつまでもあの時のように、素直な心を持っていたいものです。

いや、正確には、「思い出したい」ものです。かな!?

写真は、昨日撮影した会社前のソメイヨシノ。
だいぶ、蕾もふくらんできましたよ。

明日は、金澤アナウンサーの思い出です。

柳沢 剛

2016/03/29

卒業式の思い出・・・?

今、ユーミンの「卒業写真」を聞きながら…必死に思い出そうとしていますが…???
鮮明に思い出せるシーンはなく…
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ただ、その時の思い?気持ち?
みたいなものが…
BGMにのせて…
徐々に湧き上がってきました…。

早春の淡い記憶…
それは…
次の世界に踏み出す、期待や希望というよりは、
別世界に行く、不安と戸惑いのほうが大きかったような気がします…。

高校も大学も志望校ではなかった自分にとって、
卒業式は何ともしっくりこない気分の中で行われた、心ここにあらずの早春のセレモニー…。
志望校に受かった周りの皆が
まぶしく、うらやましく見えました…。

その時は…
これから進む道で、最高の友人や恩師との出会いが待っているとは、全く気付かず…
ただただ、落ち込んでいたような気がします…。
家族や周りの人達に、相当気を遣わせてしまったのだろうな…?
と思うと…申し訳ない気持ちでいっぱいです…。

「全ては、自分の気の持ちよう!」
落ち込んでいた時間がもったいなかったな~と思う今日この頃です。

「運命を愛し、希望に生きる!」

神様?は自分に足りないものを教えてくれ、それを補うための道を示してくれたのかも…と素直に思える今日この頃です…。

この春、上手くいった人も、そうでなかった人も…
不平不満を言うよりも…
今、自分自身には何が出来るのか?
何をやるべきか?
そんな事を考えると…
結構楽しくなってきて…
その場その場でベストを尽くせば…
きっといいことあるはずです!!!

そう信じて…
Next one !

世の卒業生の皆さん!
おめでとうございます!

皆さんの未来に幸多かれ!と祈り…合掌! (写真)

明日は、梅島アナの卒業式の思いでです。

木下 瑠音

2016/03/28

小学校の卒業式にはいろいろ思い出があります。
歌の練習がんばったとか、全国共通(?)の「かけ合い」で私は声が小さくて居残りさせられたとか。
あと、何故か本番で印象に残っているのが、卒業証書授与の時に、音楽の先生がバッハの「主よ、人の望みの喜びよ」を電子ピアノでずっと弾いていたこと。この緊張感の中、よく間違わずに何分間も弾けるな、間違えたらショックだろうな、手に汗かきそう・・・。そんなことを考えていました。

中学校の卒業式でも変わらず合唱が好きでした。
「大地讃頌」「一日に何度も」。
3年間ものすごく楽しくて、別れたくなくて、ウルウルしながら歌った気がします。クラスの仲も良かったし、卒業してからも高校入学直前まで男女交えていろんなところへ遊びに行きました。ま、眩しすぎる。みんな今どうしているんだろう。全然連絡取っていませんが・・・元気だといいな。
卒業式って思い出すだけでもちょっと切なくなりますね。

つづいては柳沢部長です。

牧 広大

2016/03/25

卒業式。
1年前に経験したはずですが、まだ最近のことのようです。
去年の卒業式が人生で最後?の卒業式だったかと思うと、今思えば寂しい思いもありますが、卒業できるか否かをさまよった身なので、当初は安心感に浸っていました。

大学4年生の間は学校にはほとんど行かないという人が大半。
大体の人は単位を取り終わり、アルバイトや卒業旅行、就職に向け勉強する人がたくさんいる中、私は週4回授業があり、4年生になっても足しげく学校に通っていました。

4年生が始まる際、選択科目の残り2科目分の単位が取れれば卒業という中で、Aというグループで1科目、Bというグループの中からで1科目と、卒業には油断は許せない状況。
そのため保険でグループごとに3科目ずつ、計6科目受講することに。
上手く1日に授業がまとまってくれればよかったのですが、そのような運もなく、結果週4回通うこととなりました。

同じ授業を取る友達も何科目かいましたが、一人で受講する授業もしばしば。
4年生ということで学校に行ってもあまり友達にも会えず、1年生がとるような科目も受講していたため、なぜか肩身の狭い思いもしていました。

そんな中、卒業できるかがが決まった時、単位が取得できたのはAグループでは2つ、Bグループでは1つと、あわや卒業できないところでした。
あのとき保険で受講して良かった、4年生でも週4回めげずに通ってよかったと心から思いました。サポートしてくれた友人にも感謝です。

そのような経緯もあり、卒業式は安堵の気持ちでいっぱいでした。
桜がぱらぱらと咲き始める中、ここまで育ててくれた両親、祖父母、兄弟に感謝し、新たな船出に向かう決意とともに故郷への寂しさも積もった去年の卒業式。
あれから1年間、振り返るといろいろあった1年でしたが、あっという間だったということは充実していた証拠です。

*写真は東京にいたときの桜の写真、桜の開花が待ち遠しいですね。

次は木下アナです!

高谷 恵倫

2016/03/24

卒業シーズンですね。
スポーツニュースでも、オコエ選手の卒業式などお伝えしました。
ユニフォーム姿に見慣れたからか、卒業式の制服姿が新鮮に感じました。


オコエ選手の卒業式を見て、自分の高校の卒業式を思い出しました。
カトリック系の女子校に通っていた私。
卒業式は毎年必ず3月3日、桃の節句に行われました。
更にもう一つ伝統があります。
卒業式の終わりに、卒業生、在校生全員で「ハレルヤ合唱」が行われます。1年生はアルト、2年生はメッゾソプラノ、3年生はメインメロディであるソプラノを歌う伝統がありました。卒業式でハレルヤのソプラノを歌った時、改めて「自分はこの学校を卒業するんだ。」と感じました。歌いながら様々な思い出が頭の中を巡り、
涙が止まらなかったことを覚えています。おかげでソプラノ一番の見せ場の高音の部分、声が出ませんでした。それだけが心残りです。
今では共学となった我が母校。卒業生としては、「ハレルヤ」の伝統はこれからもずっとあり続けて欲しいと願います。



次は、牧アナウンサーです。

佐藤 拓雄

2016/03/23

正直言って、自分の卒業式は、覚えていることが、もうほとんどありません。
時間的に一番近い、大学の卒業式だって、四半世紀近く前のことになってしまうわけですし、幼・小・中・高・大、どの卒業式にも、生涯忘れないような強い思い出もありません。
卒業した本人は「通過点」ぐらいの感覚だからそんなものかもしれませんが、親になってみると、子どもの卒業式は、本当に毎回感慨深いものがあります。
子どもたち3人分でこれまで7回、卒業式・卒園式を親として迎えましたが、子どもが成長し、「通過点」を無事に通っていくことは、親にとってなんと重みのあることか。親になるまでちっとも気がつきませんでした。

今年は、長女の中学、次男の幼稚園と、2つ卒業式・卒園式がありました。
どちらも、色々なことがあったなあ、でもあっという間だったなあ、入学・入園の時を思い出し、大きくなったなあ・・・と本当に様々な思いで、胸がいっぱいになりました。

今回、次男の卒園式には、高校2年の長男も出席してくれました。長男は、ほとんど休みなく、学校と部活の毎日ですが、奇跡的に、その日だけ学校も部活も休みで、「行こうかな?」と言うので、ぜひおいでと誘ったのです。
次男も大喜び。前日、担任の先生に「お兄ちゃんが来てくれる」とわざわざ報告したほどです。

式が終わると長男は、「○○(次男)が楽しそうにしててよかった」と父親のような感想。11歳も年が離れていると、とにかく弟へのまなざしは、常に、「やさしい」の一言です。
家に帰ると、なぜか長男は黙々とチャーハンを作っていました。料理はおろか配膳や食器の後片付けすらほとんどしたことがないのに。弟の卒園を見届けた長男の心境にも何か変化があったのでしょうか。
生活力ついたなあ、どんなチャーハンができたのかなあと、期待していると、なんと作ったのは自分の分だけ。大盛チャーハンを「うまいうまい」と自画自賛してがっついています。
「あ、味見する?」と一口もらった、そのチャーハン。なかなかの出来栄えでした。
その味までが、次男の卒園式の思い出のひとつとして、私の記憶に強く刻まれました。

明日は、数年前に大学を卒業したばかりの、高谷アナウンサーです。

寺田 早輪子

2016/03/22

卒業式。緊張しますよね。

忘れられない、中学校の卒業式。卒業証書授与で一人ひとり名前が呼ばれました。

先生)「寺田早輪子」
私)「あい!」


緊張しすぎて、「はい」という返事が「あい」になってしまったのです。

恥ずかしかったー(T0T)

大勢の前で声を発することはとても恐ろしいと、感じた15の春。

それがなぜか、今、「アナウンサー」に。

人生っておもしろい。

☆「仙台放送みんなのニュース」のスタジオにて。巨大なイカを女川で発見!

アナ・ログ。お次は、佐藤拓雄アナウンサーです!

飯田 菜奈

2016/03/18

私の苗字は“いいだ”。
幼稚園の頃から、名前順では早いほう。
出席番号もいつも3番4番あたりでしたが、高校三年生の時、初めて1番になりました。
それも、A組の1番。

青木、浅賀、阿南、天野、荒牧‥ 
4クラスあるうち、他のクラスでは“あ”行の友達がたくさんいたにも関わらず。

高校三年の新クラスが発表されて、まずびっくりしたのがその出席番号です。
『卒業式で卒業証書をもらうのは私が1番だ(ーー゛)』
その瞬間から緊張が始まっていた…といったら大げさですが、高校の卒業式は相当緊張しました。
みんなが注目しているし、誰のお手本も見られないんですもの。笑

卒業証書授与のとき、校長先生から卒業証書の文面まで読みあげてもらえたので、両親は喜んでいましたが(*^_^*)

友人や先輩後輩、先生、校舎。
慣れ親しんだ全てと別れなくてはいけない“寂しさ”ももちろんありましたが、一番緊張した卒業式で、『手と足が一緒に動きませんように…。自然に歩けますように…。』
といったことばかり考えていた思い出があります。笑

写真は、あらかしスタジオのミニッツ君!
毎月装いが変わるのですが、今月は”卒業式モード”です☆

さて、お次は寺田アナウンサーです!

稲垣 龍太郎

2016/03/17

きょうから新テーマ「卒業式の思い出」です。

しかし、私、卒業式の記憶が、もはや高校時代しか残っていません。
年齢を重ねていくなぁ…と思わずにはいられません。

ちなみに大学では、“卒業”はしましたが、震災発生直後だったため、“卒業式”は自粛されました。

ただ、高校時代も、“公式”の卒業式には出席できませんでした。
不運にも、東京にある志望大学の受験日と重なってしまったからです。
皆が卒業を祝い合い、涙を流し、記念写真を撮影している中、私は、難問と向き合い、汗を流し、帰りに東京タワーで記念写真を撮っていました。

それでも、大阪に戻ってから、お世話になった先生やクラスメートが、私のような、やむを得ない事情で出席できなかった仲間のために、教室で、自主的な卒業式を開催してくれました。
40人のクラスで、およそ30人の仲間が集まって祝ってくれました。
同じ学び舎で過ごした仲間の“思いやり”を感じました

私の記憶には、卒業式の空気感は残っていません。
でも、これほど仲間との絆を実感した卒業式はありません。
なので、私の卒業式の思い出は、体育館ではなく“教室”にあります。

写真は、年末に毎年開催するプチ同窓会です。
結婚したり、転勤したり…皆、それぞれの道を歩んでいるので、大規模な同窓会は不定期ですが、親しい仲間とのプチ同窓会は、毎年、年末に帰省するときの一番の楽しみです。

次は、飯田アナウンサーです。