佐藤 拓雄
2016/07/27
長男の高校野球が終わりました。
今まで一度も負けたことのなかった相手にまさかの大敗。
あっけないというか、言葉がないというか…
初戦敗退ではなかったのですが、夏の大会は怖い、という印象ばかりが残りました。
「魔物」は、甲子園球場だけでなく、地方球場にも棲んでいるんですね。
今は、ふとした瞬間に忍び寄ってくる、寂しさ、虚脱感、無力感との葛藤の毎日です。
この2年数ヶ月、私が親としてやってきたことと言えば、毎晩のユニフォームの洗濯、試合の応援、次々に痛む道具の購入や様々な徴収金の支払い、保護者会での役割、といった、書き連ねるほどでもない、フツーのことばかりではありますが、それなりにかなりエネルギーが必要でした。
小中学校時代とは違う、高校球児の親、というのはこういうものか、という一端をわずかながら体感し、どの親御さんもきっと同じように毎日黙々と支えているのだろうなと、チームメイトの親御さんはもちろん、見も知らぬ全国の親御さんに、連帯感を抱いたりもしました。
敗退したことでこうしたことが報われなかった、などという気持ちは、微塵もありませんし、報われるために支えてきたわけでもありません。
では、何が原動力、言い換えれば、スタミナ源だったのか。やっと本題にたどり着きました。
それは、一言で言えば、我が子の存在そのものです。
そこに我が子がいるから支える。我が子の存在があるから元気が出る。
前の話と少し矛盾しますが、我が子を支えた見返りがあるとするなら、それは、我が子の姿がそこにある、ということに他なりません。
…と言いつつ、現実の世界は、きれいごとばかりではなく、疲れてイヤになることもたくさんあったのですが、それは、この際置いておいて。
でもこれ、「高校野球の保護者」という限定的な話ではありませんね。
子どものために体力気力を使い果たし、子どもからまた元気をもらうという、エネルギーが行ったり来たりしているだけみたいですが、これが子育てだ、と私は思っています。
長男は、今度は受験勉強での勝負。親の役割もそちらにシフトします。
長女と次男にも、均等に親としてのエネルギーが必要です。
ともかく、その存在をスタミナ源に、また頑張りますか。
次は、稲垣アナ。