佐藤 拓雄
2016/08/26
写真は、最近それぞれ別の方からいただいたお土産です。どちらも私の大好物。
おいしゅうございました。
さて、私が子どもの頃、父は、仕事で出張に行くと必ずお土産を買ってきてくれました。
とにかく父の帰りを心待ちにして、帰るなり「お父さん、お土産は?」と、父にまとわりついていたような記憶があります。
不思議なもので、何のお土産がどうだった、という具体的な記憶は全く残っていなくて、楽しみで楽しみで仕方なかった、という思いだけが残っています。
そして、今、父親になった自分に、子どもたちが同じことをしてくれます。
さすがに、高校生になった長男と長女が、私にまとわりつくようなことはもはやありませんが、小さい頃は、帰宅すると、私に手も洗わせてくれないほど、「お土産は?」「お土産タイムは?」と大はしゃぎでした。今は末っ子の次男がそんな感じ。でも、長男長女も、お土産自体は、心待ちにしてくれているようです。
そうなると、こちらも、あれこれ考えます。
これなら喜ぶか、いや、こっちのほうがいいか。待てよ、あの子は、こっちのほうが好きか。
何度も訪れている出張先だと、絶対に外さない、我が家の「鉄板」とも言えるお土産がいくつかあるのであまり迷いませんが、初めて訪れた土地では、かなり考えます。事前にリサーチしておくことも多いですが、食べ物以外にも、サプライズ的なお土産を考えたりして、とにかく、家族の喜ぶ顔が見たい、その一心で、頭とお金をかなり使ってしまいます(苦笑)
とはいえ、そうやってあれこれ考えても、冒頭に書いたように自分の子ども時代を振り返るにつけ、子どもたちにとっては、後々残るのは「何をもらったか」より、その時楽しかった記憶、なのかもしれないと思ったりします。
私は私で、頭をひねった割に、何をお土産にしたか、ということは早々に忘れていきますが、家族の喜んだ顔やそういう時間の楽しい気持ちは忘れません。お土産はその入口みたいなものなんでしょうね。
このお題は私がラストでした。
次は別のお題で木下アナウンサーから始まります。