アナ・ログ

文系?理系?

佐藤 拓雄

2024/08/22

昨今の文系学問軽視の風潮を、よくないことだなあと思って見ています。

学問を「役に立つか・立たないか」、とりわけ、経済的に役に立つかどうか、という物差しで見れば、文系の学問は「役に立たない」というものが多いのかもしれません。
特に、私が専攻した文学は、その代表格と言われてしまうかもしれません。

でもそれでいいのでしょうか。
いいわけない、と思っているからこう言っているわけですが(笑)

私は、文学というのは、ひと言でいえば、「人間とは何か」ということを追求する学問だと思っています。(果たして学問的にそれで合っているのかは、自信ありませんが。)

そして、人間というものは、複雑で、多様で、割り切れないものである、だから、世界も同様で、多様で複雑で割り切れない、そこに行き着きます。
そういうことを研究する学問が、すぐに「経済的に」役立つかと言ったら、多分そんなわけはない。
ですが、そうやって「人間とは何か」を追求する学問は、無駄なのでしょうか。

さらに言えば、「人間とは何か」を追求していくのは、人類の永遠のテーマであり、理系つまり自然科学だって、結局、私たち人間とは何だ、そして、その人間の生きているこの世界とは何だ、ということを追求する学問です。
「文系」「理系」などと分けてみたところで、それは結局アプローチの違いに過ぎませんし、学問に、経済的有用性という尺度を軽々に持ち込むこと自体が、ナンセンスで、危ない考えだと私は思います。
人間が人間である以上、知的欲求に従って真理を追究していく行為に、無駄とか、役に立たないという概念は存在しないのではないでしょうか。

私は、音楽大学に進むのを諦めて、改めて進学する学部を決めた時、「大学の4年間くらい、すぐに役に立たないような勉強をしよう」と思い、文学部にしました。
若さゆえの、あまりに直感的な選択で恥ずかしいですが、当時、文系の中でも「経済学部は就職に有利だ、文学部は就職に不利だ」というような風潮があり、そういうものへの反発心、長いものに巻かれたくない!という、これまた若さゆえの反抗心もありました。
大学は就職の予備校じゃない!就職なんて考えて学部を決めない!大学でしかできないことをやらないでどうする!と、随分とんがっていたとも言えますが(苦笑)、
一方で、自分の中では意外と筋の通ったことを考えていたのかも?30年以上前の自分も悪くないね、なんて今さら思ったりして。

「すぐに役に立つものは、すぐに役に立たなくなる」という言葉もあります。

すぐに役に立つものも必要ですし、その恩恵に預かって暮らしていますが、世の中、そんな尺度だけじゃないよね、ということは、文学を学んだ者として、大切にしていきたいと思っています。

【写真】先日、「仙台放送Live Newsイット!」のコメンテーターでもある、漫画家・井上きみどりさんと夫の版画家・平垣内きよしさんの夫婦展を見てきました。「同じ場所で同じものを見て、描写しても漫画家と版画家では同じにならない」。言われてみればその通りですが、とても興味深かったです。
自分の見えている世界だけが世界ではない、ということですね。
今回の話にも通じるものがあると思っています。


明日は、千坂アナウンサーです。

元気の源

佐藤 拓雄

2024/07/30

今日から新しいお題、「元気の源」です。
仙台放送では、今週末8月3日・4日と「仙台放送Presentsみやぎ元気まつり2024」を開催します。それにちなんでのお題です。

さて、【写真】ですが、「スティックのり」ではありません。
分かる人は分かると思いますが、羊羹です。
爪楊枝やフォークも不要で、手がベトベトすることもなく、食べやすい。
系列局からのお土産としていただいたもので、ちょっとデスクの引き出しに入れて取っておき、デスクワークで、脳の糖分が激減する時間帯に、満を持して食しました。
糖分が補給され、頭の中身を立て直すことができました。おかしいですか???

子どもの頃から、というか、物心つく前から甘いものが好き、特にあんこが好きで、離乳食を終わってすぐの1歳頃には、あんまんを一つ食べていたとか、幼稚園児時代は大きな葬式まんじゅうを一人で食べてしまったとか、親から聞かされた「あんこエピソード」も数多く、あんこ以外の甘いものエピソードも、語り出したかきりがありません。

なぜ好きなのか、と聞かれても、物心つく前からなのだから分かりませんし、本能的に好きなのでしょう。
そういう意味では、私にとって、あんこをはじめとする甘い食べ物は、「元気の源」という表現を超えた、「命の源」と言えます(笑)

あの羊羹また食べたいなあと思って、ネット検索したら、それではなく、「スポーツようかん」というものが出てきました。「持久力が必要なシーンで、必要なエネルギーを・・・」という謳い文句。
羊羹が「命の源」になっているのは、私だけじゃないんですね!と強く共感しました(笑)

明日は、千坂アナウンサーです。

ヨーロッパといえば

佐藤 拓雄

2024/07/24

ヨーロッパ留学が夢でした。

大学では、国文学専攻、英語は受験英語程度、フランス語とドイツ語は第二外国語で触れただけ、という私のどこがヨーロッパ留学?ですが、夢見ていたのは、大学に入る前のことです。

このアナ・ログにも何度か書いていますが、音楽大学を真剣に目指していました。
夢破れ、今があるわけですが、その当時、私が師事していた先生が、日本の音楽大学から、ドイツへ留学し、そのままドイツの一流オーケストラの首席奏者にまでなった人で、要するに、その先生の通った道をそのまま自分もなぞるように歩きたい、という強い憧れがあったのです。
さらに、当時の私のバイブルの一つ、小澤征爾さんの「ボクの音楽武者修行」も、ヨーロッパ留学への憧れの念を強くしました。小澤征爾さんのように、スクーターで単身・・・などという勇気はとてもありませんでしたが、そういう「大海に飛び出したい」という気持ちを持って、毎日悩みながらも練習を続けていました。

それから数十年。皮肉なことに、夢は夢のまま、留学どころか、いまだに旅行でさえ行ったことがなく、ヨーロッパとは全く無縁の人生です。

【写真】テーマに合うものがなかったので・・・
「ヨーロッパ」帰りのパティシエのご実家という、県南の和菓子店のモナカ。バターが入っています。
県南のコンビニで偶然発見!こんなところで出会えるとは!
パティシエご自身の、並ばないと買えない有名なモナカと同じだと私は感じました。絶品です!

明日は、梅島さんの「ヨーロッパといえば」です。

夏が始まった

佐藤 拓雄

2024/07/09

高校野球宮城大会が始まりましたね。
まさに「夏が始まった」という気持ちになります。それと同時に、3年生は「最後の夏」、そして「夏の終わり」に向かう大会でもあり、それが夏の高校野球の切なさであり、良さだといつも感じます。

ところで、夏を前に、先日、我が家ではエアコン掃除を行いました。
買ってからずいぶん経つエアコン2台を、業者に頼んで掃除してもらったのですが・・・

【写真】は、掃除をして出てきた水。
真っ黒ですが、これが内部のカビとのこと。このままエアコンを運転していたらと思うと、ゾッとします。

対応した妻が業者から聞いたところによると、冷房で内部が結露し、それがカビの原因になるのだということです。
対策としては、冷房を使った後に、10分くらい暖房を入れると内部が乾燥してよい、ということですが、真夏に冷房を入れた後、どのタイミングで暖房を入れられるのか?私には今のところ想像ができていません。
やはり餅は餅屋、定期的に業者に掃除してもらった方がいいのだろうなあと思っています。

ちなみに、掃除してもらったエアコンは、本体カバーの内側もカビで真っ黒だったそうですが(恐ろしい)、これも全てきれいに取り除いてもらいました。

エアコン掃除を終えた直後から「夏が始まった」ような気温になり、ギリギリ間に合いました。


明日は、堤アナウンサーです。

憧れます

佐藤 拓雄

2024/06/19

漫画家、小説家、脚本家。
フィクションの物語を創り出す人に憧れます。

小学生の頃、漫画好きが高じて、漫画雑誌の「漫画賞」に応募しようと思ったことがあります。
インクをつけながら描くタイプのペンを買って、色々な漫画を模写したり、好きな漫画家の画風に似せたイラストを描いたりしてみましたが・・・
絵はまだしも、肝心のストーリーが全く思いつかない!
漫画賞応募はそれで断念しました。

大学生の頃は、ドラマ好きが高じて、脚本家に憧れ、シナリオの専門誌やシナリオ本を買ったりして、かなり読みましたが・・・
これまた、肝心のストーリーが思いつかない!!

幼い頃から、本はたくさん読んできましたし、ドラマもどれだけ見たか分かりませんが、それでも、ストーリーが出てこない、というのは、これは決定的に才能がないのでしょうね。

それならば、ドラマの演出家かプロデューサーだ!と熱い思いだけで、ドラマ制作をしているテレビ局の採用試験に応募しましたが、すべて敗退。
皮肉なもので、アナウンサー、しかも報道がほとんどという、フィクションと正反対の「事実」を伝える仕事に就いています。

それでも、フィクション、物語は、私の心の栄養で、ドラマを見たり小説を読んだりしないでいると、心が枯れていく感じがするのです。

つまるところ、私は、あくまで物語の「受け手」でしかあり得ない、ということなのですが、それだけに、心動かされる物語を紡ぐ人たちは、やはり私の永遠の憧れです。

【写真】先日、出張で名古屋へ行ったら、ノーベル物理学賞の天野浩博士の手形碑に遭遇しました。天野博士は名古屋大学だからですね。それにしても、え?なんでここに?という場所で、「遭遇した」という感覚なのです。
私にとって、ノーベル賞は、あまりにリアリティがなく、憧れすら抱いたことがありません。

次は、高橋咲良アナウンサーです。

雨の日どう過ごす?

佐藤 拓雄

2024/06/05

雨の日は好きではありません。
薄暗くて気分が上がりませんし、外に出れば傘を差したって濡れますし。
例えば、晴耕雨読。そんな過ごし方ができたらいいものですが、サラリーマンには土台無理な話です。
晴れていようが、雨が降ろうが、仕事に行かなければなりません。
ですから、現実としては、「雨の日どう過ごす?」ではなく、「雨の日どうやり過ごす?」ですね。
傘の分、持つ物が増えるので、雨の日はなるべく荷物を少なくしたいのですが、元々荷物が減らない私が、そんな都合のいいことができるわけもなく、「やり過ごす」方法さえいまだ見つかっていません。

そう言えば、数年前、久しぶりに傘を新しくしたら、不思議とその傘を持って出かけると雨に降られない、ということがありました。
新品の傘が、いつまでも新品のままで、これは持っているだけで雨を避けられる魔法の傘か?と思いましたが、さすがにその「魔法」が通用したのは、2カ月くらいでした。それでも、その間雨降りの日はあったのに、私自身が2カ月雨に降られなかった、というのはすごいと思いませんか?
自分だけ雨に降られない、そんなひみつ道具はないかな。ド○○もーーーん!

【写真】は、先日遭遇した「ブルーモーメント」。雨の日は見ることができません。

明日は、西ノ入アナウンサーです。

言葉にまつわる話

佐藤 拓雄

2024/05/17

かれこれ30年くらい感じていることですが、おかしな敬語が気持ち悪い。

その代表格が、「ビール飲まれますか?」

先輩や目上の人にお酒をすすめる時に、かなり多用されていると思うのですが、気持ち悪くないですか?

ビール飲みますよ、だけど、飲まれませんよ、とおじさんの屁理屈を言いたくなってしまいます。
「酒は飲んでも飲まれるな」と言うではありませんか。
・・・やはり屁理屈ですかね。

いや、でも。「飲む」の敬語が「飲まれる」なのは、やっぱり気持ち悪い。
「飲む、食べる」の敬語は、「召し上がる」でしょう。あるいは、「お飲みになる」。

確かに「れる・られる」には、「尊敬」の意味もありますが、「受け身」「可能」「自発」もあるわけで、だからこそ、「飲まれる」なんて言われると、私は「酒は飲んでも飲まれるな」に感じてしまうのです。
「食べる」→「食べられますか」で考えてみたらなおのこと、「可能」か「受け身」に感じませんか?
文脈で分かるだろう、と言えばそうかもしれませんが、紛らわしいからこそ、別の言葉「召し上がる」があるのだろうとも思います。

「ビール飲まれますか」には、そういう言葉を使わず、マニュアル的にパターン化して「れる・られる」をつければ敬語になる、というような安直な考えが透けて見える気がして、嫌だなあ、と思うのですが・・・
挙句、こういうことを正面から言うと、「〇〇ハラ」と言われてしまうのでしょうか。


【写真】内容とは全く関係ありませんが、仙台放送局舎前の新緑です。実に清々しい。


次回は、西ノ入アナウンサーです。

昭和

佐藤 拓雄

2024/05/09

いわゆる「昭和ひとケタ」生まれの私の父が、90歳を迎え、先日家族全員で「卒寿」を祝いました。
私を含め父の息子3人とその家族、つまりは皆、父の作った家族です。
全員集合したのは、いつ以来か分からないくらい久しぶりで、父も終始嬉しそうでした。
父が健康で、その卒寿を祝えるということ自体、ありがたい、幸せなことだとしみじみ思います。

身内自慢になってしまいますが、父は、おそらく平均的な90歳と比べて、はるかに元気で、漠然とイメージする「90歳の人」とは、よい意味で程遠いです。
母が亡くなり、独り暮らしになってから十数年経ちますが、ずっと三食自炊し、適度なウォーキングをし、日々俳句を作って、心身ともに健康を保っています。
お酒も相変わらず飲めますし、近所に住んでいるので、一緒に飲めるのは、私にとっても幸せなことです。
好奇心も衰え知らずで、お菓子をはじめ新しい料理に次々と挑戦したり、パソコン、スマホを使いこなして、自身の一句に写真と雑感を添えたハガキ通信を作ったり。
タブレットで動画を楽しむのも日課になっているようで、少し前ですが、反田恭平が2位に入ったショパン国際コンクールの生配信も全て見たとか。(その流れで、去年は2人で反田恭平のリサイタルに行きました。)

自分がこういう年の取り方をできるか、全く自信がありませんが、父には、尊敬の念ばかり。
そして、「健康寿命」を保って、いつまでも元気でいてほしいと、心から願っています。

父が、卒寿祝いのお返しにと用意してくれていたのが、【写真】のバウムクーヘン。自身の90年の「年輪」になぞらえたものだそうです。
父の「年輪」を思いながら、美味しくいただきました。
・・・あ、これは父の手作りではありません(笑)


明日は、西ノ入アナウンサーです。

春と言えば!

佐藤 拓雄

2024/04/24

先日、春らしい「桜あん」のだんごを食べました【写真】
甘いものは何でも好きな私ですが、桜餅とか「桜なんとか」の和菓子もとても好きです。やはり、花より団子ですね。
ちなみに、桜餅の桜の葉は、「剥がす」派です。うまく葉を剥がせたかどうかで、テンションが上下しますが、意外と剥がすのが上手いと自分では思っています。

さて、お題は「春と言えば」ですが、私が思い浮かんだのは、ある映画でした。
タイトルは、「(ハル)」。
「春」ではないですし、季節の「春」という意味でもないのですが・・・

森田芳光監督、深津絵里・内野聖陽主演、1996年の作品です。
パソコン通信をモチーフにした物語で、パソコン通信のやり取りの文字をそのまま画面に使う演出が、当時としてはとても斬新でした。
・・・ここで、そもそもパソコン通信って何?という方もいるかもしれませんが、今のSNSの原型みたいなもの、と言ったらいいでしょうか。スマホの無い時代の話です。

それはともかく、今でこそ、LINEのやり取りなどがそのまま画面に出てくるような演出の映画・ドラマは珍しくありませんが、1996年当時、この映画は大胆で実験的だったと思います。
当時の評判や、興行的にどれほどだったのかはよく分かりませんが、そういう目新しさだけでなく、人の心情を丁寧に繊細に描いていて、心に残る佳作だと思っています。
本筋とはあまり関係ない所では、東北新幹線が舞台の一つになっているのも、ちょっとうれしいポイントでした。

どうにも「春」の話には持って行けませんでした。
すみませんが、今日はこのへんで。

明日は、西ノ入アナウンサーです。

新年度 2024

佐藤 拓雄

2024/04/08

【写真】新年度早々、仙台放送にやって来たお客様。「仙台弁こけし」です。公式プロフィールによると「いぎなし(とても)なまってる宮城のご当地キャラクター」。
その通り、絶妙な仙台弁と愛らしい姿で、ニュースセンター中を、「いぎなし」笑顔にしていきました。
あ!私、サンダル履きでした!すみません(苦笑)

さて、本題。
長女がこの春大学を卒業し、この新年度から社会人になりました。
子どもの経済的自立が、子育ての一つのゴール、と考えると、ともあれ長女に関しては、子育て「卒業」と言えそうで、感慨深いものがあります。
しかし、我が家は、次男がまだ中学生、長男も自身の目標に向かって学生の身を続けているので、私の子育てのゴールはまだ先です。

この新年度は、私自身の立場にも変化がありました。
4月1日から、報道部との兼務になり、アナウンサーではありつつ、報道部でニュースのデスクの仕事もしています。
私はこれまで、アナウンサーとしての仕事内容は、報道が大半でしたので、報道は自分の「ホーム」の一つという感覚もありますが、これまでとは違う形でも報道に携わっていくことになります。

それに伴い、アナウンス部長は、金澤聡アナウンサーに変わりました。

私は、アナウンス部長を2017年3月から丸7年務めましたが、文字通りあっという間の出来事で、いつの間にそんな時間が経ってしまったのか、というくらい、7年もやっていた感覚が全くありません。40代だった自分が、7年経って50代半ば。光陰矢の如しです。怖い怖い。
今後も、後輩アナウンサーの指導・育成には、変わらず関わっていきますし、私の部長時代に採用・入社してきた若手アナウンサーたちは、いつまでも自分の子どもたちのような気持ちですので、変わらず見守っていきます。
今年度は、新人アナウンサーの入社はありませんが、若手アナウンサーをはじめ、仙台放送アナウンス部を、引き続きどうぞよろしくお願いします。

続いては、西ノ入アナウンサーです。

次へ ≫