アナ・ログ

あなたのドラ1は?

2011/11/17

最初の思い出のドラ1選手は佐々木主浩投手です。
初めて野球をテレビで観たのが大洋ホエールズ対広島東洋カープ。
子供心に私は青色ユニフォームの大洋を応援。
そこで登場したのが佐々木主浩投手です。
佐々木投手の三者連続三球三振は衝撃的でした。

その後、斎藤隆投手や内川選手、村田修一選手など、思い出に残るドラフト1位選手が横浜に入団しました。
しかしベイスターズのドラフトといえば何といってもクジ運の悪さ。
外しも外したり!
川口知哉投手、松坂投手、寺原投手、田中将大投手、佐藤由規投手、大石投手、藤岡投手といった、その年の超目玉選手を果敢に指名して、ものの見事に外しています。
それでも、ベイスターズファンには馴染みの深い、古木克明選手が、いわゆる外れ1位で入団。
選手にとっては人生がかかっているわけですが、ファンから見るとドラフトって楽しいものですね。

次は寺田さんです。

冬が来る前に

2011/11/01

先日、仕事で、食育を広めようと亘理町の保育園に行きました。
ちびっ子達に食育に関する紙芝居の読み聞かせをしたり、一緒にオリジナルダンスやマルモリダンスを踊りました。
マルモリダンスもばっちり覚えました。
他にもちびっ子達を抱っこしたり鬼ごっこしたい。子供達って本当に可愛かったです。

ただ、一つ判明したことが。
広瀬自身に食育の勉強が必要だということ。
野菜やキノコの名前を言い当てることができませんでした。
スタッフの方が言ったのは『これを機に料理を始めて勉強してみては?』

そうだ、冬が来る前に料理を始めよう!!


次は、是非とも料理を教えて欲しい。寺田さんです。

いも煮

2011/10/19

仙台に来て4度目の秋。
初めは馴染みのないイベントでしたが、これまでの3シーズンで2度、芋煮に参加しました。
その時に見た秋の景色と川のせせらぎ、仲間達の笑顔は今でも心に残っています。
毎年同じメンバーで同じ景色を見ながらで芋煮を楽しむことは素敵なことだと思います。

先日、みちのくYOSAKOI祭りの番組の司会をさせて頂きました。
よさこいに参加するチームは横の繋がりが非常に強く、震災後は全国のよさこいチームから支援を受けて活動を再開できた団体が多かったと聞きました。
宮城県内の団体にとって、秋はよさこいの季節。
この日のために練習してきた多くのチームが、ようやく同じ仲間と同じ舞台で再び演舞できる喜びを、体一杯に表現していたのが印象的でした。

秋も本番。
一日でも早く、全ての方が秋空の下で笑い合える日が訪れることを願っています。
次は金澤さんです。

2011年 秋

2011/10/07

秋は学園祭シーズンです。
早稲田大学に通っていた頃は、早稲田祭という学園祭が行われていました。
11月近くになると、もうそんな時期かと懐かしく思います。
2日間で十数万人が集まる巨大な祭りに参加するサークルは、直前まで夜通し準備に熱を入れる盛り上がりよう。

前段階で疲れてしまって、肝心の本番で体力が持たなくなることもしばしばですが、それが大学生のノリです。
その前後した時期には、その年の東京六大学野球リーグの早慶戦が行われ、六大学野球の締めが飾られます。
秋の冷たくなった風に吹かれながらも、早稲田大学校歌、慶應義塾塾歌を歌い合う光景が今では懐かしくなります。
この早慶戦に向けて、早稲田の熱はヒートアップしていくわけです。
それからは一旦、クールダウンがありますが、ラグビーの早明戦や箱根駅伝への充電期間としてエネルギーを蓄えます。

秋から冬の寒い時期に、逆に熱くなるのが大学生の不思議なところ。
卒業してから4年近く経ちますが、あの日の頃を思い出して、私も熱い気持ちで頑張っていきます。

次は金澤さんです。

震災から半年

2011/09/16

9月11日の震災半年特番の中継のため震災直後に連日、取材していた気仙沼へ、久しぶりに向かいました。
震災1ヶ月特番があった4月11日まで、ほぼ毎日足を運んでいた、避難所の一つ気仙沼市民会館にも行くことができました。
そこの館長さんには非常にお世話になり、番組でもインタビューをさせて頂きました。その館長さんに5ヶ月ぶりくらいにお会いしたところ、私のことをよく覚えていて下さって『あなたみたいな人と再会できると涙が出るのよね』と、笑顔で仰って下さいました。
当時、よく遊んでいた男の子(3歳だったかな?)は、避難所に移ったようで再会できませんでしたが、震災によって生まれた絆を改めて感じることができました。
 それでも、仮設住宅に移った方など多くの人は、『仕事がないため、今後が不安』『大人数でいた避難所生活から、少人数で暮らす仮設住宅に移ると、寂しさと不安が募る』といった言葉を多くの方から聞きました。
市街地中心部では半年前に街全体を埋め尽くしていた瓦礫は徐々に撤去され、多くの場所が更地状態になっています。それでも大きな被害を受けた鹿折地区では今でも津波で打ち上げられた漁船が残されるなど震災の爪あとが痛々しく残されていました。
気仙沼湾近くでは午前中の干潮時刻にも関わらず浸水している地域も見られました。震災から半年が経っても気仙沼市には今もなお傷跡が残っています。

 震災から半年で改善された部分もありますが、元通りの生活には到底いたっていません。
半年、1年間というスパンではなく、復興に向けてもっと長い期間が必要なのだと改めて感じました。

次は飯田さんです。

2011年、夏

2011/09/02

8月5日に仙台七夕花火大会の中継番組に出させて頂きました。
これまでは何かしらの仕事があって会社にいて、実は仙台の花火大会をちゃんと見たのは今年が初めてでした。
そして初めて浴衣を着ました。
しかも衣装さんに着させて頂いたので、かなりキッチリ、本格的です。雪駄で歩くのも初めてだったので、綺麗に歩くのが難しかったです。
立ち居振る舞いなどを含めてオシャレに着こなした感じは全くしませんでしたが、浴衣姿で観る花火は、より一層キレイに見えました。

また、花火には元々、鎮魂の意が込められていて、1発1発に込められた特別な思いを感じながら花火を見ていました。多くの方が様々な思いで花火を見つめていたあっという間に終わり、秋になろうとしています。私自身にとって、この夏が、人生で一番早く過ぎて行った夏だったように感じます。

次は、花火の番組でリポーターを務めた飯田さんです。

ともにII

2011/08/16

前回に引き続け、“ともに”というテーマでお送りいたします。

創部63年目にして甲子園初出場を果たした古川工業。
8月8日に行われた佐賀・唐津商業との初陣を現地で取材してきました。

今年は岩手・宮城・福島の3県にとっては特別な意味を持つ大会となりました。
選手から「被災地を代表して」「宮城のために」という言葉が離れることはなく、選手達にとっては大きなプレッシャーになったと思います。
それは古川工業に限った話ではなく、県大会で敗れ甲子園への切符を逃した全ての学校に共通して言えることと思います。

たくさんの思いを抱えたまま、古川工業の選手達は「全力プレー」を合言葉に懸命に戦いました。
勝利することはできませんでしたが、試合終了後にアルプススタンドへ挨拶をする選手達に、スタンドからは多くの歓声と拍手が贈られました。
鳴り止まない拍手に込められた温かい思いは、選手達の全力プレーが見ている人達に勇気を与えたことの証しだと思います。

宮城の多くの人とともに戦った古川工業の選手達に、ありがとうとの思いを込め、私からも拍手を贈らせて頂きます。

次は稲垣君です。

ともに

2011/08/09

私は東日本大震災の発生の瞬間は東京におり、翌朝、東京支社から18時間半ほどかけて宮城に向かいました。
当時、一般車両が走れるのは下道のみ。並行する高速道路を見上げると、走行が許されている自衛隊車両が何十、何百台と列を作っていました。不謹慎ではありますが「映画のワンシーンのようだ」、それが第一印象でした。日本全体が被災地を全力で救おうとしていると実感した瞬間でもありました。
宮城に到着した翌日、私達中継班9人は気仙沼へと向かいました。被災地入りしたのが午前3時。車のヘッドライトが街中に残る潮に反射し、暗闇にぼんやり浮かび上がる本物の廃墟を見た瞬間は背筋が凍りました。
この日を皮切りに1ヶ月特番があった4月11日までの間、私は被災地で移動日を含めて20泊24日間の泊まり込み、そのうち7泊を車中で過ごすことになります。
取材の最中には緊張感が高まる瞬間がありました。突如発表された大津波警報。原発の爆発。目の前で搬入されていく遺体の数々。気仙沼市街地での大規模火災では、100mほど先のガスタンクまで火の手が伸びれば、私達がいる高台も吹き飛ぶのではないかとさえ思いました。
そういった状況下では、消費期限が切れた水を使い、雪が舞う公園の公衆トイレで頭を洗って過ごす日々は意外と平気なものでした。そして何より避難所を訪れる際に、必ず笑顔で迎えて下さる被災者の方々には大変、勇気付けられました。物資不足のため、発災直後の数日間は1日におにぎり2,3個のみでの生活を強いられていました。それでも明るく迎えて下さり、「何も食べていないでしょう?おにぎりを食べていきなさい」と声をかけてくれました。もちろん受け取ることはできませんが、毎日、何人もの方が、そう話しかけて下さりました。誰よりも辛い状況であるはずの方々が、仕事で避難所に訪れている私達に、そういった優しさを見せてくれるのです。新渡戸稲造の『武士道』に描かれている、惻隠の情が東北の方々の心には根付いていると実感しました。

助け合いの心…。
世界の歴史の転換期で見えたものは、日本人の心に変わらず宿る大和魂でした。

次は佐藤さんです。

寒かった思い出

2011/02/09

楽天・久米島キャンプが始まりました。
私は、去年に続いて、今月中旬から1週間ほど久米島に向かいます。

久米島は沖縄県ということで、みなさん暖かいと思われるでしょう。
先に久米島に向かった取材班の話によると、久米島入りした1月31日の最高気温は12℃…寒いです。。
しかも小さな島のため、風も強く体感温度はグッと下がります。
暖かいと思って取材に行った去年は、充分な上着を用意せず、本当に凍える思いでした。
今年は防寒対策をしっかりして、取材に行きたいと思います。

とは言え、今年の開幕戦は3月25日の午後6時からのKスタで、寒いこと、この上なし。
その寒さを吹き飛ばすような熱い試合を期待したいですね。

写真は、キャンプ取材のため、誰もいなくなったスポーツ部のフロアです。
次は飯田さんです!

バーゲンセール

2011/01/31

すでに1月が終わろうとしておりますが、2011年初のアナログ登場です。
今年もよろしくお願いします。

さて、私はセールの時しか買い物しない。そのくらいセール好きです。
中でも、新宿や表参道のセールによく出かけます。
学生時代は1月2日になると、新宿にあるデパートへ、開店前には到着していました。
しかし、数千人の行列がデパート周辺に溢れかえっているとのことで、開店時間が前倒し。とっくにセールがスタートしていて、新年早々から出遅れた記憶があります。
店内は多くの人でごった返していて、レジにすら到着できないくらい。熱気で満たされていました。

一方、表参道のセールはデパートがない分、落ち着いています。それぞれの路面店でセールをしていますが、争奪戦のような激しさはなく、ゆっくりできます。
最近はもっぱら表参道派です。

写真はスーパーニュースのデスクの佐野さんです。椅子に掛かっている(ちょっとしか見えないですが)青色のジャンパーは、今年のセールの戦利品だそうです。

次は原さんです!

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