アナ・ログ

読書の秋…「読み返してしまう本」

2014/09/19

本は図書館で借りて読むので、手元に残らず、読み返すことってあまりありませんね。
ただ何度も確認してしまうことがあるのが野球のルールブック。
実際手に取って見ると、野球のルールを言葉で説明するのは極めて難解。
ダブルプレーを説明したくても、何て言っていいのか頭を抱えます。

先月30日、楽天・横山投手がデビュー戦で1球投げただけで勝利投手になったゲーム。
リードを許した直後に味方が逆転したため、横山投手が勝利投手となる要件は揃っていますが、記者陣の間ではある疑問が…
「“勝利投手の条件を持った救援投手より勝利に貢献した救援投手がいた場合、その投手が勝利投手になる”ってことなかったっけ」という会話になり、ルールブックをひっくり返しました。
プロ野球史上初の初登板1球勝利がかかっているため間違えるわけにはいかず、記録員に直接確認して勝利投手は横山投手であることが分かりました。
ルールブックにはキチンと定義されているので気になる方は見て頂きたいですが、“記録員の判断によって”上記が適用されるシチュエーションもあるのも事実。

公園で野球をして遊んだ経験がある男の子なら何となくルールを知っていますが、稀なケースに触れると途端に分からなくなります。
“グラブを投げてボールを捕球してはいけない”のですが、それが“打球”“送球”“投球”だった場合によって対処方法が異なります。
送球がベンチやカメラマン席に入った場合でも、牽制球がダイレクトに入ったのと、内野ゴロ処理後の一塁悪送球によるものとで異なります。

そんな中、仕事とはいえ瞬時に毅然と判断が下せる公式審判員・記録員の方々には頭が上がりません。

アナウンサーながら説明能力がない私は「ルールを知る手っ取り早い方法は、テレビゲームで遊ぶこと」なんて言って逃げてしまいがちです…。

次は稲垣君です。

休み明けといえば…

2014/08/26

私が通っていた学校の夏休みは8月まで。
休み明けの最初の登校日9月1日は関東大震災が起きた日です。
東京ではこの日を「防災の日」として小中学校では集団下校していました。

休み明けの数日は移行期間といった感じで、午前授業のみの日があったような。
‘人生暇つぶし’なんて言葉がありますが、上手く暇つぶしができない私にとって夏休み中は「休んでばかりで退屈」と思い過ごしていますが、学校が始まった途端にガス欠。
「半日授業がちょうどいい」と移行期間を満喫しつつ、そのうち「もう少し登校時間が遅い方が良いな」と怠けたことを考えるように。

結局、夏休みが明けた途端に冬休みを待ち焦がれ、9月のギラついた太陽に晒されながら、コタツでミカンを食べる姿を想像しつつ、何とか登校していくといった様子。
「明日から頑張ろう!」と考えている、私みたく無気力が服を着て歩いているような小学生が夏休み明けに突然6時間授業を受けるなんて試練を耐えられるはずはなく、そう考えると移行期間というのは絶妙。

そして学校が再開して最初に訪れる難敵は、まるで最も暑い時期を避けるように行われるプール授業。
休み明け直後ならまだしも、暑さが和らいだ時期の1時間目に行われると、体が悲鳴を上げて震え出し、水におヘソが浸かった頃には本当に悲鳴を上げていました。ギャー。
話はそれますが、プールから出た後にタオルで足の裏を拭くことに非常に苦労しました。
右足を拭き終え今度は左足の裏を拭こうとしますが、それにはどうしても右足で立たなければなりません。
すると、更衣室の床は大体濡れていて、拭いたばかりの右足の裏に埃やら何やらがまとわりついてきます。
右足を何とかしようとすると、今度は左足に砂利なんかがくっ付き、もしかしたら拭く前より汚くなったんじゃないかという具合に。
更衣室は立錐の余地なく隣の人と肌が触れ合うくらいにごった返し、腰かけることも出来ず。どこかで諦めないと、一生、更衣室から出られず、おヘソでギャーのレベルではありません。ギャギャギャー。

えーと、何の話だったかというと、休み明けの話でしたね。
まぁ、こんなことを考えている小学校時代だったので、休み明けに何かに意気込むこともなく、そのまま大人になってしまいました。
これじゃダメですね。明日から頑張ります!
次は稲垣アナです。

思い出の味

2014/08/15

思い出の味は、母方の祖母お手製の、赤ちゃんでも食べられそうなペチャペチャした饂飩です。
全くコシがないことに気付いたのはいつ頃か。

父が単身赴任中の7歳の時に母の実家で暮らしていました。
その頃から違和感はありました。歯応えゼロ。饂飩だけではなく、ご飯も随分と水気を含みネチョネチョしていました。皆それを当たり前に食べていたので「こんなものか」程度にしか感じていませんでした。
饂飩の表面が凄くベッタリしていることも、たった今思い出しました。ツルッとした喉越しは皆無。ザルから麺1本を掬い上げることは、麺同士がまとまってしまって不可能です。肌に触れると最後、ベタついて離れません。何度こっそりと台拭きで拭ったことか。
誰が食べてもペチャペチャと音がします。今もその響きが耳の奥に残されています。

中学入学前後になると‘スタンダードな味’が分かる時期です。
その時には感じていたはずです。
「お婆さんの饂飩は世界一コシがない」と。
ただそれを言い出すことはできませんでした。皆、口に出さないだけなのか、自分だけがそう感じてるのか。疑念ばかりが募る中、食卓は笑顔で溢れていました。

大学生の頃。
母の弟一家も含めて、祖母の家で食事です。もちろん饂飩が盛られています。なみなみと。
相変わらず食卓は和やかな雰囲気です。10歳以上も年下の従兄弟2人は美味しそうに饂飩をすすっています。その光景だけ見れば何ら違和感はありません。
その時お婆さんが「他に何を食べたい?」と問いかけてきました。いくぞ!私は決意しました。「コシのある饂飩」
すると従兄弟の母で小学校の先生をしている叔母が「コシのある饂飩はないよ」とサラリと快活に言ってのけ、祖母は優しい口調で「軟らかい方が美味しいよね」とこれ以上ない自然な流れで答えました。私は正直ホッとしました。
聞けば父も母もそう感じていたそうです。何しろ私より何十年も長く祖母の饂飩を食べています。母は「数分茹でればよい麺を30分以上茹でている」という情報を持ちつつも、口に出せないでいたそうです。
その夜は「お前もそう思っていたのか」「私の方が先に感じていたのよ」「コシがあったらお婆さんの饂飩じゃない」なんて話で盛り上がりました。
親戚一同の心が一つになった夜は思い出の1ページに刻まれています。
次は柳沢さんです。

子どもの頃の遊びと言えば

2014/07/17

きょうからテーマは“子どもの頃の遊びと言えば”

小学校に入学直後のバグダッドに住んでいた頃は、庭で水撒きして遊んでいました。
気温は50℃近く。履いていた長靴に水を入れてヒタヒタにするのが気持ち良かったです。
あとは友達と一緒になって、庭のカエルに水をかけたり枝でつっついたり、という残酷なことをしていました男子なら結構こんなエピソードがあるものかと思います。
プールにも行きました。
「プールサイドは走ってはいけない!」というのは万国共通のルールと思われますが、悠長にしていると足の裏を火傷してしまうので、必死にプールに飛び込んでいました。
それと、よくやったのが卓球。駐在員の寮に台があったため大人と混じって遊んでいました。
腕前は申し分なく、「駐バグダッド日本人卓球選手権・バンビの部」があったら、間違いなく優勝していたはずです。
よく散歩した思い出もあります。
ある日、父と散歩から家に帰ると、母から「きょうはイランイラク戦争の終戦記念日で、兵隊が空に向かって発砲しながら行進しています。流れ弾に当たる可能性があるので外出は控えて下さい」との連絡があったことを伝えられました。
知らないまま無事生還、スリル満点の散歩だったようです。


帰国後は、外も安全だし暑くないので、野球や鬼ごっこをしていましたね。
何より友達が増えたので、目一杯外で運動して遊んでいました。何しろバグダッドの学校は少人数で、自分達の学年は6人。これでも多い方で1人だけの学年もあるくらいです。1人だけだと相撲もとれません。

一方、ゲームはあまりしませんでした。
買ってもらえなかったからという理由もありますが、単純に苦手でした。友達と当時流行っていた格闘ゲームをしていても、勝っても負けてもどっちでもよく、ボタン操作を覚えることすら面倒でした。
ますます友人に勝てるわけがなくなり「勝てない勝負は挑まない」と最初に思ったのがこの頃です。
小中学校時代の友人に、当時の私の印象を聞くと「クール。というか冷めていた」と言われます。
そんな自覚は当時ありませんでした、きっとこんな所からそう思われるようになったのでしょう。

子どもの頃の遊びは、暑く、熱く、クールな感じでしたね。
写真は大人になっても水遊びしている地元の友人たちの姿です。
次は木下さんです。

お気に入りの旅行先

2014/07/11

私のお勧めはヨーロッパの電車旅行です。

なぜなら、ヨーロッパでの電車旅行にありがちな
「正しい行き先の電車に乗れたのか?」
「時刻に不正確なヨーロッパにあって、乗り継ぎ時間に間に合わず、今日中に目的地に辿り着けないのでは?」
「そもそも、この電車は最終目的地までちゃんと走るのか?運転士が途中で帰ってしまったり、整備不良が起きて止まっちゃうんじゃないの?」
といった不安との戦いが楽しかったりするわけで、その分、到着の達成感は感慨深いものがあります。

日本の交通機関は時間に正確ですがヨーロッパでは当たり前のことで、逆に新鮮な非日常体験です。
そんな旅を楽しむ秘訣は
(1)時間に余裕を持って行動
(2)あまりちゃんとした計画を立てない
(3)行けたら行く、行けなそうだったら行かない
の3つですかね

現地の電車ダイヤは、正しくとも限らず、そうであっても守られる確約もなく、綿密な計画はすぐに破たんします。
「あそこも行きたい、ここも行きたい」などと考えていても実現不可能。
行きたい場所を絞って、あとはテキトーに行動した方が意外な発見があって面白いものです。
左上の写真はイタリア・シエナにある「世界一美しい」と呼ばれるカンポ広場。ローマ⇒ピサ⇒フィレンツェに移動する際、時間が余ったので時間つぶしで立ち寄っただけでしたが素晴らしく綺麗な広場でした。広場はすり鉢状になっていて、大勢の人が腰かけてノンビリしています。写真では伝わらないでしょうから、イタリアに行かれた際は是非立ち寄って見て下さい。

左の真ん中の写真は、ロンドン郊外の村ですが、村の名前は失念。とってものどかな田園風景でした。これは‘国家の品格’(藤原正彦さん著)の中で「イギリス紳士道のルーツは田園風景」と書いてあったため足を運んだ村です。

左下はイタリア・ミラノのサッカー場サンシーロ。右上はギリシャ・アテネのパルテノン神殿。右下はポーランドのアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所。

時間についての番外編ですが、サマータイムに対応している時計と、そうでない時計が混在していて何を信じればいいのか混乱したことがあります。アメリカでは州によって導入している地域とそうでない地域があるようです。

とにかく外国では時間に余裕を持って、ですね。
次は木下さんです。

水無月です!

2014/06/17

最近、寝覚めを良くするアプリを使っています。

人の睡眠について
「眠りの浅い状態をレム睡眠。深い状態をノンレム睡眠」なんて話は良く聞きますよね。
なんでも“レム睡眠→ノンレム睡眠→レム睡眠”というのが90分周期で繰り返され、レム睡眠の状態から目覚めた方が、寝覚めが良いとか。
このアプリはその周期を検知して、レム睡眠時に起こしてくれるというもののです。
アプリの中に睡眠データが管理されていて、私のここ2週間の平均睡眠時間は4時間45分とのことです。


良くそんな検知方法があるものだなぁと思いましたが、寝付きが良かった日と悪かった日は自分でも自覚できますよね。
両パターンのデータを後から見比べると、その通り計測されているので、高い精度でデータ化されていると感じました。

自分の睡眠のバランスを見てみると。ごくごく普通のようです。特に特徴なし。
まぁ、こんなものかって感じです。

で、布団に入った時刻から睡眠に入った時刻までの時間、いわゆる寝付くまでの時間を‘入眠潜時’と言うそうです。
それが平均1時間。
以前から「寝つきが悪い」と思っていましたが、1時間も無駄に起きていることが分かります。
ただこれはあくまでも平均値。
最少で7分の日もあれば、最大で2時間40分という日もありました。
最少の日と言うのは、運動をしてクタクタになった日でした。

とりあえず、しっかり運動すればぐっすり眠れるようですね。
どなたか安眠のアドバイスご存じないでしょうかぁ。


次は梅島さんです。

どうする?何する?衣替え!

2014/05/28

きょうからテーマは「どうする?何する?衣替え!」です。

仙台放送でも導入しているクールビズは「室温を28℃にキープ。あとは部署ごとに適した服装をしましょう!」というものなので、部署によって服装はバラバラです。
制作系だと一年中、襟なしの人もいますし、夏場になると半袖Tシャツやハーフパンツはもちろん、サンダル姿で登場する方もいます。(サンダルはさすがにいなかったかな??)
ただ、営業部門の人達は夏場でもスーツ姿。見ているだけで汗だくになります。

身近にいる人の中で、衣替えのタイミングが難しいのがプロ野球選手のみなさん。
というのも、キャンプインを沖縄で迎えるチームが多く、2月上旬でもそこそこ暖かい日があって、半袖でも大丈夫だったりします。
それから2,3週間すると九州南部へ移動します。が、いくら九州といえども2月は冬です。そこそこ寒い日々が続きますが、今年は雨で気候が悪く、寒さは倍増です。
その後、楽天を例に出すと福岡⇒倉敷⇒大阪⇒静岡⇒名古屋⇒千葉などなど。。各地を点々としますが、その間、自宅に荷物を取りに行くことなど一度もありません。
3月上旬の倉敷でさえ、日によってはダウンジャケット必須です。
そういった場所を、沖縄スタイルの半袖シャツで選手達は過ごさねばなりません。
いかに代謝が良く、筋肉の鎧に覆われているアスリートと言えども、一般人がダウンを羽織っている中でのTシャツ姿。
「まさか、こんなに寒いとは」との声を毎年聞いております。

皆様も体調崩しませんように、タイムリーな衣替えを心がけて下さい。

次は金澤さんです。

風薫る五月

2014/05/23

ゴールデンウィークの最終日が1日だけ休みだったので日帰りで弘前城に行ってきました。

仙台に来てから弘前城の存在を知り、どうやら桜が凄いという噂を耳にしつつ7度目のゴールデンウィーク。
新入社員時代から友人であり昨年東京に帰っていった同期の新聞記者と共に目指します。

自身、本州最北端は秋田・田沢湖と岩手・盛岡市。
この二つ、地図で見たらほぼ同緯度にあるのですね。
この弘前路で、間違いなく自己記録更新です。

弘前は2年連続という友人記者のナビゲーションで、下道と高速道路を利用して数時間。
ようやく到着してびっくり。
外堀の桜の花びらはとっくに散っておりました。。
ここに来て初めて弘前さくらまつりに関する情報を携帯で調べると、確かに去年のこの時期に満開を迎えたようですが、今年は春の訪れが早かったようです。
葉桜の前では、「こんなはずじゃなかった」という思いを持った観光グループが、「この桜の木は…」なんていう、ガイドさんの説明に耳を傾けていました。

それでも弘前公園のごく一部で、遅咲きの桜が咲いておりました。
なけなしの数本の周りに人が集まり、それぞれ渾身のワンショットを撮って最後の春を愛でておりました。

とりあえず、ようやく東北6県制覇したので、素敵な5月でした。

次は飯田さんです。

ゴールデンウィーク!

2014/05/07

ゴールデンウィーク中は
『家→会社→コボスタ宮城→会社→家』の繰り返し。
ゴールデンウィーク期間中に開催されたのは6試合ですが、ゲームがなくても練習があるので7回足を運びました。

プロ野球ではプレーボール4時間前からホームチームの練習開始です。
“練習取材:4時間”
“試合時間:3時間~3時間半”
“試合後の取材30分”
これを合わせば、それだけで8時間。
移動時間などを加えれば、1日の大体が終わります。
そんなわけで、ゴールデンウィーク期間中に行った場所は、球場と図書館とスポーツジムだけ。
仕事に熱を入れ、プライベートでは文武両道を実践。
サラリーマンの模範のような過ごし方でした…


通常と何ら変わらぬ日々を過ごしつつ、高谷さんに指摘されて気付いたことがあります。
私のマグカップに熱い飲み物を注ぐと、ボディの色が変わるのです。
両親からのスカイツリー土産のカップを使い続けて1年半。
ようやくそのことに気付かされました。
普段は写真の左色の青色。これにコーヒーを少し入れると真中のようになって、全体が暖まると右に変わります。
コーヒーを注ぐと、夜が明けるように青色のカップが下から白んできて、飲み干すと夜の帳が下りていくわけです。


1年半となると大体500日。
そのうち会社にいたのが、ううんんん。。よく分からないですが350日だったとしましょう。
会社でコーヒーを一日10杯くらい飲みます。
手元で計測したところ、1杯淹れてから、冷めるのを待ちつつ飲み干すのに掛かった時間は17分、その間18回取っ手を持ち上げ、20回すすりました。

ということは1年半で3500杯を飲み干すために5950分(≒99時間≒4日)の時間をこのグラスと共に過ごし、6300回グラスに触れ、7000回も口を付けたわけです。
7001回目のコンタクトでようやくその麗しき変化に気付きました。

たくましき鈍感力を実感したGWでした!!

次は稲垣くんです。

梅は咲いたか…桜はまだかいな?(in 仙台)

2014/04/17

世界には色んな花があって、その花の位置づけも国によって違うことでしょう。
「桜咲いたら1年生」という感覚も恐らく日本だけ。

私の初めての入学式は“バグダッド日本人小学校”
ピカピカの1年生はヤシの木に迎えられました。
と言っても、イラクでヤシの木は1年中生えているので、日本の「桜=入学式」みたいな図式はありませんが、とりあえず小学1年生の春は、ヤシの木とライフルを持つ兵隊達に囲まれて入学シーズンを迎えます。

小学1年生なりに覚えているのが、バグダッド日本人小学校の校歌の歌詞。
これが校歌だったのか、あるいは地域の歌だったのか?は判然としませんが。
どんなものかと言うと、「チグリスのほとりで…」みたいな感じで始まります。
何のこっちゃ分からないので、当然「チグリスって何?」と親に聞きます。
両親は、特に母親は私と同じく非常に真面目なので「世界には、かつて4大文明というのが存在し、中国の大河・黄河のほとりには黄河文明があり、その特徴は…」などと教えてくれたかどうかは分かりませんが、とりあえず、チグリス川とユーフラテス川の間の‘メソポタミア文明’の存在について教えてくれました。
(父に聞くと「チグリスは濁っていて、ユーフラテスは澄んでいた」。写真はユーフラテス)

小学1年生の頭の中では「かつてはとてつもない文明を持った人達が存在し、今では考えられない空中都市や空飛ぶ自動車を駆使していた」などと想像し、歴史ロマンを感じておりました。
が、勇んで足を運んだバビロン遺跡にあったハンムラビ法典が彫られた柱(のレプリカ)は、子供にとってはただの石の塊であって非常にガッカリしました。

さて、家からバグダッドの中心街に向かう途中に橋がありました。
湾岸戦争でその橋が木端微塵に壊されたと聞きましたが、その橋はチグリス川にかかっていたそうです。
googleアースで検索すると(今はバグダッドですら上空写真が見られるんですね)チグリス川にいくつか橋が掛けられていて、しかも車が走っています。達者になさっている方も多いようで。
バグダッド日本人小学校は戦争で生徒が離散して自然消滅しましたが、今頃、現地校の新入生が「チグリスのほとりで…」なんて歌っていたりして。

次は柳沢さんです。

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