佐藤 拓雄
2017/03/08
震災翌月に放送を始めた「ともに」という番組を当初から担当しています。
写真は、先日、その「ともに」で訪れた、山元町のいちご園の「いちごカレー」。ここにカレーをかけると、さらにインパクトのある見た目ですが、これがかなり美味しいんです!よかったらお試しください。
さて、先日、デスクの整理をしていたら、「ともに」の番組開始にあたって当時のプロデューサーが作った、番組の最初の構成案が出てきました。手書きで、「書きなぐった」と言ってもよいような粗削りの書類。震災発生直後、私たちも大混乱の中、すべてが混とんとしていました。ただ、その構成案からほとばしるのは、とにかくこの未曾有の大災害からなんとか立ち直っていきたい、私たちの住む宮城を復興させたい、皆で「ともに」支えあいながら歩んでいこう、という強い思いです。
今月で丸6年、私たち番組にかかわる人間は、その思いを忘れたことはありませんが、6年でずいぶん状況は変わってきました。
去年、県が発表した県民意識調査では、7割以上の人が、「震災の記憶の風化が進んでいる」と回答しました。「風化が進んでいると感じる時」のトップは、「新聞やテレビなどでの取り上げ方」。
テレビの人間として、実感と反省の念をもって受け止めました。
6年経った今、発生当初から定期的な放送として続いている震災番組は、非常に少なくなりました。私たちマスメディアは、「記憶の風化」を懸念し、声高に訴えながら、一方では、人々が風化を感じる材料を提供しているとも言えるわけです。皮肉で実に歯がゆいですが、これが現実でもあります。
しかし、だからこそ、私たちが、「ともに」を放送し続けていることに、少なからぬ自負もあります。番組を続けていること自体にも、大きな意義があり、メッセージになるのだ、と信じて、毎月、放送にあたっています。
震災発生当初から、私は、「最後の一人が復興したといえるまで私たちは伝え続けます」と言い続けてきました。私たちの宮城県は、当時の「混とん」からはだいぶ抜け出した感はありますが、しかし、「最後の一人の復興」はまだまだ先になりそうです。その日が来るまで、いや、そのあとは、震災を知らない人たちに、私たちは伝え続けなければいけないのだと思っています。
明日は、梅島アナウンサーです。