アナ・ログ

文月の出来事

佐藤 拓雄

2012/07/19

第三子の次男坊が今月3歳になりました。
思えば、この次男が生まれたときに7週間の「育休」を取り、それから3年。
大震災のみならず、個人的にも本当に本当にいろいろなことがあり、文字通り激動の3年間で、育休が遠い遠い昔に感じるほどです。
次男君は、そんなことは関係なしとばかりに、のびのびすくすく育っています。何よりありがたいことです。

その次男との最近の会話。

(その1)
私「きょうは保育園なの?(一時保育を時々利用しています)」
次男「そうだよ。だから、きょうはいそがしいからパパとあそべないから」
私「・・・。そ、そう。じゃあ、夜は遊んでくれる?」
次男「うん、いいよ。おふろ入ったらあそべるから」
・・・私は遊んでもらっているようです。

(その2)
次男「パパ、きょうは あるいていくの?」
私「うん、そうしようと思ってるけど」
次男「いいよ」
・・・徒歩通勤を許可してもらいました。

(その3)
私「○○(次男)、パパとお風呂入ろうよ」
次男「パパ、△△ちゃん(長女)と入ったら?○○(自分)はママと入るから」
・・・とにかく「ママっ子」ですが、ここまで丸め込んでくるとは・・・

(その4)
人形を相手にインタビューごっこをしていた時はこうです。
私「お名前は?って聞いてごらん」
次男「おまえは・・・?」
私「(笑)おまえ、じゃなくて、おなまえ、だよ」
次男「おまえは、だれですか?」
私「(爆笑)」
次男「(調子に乗ってゲラゲラ笑い)おまえは、だれだ?」
私「なんだ?ずいぶん失礼なインタビューですね(笑)」
次男「(ますますワル乗りして)おまえは、だれだーーーー!!」
・・・言葉の遊びも楽しいようです。

(その5)
次男「○○(自分)、グリーンピース残すからパパ食べて」
私「えー、なんで?おいしいから食べなよ」
次男「パパ、オトナなんだから、食べてよーーー」
私「○○は、オトナじゃないの?」
次男「ちがうよ、おにいちゃんだよ」
・・・つべこべ言わず、グリーンピースを食え!

かみあっているのか、かみあっていないのか、よく分からないながらも、会話が成立することが楽しくて、毎日こんなやりとりを展開している、今日この頃です。

明日から新テーマです。

梅雨の季節に思う事

佐藤 拓雄

2012/06/25

先月から今月にかけて、金環食、部分月食、金星の太陽面通過と、珍しい天文現象が続きました。
皆さんは、観察できましたか?
私は、幸運なことに、全て見ることができました。
金星は、曇り空で、ダメかと思いましたが、わずかな晴れ間に、大慌てで会社のテラスに出て、観察しました。

一方、写真は、金環食を観察したときのもの(仙台では部分日食ですが)。
私の父が、孫である私の子どもたちのためにと、筒を使って作ってくれた道具で映し出した日食の様子です。小さいけどはっきり見えているでしょう?
子どもたちの登校直前に、家族全員で外に出て観察しました。
近所の方もたくさん出てきて、みんなでわいわい。日食グラスを貸しあったり、父の道具で映し出した太陽の影を見て驚いたり。なんだか楽しかったなあ。
長男(中2)、長女(小6)は、間違いなく記憶に残ることでしょうが、もうすぐ3歳の次男は、どうかなー?その次男でさえも、次の金環食を仙台で見ることはないんですね・・・

私は、「天文ファン」でもありませんし、もちろん「日食ハンター」でもありません(笑)
むしろ小学生の頃は、星の観察とかは苦手なほうでした。観察をしても、星座が見つけられないことが多く、友達が「あ!見えた!」と歓声を上げているのを横目に、一人遅れをとり、でもそれを口に出すのは恥ずかしく、落ちこぼれたような、劣等感、敗北感を味わったことしか思い出せません。

ただ、野次馬根性だけは子どもの頃から変わらず、「次は何百年後」などと言われると、これを見ないでどうする!と思ってしまいます。

また、つくづく感じたのが、自然の神秘、面白さ。
地球は丸いんだなあ、自分は丸い星に住んでいるんだなあ、とも感じました。
震災をはじめ、自然の猛威に翻弄されてきた感の強いこのごろでしたが、この3回の天文現象は、自然というものに素直に感動できました。

そして、テーマと無理やりこじつけて言うならば、どれも梅雨入り前でよかった、ということ。
地球の、あるいは、宇宙の歴史の中では、あまりにも小さいことですが、そういうピンポイントのめぐりあわせ。さらには、小さな小さな自分が、そこに存在していることの不思議さ。
本当に、色々なことを感じました。

次は、「ともに」を一緒に担当している小口アナウンサー。見事な「晴れ女」です。

水無月

佐藤 拓雄

2012/06/06

浅見さんへ。
金魚は、子どものころから何度も飼ったことがあります。出目金が短命だった、という記憶がありますが、残念ながら、詳しいというほどではないです。あしからず。

さて、今日は6月6日、金星が太陽の前を通過するという天文現象が見られる日ですね。始まるのはこれから。
写真は、今月4日の月食です。帰宅途中に空を見上げ、とてもきれいだったので、思わず携帯のカメラで撮ったものです。それなりに撮れているでしょう?

ところで、6月に入って、仙台放送でも、社としてクールビズを始めています。

「スーパーニュース」でも、私の服装がクールビズになりました。
宮城では、まだ本格的な暑さはないので、本来の機能という意味でのクールビズ効果はそれほどありませんが、いわゆる「衣替え」に合わせての対応です。
周りを見ると、今のところ、テレビの出演者もバラバラ、国会議員や役所もバラバラ、という印象ですね。

ネクタイ=正装というこれまでの常識も、クールビズの登場でだいぶ柔軟化してきました。
ニュースのアナウンサーがノーネクタイ、というのも、クールビズ以前だと、「ニュースステーション」の久米宏さんくらいだったと思いますが、今は、「クールビズ」の一言ですんでしまうような。

1990年代、社会人としてもアナウンサーとしても駆け出しの頃、特にスーパーニュースのサブキャスターとして、毎日夕方の番組直前まで取材、という毎日だった頃、「ネクタイしてると暑いなあ・・・」ということをものすごく感じました。ネクタイを緩めてボタンを一つ外すだけで、本当に暑さが和らぎます。社会人になる前、ネクタイを緩めるサラリーマンの姿を「オヤジくさい」と思っていましたが、「ああ、そういうことだったのか」と納得したのが、この時期でした。

話がそれましたが、去年に続き、今年も、仙台放送も節電対応の夏。社内は28度以上になります。
今はまだそれほどでもないですが、そんな季節に備え、ニュースの衣装だけでなく、通勤用の服装も、今月からノーネクタイにしています。
それはそれとして、今年が、猛暑でも冷夏でもありませんように・・・

明日は、林さんです。

若葉の頃に思う事

佐藤 拓雄

2012/05/30

写真は、仙台放送近くの「愛宕上杉通り」です。銀杏並木の若葉が緑のトンネルのようでした。
出社途中に思わず足をとめて撮影しました。
この時期の仙台は一年で一番いい季節だと毎年思います。
個人的にも、花粉は飛んでいないし、暑くも寒くもないし(笑)

話は変わりますが、私は近視です。でも今普段は裸眼で過ごしています。遠くもよく見えています。
なぜか。
「オルソーケラトロジー」という、特殊なコンタクトレンズを使っているからです。
この「オルソーレンズ」は、夜眠っている間だけ着けるもので、朝起きたら外します。
そうすることで、角膜が矯正され、日中は裸眼でも視力が維持されるのです。
手術をするわけでもなく、コンタクトの使用時間は結果的に少なくなり、私にとっては、非常に快適なものです。なにより、日中メガネやコンタクトをするストレスからの解放感は、私にとっては本当に心地よいものです。

このオルソーレンズを使い始めたのは、かれこれ10年近く前の今頃、新緑の季節でした。
当時山の上にあった仙台放送に向かう途中、視力を回復して裸眼で見た周りの若葉が、はっとするほどきれいだったことを忘れられません。
メガネやコンタクトを使用しているときと何が違ってそう見えたのかは、正直よく分かりませんが、とにかく、それまで気づかなかったほどきれいに見えたのです。
なんだか、心まできれいになるような思いでした。染み入る、というのかなあ。

それ以来、この季節になると、目に青葉をしみこませるように見てしまうことがあります。文字通り「目の保養」です。もちろん、心にも・・・
「目に青葉、山ホトトギス、初鰹」とはよく言ったものですね。
どうでもいいですが、カツオは、初鰹も好きですが、戻り鰹のほうがもっと好きです。

次回は、産休中の寺田アナウンサーです。

五月晴れ

佐藤 拓雄

2012/05/08

新緑の季節、写真は、昨日の仙台放送前。五月晴れに、並木の若葉が目に眩しいくらいでした。

さてさて、本題は、景気の悪い話ですみませんが、今年も、やはり花粉症に苦しめられました。

今シーズン一番ひどかったのは、先月中ごろ。
鼻水、鼻づまり、咳、頭痛、胃の痛み、微熱、頭はぼーっとする、さらには全身のだるさ・・・とまるでインフルエンザのような症状。
とどめは、声がれ。アナウンサーとしては、致命的です。
かかりつけの耳鼻科に駆け込み、症状は少しずつ改善し、放送に耐えられないほどの状況ではなかったので、なんとか「スーパーニュース」も「ともに」も、「欠席」して迷惑をかけるようなことはありませんでしたが、本当に辛かったです・・・

毎年恒例のことですが、こんな思いを毎年続けるって、やっぱりおかしい!
この時期は、仕事に向かうエネルギーはもちろん大きく減退するし、日常生活だって、ぐったりしていてほとんど何もできないのです。

厚生労働省のホームページを見ると、「正確な患者数はデータがないが、全国で2割を超えるという調査報告もある」という趣旨のことが書いてありました。
2割!2000万人は超えるって事ですよね。すごい人数!
今までも指摘がありましたが、これほど花粉症の人がいるとしたら、社会生活全体に多大な影響があるに違いありません。生産性、めちゃめちゃ下がるでしょう。もう、この時期は、日本全体をお休みにしましょうよ。
と言っても、各地で花粉の飛ぶ時期は違うし、言うほど簡単じゃないよなあ、ハァ~・・・

・・・と、それこそ生産性のない話をダラダラと書き綴ってしまいましたが、5月の声を聞くと、あの苦しみはなんだったのか、というほど、花粉症は鳴りを潜めます。

なので、五月晴れの空は、私の心も五月晴れ!
根本的には何も解決していないのですが、とりあえず、あと11ヶ月ほどは、悩まされない、と思えるだけでも、気持ちは軽くなります。
お題の「五月晴れ」にやっとたどりついたので、本日はここまで。

明日は、林アナウンサー。産休生活はどうですか?

2012年 春

佐藤 拓雄

2012/04/16

きょうからは、お題は、「2012年 春」。

先日、夜に駅前へ行って、気がつきました。
1年前の春は、こうではなかったと。

去年つまり2011年の春、4月20日過ぎのことです。
高校時代の級友が突然仙台放送を訪ねてきました。ボランティアをしに宮城県へ来たそうです。
関西在住で、何年も会っていなかった友人で、連絡先もお互い分からなくなっていましたが、震災のニュースで私の姿を見て、仙台放送に行けば会えると思って、来てくれたのでした。

その懐かしい友人と「食事でも」と駅前に行きました。
時刻は夜の8時半ごろでしたが、行ってみると、お店が軒並み店じまい。どのお店も、閉店時刻が午後8時ごろと、大幅に営業時間を短縮していました。
しかも、どこも明かりを落としぎみで薄暗い。
そんな中、10時までやっているという牛タン店を見つけて入ることができましたが、友人も、「まだこんなに震災の影響があるんだね・・・」と驚いていました。

そして今年、2012年春。
駅前のお店は、通常の営業時間。町の明かり、建物の明かりも、震災前と同じようです。
日常、普通であることのありがたさを改めて感じるとともに、震災で失われた日常が、すべてのところで取り戻されますように、と願わずにはいられませんでした。

続いては、広瀬アナウンサーです。

新たなスタート!

佐藤 拓雄

2012/04/04

去年の春、我が家の長男は小学校を卒業し、中学校に入学しました。

長男の小学校生活は、2011年3月11日でぷっつり終わってしまいました。
震災後、授業が再開されないまま、卒業式。その卒業式も、小学校の体育館が避難所になったこともあり、6日遅れで行われました。
体育館は使用せず、校内の多目的広場で、6年生のみ、内容も大幅に簡素化しての式でした。
卒業生全員による「誓いの言葉」的なものも、プログラムからなくなってしまいました。長男は、委員の一人としてその「言葉」の中身を考えていたとのことで、残念な様子でした。

親の私はといえば、余震が続いていた頃で、すぐ放送できるようにとほぼ徹夜の泊り勤務があり、卒業式のその日が泊り明けにあたってしまいました。急ぎ帰宅して、大慌てで小学校に向かい、眠たい目をこすりながら式に参列していた覚えがあります。
あっという間の6年間、長男の成長への感慨もさることながら、よく卒業式ができた、ということや、全員無事でよかった、というようなことが、何度も頭をよぎりました。

「卒業祝い」をしようにも、物資不足で買えるものも少なく、なんとか手に入ったドーナツをケーキの代わりにしてみんなで食べました。そのドーナツだって、節電で薄暗いドーナツ屋さんに並び、一人何個までとか制限があり、しかもバリエーションがいつもよりはるかに少ない、そんななかで買ってきたものでした。

今考えてみると、あらゆる面で尋常ではない状況下の卒業式でした。
私の住んでいるような、仙台の内陸部で、津波の被害は全くなく、地震の被害も少ない、そういうところでさえ、一年前は、そんなでしたよね・・・

中学校の入学式も1日遅れで、震災の混乱の中、長男は、新たなスタートを切ったのでした。

そういうことを、長男自身がどのくらい実感として受け止めているのかは、正直よく分かりませんし、今の彼を見る限り、彼の生活に、震災の影響はほとんど感じられません。
ただ、将来、自分自身の卒業式について、「震災で6日遅れたんだよなあ・・・」ということは、思い出すはずで、そういうことを、将来の友人にでも話したりするのかな・・・それも、ひとつの震災体験であり、やはり語り継ぐに値するものだな、と思っています。

明日は、スーパーニュースを一緒に担当している、梅島アナウンサーです。

ともに(3)

佐藤 拓雄

2012/03/27

このたび、「FNSアナウンス大賞」という賞をいただきました。
フジテレビ系列のアナウンサーを毎年表彰するものですが、「大賞」の受賞は、私にとっては初めてです。
先日、表彰式がありました。

大賞をいただいた放送は、震災直後の3月12日夜、東京のスタジオとやりとりしながら宮城の被害を伝えたものです。大惨事を伝えた内容だけに、「大賞」と言われても、私の気持ちは複雑で、喜んでいられるような心境ではありません。

それでも、あの時の放送が、一定の評価を受けたことは、私たち仙台放送が、あの震災を伝える中で、少しでも使命・責任を果たすことができたということかもしれない、とも思います。

思えば、あの日、私たち仙台放送も、地震と津波で大きな被害を受けました。

社内では、物が散乱し、ニューススタジオのセットは倒れかかり、スタジオが使えなくなりました。

沿岸部の情報カメラは、女川、気仙沼、仙台空港と、それぞれ津波の第一波をかろうじて捉えましたが、その後、電源喪失など、様々な原因で映像を送れなくなりました。

最も痛かったのは、ヘリコプターの被害です。地震で格納庫のシャッターと衝突したヘリコプターは、点検のため、外に出したところで、津波に襲われ、600メートルも流され、全損しました。

沿岸部の支局の記者たちは、津波の真っ只中で孤独な取材を続けていました。しかし、連絡もなかなか取れず、撮影した映像を送ることもできません。数日間、高台で孤立状態になった記者もいました。

伝える側の私たちも、被災者でした。

そんななかで、私たちは、この宮城のテレビ局として、なんとか使命を果たしたい、宮城の人たちの役に立ちたい、そのために何ができるのか、模索を続けながら放送にあたってきました。
そして、その思いを凝縮した言葉が、私たちのキャッチフレーズ「ともに」です。

ともに手を携え、ともにこの大災害から立ち直っていきたい、という思いを胸に、最後の一人が復興したと言えるまで、復興の道筋を伝え続けていくこと。
これが私たちの使命だと肝に銘じ、これからも震災と向き合っていきます。

次は、無事出産を終えた(!)寺田アナウンサーです。

ともに(2)

佐藤 拓雄

2012/03/02

震災発生一年を前に、「ともに」をテーマに綴っているアナ・ログ、今日から2巡目です。

私は、震災発生時から緊急放送に入り、翌朝まで放送が続きました。
明け方、浅見さん&林さんと交代し、2時間弱の仮眠をとった後、往復時間も合わせて1時間程度でしたが自宅に帰ることができました。着替えその他必要なものがあったのと、なんといっても、家族に一目でも会いたかったからです。(その間も家にも戻らず仕事を続けていた方々には悪いので、ほんの1時間とはいえ、2日目の朝にこっそり帰宅したことは、今までほとんど話しませんでした…)

ともかく、家族の無事を確認し、会社に引き返そうとするものの、やはり心もとなく、かつ、こんな時に家族を置いて仕事に行くことがなんとも心苦しく、後ろ髪をひかれる思いの私に、妻が一言、喝を入れてくれました。
「家は私が守るから、パパは自分の使命を果たしてちょうだい!」
頼もしい一言で、もう一度、私のスイッチが入りました。
そうだ、自分は、被災者のため、宮城のために、すべきことがある、使命を果たさなくては、と。そして、被災者には、とりもなおさず自分の家族も含まれるのだ。自分の仕事をしなくては。
…(寝不足の)目が覚めた思いで、仕事に戻りました。

だからといって、そのあと一切迷いがなくなった、と言えば嘘になります。弱い私は、やはり、時に家族が気になり、心が揺れてしまうこともなくはありませんでした。でも、妻のその一言は、私の使命感を呼び起こしてくれるには十分でした。

…と、ここで終われば、ちょっと「深イイ話」…おっと…ですが、仙台市中心部が日常を取り戻すのと同じようなスピードで、妻も日常を取り戻していき…あれあれ?妻よ、あの良妻ぶりはどこへ行った?オレは自分の使命を果たせばよかったんじゃなかったのか?
結局、アナウンサーの仕事だけでなく、家庭でのこまごまとした様々なことも、私の大事な「使命」で、これを果たさないと…というのが、オチでして(苦笑)

でも、そんな家族がいて、日常があること、「ともに」過ごす日々が大切なのだということも、震災を経て、改めて痛感しました。

以上、今回は、家族と「ともに」でした。

続いては、浅見さんです。あれ?前回と同じだ。順番は厳正な抽選なので、こういうこともあるのです。

ともに(1)

佐藤 拓雄

2012/02/22

去年4月から担当している番組「ともに」は、気がつけば、今月で11回放送しました。
一年の月日があっという間に流れた、というのが実感です。
でも、被災地は、月日だけが流れ、復興のスピードは、その月日に見あっただけのものには、残念ながらなっていません。

番組の中で、継続してお伝えしてきた、南三陸町歌津。
私は、毎回ここを訪れ、そのたび、高台の歌津駅から中心部の風景を見ることにしてきました。
写真は、その歌津駅から見た歌津の中心部。上が去年9月5日、下が今年2月8日です。
夏と冬で、草の色が違うくらいで、ほとんど変化がないように見えませんか?
がれきが撤去されてから半年近く経っているのですが、何もない、荒涼とした景色が、続いているのです。

番組「ともに」は、おかげさまで、回を重ねるごとに、放送してくださる他地域の局が増えてきました。
関西テレビ(関西地区)、東海テレビ(東海地区)、岡山放送(岡山、香川)、テレビ熊本、テレビ静岡。
そして、こうした県外の方々からの温かいメールが番組宛に届いています。
深夜に放送してくださっているところが多いようですが、送信時刻を見ると、真夜中の、番組を見てすぐに送ってくださったと思われるものも少なくなく、離れていても、そのお気持ちが強く伝わってきます。

時間が経つにつれ、私たち被災地と、そうでない地域との「温度差」は広がっていきますが、その一方で、遠くからこちらを思ってくださる方々もいる。「ともに」復興を願ってくださる方々がいる。
被災地から外へ発信すると同時に、こうした「ともに」を被災地に伝えていくことも、私たちの役割なのだ、ということをこのところ感じています。

次は、浅見アナウンサーの「ともに」です。

次へ ≫