アナ・ログ

通信簿の思い出

高谷 恵倫

2017/03/30

通信簿は小学1年生から高校3年生までの11年間貰いましたが、慣れなかったですね。毎度、緊張していました。特に美術の評価が気になって気になって仕方が無かったのを覚えています。
定期テストがあるものは頑張ればある程度の評価を貰えたのですが、美術だけはどうにもなりませんでした。

美術的センスが無いようであまり良い評価をもらったことがありません。一度、5段階評価で下から2番目の評価をもらってから、普通の評価がついていることを通信簿を開く時に、祈っていました。
小学生の頃はいくら頑張っても評価があがらない美術(当時は図工でした)に悩んでいましたが、中学、高校になると「センスが無いものはどうしようもない!」と開き直るようになりました。
ただ、カナダへ留学した時に美術の授業を受けた時はA-という評価でした。(結構良い評価でした!)
私の美術センスは分かる人には分かるんだとプラスに考えています。

さて話は変わりますが、私がアナログを書くのも今回が最後となりました。
3月31日をもちまして、仙台放送を退社することとなりました。地元東北でアナウンサーとして務めて丸4年。スポーツの現場を軸に様々な経験をさせていただきました。取材へ行くと優しく声をかけて下さったり、「応援しています。」といった嬉しいお言葉を頂くなど、本当に沢山の方々に支えられました。
また、4年間“えりおねえさん”として幼稚園や保育園を訪ねたり、イベントで子供たちと一緒に体操したりと沢山の子供たちとも触れ合いました。子供のたちのパワフルさには、毎度元気を貰っていました。

4年間という短い時間でしたが、仙台でアナウンサーの仕事が出来たこととても光栄に思います。あっという間で濃密な時間でした。
今後も変わりゆく東北・宮城をどこかで感じていきたいと思います。

4年間お付き合いいただき誠に有難うございました。

写真はこどものじかんジュニチャンネル最後のロケ、みちのく湖畔公園にて。
クリスマスローズなど春の花について取材しました。
こどものじかんジュニチャンネルは、4月から中学生になる琉奈ちゃんとジュニ君の2人で取材します。引き続き応援よろしくお願い致します。


次回から新しいテーマです。

木下 瑠音

2017/03/29

成績は、小学校の頃が一番良かったです。あとは・・・ご想像にお任せします(´∇`;)常に良かったのは、美術、音楽、あと家庭科?5教科と体育以外は得意でした(笑)

そういうこともあり、順位などは出ない、追試もない社会人になってからは、少しだけ穏やかに過ごせました。そして、社会人としてのスタートを、ここ宮城で切れたことを、今とても幸せに思っています。


突然のご報告ですが、今月31日をもって、仙台放送を退社することになりました。

4年前の春、「被災地へ行くのは何かきっと意味があるんだろう」と思い入社しました。
けれど、入社1年目の冬に「ともに」を担当することになった時は、気持ちが定まらず、辛くて、息苦しかったのを覚えています。
震災当時を知らず、宮城を知らず、アナウンサーとしての術も何も持っていないから、どんな気持ちで取材へ行き、スタジオにいれば良いのか分かりませんでした。

それでも周りの皆さんが支えてくれ、気付けば「ともに」を担当して3年4ヶ月経っていました。番組の最後に、不思議なくらいスッと自分の気持ちを言葉にすることができた時、やっと、番組を続けて良かったと思えました。

「みんなのニュース」で毎日ニュースをお伝えするようになってからは、とにかく1日1日を無事に終えるように意識していました。精神的にも肉体的にも大変でしたが、最新情報が集まってくる報道部や緊張感のあるスタジオにいられて、アナウンサーとして気持ちが高揚した瞬間が何度もありました。

被災地の今を伝えていた私は、ずっと被災地の皆さんに助けられていました。
今後は何をやりたいか、何をしたら満たされるかなぁと考えながら、少しゆっくりと過ごしたいと思います。
宮城から離れても、皆さんへの気持ちは変わらず持っています。そして、このご縁を大切に、これからも過ごしていきます。

最後に。
これまで働いて、何事にも体が資本だと改めて思いました。皆さま、どうかお体に気をつけて。
毎日穏やかに、明るく、希望を持って過ごせますように願っています。


4年間大変お世話になりました。
どうもありがとうございました。


つづいては、これまでたくさん相談に乗ってもらい、いつも助けてくれた大切な同期、高谷アナウンサー。
えり、お疲れさま!

佐藤 拓雄

2017/03/28

子どもたちは小学校の最初からずっと2学期制。
3学期制で育った私にとっては、夏休みが始まる前日に通信簿がない、10月初めごろに通信簿、冬休みが始まるのに通信簿なし、という違和感はいまだになくなりません。

・・・まあ、そんなことはどうでもいいですね。

さて、もはや自分の通信簿のこととなると、小学校低学年の頃、決まって「落ち着きがなく、いつもちょろちょろしている」的なことを書かれていたことくらいしか思い出しません。確かにそういう子どもでした。

時は流れ、親の立場で通信簿を受け取るようになり、気になるのは、「5・4・3・2・1」の評定よりも、先生からの一言欄。我が子が、学校でどんな様子なのか、先生の目にどう映っているのか、数行の文章に凝縮されています。
先生はよく見ているなあと感心させられたり、そんな面もあったのかとよい意味で驚かされたり。
その先生の一言が、子どものスイッチを入れる魔法の言葉になったこともあります。

だから、というわけではありませんが、先生に返す時の「家庭から」の数行は、結構一生懸命考えて書いています。
通知表を学校に返すのは前期だけですので、年に1回ですが、先生への返信、というだけでなく、夫婦で、子どもそれぞれの1学期を振り返る絶好の機会にもなっています。

でも、そういうのも、中学卒業までの9年間だけですね。
高校に入ると、無機質な(と言っては失礼か?)数字だけの「成績通知表」。親の出る幕はありません。
この春、長男は高校を卒業しましたので、それすら、「卒業」。
こうやって、親と子は少しずつ離れていくのでしょうか。

離れる、と言えば、今月いっぱいで、2人のアナウンサーが、仙台放送を離れることになりました。
木下瑠音アナウンサーと、高谷恵倫アナウンサー。
2013年入社の同期コンビでした。
まずは、明日、木下アナウンサーからご挨拶と、「通信簿の思い出」です。

牧 広大

2017/03/27

突出していい数字、良い評価というのはいつもありませんでしたが、
いつも悪かったのは「美術」などの芸術科目。

私は字を書くことも、絵を描くことも苦手です。
「個性的な文字を書くね」、「なんて書いてあるの?」、「絵心のかけらもない」、
そんな言葉はたくさん頂きましたが、ほめられたことは1度もありません。
私自身急いで書いた時、何を書いたかわからないときも多々あります(笑)

最近はメモをしたい時、手書きのメモではなく
スマートフォンのメモ機能をよく使います。
確実にメモをしたことがわかる、
汚くて何て書いてあるのかわからないということもないので
安心感とともに、便利な世の中だと感じます。

本当は手で書いてメモをした方が
「私はメモをしていますよ」というような姿を相手にも伝えられるし、
書かないと覚えないと十分承知なのですが...

書いても後で何て書いたか読めないと
思い出すのに多くの時間をかけてしまいます(笑)

仕事の時はさすがに基本手でメモをしますが
デジタルなもので残したいのが本音。

どうしたら字はきれいに書けるのか、
どうしたら絵がうまいと言ってもらえるのか、
24年間過ごしてきて最大のテーマかもしれません(笑)

※写真は先日のロケ先で見た看板
 かわいらしい象の絵が書いてありました。
 同じものを書けと言われても絶対にかけません。
 絵がうまい人、本当にうらやましい....


次は佐藤アナウンサーです。

梅島 三環子

2017/03/24

「結果が全て」ということを子供の時からよく言い聞かされていた気がします。
ということで、優れた結果を出せなかった私は
通信簿をもらうのがとても憂欝でした(汗)。
「自分なりにがんばった!」と反撃はしていましたが、
「途中経過なんて関係ない」と一蹴されていたことを昨日のことのように思い出します。

ですが、最近の教育方針では途中経過を大事にする傾向があるようで。
あの頃の私に、そんな素晴らしい寛大な教育法があったなら
伝えてやりたかったというものです。
(まぁ、そんな優しい親だったら甘え過ぎてどこまでも堕落して行く自分の姿が
容易に想像出来ますが。)

最近では、取材で通信簿をもらう子供たちの表情をみることがあります。
みんな、ちょっと嬉しそうで…恥ずかしそうで。
その表情を見ていると、自分の苦い思い出は少し和らいできます。

加えて、去年くらいから
通信簿ではありませんが…
保育園での息子の様子を面接で伝えられます。
「頑張っていることに、これから頑張りたいこと。」
息子の評価なのに緊張するのは親ばかり(笑)。
これからは、こっちに気を揉むんだろうなぁとつい考えてしまいます。

次は、牧アナウンサーです。

寺田 早輪子

2017/03/23

私が中学生の頃、通っていたいわき市立の中学校では、成績表は「5段階評価」でした。

中学3年間で、成績の上下が激しかった教科があります。
『美術』です。

私は絵を描くのが大好きで、原色に近いハッキリした色を、線もあまりぼかすことなく、絵の具たっぷりと使って、しっかり描くタイプでした。

 美術担当の先生とも絵画や表現について語り合う機会が多く、1年生の時の美術の先生は、私の「原色使い」をとても良く評価してくださいました。
よって、中1の時の成績表は、美術が「5」。

 しかしながら、中2、中3の美術担当の先生とは、何というか…絵画の趣味が合わなかったのです。
先生は、印象派の淡い、ふわっとした表現がお好きで、私のハッキリしすぎる表現のキャンバスに良く筆を入れて、ぼかしていました…(T△T)
そして、評価は「3」…。

 子供の頃は納得がいかなかったのですが、今、大人になると、先生もきっと他人の「表現」を評価することに悩みながら指導されていたのでは、と感じます。

芸術は奥が深い…(^^)

☆写真は…、息子が部屋にレイアウトしていました。「オラフが赤ちゃんを産んで、赤ちゃんを抱っこしながら回転寿司に来た」の巻、だそうです(^^)

アナ・ログ。続いては、梅島アナウンサーです。

金澤 聡

2017/03/22

通信簿の思い出といえば…、
小学生の頃、両親に通信簿を見せるのは全く苦ではありませんでした。
それは、
すこぶる成績がよかった!からではありません。
体育は良かったですが、それ以外は至って普通。普通すぎるくらい普通でした。
両親は普通すぎる通信簿でもベタ褒めしてくれました。
どんなに「普通」でもです。
ですから、通信簿の日は何の苦もありませんでした。

そんな親の「ホメホメ大作戦」(?)が奏功したのか、
私が勝手にうぬぼれたのか知りませんが
中学生になって勉強が楽しくなり、
成績が「普通」からちょっと良くなりました。
当然、親はまた褒めます。

高校に行って、また成績がちょっと良くなり、
自分の通信簿ではないような成績になりました。

いま自分が親になりました。
とにかく褒めてみます。
そしたら、トロピカルな美しい成績の花が開くかも!しれませんし、
そうでないかもしれません…(笑)


次は、寺田アナウンサーです。

飯田 菜奈

2017/03/21

通信簿の思い出
と聞いて、
なにも思い浮かばなかったため(゜-゜;)
先日、実家の私の部屋に残してある小学校の通信簿を見返してみました…

私の学校は、それぞれの科目で△○◎の三段階評価だったのですが、、
小学校1年生の時は、
○がほとんどで、◎の数はごくわずか。
学年が上がるにつれて、
○より◎が多くなっていて、
小学校6年生の時は大半が◎に。
我ながら成長したんだな~と、ほっとしました。

その一方で、体育だけが、
1年から6年までずっと変わらず○ばかり。
あらら…

大人になった今でも、
”運動”は、
やらなきゃやらなきゃと思いながら、
家で気が向いたときにストレッチをする程度にとどまり、避けてしまっているのですが、、、
その傾向は子どもの頃から始まっていたのかと
納得…。するだけでなく、
運動を、これからは頑張ろう!と心に決めました。
4月からは身体を動かす習い事はじめようかな。

写真は、建築家を目指す学生たちの”卒業設計”(卒論のようなもの)の日本一を決める大会、
せんだいデザインリーグ2017にて。
アンガールズさんとのロケは毎回本当に楽しく、そして癒されるんです(*^_^*)
放送は4月29日の午後です!
番組に登場する学生たちは、きっと小学生の頃から優秀だったんだろうな~

お次は金澤アナウンサーです。

稲垣 龍太郎

2017/03/17

国語・英語・社会は「8~9」
数学・理科・美術は「6~7」
体育は「5」 ※ただし、体育は時期による変動あり。

これが私の中学時代の成績。
典型的な“文系人間”。
体育は、基本的には苦手。
できれば、この世からなくなれば良いとさえ、思っていました。

サッカーやバスケットボール、50m走…などの陸上での種目は、
一部の「体育大好き人間!」運動神経抜群人間」の独壇場。
いわゆる「クラスの足の速い人たち」が
まばゆいばかりのスポットライトを浴びます。

ただ、毎年夏には、必ず「水泳」があります。
「水泳部」だった私にとって、唯一活躍できるシーズン。
夏が来るたびに、「オレの季節が来た!」と勝手に思っていました。

不思議なことに、プールに入ると、
普段、陸の体育の授業で大活躍している
「クラスの足の速い人たち」が影を潜めます。
なぜか「水泳は苦手」という人が多かったのです…。
「クラスの足の速い人たち」が
プールでは溺れそうになりながら泳いでいる姿を横目に、
余裕のクロールで、ごぼう抜き・・・。
ある種、「この時期だけの快感」でした。
あー、性格悪いですね(苦笑)。

もし「水泳」がなければ、私の体育の成績は、
恐ろしいことになっていたでしょう…。

●50m走:10秒台
●走り幅跳び:1m台
●中学2年で、初めて逆上がり成功!

体育という科目の全てを、
水泳でカバーしたといっても過言ではありません。


※画像は、先日出席した「高校時代の友人(新郎)」の結婚式です。
社会人になって初めて、
高校時代の恩師と酒を酌み交わしました。
思い出話、結婚話、仕事の話...
ひさしぶりにタイムスリップしたような
充実した時間を過ごすことができました。
意外と...いろいろ覚えているものですね(笑)。


次は、飯田アナウンサーです。