アナ・ログ

2012年 夏の総決算

佐藤 拓雄

2012/09/03

私「今日ごはんは?」
長男「ハーフ&ハーフで」

というやりとりを、この夏、長男(中2)と何度も繰り返しました。
前回書いた、次男の入院中のことです。

「山といえば川」みたいですが(笑)、親子間では、とりあえず意味は通じています。
翻訳すると、長男が部活に持っていく弁当の、ごはん(米)の部分をどうしてほしいのか。詰めたごはんに、半分は「のりたま」、もう半分に「おかか昆布」をかけてほしい。・・・なぜか長男は、いつもこれです。

写真が、その「ハーフ&ハーフ」な弁当。
おかずもテキトーで、わざわざお見せするほどのものでもありませんが、百聞は一見にしかず、ということで。

この夏を振り返ってみると、まず思い出すのが、この「ハーフ&ハーフ」弁当に象徴される、次男入院中のこと。梅雨明け直後、8日だったか連続で真夏日が続いた時期です。忙しさに加え、暑さにも体力を奪われました。
次男退院後は、天気も一変、過ごしやすい日が数日続き、天気も「ハーフ&ハーフ」な印象。(その後の残暑で、「暑・涼・署」のサンドイッチになりましたが)

そして、家事に明け暮れた日々から一転、ちっとも家事をしない日々へ戻り、これまた「ハーフ&ハーフ」?

それから、毎月のことですが、毎日の「スーパーニュース」に、「ともに」の取材から放送までが加わってくる月前半と、ようやく夏休みを取った先月後半との大きな落差も・・・

私にとっては、両極端なことが多かったこの夏、もっと平均して平穏な日々が続くといいのに・・・

明日は、このテーマ最後、浅見さんです。

あー夏休み!

佐藤 拓雄

2012/08/13

先月下旬から今月頭にかけて、3歳になったばかりの次男が入院してしまいました。
風邪をこじらせ、気管支炎になってしまったのです。
生まれて初めて点滴をつながれ、3歳なりにガマンの9日間を送りました。
(写真は、点滴の容器。看護師さんが、キャラクターのシールを日替わりで貼って、楽しませてくれていました)

次男は、とにかく「ママっ子」で、入院生活は、母親とでなければ送れそうにないため、自動的に妻が終日病院、私は、家事をはじめとする後方支援に。
上の子たち2人は夏休みに入ったばかりでしたが、中2の長男は毎日弁当持ちで部活があるし、長女(小6)も、習い事だ、学校のプールだと、結構不規則にいろいろあり、しかも夏休みで給食がないので、昼ごはんもどうするか考えておかないといけないし、仕事を休むわけにもいかないし・・・ということで、食事と弁当を作り、食器洗い、洗濯、買い物・・・、加えて朝晩の病院通いと、かなり忙しい9日間になってしまいました。

お子さんをお持ちの方なら、学校が休みのときのほうがかえって忙しい、という状況、分かっていただけるのではないでしょうか。
小中学校が休みでないときならば、とにかく朝学校に送り出してしまえば、あとはなんとか、というところですが、タイミング悪いなあ、と嘆きたくもなりました。

ところで、次男は、入院後数日経つと、だいぶ元気と「らしさ」を取り戻し、私が病室へ顔を出すと、毎回(朝でも)、
「パパ、おかえり!」
と迎えてくれるようになりました。
入院当初は、「おうちにかえる」と泣いたりしたそうですが、数日を過ごすうちに、仮住まいであっても、ここが自分の場所、「自宅」だと、健気にも自分を納得させたのかな、と頼もしくも切ない、複雑な気持ちになりました。

おかげさまで、無事回復し、退院してきましたが、私は、退院の日とその翌日あたりが疲労感のピーク、溜まった疲れがどっと出てきた感じで、ひどかったです。トホホ。

今回のお題「あー夏休み」ではなく、「あーあ、夏休み」と言いたいくらいでした、というお話でしたが、「自分ばかりが大変だったと思うなよ」と、どこからか「天の声」が聞こえてきたので(笑)、このへんで終わりにします。
ちなみに私自身の夏休みはまだです。

明日は、金澤アナウンサー。夏休みは、どう過ごしたんでしょうか?

夏にご用心!

佐藤 拓雄

2012/07/30

すごい盛りでしょう?
「スカイツリー」便乗商品ではありません。
先月、名古屋のあるお店で食べた、味噌カツ定食。キャベツのタワーです。名古屋だから「テレビ塔」か?
もちろん、これは名古屋でも「標準」ではないようです。
残念ながら、キャベツを全部食べることはできませんでした。
ちなみに、カツは普通の大きさです。

話は変わります。

次男坊(3歳)が声をひそめて言ってきました。
「パパ、○○(自分)は、『かれんまいだーほーじぇ』(仮面ライダーフォーゼ)だから。ナイショだから」

私もひそひそ声で答えます。
「え!そうだったの?ナイショにしておかないと、ショッカーが来ちゃうね。ヒミツだね」

それを横で聞いていた長男(中2)。
「ショッカーって、古っ!いつの時代だよ」
中学生には、3歳とパパの微笑ましい会話も、突っ込みの対象になってしまうようです・・・

それはそれとして、次男が言いたいのは、未就園児クラスや一時預かりの保育園で、お友達にやさしくしてあげたということ。
なぜやさしくしてあげたか。もちろん、正義の味方だから。ナイショだけど(笑)

次男君よ、「正体」がばれないように、ご用心を(笑)

明日は、小口アナウンサーです。

文月の出来事

佐藤 拓雄

2012/07/19

第三子の次男坊が今月3歳になりました。
思えば、この次男が生まれたときに7週間の「育休」を取り、それから3年。
大震災のみならず、個人的にも本当に本当にいろいろなことがあり、文字通り激動の3年間で、育休が遠い遠い昔に感じるほどです。
次男君は、そんなことは関係なしとばかりに、のびのびすくすく育っています。何よりありがたいことです。

その次男との最近の会話。

(その1)
私「きょうは保育園なの?(一時保育を時々利用しています)」
次男「そうだよ。だから、きょうはいそがしいからパパとあそべないから」
私「・・・。そ、そう。じゃあ、夜は遊んでくれる?」
次男「うん、いいよ。おふろ入ったらあそべるから」
・・・私は遊んでもらっているようです。

(その2)
次男「パパ、きょうは あるいていくの?」
私「うん、そうしようと思ってるけど」
次男「いいよ」
・・・徒歩通勤を許可してもらいました。

(その3)
私「○○(次男)、パパとお風呂入ろうよ」
次男「パパ、△△ちゃん(長女)と入ったら?○○(自分)はママと入るから」
・・・とにかく「ママっ子」ですが、ここまで丸め込んでくるとは・・・

(その4)
人形を相手にインタビューごっこをしていた時はこうです。
私「お名前は?って聞いてごらん」
次男「おまえは・・・?」
私「(笑)おまえ、じゃなくて、おなまえ、だよ」
次男「おまえは、だれですか?」
私「(爆笑)」
次男「(調子に乗ってゲラゲラ笑い)おまえは、だれだ?」
私「なんだ?ずいぶん失礼なインタビューですね(笑)」
次男「(ますますワル乗りして)おまえは、だれだーーーー!!」
・・・言葉の遊びも楽しいようです。

(その5)
次男「○○(自分)、グリーンピース残すからパパ食べて」
私「えー、なんで?おいしいから食べなよ」
次男「パパ、オトナなんだから、食べてよーーー」
私「○○は、オトナじゃないの?」
次男「ちがうよ、おにいちゃんだよ」
・・・つべこべ言わず、グリーンピースを食え!

かみあっているのか、かみあっていないのか、よく分からないながらも、会話が成立することが楽しくて、毎日こんなやりとりを展開している、今日この頃です。

明日から新テーマです。

梅雨の季節に思う事

佐藤 拓雄

2012/06/25

先月から今月にかけて、金環食、部分月食、金星の太陽面通過と、珍しい天文現象が続きました。
皆さんは、観察できましたか?
私は、幸運なことに、全て見ることができました。
金星は、曇り空で、ダメかと思いましたが、わずかな晴れ間に、大慌てで会社のテラスに出て、観察しました。

一方、写真は、金環食を観察したときのもの(仙台では部分日食ですが)。
私の父が、孫である私の子どもたちのためにと、筒を使って作ってくれた道具で映し出した日食の様子です。小さいけどはっきり見えているでしょう?
子どもたちの登校直前に、家族全員で外に出て観察しました。
近所の方もたくさん出てきて、みんなでわいわい。日食グラスを貸しあったり、父の道具で映し出した太陽の影を見て驚いたり。なんだか楽しかったなあ。
長男(中2)、長女(小6)は、間違いなく記憶に残ることでしょうが、もうすぐ3歳の次男は、どうかなー?その次男でさえも、次の金環食を仙台で見ることはないんですね・・・

私は、「天文ファン」でもありませんし、もちろん「日食ハンター」でもありません(笑)
むしろ小学生の頃は、星の観察とかは苦手なほうでした。観察をしても、星座が見つけられないことが多く、友達が「あ!見えた!」と歓声を上げているのを横目に、一人遅れをとり、でもそれを口に出すのは恥ずかしく、落ちこぼれたような、劣等感、敗北感を味わったことしか思い出せません。

ただ、野次馬根性だけは子どもの頃から変わらず、「次は何百年後」などと言われると、これを見ないでどうする!と思ってしまいます。

また、つくづく感じたのが、自然の神秘、面白さ。
地球は丸いんだなあ、自分は丸い星に住んでいるんだなあ、とも感じました。
震災をはじめ、自然の猛威に翻弄されてきた感の強いこのごろでしたが、この3回の天文現象は、自然というものに素直に感動できました。

そして、テーマと無理やりこじつけて言うならば、どれも梅雨入り前でよかった、ということ。
地球の、あるいは、宇宙の歴史の中では、あまりにも小さいことですが、そういうピンポイントのめぐりあわせ。さらには、小さな小さな自分が、そこに存在していることの不思議さ。
本当に、色々なことを感じました。

次は、「ともに」を一緒に担当している小口アナウンサー。見事な「晴れ女」です。

水無月

佐藤 拓雄

2012/06/06

浅見さんへ。
金魚は、子どものころから何度も飼ったことがあります。出目金が短命だった、という記憶がありますが、残念ながら、詳しいというほどではないです。あしからず。

さて、今日は6月6日、金星が太陽の前を通過するという天文現象が見られる日ですね。始まるのはこれから。
写真は、今月4日の月食です。帰宅途中に空を見上げ、とてもきれいだったので、思わず携帯のカメラで撮ったものです。それなりに撮れているでしょう?

ところで、6月に入って、仙台放送でも、社としてクールビズを始めています。

「スーパーニュース」でも、私の服装がクールビズになりました。
宮城では、まだ本格的な暑さはないので、本来の機能という意味でのクールビズ効果はそれほどありませんが、いわゆる「衣替え」に合わせての対応です。
周りを見ると、今のところ、テレビの出演者もバラバラ、国会議員や役所もバラバラ、という印象ですね。

ネクタイ=正装というこれまでの常識も、クールビズの登場でだいぶ柔軟化してきました。
ニュースのアナウンサーがノーネクタイ、というのも、クールビズ以前だと、「ニュースステーション」の久米宏さんくらいだったと思いますが、今は、「クールビズ」の一言ですんでしまうような。

1990年代、社会人としてもアナウンサーとしても駆け出しの頃、特にスーパーニュースのサブキャスターとして、毎日夕方の番組直前まで取材、という毎日だった頃、「ネクタイしてると暑いなあ・・・」ということをものすごく感じました。ネクタイを緩めてボタンを一つ外すだけで、本当に暑さが和らぎます。社会人になる前、ネクタイを緩めるサラリーマンの姿を「オヤジくさい」と思っていましたが、「ああ、そういうことだったのか」と納得したのが、この時期でした。

話がそれましたが、去年に続き、今年も、仙台放送も節電対応の夏。社内は28度以上になります。
今はまだそれほどでもないですが、そんな季節に備え、ニュースの衣装だけでなく、通勤用の服装も、今月からノーネクタイにしています。
それはそれとして、今年が、猛暑でも冷夏でもありませんように・・・

明日は、林さんです。

若葉の頃に思う事

佐藤 拓雄

2012/05/30

写真は、仙台放送近くの「愛宕上杉通り」です。銀杏並木の若葉が緑のトンネルのようでした。
出社途中に思わず足をとめて撮影しました。
この時期の仙台は一年で一番いい季節だと毎年思います。
個人的にも、花粉は飛んでいないし、暑くも寒くもないし(笑)

話は変わりますが、私は近視です。でも今普段は裸眼で過ごしています。遠くもよく見えています。
なぜか。
「オルソーケラトロジー」という、特殊なコンタクトレンズを使っているからです。
この「オルソーレンズ」は、夜眠っている間だけ着けるもので、朝起きたら外します。
そうすることで、角膜が矯正され、日中は裸眼でも視力が維持されるのです。
手術をするわけでもなく、コンタクトの使用時間は結果的に少なくなり、私にとっては、非常に快適なものです。なにより、日中メガネやコンタクトをするストレスからの解放感は、私にとっては本当に心地よいものです。

このオルソーレンズを使い始めたのは、かれこれ10年近く前の今頃、新緑の季節でした。
当時山の上にあった仙台放送に向かう途中、視力を回復して裸眼で見た周りの若葉が、はっとするほどきれいだったことを忘れられません。
メガネやコンタクトを使用しているときと何が違ってそう見えたのかは、正直よく分かりませんが、とにかく、それまで気づかなかったほどきれいに見えたのです。
なんだか、心まできれいになるような思いでした。染み入る、というのかなあ。

それ以来、この季節になると、目に青葉をしみこませるように見てしまうことがあります。文字通り「目の保養」です。もちろん、心にも・・・
「目に青葉、山ホトトギス、初鰹」とはよく言ったものですね。
どうでもいいですが、カツオは、初鰹も好きですが、戻り鰹のほうがもっと好きです。

次回は、産休中の寺田アナウンサーです。

五月晴れ

佐藤 拓雄

2012/05/08

新緑の季節、写真は、昨日の仙台放送前。五月晴れに、並木の若葉が目に眩しいくらいでした。

さてさて、本題は、景気の悪い話ですみませんが、今年も、やはり花粉症に苦しめられました。

今シーズン一番ひどかったのは、先月中ごろ。
鼻水、鼻づまり、咳、頭痛、胃の痛み、微熱、頭はぼーっとする、さらには全身のだるさ・・・とまるでインフルエンザのような症状。
とどめは、声がれ。アナウンサーとしては、致命的です。
かかりつけの耳鼻科に駆け込み、症状は少しずつ改善し、放送に耐えられないほどの状況ではなかったので、なんとか「スーパーニュース」も「ともに」も、「欠席」して迷惑をかけるようなことはありませんでしたが、本当に辛かったです・・・

毎年恒例のことですが、こんな思いを毎年続けるって、やっぱりおかしい!
この時期は、仕事に向かうエネルギーはもちろん大きく減退するし、日常生活だって、ぐったりしていてほとんど何もできないのです。

厚生労働省のホームページを見ると、「正確な患者数はデータがないが、全国で2割を超えるという調査報告もある」という趣旨のことが書いてありました。
2割!2000万人は超えるって事ですよね。すごい人数!
今までも指摘がありましたが、これほど花粉症の人がいるとしたら、社会生活全体に多大な影響があるに違いありません。生産性、めちゃめちゃ下がるでしょう。もう、この時期は、日本全体をお休みにしましょうよ。
と言っても、各地で花粉の飛ぶ時期は違うし、言うほど簡単じゃないよなあ、ハァ~・・・

・・・と、それこそ生産性のない話をダラダラと書き綴ってしまいましたが、5月の声を聞くと、あの苦しみはなんだったのか、というほど、花粉症は鳴りを潜めます。

なので、五月晴れの空は、私の心も五月晴れ!
根本的には何も解決していないのですが、とりあえず、あと11ヶ月ほどは、悩まされない、と思えるだけでも、気持ちは軽くなります。
お題の「五月晴れ」にやっとたどりついたので、本日はここまで。

明日は、林アナウンサー。産休生活はどうですか?

2012年 春

佐藤 拓雄

2012/04/16

きょうからは、お題は、「2012年 春」。

先日、夜に駅前へ行って、気がつきました。
1年前の春は、こうではなかったと。

去年つまり2011年の春、4月20日過ぎのことです。
高校時代の級友が突然仙台放送を訪ねてきました。ボランティアをしに宮城県へ来たそうです。
関西在住で、何年も会っていなかった友人で、連絡先もお互い分からなくなっていましたが、震災のニュースで私の姿を見て、仙台放送に行けば会えると思って、来てくれたのでした。

その懐かしい友人と「食事でも」と駅前に行きました。
時刻は夜の8時半ごろでしたが、行ってみると、お店が軒並み店じまい。どのお店も、閉店時刻が午後8時ごろと、大幅に営業時間を短縮していました。
しかも、どこも明かりを落としぎみで薄暗い。
そんな中、10時までやっているという牛タン店を見つけて入ることができましたが、友人も、「まだこんなに震災の影響があるんだね・・・」と驚いていました。

そして今年、2012年春。
駅前のお店は、通常の営業時間。町の明かり、建物の明かりも、震災前と同じようです。
日常、普通であることのありがたさを改めて感じるとともに、震災で失われた日常が、すべてのところで取り戻されますように、と願わずにはいられませんでした。

続いては、広瀬アナウンサーです。

新たなスタート!

佐藤 拓雄

2012/04/04

去年の春、我が家の長男は小学校を卒業し、中学校に入学しました。

長男の小学校生活は、2011年3月11日でぷっつり終わってしまいました。
震災後、授業が再開されないまま、卒業式。その卒業式も、小学校の体育館が避難所になったこともあり、6日遅れで行われました。
体育館は使用せず、校内の多目的広場で、6年生のみ、内容も大幅に簡素化しての式でした。
卒業生全員による「誓いの言葉」的なものも、プログラムからなくなってしまいました。長男は、委員の一人としてその「言葉」の中身を考えていたとのことで、残念な様子でした。

親の私はといえば、余震が続いていた頃で、すぐ放送できるようにとほぼ徹夜の泊り勤務があり、卒業式のその日が泊り明けにあたってしまいました。急ぎ帰宅して、大慌てで小学校に向かい、眠たい目をこすりながら式に参列していた覚えがあります。
あっという間の6年間、長男の成長への感慨もさることながら、よく卒業式ができた、ということや、全員無事でよかった、というようなことが、何度も頭をよぎりました。

「卒業祝い」をしようにも、物資不足で買えるものも少なく、なんとか手に入ったドーナツをケーキの代わりにしてみんなで食べました。そのドーナツだって、節電で薄暗いドーナツ屋さんに並び、一人何個までとか制限があり、しかもバリエーションがいつもよりはるかに少ない、そんななかで買ってきたものでした。

今考えてみると、あらゆる面で尋常ではない状況下の卒業式でした。
私の住んでいるような、仙台の内陸部で、津波の被害は全くなく、地震の被害も少ない、そういうところでさえ、一年前は、そんなでしたよね・・・

中学校の入学式も1日遅れで、震災の混乱の中、長男は、新たなスタートを切ったのでした。

そういうことを、長男自身がどのくらい実感として受け止めているのかは、正直よく分かりませんし、今の彼を見る限り、彼の生活に、震災の影響はほとんど感じられません。
ただ、将来、自分自身の卒業式について、「震災で6日遅れたんだよなあ・・・」ということは、思い出すはずで、そういうことを、将来の友人にでも話したりするのかな・・・それも、ひとつの震災体験であり、やはり語り継ぐに値するものだな、と思っています。

明日は、スーパーニュースを一緒に担当している、梅島アナウンサーです。

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