佐藤 拓雄
2012/03/27
このたび、「FNSアナウンス大賞」という賞をいただきました。
フジテレビ系列のアナウンサーを毎年表彰するものですが、「大賞」の受賞は、私にとっては初めてです。
先日、表彰式がありました。
大賞をいただいた放送は、震災直後の3月12日夜、東京のスタジオとやりとりしながら宮城の被害を伝えたものです。大惨事を伝えた内容だけに、「大賞」と言われても、私の気持ちは複雑で、喜んでいられるような心境ではありません。
それでも、あの時の放送が、一定の評価を受けたことは、私たち仙台放送が、あの震災を伝える中で、少しでも使命・責任を果たすことができたということかもしれない、とも思います。
思えば、あの日、私たち仙台放送も、地震と津波で大きな被害を受けました。
社内では、物が散乱し、ニューススタジオのセットは倒れかかり、スタジオが使えなくなりました。
沿岸部の情報カメラは、女川、気仙沼、仙台空港と、それぞれ津波の第一波をかろうじて捉えましたが、その後、電源喪失など、様々な原因で映像を送れなくなりました。
最も痛かったのは、ヘリコプターの被害です。地震で格納庫のシャッターと衝突したヘリコプターは、点検のため、外に出したところで、津波に襲われ、600メートルも流され、全損しました。
沿岸部の支局の記者たちは、津波の真っ只中で孤独な取材を続けていました。しかし、連絡もなかなか取れず、撮影した映像を送ることもできません。数日間、高台で孤立状態になった記者もいました。
伝える側の私たちも、被災者でした。
そんななかで、私たちは、この宮城のテレビ局として、なんとか使命を果たしたい、宮城の人たちの役に立ちたい、そのために何ができるのか、模索を続けながら放送にあたってきました。
そして、その思いを凝縮した言葉が、私たちのキャッチフレーズ「ともに」です。
ともに手を携え、ともにこの大災害から立ち直っていきたい、という思いを胸に、最後の一人が復興したと言えるまで、復興の道筋を伝え続けていくこと。
これが私たちの使命だと肝に銘じ、これからも震災と向き合っていきます。
次は、無事出産を終えた(!)寺田アナウンサーです。