アナ・ログ

まつり

佐藤 拓雄

2023/07/28

私が育ったのは、東京の多摩ニュータウンという大規模な開発団地で、地域の伝統的な祭りなどはありませんでした。そのせいか、「まつり」といっても、どうもこれといった思い出が出てきません。

真っ先に思い出したのが、美空ひばりの「お祭りマンボ」だったりします(苦笑)
それも、仙台放送アナウンス部の大先輩のカラオケ。
入社した時、アナウンス部のカラオケで一番盛り上がっていたのが、その「お祭りマンボ」で、先輩たち皆が、当然のことのように「ワッショイワッショイ」と合の手を入れるのです。私はそもそも曲を聞いたのが初めてで、怖いくらいのあまりの一体感に圧倒されつつ、いったいこれは何なんだ??と内心あ然としながらながらその場にいたことを覚えています・・・

とここまで書いていて急に思い出したのですが、そういえば、多摩ニュータウンでも団地のお祭りがありました。
小学生の頃、そのお祭りで弟とやった金魚すくいが7、8匹という「大漁」で、大きな水槽に入れて飼っていました。
種類も様々で、出目金(赤、黒)、和金、琉金、それに、よく分からない白い金魚もいて(もしかしたら鉄魚だったのかもしれません)、その後、中学校の美術科の課題で、泳ぐ金魚たちを題材に、木彫の浮き彫りを彫ったくらいですから、結構長生きしたことになります。
木彫の浮彫りは、何が楽しかったのか、夏休みも、勉強もせず、毎日自宅のベランダでひたすら彫り続けた記憶があります。自分史上1、2を争う出来だったと、文字通り「自画自賛」し、しばらく部屋に飾っていました。
美術の先生の評価は覚えていませんが、その学年の時は、何を作ってもべた褒めされたので、多分絶賛されたと思います。
それが翌年美術の先生が変わった途端に、同じような作品を出しているのに、全く評価されなくなり、理不尽だなあと納得がいかなかった経験もあり、のちに中学生の子を持つようになって、美術科の評価はそういうことではいけないだろうと、強く思いました。

まつりの話が、いつの間にか美術の課題の話になってしまい、すみません。
今回はこのへんで。

【写真】は、今週、車の助手席から撮った定禅寺通。「仙台の夏」という景色に感じました。

次は、牧広大アナウンサーです。

夏と言えばこの曲!

佐藤 拓雄

2023/07/05

夏と言えば、サザンオールスターズ。
私は、春も秋も冬もサザンですが、いずれにせよ、名曲があり過ぎて、「この曲」なんて絞れるわけがありません。

【写真】は、ニヤリとした方がいらっしゃったらうれしいですが、スイカと言えば、サザンオールスターズの今や幻のベストアルバム「すいか」。スイカそのものを模した缶のパッケージに入っていました。
調べると、発売は1989年7月21日。
数量限定、あまりの人気で予約なしでは買うことができない、というか、予約そのものができない、という、ある種のパニック状態となったように覚えています。
私は、仙台のレコード店をいくつも探し歩き、運よく予約枠を見つけて手に入れることができました。
CD4枚組ながら1万円と、学生にとってはちょっと躊躇するような価格でしたが、これは本当に買ってよかったと今でも思っています。ファンなら絶対に持っていたい、これぞベスト中のベスト、というアルバム。
あ、でもサザンのベストアルバムは、「バラッド」、「海のYeah!!」とか、名盤がほかにもたくさんありますね。
ちなみに、この「すいか」は、当時、周囲の友人に持っている人は一人もいなくて、やたらと「貸してくれ」と頼まれた覚えがあり、その中の一人にケースを傷つけられ、こんなヤツに貸さなきゃよかった、と腹が立ったというケチな思い出まであります(笑)

ということで、今回も、お題から外れていきましたが、今私の頭の中にヘビロテで巡っているのは、「真夏の果実」です。

次は、下山アナウンサーです。

気分が上がるお弁当

佐藤 拓雄

2023/06/26

お弁当といって思い出したのが、自分の幼稚園児時代。
生まれて初めてお弁当を持っていく生活だったわけですが、自分のお弁当よりも、周りの友だちのお弁当に目が行きがちでした。
覚えているのは、ある子がカレーを持ってきたこと。それも、半分に切ったゆで卵の黄身を取り除き、白身の部分をカップ代わりにして、そこにカレーが入っていたのです。非常にうらやましくて、自分の母親にも作ってくれと言ったはずですが、実際に作ってもらったかどうかは覚えていません。
寿司屋の子が、お寿司を持ってきて、これまたうらやましかった、という記憶もあるのですが、今考えると、本当にそうだったか、「寿司」といっても、どういうものだったか、ちょっとうろ覚えで記憶に自信がなくなってきました(笑)

そうやって人の弁当ばかりうらやましがって、かつ、食べずにおしゃべりばかりして、しかも食が細かったので、いつも食べ終わるのは最後のほう。皆が昼食を済ませて園庭に遊びに行ってもまだ食べ終わらないということもある、そんな幼児園児でした。
それが、高校生になると、自分はどうなっているのかと思うくらい常に空腹で、朝食を食べているのに、1時間目が終わるともう早弁。それでは足りないので、早弁用の弁当まで作ってもらい、帰りも家まで空腹が持たず買い食い、となるのですから、不思議です。

なかなか「気分の上がるお弁当」というテーマ通りの話になりませんが、今、毎日会社に持っていく弁当で気分が上がるのは、サンマの甘露煮とサンドイッチですね。「サンマのサンドイッチ」じゃないですよ。別の話です。
サンマの甘露煮は、妻が圧力鍋で作ってくれるもので、いわゆる「無限に」食べられます。それを弁当でも食べられるなんて!という上がり方ですね。ただ、このところ、サンマの不漁と高騰で、食べる機会がほとんどなくなっているのが残念です。
サンドイッチも、うれしいですね。私の母が「手間がかかる」と言ってあまり作ってくれなかったため、これまた、弁当で食べられるなんて!という感覚があるのかもしれません。ありがたいことに、妻はサンドイッチを作るのは面倒ではないらしく、手際よくサッと作ってくれます。

まとまりのない話になってしまいましたが、今回はこのへんで。

【写真】は先日名古屋で食べた「ひつまぶし」です。あまりに美味しかったためか、あるいは、もっと食べたかったのか、その夜、夢でも「ひつまぶし」を食べていました(笑)
うなぎは確実に気分が上がりますが、これまた高値でそうそう食べられるものではなくなってしまっています。

明日は、伊藤アナウンサーです。

学生時代のアルバイト

佐藤 拓雄

2023/05/29

結構いろいろなアルバイトをして、そのどれにも印象深い思い出がありますので、このお題は何回でも書けそうですが、今回は、高校生の時に、生まれて初めてしたアルバイト、引越し屋のことを書きます。

高校のクラスメートに誘われたのがきっかけで、なんとなく行ってみた初アルバイトでしたが、いきなり、お金を稼ぐことの厳しさを知りました。

どこの引越し業者もそうなのかちょっと分かりませんが、とにかくスピードと効率を求められました。それも生半可ではないのです。
基本的に、常にダッシュ。
最初に行ったのは、エレベーターのない集合住宅の5階か4階くらいのお宅。階段を、段ボールを持って駆け下り、リレー形式で次の人に手渡したら今度は猛スピードで駆け上がり、また段ボールを持って駆け下りる、という無限ループにも思える繰り返し。ちょっとゆっくりしていると「遅い!」と言われ、文字通り休む間もありません。
さらに衝撃だったのは、洗濯機は一人で運ぶもの、という暗黙のルール。ウソでしょ?と思いましたが、一人で持ち上げ、これまた階段を出せる限りのスピードで下りる。
とんでもない体力勝負です。
何だこれは?罰ゲームか?山岳部のトレーニングか?これで一日体力が持つのか?と頭がクラクラしました。
しかし、高校生の体力、若さとはたいしたもので、あっという間に慣れてしまい、小遣い稼ぎのためしばらく続けました。

引越し屋ならでは、と思ったのが、他人の生活空間に足を踏み入れ、その一端を垣間見るということ。100軒あれば100通りの生活があるのだなあと、世間というものを実感するような経験でもありました。

とにもかくにも、アルバイトは、学生にとっては社会を知る第一歩ですね。

【写真】は、先日の仙台駅東口の新緑です。風の心地よい日でした。
内容に関係する写真が何もありませんでした。アルバイトはもちろん、引っ越し屋とも何の関係もありません。あしからず。

続いては、伊藤瞳アナウンサーです。

旅あれこれ

佐藤 拓雄

2023/05/22

何度かこの「アナ・ログ」に書いていますが、出張の合間に、その土地土地の風物に触れるのがちょっとした楽しみです。特に、歴史に関わる事物に触れると、アドレナリンがぐわーっと出てくる感じがします。
仕事の出張を「旅」と言ってしまってよいのか、少々躊躇もありますが、広い意味での「旅」ということで、ご容赦ください。

【写真】は、そのひとつ、福岡の国指定史跡「元寇防塁」です。
福岡の系列局に向かう途中にあるという、実に都合がよい立地。
さらに、近くには「漢委奴国王」の金印を展示する博物館もあります。
時間があれば、欲張って両方見ておきたいところですが、大抵そこまでの時間は無いので、どちらかを見学し、アドレナリンを出して、仕事に向かう、という流れ(笑)
歴史発見の小さな旅は、私にとって脳の大切な栄養です。

さて、元寇防塁は、1274年、当時の「元」が博多湾に襲来した「文永の役」のあと、再び攻め込まれることに備え、鎌倉幕府が全長20kmに渡る石の砦を博多の海岸線に築いたもので、その一部が今も途切れ途切れに残っているのです。
その後、元の二度目の襲来「弘安の役」の際に、この防塁も効果を発揮して、元の上陸を防いだと、現地の説明書きにはあります。

歴史の勉強では、2回の元寇、「文永」と「弘安」どっちが先だったか、年号と名前、順番を間違えないように覚えた、という記憶のほうが大きいですが、この防塁を前にすると、その「元寇」が、教科書の中の話ではなく、本当にあった出来事として、俄然現実味を帯びて感じられました。

ところで、私が見たこの防塁は、地元の大学の敷地に隣接した場所で、すぐ背後には大学の建物がありました。
当時戦った御家人たちも、攻め込んできた元軍も、まさか1000年後そこに大学が建っているとは思いもしなかっただろうにと、くだらない考えも浮かんできましたが、この日も、史実を肌で感じ、大量のアドレナリンを脳内に巡らせながら、元気よく仕事に向かいました。

明日は、牧アナウンサーです。

お茶の話

佐藤 拓雄

2023/04/21

忘れもしない2018年の夏に、突如コーヒーを飲めなくなり、それから紅茶派に転じていました。
以前のお題「コーヒーの話」に書いたのですが、胃の調子が悪くなり、どういうわけかコーヒーを飲む気が全くなくなってしまったのです。
なんとなく、世の中では少数派のように思える紅茶派として、少し肩身が狭いような、どこか不自由なような、そんな毎日を送っていましたが、これまたどういうわけか、突如コーヒーを飲もうという気になり、今は、「コーヒー・紅茶・両方派」です。
「一日一杯のコーヒーが死亡リスクを下げる」というような新聞記事に触発されたということもありますが、またコーヒーを美味しいと感じるようになりました。

ところで、私は、紅茶というと、反射的に「ボストン茶会事件」という言葉が頭に浮かんでしまいます。
頭に浮かぶだけで、口に出したりはしないので、誰にも気づかれていないと思いますが、私の頭の中はそうなっているのです。くだらないですね。
しかも、頭に浮かぶのは言葉だけで、どういう歴史的出来事であったのか、教科書で習った程度の知識さえ思い出そうともしないのです。
ただ、「紅茶」→「ボストン茶会事件」という自動変換だけ。我ながら実に馬鹿馬鹿しい思考回路です。

今回こういうことを書くにあたって、そもそも何で、紅茶の茶葉を船から海に投げ捨てたことが「茶会」なんだろう?英語では「ボストン・ティーパーティー」だそうですが、茶会、ティーパーティーなんて開いていないではないか、と疑問・モヤモヤが。歴史の授業で教師は説明していたのかもしれませんが、そのへんの記憶は何もなく。

自然とネット検索してしまい、ああそういうことか、と理解しました。
諸説あるのかもしれませんが、ちょっとしたシャレなんですね。

モヤモヤもなくなったことですし、これからは、自動変換だけでなく、アメリカ独立戦争につながったという歴史的事実の重みを、頭の中に思い浮かべることにします(笑)

【写真】は、あの銘菓の限定チョコレート味。チョコ餡だけでなく、真ん中にチョコが入っていました。コーヒーにも紅茶にもよく合いました。


次は、寺田アナウンサーのお茶の話です。

子どものころに読んだ本

佐藤 拓雄

2023/04/12

幼いころから「本の虫」で、小学生の時は本を読むために早起きしていたような子どもでしたから、今回のお題は書けることがたくさんありますが、その中で、幼稚園児のころ繰り返し触れ、今も忘れられない絵本のことを書きます。

「うちゅうせんペペペペラン」・・・タイトルからして不思議です。

「ドレミファブック」という、レコード付きの絵本で、絵と文字に加え、朗読のレコードで物語を楽しむ、というシリーズ。そのなかの一つに入っていました。
シリーズ全体では、明るく分かりやすい、子ども向けの話がほとんどだったと記憶していますが、そのなかで、この「うちゅうせんペペペペラン」だけは、明らかに毛色が違い、異彩を放っていました。

「しろいひげのおじいさん」がどこからともなく現われ、子どもたちに「ペペペペラン」という名前の宇宙船の話をし始め・・・というお話。

なんとも不気味な話で、本当に怖かった・・・
謎の多いストーリー、抽象的な絵、レコードから流れてくる、おじいさんや語りの女性の声の気味の悪さ、そして、今でも歌える、不思議なメロディーの歌。
「きがふれた」という言葉に出会ったのもこの本が初めてでした。なんという恐ろしい言葉だろう、と思ったことを今も忘れられません。
宇宙あるいは暗闇というものへの言い知れぬ恐ろしさを感じたのも、この本がきっかけだったような気もします。

それなのに、怖いもの見たさなのか、何度も何度も、絵本を手に取り、レコードに耳を傾けてしまうのでした。
悪魔に魅入られたように、「魔力」のある作品、とでも言ったらよいでしょうか。あるいは、恐怖の虜になってしまった、と言えるかもしれません。

文字を目で追い、自分自身でイメージを作りながら読み進めていく「王道」の読書体験ではなく、レコードの音声にあわせて絵本に見入る、総合的な、五感で感じた読書体験だったから、いわく言い難い恐怖感など、感覚的な記憶として、私の中に強く残っているのかもしれません。

ネット検索してみたら、いくつも出てきました。
私のように怖い思いをした人もやはりいたようです。
さらには、いいのか悪いのか分かりませんが、レコード音声と絵本の動画もありました。
思わず再生してしまい、一気に幼児期に引き戻されました。
私の記憶と違っている所はほとんどなく、いい年をした今でも、やっぱりゾッとしてしまいました。(笑)

驚いたのは、「作・脚色 谷川俊太郎」「おじいさん 益田喜頓」。
そんな大物の方々の作品だったとは知りませんでした・・・

【写真】は内容と全く関係なく、近所の桜です。今年もきれいに咲き、きれいに撮影できたので。


明日は、この4月でアナウンサー2年目に入った、千坂紗雪アナウンサーです。

ホワイトデー

佐藤 拓雄

2023/03/22

毎年妻からはバレンタインデーにチョコレートをもらっているのに、いつの頃からか、ホワイトデーのお返しをしなくなってしまった私。
この場を借りて懺悔します。

ところで、この一年、毎日欠かさず読んでいた新聞の連載小説では、私と同世代の夫婦が描かれ、いつの頃からかずっと不機嫌な夫、妻はその夫に気を遣って明るく振舞うことに疲れ、とうとう離婚を切り出す、という展開。
思い当たる節があるわけではありませんが、私は大丈夫か?と、自分の身に置き換えて考えることしきりでした。
だからといって、ホワイトデーに何か贈ればいいというものでもないのでしょうから、せめて「不機嫌な夫」ではないように過ごしていきたいと思います。

少々言い訳をすれば、妻は私同様甘党なのですが、意外と細かい好みがあるので、贈り物が難しいのです。
・・・はい、ただの言い訳です。

今回はこれ以上書けませんでした。

【写真】意外と細かい好みの妻も大好きな、広島のバターケーキ。


明日は、西ノ入アナウンサーです。

東日本大震災12年

佐藤 拓雄

2023/03/13

【写真】は今年3月11日の仙台放送前です。
12年前のあの日、地震の後、大粒の雪が降り出しました。その中で、この仙台放送前の歩道を、それまで見たことがないほど多くの人が、おそらく家に向かってぞろぞろと歩いていた光景が忘れられません。

それから12年が経ちました。
去年も書きましたが、時間が経てば経った分、震災を経験していない世代が多くなります。

私たち仙台放送でも、震災後の入社が毎年少しずつ増えて、アナウンス部では、現在12人のうち7人が震災後の入社、という構成になりました。

震災後入社の世代が震災をどう伝えていくか、という課題は、同時に、震災を経験した私たちの世代が、どうやって次の世代につないでいくか、という課題でもあると思います。

そういうなかで、去年、今らしいやり方で、震災を伝える取り組みを行いました。
フジテレビ系列のアナウンサーの研修会で、オンラインによる被災地視察を行ったのです。

私たちフジ系列では、系列内でのアナウンサーの研修が盛んで、これは私が入社するずっと前から続く、すばらしい伝統です。
去年は、仙台放送が幹事社の当番でした。
以前ならば、全国のアナウンサーが宮城に集まって、というところですが、コロナ禍でそれが叶わず、オンラインでも中身の濃い研修をと、知恵を絞ってメニューを考えました。
アナウンスの技術的なことに関するメニューはもちろんですが、仙台放送が幹事で行うからには、震災のことは必ず入れたい。被災地の今、当事者の今を、全国の系列のアナウンサーたちに知ってもらいたい、という思いがありました。

コロナ禍以降、オンラインによる被災地視察の取り組みがどんどん進化していて、語り部の方々もかなり習熟してきているので、語り部の方さえ都合がつけば、オンラインでお話を聞くことは全く難しくないことは分かっていました。
そして、私たちの仕事はテレビ。映像を見て直感的に分かってもらうことを考えるのは本業です。
そこで考えたのは、事前に現地の語り部を撮影して、それを見てもらいつつ、リアルタイムで語り部の話を聞くというハイブリッド方式。現地の様子は、実際に一緒に見て回っているような、バーチャル的な感覚になれるよう、撮影の仕方を工夫しました。現地部分を事前に撮影したのは、当日の天候が読めないためと、回線の不具合のリスクもあるからです。

オンラインにしたことで、その時間だけ都合をつければ参加できるため、非常に多くのアナウンサーが参加でき、録画をアーカイブにすることで、その時間参加できなかった人が後から見られるようにもできました。
また、たまたま当日は宮城県内が猛暑日で、現地を訪れていたら暑さはかなり厄介だったと思われ、これもオンラインの思わぬメリットでした。

「ある意味、実際に訪れる以上のものがあったと思う」と言ってくれたアナウンサーもいて、大きな手応えを感じる研修となりました。

もちろん、実際に現地を訪れて、その空気を肌で感じることも大切ですが、時間や物理的な距離を一気に縮めるオンラインは、震災を伝えることに、全く新たな可能性を広げたと思っています。

テレビの放送を通じて震災を伝え続けていくことは、私たちの主たる手段であることに変わりありませんが、技術の進歩や社会の変化に合わせ、様々なツールを柔軟に駆使していくこと。できることはまだまだあると改めて思っています。

明日は、梅島三環子アナウンサーです。

チョコレート

佐藤 拓雄

2023/02/08

きょうから新しいお題「チョコレート」です。
言わずもがな、バレンタインデーが近いということで、このお題です。
最近のバレンタインデー事情は正直よく分かりませんが、それでも、私が小中高校生くらいの頃とは随分違っているのだろうな、ということくらいは感じます。

さて、そんなオジさんのバレンタイン話ではなく、お題通り「チョコレート」の話を。

私は甘党で、もちろんチョコレートも大好きです。
これまでそれなりに色々なチョコレートやチョコレート菓子を食べてきましたが、とても好きなものの一つが、【写真】のチョコレートがコーティングされた「柿の種」。新潟銘菓です。先日、新潟への出張があり、買ってくることができました。

チョコの甘さと柿の種のしょっぱさが絶妙。
バリエーションが多いのも特徴で、濃い茶色は普通のチョコレート、薄い茶色はカフェオレ味。緑色は何だかわかりますか?
なんと新潟名物の「笹団子」味!
食べてみると、笹の香りがして、本当に笹団子の風味です。本当の笹団子も大好物ですが、この笹団子味もなかなかイケます。
他にも、ホワイト、いちご、きなこと、6種類。全て買ってしまいました。

このチョコレート柿の種、数年前に新潟へ出張した時には、お土産売り場を探しても全く売っていませんでした。
店の人に聞いてみると、冬限定なのだそうです。溶けるからなんでしょうか?
でも、夏場に売らないチョコレート菓子、というのも今はそうないような気がして、かえって私の中での希少価値が上がってしまい、真冬の今回は絶対買おうと決めていました。
(そこまで意気込む話でもないのですが(笑))
今回、新潟でテレビを見ていたら「○○(商品名)の季節がやって来ました」というコマーシャルが流れ、ああ、やはり「旬のもの」なのか、と妙に納得。

ただ、この商品、後で調べたら、ネット通販でも買えるようです。
それと、アナウンス部の皆にも食べてもらおうと、小分けパックのものを買ってきたのですが、一袋あたりの量があまりに少なくて申し訳なかった、というオチが2つつきました。


明日は、牧アナウンサーのチョコレート話です。

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