アナ・ログ

子ども時代の宝物

2008/05/15

子供時代の宝物というか、子供時代から使い続けている宝物。ご覧の通り、筆箱です。小学校3年生ぐらいから使っています。17年ものです。

写真ではわかりにくいかもしれませんが、素材はデニム生地。本体とは別に、コンパスや小さな定規くらいなら入る小物入れがついていまして、本体に差し込めるようになっています。色の違い、わかりますか?小物入れの一部分だけ濃いブルーですよね?もともとは全部この色だったんです。差し込んであったので色が落ちていないんです。他の部分は17年間外気に晒されて色褪せてしまっています。我ながらよく使い込みました。まるで長年履きつぶしたジーパン。さすがに角に穴が開いてしまい、ペンが抜け落ちてしまうこともしばしばありますが。

なぜ今の今まで買い換えなかったのか。特にこの筆箱じゃなきゃ絶対だめ!というわけではなかったんですよね。誰かに買ってもらったとかではなくて、友達に、いらないからあげると言われて貰ったものですし。単純に使い勝手が良くて、使っていくうちに段々愛着が湧いて手放せなくなりました。何より、思い出がたくさんつまっている。中学受験も、高校受験も、運転免許の試験も、大学の授業も、就職試験も、この筆箱と一緒に乗り越えてきました。もはや人生のお供。鞄に入っていないと落ち着かないのです。あるのが当たり前、そんな存在です。多分、ペンも入れられないくらいの大きな穴でもあかないと、買い換えないでしょう。使えなくなっても、絶対捨てないと思います。たかが筆箱ですが、僕にとっては、17年の時を一緒に過ごした宝物なのです。

お次は、同じく物もちが良いという佐藤アナ!宝物もたくさんあるみたいですよ。

私のひとり暮らし

2008/04/11

4月。ニュースでも取り上げられていますが、入学式、入社式、新たなスタートの時期です。
大学や社会人、初めて親元を離れ、全て1人でやりくりしていく方も多くいらっしゃるでしょう。
ということで、今回のテーマは『私のひとり暮らし』です!
僕の場合、人生初のひとり暮らしが、2年前、この仙台放送での新生活です。
ひとり暮らし・・・その響き、その生活、憧れでした。学生時代、ひとり暮らしをしている友人が羨ましくて仕方なかった。部屋の全てを自分色に染め、友達を呼んで宴会を開いたり、時には好きな子を招いたり・・・まるで自分だけの城。
だから2年前、憧れが実現した時は毎日が楽しかったです。
マンションの2K。新卒がひとりで住むには十分な広さです。当初は張り切って掃除洗濯したり、全然やったことのない料理にチャレンジしたり。好きなように家具を配置して、インテリアを買って、新しい自由な生活、自分の城に毎日うきうきしていました。が、その「うきうき」は次第に「面倒くさい」に。溜まる洗濯物、ゴミ、埃。油で汚れた食器。友人なんてとてもじゃないけど招けません。自由=全て自分でやらなければいけない。離れて改めて知る、親のありがたさかな。

今年でひとり暮らし3年目。だいぶ慣れてきましたが、物も増え、気持ちの切り替えにと引越しをしました。去年の年末から相当入念に物件を探しました。仙台にある不動産はほとんど網羅したと思います。不動産から電話で物件情報をもらったら、休日は全てその内覧。2ヶ月くらいで10箇所以上は回ったんじゃないでしょうか。最後の方は

不動産「板垣さん、新しい物件のお知らせです。○○町の1DKの新築なんですけど」
板「あ、それ、○○マンションですよね。この前内覧しました」

こんなやり取りばかり。仙台周辺の物件にはかなり詳しくなった気がします。
で、結局行き着いた先が、家から徒歩5分もかからないところ・・・え?引っ越す意味がない?いやいや、悩みに悩んでの答えですから!少し広くなって、新生活を大いに楽しんでおります。あ、でもまたゴミが溜まり始めたな。あ、そういえば洗濯物が・・・
ところで引越しで埃まみれになったからか、ついに花粉症にかかったか、咳と鼻水が止まりません。誰か助けてください。

さて次は、ルーキー広瀬アナです。初めてのひとり暮らしはどうですかー?

私の新人時代

2008/04/02

お~い僕、どこ見てるんだ~?写真は2年前、HP記載用のために撮影して頂いたものです。我ながら、あんまり今と変わりませんね。当時は「新人とは思えない」「落ち着いている」などとよく言われました。もちろん、技量ではなく容姿が、ですよ。昔から上に見られるんです。最近ようやく年齢が追いついてきましたかね。

1年目は、とにかくよく噛みました。今でもだろ!なんて言わないでください、特に先輩方。「サ行」など弱い音はもちろん、なんでもないところで噛んでしまう。1日1回は噛んでいたかもしれません。生放送が本当に怖くて、いつも緊張とプレッシャーで、文字を追うだけで必死でした。
このテーマが決まってから、自分の1年目のビデオを見返してみたら、やっぱり、噛んでいました。というか音もキレがなくべったりとしていて、声のハリもなく、まるで念仏のよう(汗) 思わず「うわ、下手くそ」と画面の自分に向かって言ってしまいました。

当時は街中で声をかけくださる方、その言葉に何度も救われた気がします。初めての仙台、家族と離れ、友達もあまりいない中で、「いつも見てるよ!頑張って!」といわれると力が湧いてきて、励みになりました。皆様本当にありがとうございます。
そんな中印象的な出来事が1つ。お声がけ頂いた男性とこんなやりとりがありました。

男性「板垣君!頑張って!うちの娘もファンなんだよ!」
僕「えぇ!?そんな、僕なんか、恐縮です」
男性「いやいや、板垣君のまごつくところが好きみたいよ」

・・・まごつくアナウンサーって、アナウンサーとしてどうなんでしょう!
そんな僕も早くも3年目になりました。もう新人とはいえませんね。まごついている場合じゃありませんね。しかも後輩アナまでできました。襟を正していかなければなりません!がんばります!

さてお次は、1つ先輩、原アナです!セクシーな初鳴きだったみたいですよー

どうしても捨てられないもの

2008/03/18

出射さん、こう見えて結構大変なことになっているんですよ。ひえぇぇぇ。。
さて、今月末に引越しします。で、物を整理したのですが、捨てようかどうか悩みました。
サッカー好きの人なら、わかる方もいると思います。イタリアはセリエAの名門、ユベントスのユニフォーム!・・・の偽物。大学の卒業旅行、サッカー観戦inイタリアのお土産です。

このユニフォームを着ていた人は、イブラヒモビッチ選手。今は同じくセリエA、インテルに移籍して活躍中の、スウェーデン代表FWです。
でも欲しかったのは、彼のユニフォームじゃないんです。元チェコ代表MF・ネドベド選手。チェコの大砲とも称される強烈なミドルシュートに魅せられ、以前からファンでした。数あるセリエAの試合からユベントスの試合を選んだのも、ネドベドを間近で見たかったからでした。ユニフォームを買って帰ることも、旅行前から心に決めていました。

が、オフィシャルショップで買おうと思ったら閉まっていたんです。
しかも、スタジアムの周りを取り囲むように並んでいる出店でも、全部売り切れだったんです。出店では本物そっくりに作られた、いわゆる海賊版のユニフォームが売られています。海賊版ですから、安いし大量生産されて店中びっしり商品が詰まれているんですが・・・愛しのネドベドだけいなかったんです。
そして、ここまで来て手ぶらで帰れるものか!もう誰でもいい、とにかくユニフォームを!と、手にしたのがこのイブラヒモビッチでした。

特に思い入れもないんですが、1000円だし、フットサルにでも着ていていけばいいと思っていました。ところがこれが物凄く似合わない。。なので、帰国以来3年間、一度も機能を果たすことなくオブジェとして飾られています。眺めて楽しんでいるわけでもなく、正直、いるのかと言われれば、いらないと思います。
就職で仙台に来る時に捨てようかとも思ったんですが、せっかくの旅の思い出ですからね。なんか、捨てられなかったんですよね。
今度の引越しでも多分捨てられないんだろうな。やっぱり思い出は大切ですからね。


次は金澤アナです。先輩、出番です!!

あたたかくなる話

2008/03/07

先日いつも通り出勤すると、自分のデスクの上に一通の手紙が置いてありました。仕事以外で、封書の手紙をもらうのはいつぶりでしょうか。差出人を見ると、懐かしく見覚えのある名前・・・頭の中で記憶を巡らせ、ぱっと、目の前が明るくなりました。小学生の時に仲良しだった佐藤君でした。僕は5年生の時に転校してしまって一切会っていなかったので、15年ぶりの音信。驚きながらも心躍らせ封を切り、出てきたのは一枚の便箋と小学生当時の写真(赤い帽子が僕。右隣の白い帽子が佐藤君)。それにしても顔まん丸だな僕!

手紙には、話が巡り巡って僕がアナウンサーになったことを知ったこと。佐藤くんは小学校の教師をしていて、今社会科の授業でテレビを題材に勉強していること。その中でアナウンサーについて聞きたいことがあるので連絡が欲しいと書いてありました。
その日の夜、すぐに電話しました。15年ぶりの再会。声を聞いた途端、あまりに懐かしくて、感動で少し声が上擦ってしまいました。お互いの近況報告と、本題を話し終えたら、電話は2人だけの同窓会に。出るは出るは当時の話。こんなことがあったなぁ!こんな奴がいたなぁ!思い出しては2人で共感し、懐かしみ・・・
色褪せていた思い出が再びカラフルに色づいていく、ずっと閉まっていた記憶の戸棚が、次々と開いては思い出が飛び出してくる、そんな感じでした。2時間ぐらい電話していたでしょうか、頭の中は15年前にタイムスリップしていました。
僕は転校してしまったので、他の友達のことも全く知りませんでした。聞くと15年経った今、皆様々な道を歩んでいました。結婚した人、仕事をしている人、出世した人・・・佐藤君も、皆も、悩みながらも精一杯頑張っていました。
最後は皆久しぶりに会いたがっているから、その日を楽しみにお互い頑張ろうという結論に達し、電話を切りました。
縁とは不思議なもの。いつ、どこでまた繋がるかわからないものですね。近い将来、本当に皆で集まれたら良いなと思います。私事ですが、旧友の便りに、心温まった話でした。

私のカゼ予防法

2008/02/15

水上さん・・・ありません!ごめんなさい。
僕も風邪引かないのです。強いて予防法と言うなら、よく食べてよく寝ることぐらいでしょうか・・・。

それでも、カゼ応急処置法なら自分なりに持っています。突然なんだか寒くなったり、咳が出たり、鼻水が止まらなかったり、怪しいなと思う時。そんな時、用意するのはマフラー、手袋、靴下。全部身につけて寝てます。すると朝起きたら不思議と症状は消えているのです。昔誰かに、人間は体の先端、そして頚椎を温めると全身が温まると聞いたんですが、医学的に実証されるのでしょうか、どうなんでしょうか。
いずれにしても僕の場合、風邪自体大して引かない、『おや?風邪かな?』と思ってもこの応急処置で完全回復、というパターンが確立されています。

しかーし。先日、いきなり本格的な風邪に襲われました。朝起きたら咳が止まらない、鼻ズビズビ、体が寒い。『おや?』ではなく、間違いなく風邪でした。2日後に春高バレー県大会の実況を控えているというのに。何たる不覚。声も思うように出ないんです。さすがに焦りました。その日、できることは全て実行しました。1日中口の中にはトローチとのど飴。一体何個食べたことか。栄養剤2本、うち1本は風邪薬と併用。風邪シロップも飲みました。あとはマフラー、手袋、靴下の三種の神器を装備して就寝。まさに荒療治。何とかかんとか治りましたが、絶対に体には良くないですよね。異常な摂取量です。でも、本当に治ってよかった・・・
こんな風に結局急に体調を崩して困るなら、普段から予防の意識を持つべきなのかもしれませんね。
寺田さん、水上さんの分も、予防法を教えてくださーい!

雪といえば

2008/01/25

毎度毎度写真があまりテーマと関係なくて恐縮なのですが・・・
先日、系列のスポーツアナウンサー研修に行ってまいりました!去年もこの時期にありまして、アナログでも同期との写真を掲載しました。あれから1年、早いですね~。今回も同期とパチリ。左からフジテレビの小穴アナ、関西テレビの堀田アナ、テレビ新広島の深井アナです。なんと2006年度の男性新人アナは系列でこの4人だけ!貴重な貴重な同期です。4人が一同に介するという滅多にない機会!記念に残る1枚になりました。

さて雪といえば、スキーにスノーボード、のめり込んだわけではないですが、ウィンタースポーツは好きです。
中、高と男子校だったので、いわゆるスキー教室みたいな学校行事はいつも男だらけでした。プライベートでスノボー旅行に行くのも男友達と。ですから大学生になって初めて、仲の良い男女のグループで雪山へ向かった時は、それはそれは胸が弾む思いでした。軟派な野郎だと思われるかもしれませんが、正直な気持ちです。
日中思う存分滑りを楽しみ、最高潮に達したテンションは夜まで持ち込まれました。旅館の1つ屋根の下、皆で大宴会。下らない話で笑ってはしゃいで・・・ああ素晴らしき青春かな。そんな中お酒を覚えたての僕は己の免疫も知らずガブガブ。味もわからず、あるのは勢いだけ。アルコールは瞬時に全身を駆け巡り、さらに精神は解放されてはしゃぐ一方、しかし・・・気付けば朝、1人布団で寝ていました。割れんばかりに痛む頭。それ以上に困ったことに、夜の出来事を覚えているようで覚えていない。ちょうど一緒に起きた友人におはようの挨拶をすると、返ってきたのは白い目と『お前、ひどかったよ』の一言。
い、一体何が?聞けば、酔いが回った僕は数々の失態を晒していたことを知らされました。まずい、非常にまずい、そして恥ずかしい。さらに朝食を摂りに食堂へ向かうと、居合わせた皆からも白い目線。男性陣はネタにして苦笑いでいじってきましたが、女性陣のあの突き刺さるような視線は今でも忘れません・・・何をしでかしたかって?それは皆さんのご想像にお任せします。若気の至りというやつです(汗)

お酒の恐さ、自分の弱さを知り、以来アルコール摂取は極力控えるようになった、板垣でした。
次は、まるで雪のように白く、美しく、濁りなき心をもっていらっしゃる同期の梅島さんです。

初○○

2008/01/17

あけましておめでとうございます。元日に早速新年初仕事をいたしました、板垣です。
写真は同じく元日初仕事メンバーと寂しく?賑やかに?ランチタイムです。一緒におせちをつつきました。気付けば男性のみ、何とも男らしいお正月でございました。

さてさて、アナウンス部の先輩方が帰ってくるのと入れ替わりで、私は遅めのお正月休みを頂きました。そこで友人と、大崎八幡宮へ遅めの初詣にお出かけ。お清めを済ませ、お賽銭を投げてお願い事。そして迎えた勝負の時!おみくじです!
今年は何としてもリベンジを果たしたかったのです!
というのも、去年気合を入れて引いた結果が、『末小吉』!す、末小吉?そんなのあるの?と思いませんか?皆さんは引いたことありますか?
吉の下の半吉、さらに下の末吉、もう1つ下がこの末小吉!吉の中で一番下のランクらしいです。一応吉ですが、いいことはほとんど書いていません。英語訳も載っていまして、「Final Little Fortune」と書いてありました。直訳すれば「最後の小さな運」…ちっちゃいなー !!
驚くのはこの末小吉、引く確率は3%とか!さらにその時一緒にいた友人もこの『末小吉』を見事引き当てました。二人とも引く確率は単純計算で0.09% !! 逆に運いいんじゃないかとさえ思います。それにしてもなんと中途半端な…むしろ一思いに凶にしてくれた方が割り切れます。
そんなわけで今年は一層気合が入りました!今年こそまともな運勢を!目を閉じて大きく息を吸い込み、すべての精神を右手にこめ、引いたくじは……大吉です !! やりました!見たか末小吉!悪いことなんて1つも書いていません。眺めているだけで幸せになります。結んで帰るなんてもったいない、お財布に大切にしまってお守り代わりに持ち歩いてます。今年は良いことありそうです!

みなさんはいかがでした?末小吉には出会えましたか?ある番組でやっていたのですが、中には『平』なんてものもあるそうです。へぇ~…さてお次は!めざまし中継で大忙し、きっち吉(きち)だった出射アナです!

大みそか

2007/12/25

そうです寺田さん、去年に引き続き今年も僕は1人で年越しです。先輩方は皆さん冬休み。でも年末年始も定時のニュースはあるわけで、僕がお留守番を務めるんです。新人男性アナの登竜門なのです。
番組のないこの時期、仙台放送はとっても静かです。いつもはバタバタとスタッフが行き交う報道センター。まるで会社に住んでいるのかと思うほど朝から朝まで働き、番組を作っている制作部。どこも嘘のようにガランとしています。主人のいないデスクが寂しそうに並んでいる光景は、放課後の教室のようで、どこか哀愁があります。
そんな中去年は、最後のニュースまで独りデスクにポツリと座り、資料をまとめたり作成したり・・・結構淋しいです。
それから机の大掃除。初めての取材の資料、殴り書きのメモ帳。あっという間の1年、わけのわからぬまま過ぎ去ったなぁと省みていた覚えがあります。
あれから、またあっという間の1年、早かったなぁ。デスクもぐちゃぐちゃ、また整理しないと。今年は色々ありました。スポルたんの初めての中継、初めての野球中継のベンチリポーター、初めてのプロレス実況、高校バレー実況・・・こうやって書きながら、浮かんでくるのは目を覆いたくなるような失敗ばかり。まだまだ全然至らぬ、修行あるのみです。皆様、そんな僕の拙い話を1年間聞いて下さいましてありがとうございました。このアナログにもコメントを寄せて下さってありがとうございました。
今年も僕は1年最後のニュースを、そして新年最初のニュースをお伝えします。しっかりとやり遂げたいと思っております。何卒皆様、来年もこの若輩者を、よろしくお願い致します。
願わくば、事件、事故のない平和な年末年始でありますように。皆さん、良いお年を。
次は原アナです。原さんも良いお年を。

クリスマスプレゼントの思い出

2007/12/13

え~お初にお目にかかります。板垣家龍蔵でございます。本日は小噺を・・・ではなくて、写真はドラマ『しゃばけ』のコマーシャル収録での1枚。着付けして頂いちゃいました!皆さんコマーシャルは、そしてドラマは御覧頂きましたでしょうか?

さて、クリスマスプレゼントですが、心に残る思い出があります。確か4歳の頃だったでしょうか。クリスマスの夜に、家族でクリスマスパーティをしたんです。父と姉と僕でせっせとリビングの壁をリースやリボンなどで装飾、もちろんツリーも飾り付けました。母は腕を振るって料理をこしらえ、準備が整ったらクリスマスソングをバックミュージックに、食卓を4人で囲んでわいわい談笑しながらディナータイム。それはそれは幸せな時間でありました。
すると、母がハッと何かに気づき、突然こう言い出したのです。

「ねぇ、今玄関で物音がしなかった?・・・もしかしてサンタさんが来たんじゃない!?」

まさかぁ!サンタさんは真夜中に寝ている子供の枕元にプレゼントを置いてくれるんでしょー、と思いつつ玄関へ姉と一緒に向かってみると・・・あれま!プ!プレゼントが置いてあるではないですか!いつの間に!全然気配はなかったのに、さっきまで何もなかったのに!驚きっぱなしの僕と姉。寝ている間、意識がない中ではなく、今まさにリアルタイムで目の前に届けられた。僕にはサンタさんの現実味が増し、その存在が証明されたように感じられました。
プレゼントを貰えた、しかもサンタさんがちゃんと届けてくれた。ダブルのハッピーで僕の感激は最高潮に達していました。
翌年、今度は届ける姿を一目見たいと切望し、玄関口を何度も何度も偵察した覚えがあります。ところが気づいた時には先を越され、またもプレゼントだけが置いてありました。うわっ!サンタに会いそびれた!と悔しがるも、一体どんな容姿なんだろう?と夢はどんどん膨らむ一方で楽しくて楽しくて仕方ありませんでした。今思い返せば、父と母が見事な連携プレーで・・・いやいや、両親は常に一緒にいたはずです。僕、目を離しませんでした。サンタさんはきっと・・・
幼き頃の決して色あせることない、思い出でした。

お次は・・・
『クリスマスなんて!!』
ど、どうしたんですか!?水上アナ!

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