木下 瑠音
2017/03/29
成績は、小学校の頃が一番良かったです。あとは・・・ご想像にお任せします(´∇`;)常に良かったのは、美術、音楽、あと家庭科?5教科と体育以外は得意でした(笑)
そういうこともあり、順位などは出ない、追試もない社会人になってからは、少しだけ穏やかに過ごせました。そして、社会人としてのスタートを、ここ宮城で切れたことを、今とても幸せに思っています。
突然のご報告ですが、今月31日をもって、仙台放送を退社することになりました。
4年前の春、「被災地へ行くのは何かきっと意味があるんだろう」と思い入社しました。
けれど、入社1年目の冬に「ともに」を担当することになった時は、気持ちが定まらず、辛くて、息苦しかったのを覚えています。
震災当時を知らず、宮城を知らず、アナウンサーとしての術も何も持っていないから、どんな気持ちで取材へ行き、スタジオにいれば良いのか分かりませんでした。
それでも周りの皆さんが支えてくれ、気付けば「ともに」を担当して3年4ヶ月経っていました。番組の最後に、不思議なくらいスッと自分の気持ちを言葉にすることができた時、やっと、番組を続けて良かったと思えました。
「みんなのニュース」で毎日ニュースをお伝えするようになってからは、とにかく1日1日を無事に終えるように意識していました。精神的にも肉体的にも大変でしたが、最新情報が集まってくる報道部や緊張感のあるスタジオにいられて、アナウンサーとして気持ちが高揚した瞬間が何度もありました。
被災地の今を伝えていた私は、ずっと被災地の皆さんに助けられていました。
今後は何をやりたいか、何をしたら満たされるかなぁと考えながら、少しゆっくりと過ごしたいと思います。
宮城から離れても、皆さんへの気持ちは変わらず持っています。そして、このご縁を大切に、これからも過ごしていきます。
最後に。
これまで働いて、何事にも体が資本だと改めて思いました。皆さま、どうかお体に気をつけて。
毎日穏やかに、明るく、希望を持って過ごせますように願っています。
4年間大変お世話になりました。
どうもありがとうございました。
つづいては、これまでたくさん相談に乗ってもらい、いつも助けてくれた大切な同期、高谷アナウンサー。
えり、お疲れさま!