アナ・ログ

バーゲンセール

佐藤 拓雄

2011/01/17

写真の人混みは、バーゲンセールの長蛇の列・・・ではもちろんなく、元日に訪れた某神社の初詣です。毎年のことながら、混雑はバーゲンセールさながらです。・・・と無理やりこじつけてみました。

さて、本題。
中学生くらいまでは、バーゲンというのはオバちゃんのものだと思っていました。
制服のない高校に入り、自分の洋服についてあれこれ意識するようになって、バーゲンはオバちゃんだけのものじゃないと知りました。
当時は「DCブランド」(古い!)全盛期。ブランド服のバーゲンも一種のイベントのようなものすごい盛り上がりを見せていました。
インターネットも携帯もない時代です。雑誌「POPEYE」や「ホットドッグプレス」の「バーゲン特集」を頼りに、なけなしの小遣いを持って原宿あたりをうろついたものです。高いブランド服のバーゲンは、高校生の僕にとっては、宝の山のように思えましたが、思い出すのは、すごい混雑で、店内のBGMが大音量で、いっぱい歩いてものすごく疲れて、というようなことばかりで、何を買ったのかは、全然覚えていません。
今となっては、すべてが笑い話のような、20年以上前のお話です。

それから、仙台の初売りもバーゲンの一種だと思うのですが、これにはちょっと苦い思い出が。
7~8年前だったと思いますが、家電量販店の初売りに出向きました。特に買いたいものがあったわけではないのですが、何か掘り出し物はないかと、朝から並んだものの、「限定5台」とかそういうのを買えるほど行列の前の方にいたわけでもなく、結局何も買わずに帰ろうとしたら、大きな立体の駐車場がとんでもない渋滞で車が全く動かない。渋滞の車の列に入ることすらできないような状況で、とうとう諦めてバスで家に帰り、夕方、別の用事で街中へ行った妻に出してきてもらいました。何の収穫もないどころか、駐車場代だけかかった、というお話。

なんだかそれ以来、バーゲンや初売りが面倒くさくなってしまったのは、否定できません。
それに、バーゲンに出向いて混雑に巻き込まれるより、ネットで買った方が、楽でしかも安かったりしますしね・・・

次は、梅島アナウンサーのバーゲン話です。

2011 卯

佐藤 拓雄

2010/12/20

先日、東京へ行ったら、フジテレビ前に、あの「めちゃイケ フェニックス」が展示されていました。「めちゃイケ」好きの長男・長女は大喜びで写真を撮っていました。ついでに僕も一枚(笑)という写真です。

その「めちゃイケ」大好きの長男は、先日、少年野球の試合が全て終わり、いよいよ卒部までカウントダウンになってきました。長男にとって、2011年は中学生になる年、このところ、話の端々からも、気持ちが中学校へ向いているのが分かります。

そして、僕はというと、長男の入部以来4年間、できる限り、毎週の練習と試合に参加し、車を運転し、練習を手伝い、試合の審判までやってきました。僕にとっても生活の一部と言っていいほど大きなウエイトを占めていた少年野球ですが、2011年は、父親も卒部です。父親は中学生になれるわけでもなく、少年野球ほどのサポートも必要ないようで、丸一日野球という日がほとんどだった今までとくらべ、土日の過ごし方が今までと大きく変わり、逆に、長女や次男と過ごす時間が多くなりそうで、それはそれで楽しみでもあります。
次男と遊ぶ時間ができるのか、長女の送迎なのか、時にはやっぱり中学校の野球を応援に行くのか、今はまったく想像がつかない2011年の新たな土日の生活ですが、いずれにしても、夫婦二人で・・・なんていうことは、まずないと思われ、相変わらず子ども中心に回る自分の生活ではあります。

次は、早坂アナウンサーです。先日は本を貸してくれてありがとうございました。

今年中にやっておきたいこと

佐藤 拓雄

2010/12/15

またまたテーマと関係ありませんが、先日某所で食べた天丼です。
ふたを持ち上げているのではありません。大量の天ぷらが豪快に盛られていて、ふたが閉まらないのです!お腹も舌も大満足でした。
そういえば、大学生の頃は、こうした、今で言う「メガ盛り」の店を友人と探してあちこち食べにいったなあ・・・

さて、本題です。
今年は、仕事の上では、復帰が最大の目標でしたので、それは達成できてよかったですが、今年中にやっておきたいこと、と改めて考えると、なかなか思いつきません。
やり残したことが多いということかもしれませんし、その日暮らしばかりしているという証拠かもしれません。それに、恥ずかしい話ですが、年齢とともに、劇的な変化というものが年々減ってきて、今年でも来年でも同じこと、っていうことがいつのまにか増えてきた気がして、それゆえ、ということかもしれません。

ただ、子どもたちを基準に考えてみると、去年生まれた次男が今はあちこち走り回っているし、長女は10歳になってなんだか10代の女の子っぽい洒落っ気が出てきているし、長男は来年中学生で最近オヤジを煙たがる場面もでてきたし、もう日々これ成長、同じ一年は二度とないんだなあと思い知らされます。
さらに、ふと計算してみると、長男の場合、例えば18歳で家を出るとすると、あとたった6年!この間生まれたばかりのような気がしていたのに、長男といっしょに暮らす年月の実に3分の2が終わってしまっていることに、愕然として、同時になんともさびしくなったりします。
子どもは親のもとを離れて当然。
自分自身も20歳で親元を離れて、それ以来一度もいっしょに暮らしたことはありませんし、今のところそういう予定もありません。
そうは言っても自分の子どもとなると・・・というところで、つくづく、同じ自分でも、子である自分の気持ちと、親である自分の気持ちは、全く別のものだと感じます。

ともかく、そんなわけで、その二度とない彼らの「今」をしっかり目に焼き付けておくこと、それが、「今年中」というより、彼らが親のもとから巣立っていくまでの間ずっと、「やっておきたいこと」です。

次回からは、新テーマになります。

あったかエピソード

佐藤 拓雄

2010/11/04

写真は、最近のお気に入りと言うか、これからの時期、デスク回りの必須アイテムになりつつあるアイテム。ウイルスやアレル物質をやっつけてくれる、「プ○ズマク○スター」モバイルです。充電タイプで、持ち運びもできるので、発声練習などでブースにこもるときはもちろん持っていきます。
「あったか」とは何の関係もありませんね。はい。失礼しました。

さて、「アイテム」「あったか」で、話を強引に持っていきますが、いろいろある冬の「あったかアイテム」。なかでも、子どもの頃よくお世話になった、湯たんぽにまつわるお話でも。

中学校3年生のときのことです。

朝起きて、右足のすねの横あたりがなんとなくかゆいな、と思いながら学校で一日を過ごし、家に帰って靴下を脱いでみてびっくり。3センチほどの細長い水ぶくれができているではありませんか。どうやら前の晩布団に入れていた湯たんぽによる低温ヤケドのようです。
医者に行くと、「治るのに結構時間かかりますよ」とのこと。高温のもので一瞬にしてできたヤケドと違い、低温ヤケドは、言うなれば「じっくり」時間をかけて焼けてしまっているので、その分、深いところまでヤケドしているため、見た目よりも重症で、治るのに時間がかかる、ということでした。

それから毎日、消毒とガーゼの交換で病院通いとなりました。高校受験を目前に控えるなかで、連日歩いての病院通い。寒い中でのトホホな気持ちは、今でも記憶に残っていますが、もう少し引いて考えてみると、ちょうどいい気分転換と運動になったかもしれないですね。

ちなみに、実際、いつ治ったのかははっきり覚えていませんが、数ヶ月を要したのは間違いありません。医者の言うとおりでした。

「あったかエピソード」が「あっちっちエピソード」になってしまいましたが、皆様もこれからの季節、お気をつけください(笑)

次は梅島アナウンサーです。

耳に残るあの音

佐藤 拓雄

2010/10/25

家庭の事情で長い間仕事を休ませていただいていましたが、おかげさまで今月から復帰いたしました。またどうぞよろしくお願いいたします。

自分にとって、一番耳に残る音、というよりずっと耳に残しておきたい音、それは、自分の子どもたちの声です。
生まれたばかりの頃の泣き声に始まり、意味不明な喃語、話し始めの片言の言葉、そして、どんどん成長して大人びた口を利くようになっても、その全てを記憶しておきたい、というのが親としての自分の心情です。実際、今も耳に残って離れないあのときのあの一言、あるいは、ああいうしゃべり方してたよなあ、という心満たされる印象的な「声の記憶」がいくつもあります。
ところが、人間の記憶など頼りにならないもので、残念ながらそうした全てを覚えているかというと、次々に忘れてしまっているのが現実で・・・
そこでありがたいのが、ビデオです。ビデオのいいところは、何と言っても音が残っていること。
我が家では、毎年、子どもたちのそれぞれの誕生日に、生まれた日から始まって、1歳2歳3歳・・・と、毎年の誕生日に撮ったビデオ映像を見返しているのですが、はっきり覚えていると思っていても、この頃こんな声だったっけとか、こんなこと言ってたっけとか、いい加減な記憶を改めて確かめることができたり、それによって記憶自体が補完されて修正されたりします。
今回のテーマは、「耳に残るあの音」ですが、耳に残りきらない音まで記録媒体に残しておくのもいいものだ、やはりビデオはちょこちょこ撮っておくべきだなあ、といつも思っています。

次回からは新テーマです。

学問の秋

佐藤 拓雄

2009/11/11

僕の卒業した大学の専攻は、大学院進学率が高く、学部の3年4年より、大学院生のほうが圧倒的に多いほどでした。
そんなわけで、大学院生というものを常に身近に感じて過ごしていて、漠然と「カッコいいなあ」という気持ちを持っていました。

何がカッコいいのか。
やはり、専門の研究に没頭しているところでしょうね。実際は「没頭」していない人も多かったのかもしれませんが、青い青い学部生からすれば、研究発表をしたり、論文を書いたりしているのをみて、自分もいつかああなりたいなあ、とワケもなく思ったりしたものです。
言い換えれば、専門を究めるカッコよさでしょうか。
また、大学院生の多くは、高校などの非常勤講師をして学費を稼いでいて、それもまたワケもなく憧れました。

そんななかでも、これはすごい!さすが大学院生!と、驚き、うらやましく思ったのが、ある先輩の「書庫」でした。
驚くなかれ、アパートの隣り合う部屋同士を2部屋借りて、片方を「書庫」というか「書斎」というか、本だらけにして使っていたのです。
一度、片づけを手伝ってくれと言われて訪れたのですが、書物の量もハンパじゃない。床が抜けるんじゃないか、というほどの学術・研究書が、図書館とかにあるようなスチールのラックにきれいに整理して置いてあるのです。うーん。これぞ研究者。すげえなあ。カッコいいなあ。と大学生の拓雄青年は思ったわけです。

それから十年近く後、今度は、妻の実家を訪れて、またおったまげました。
自宅に「ミニ図書館か!」と思わせるくらいの書庫が。
妻の父は、元大学の先生。大学院生のさらに上を行く、本物の研究者です。理科系の研究者なので、書物の内容は正直よく分かりませんでしたが、当然、先輩の家どころじゃない量。
それが、これまた整然と、スチールのラックに並んでいるのです。自宅に居ながらにして、大学の研究室状態。
研究者の自宅ってみんなこうなのか?ホントに大変なものだなあと、驚き、同時にうらやましく思いました。

自宅に専門書を並べて、昼夜分かたず論文執筆にあたる、というような、僕にとっては夢のような生活。
僕の場合、局アナというサラリーマンの道を選んだ時点で、まさに夢のまま終わってしまいましたが、いまだに憧れの念を抱き続けています。

明日からは、「秋」シリーズ最終章、「芸術の秋」です。

読書の秋 その2

佐藤 拓雄

2009/10/22

すみません。写真は、「スポーツの秋」でした。
クライマックスシリーズ第1ステージ、チケットが手に入り、長男と観てきました!
僕はスーパーニュースの後かけつけましたが、長男は、絶対最初から観たい!と、しばらく一人で観戦。そんな頼もしくなった長男に撮ってもらった1枚です。

さて、その小学5年生の長男は、歴史にとても興味があります。
そんな長男にぴったりの本が刊行されました。朝日新聞の発行する「週刊マンガ日本史」。毎週1冊、全50冊シリーズで次々に届く予定です。
僕も小さい頃から、歴史には大いに興味があるので、毎号、長男が読んだ後に借りて読むことにしました。

第1号は、「卑弥呼」。
いやー、面白かった。

長男も、邪馬台国の謎に興味津々です。
彼なりに、書かれた内容をよく理解していて、「邪馬台国はどこにあったんだろうねえ。パパはどこだと思う?」なんてことを言ってきます。

そこでふと思い出したのが、20歳くらいの頃に読んだ、邪馬台国に関する本。小中学生向けに書かれた本なのですが、実にわくわくする内容でした。

なぜその本を読んだのかというと、高校時代の友人(同級生)が書いたものだから。
当時大学生でそんな本を書けるほど、歴史に造詣が深い男だとは思っていなかったので、それにもびっくりしましたが、内容の濃さにもびっくりした記憶があります。
いわゆる「遷都説」をベースに書かれていて、本当に面白い本でした。

せっかくだから、その本を長男に読ませたいと思ったのですが、物置の奥にしまってあり、取り出すのは、相当な決意と時間が必要です。
新たに手に入れようにも、インターネットで調べたら、すでに廃刊になっているようでした。
でも、タイミングはまさに今。休みの日にでも、ちょっとがんばって、物置奥から「発掘」しようかな、と思っています。

ちなみに、著者である友人とは、しばらく連絡を取っていませんが、どうやら東北地方の大学で教鞭を執っているようです。どこかでご縁があるかな。

続いては、原アナウンサーです。

食欲の秋 その2

佐藤 拓雄

2009/09/29

食欲の秋です!
そんなわけで、今回は、各アナウンサーの「食欲」話です。2年前にも「食欲の秋」でやりましたので、「その2」です。

さて、皆さんは、料理の「キモ」は何だとお考えですか?
味?素材?腕?愛情?
育休を機に、少しばかり料理というものをするようになり、そのなかで、改めて僕が思ったのは、「料理は見た目」。食事を作るときは、目で見て美味しそうと思える料理を作るように心がけています。

なぜか。
見た目が美味しそうだと、食べたくなります。逆にいくら味がよくても、見た目がよくないと、食べる気が少し減りませんか?
最初に入るのは、目からの情報。視覚効果ってかなり大事だと思うのです。特に子どもの場合、「わあ、おいしそう!」が食欲に直結するような気がします。やっぱり、せっかく作った料理、喜んで食べてほしいですからね。だから、「料理は見た目」。

この考え、実は、予備校生時代にまでさかのぼります。
当時、某ファミリーレストランの厨房でアルバイトをしていました。そのとき、上の人たちから繰り返し言われたのが、「きれいな料理」を作ること。

ハンバーグやグラタンは焦げ目に注意。
添える野菜を丁寧にきれいに盛り付ける。
目玉焼きは黄身がど真ん中にないといけません。
パスタは具がきちんと見えるように盛る。
どの料理もお皿の端にソースなどがたれていてはいけません。
などなど、とにかく、きれいに、きれいに作ること。というのも、ファミリーレストランの場合、誰が作っても味は同じになるようになっていますから、特に「見た目」が大切。メニューの写真にあるとおりの「見た目」、お客さんが写真を見て「おいしそう!」と思った、そのイメージを、見た目の悪い料理で、裏切ってはいけないのです。

話は戻って、自分の料理。
家族に「わあ、おいしそう!」と思ってもらえるということは、パクパク食べてもらえる、ということ。それは、家族の健康にも直結します。食欲モリモリは、食事を作る側の喜びであり、願いです。

こじ付けかもしれないけど、「料理は見た目」を突き詰めて考えると、「料理は愛情」と言い換えられるのかもしれません。

あ、写真はもちろん悪ふざけです。

さて、産休中の林さんは、どんな食欲の秋を過ごしてますか?

オリンピック

佐藤 拓雄

2009/09/17

不思議なもので、オリンピック中継は、そのときの状況と一体になって、鮮明に思い出されます。

最初の記憶は、1984年のロサンゼルス。開会式の鮮烈な記憶です。めちゃめちゃカッコいいファンファーレ。空から降りてきた「ロケットマン」。
当時、高校1年生。吹奏楽部で、合宿中にこの開会式を見ました。早速ファンファーレを耳コピ、金管のみんなで吹きました。

次に記憶があるのは、1988年の冬季カルガリー。フィギュアスケート女子、カタリーナ・ビット選手や伊藤みどり選手を見ながら、「才能」とは、「芸術性」とは何だろう、ということを、音大受験生の自分に重ね合わせて考えていました。

同じ1988年の夏季、ソウルオリンピックは、ひどい扁桃腺炎で、水も飲めないほど喉が腫れ、うなりながら、男子マラソンを見ました。瀬古選手が結局入賞できなかった、ということを覚えています。

1992年バルセロナは、大学時代。ひとり暮らしのアパートで見た、バスケット、アメリカのドリームチーム。あまりにすごかった。それにしても、なぜビデオを録っていなかったのか、今考えても、自分の行動が不思議でなりません。のちに、NBA好き仲間からダビングしてもらいました。

1996年アトランタ。女子バスケで、日本が中国を破り、明け方のアパートで、ひとり大絶叫。

1998年長野。プレステの冬季オリンピックのゲームに夫婦で大盛り上がり。ジャンプ団体の涙の金メダルは、県警記者クラブ内で先輩と見ました。山下達郎「ヘロン」と、原田選手のろれつの回らないインタビューが、今も耳に残っています。

2004年アテネ。子どもたちのスイミングスクールの大先輩、森田智巳選手が背泳ぎで銅メダル。当時幼稚園児の長男を夜中に起こし、背泳ぎ決勝を一緒に見ました。写真は、その森田選手に見せていただいた、本物の銅メダルです。

2006年冬季トリノ。荒川静香選手の金メダルに、早朝の自宅で、今度は家族4人で大興奮、大絶叫。

なんだかまとまりのない内容ですが、自分の人生とともに、オリンピックを振り返ってみました。

続いては、新人の飯田アナウンサー。

祖父母の思い出その2

佐藤 拓雄

2009/09/07

育休が終わり、仕事に復帰して1週間が経ちました。
とはいえ、仕事と休みの区切りは、イコール子育ての区切りとはなりません。第三子・次男は、もうすぐ生後丸2か月となりますが、泣いて、飲んで、だっこされて、寝て、の毎日が続いています。授乳などと家事のタイミングが、うまく分かれるときのほうが珍しく、いきなり、「はい家事はもうしませーん」というわけにはいきません。
そんなわけで、今月は、子どものお弁当を3回も作ったのですが、おにぎりをにぎっていて、母方の祖母のことを思い出しました。

いったい自分が何歳の頃だったのか、全く覚えていないのですが、祖母におにぎりを作ってもらったことがありました。
弟と2人、あるいは、末の弟もいたかもしれないので、そうすると3人で、寿司屋のカウンターのようにテーブルに横に並んで座り、向かいに祖母。祖母のところには、櫃か何かに入ったごはんがありました。
その祖母に向かって、僕たち子どもが、「まる!」「さんかく!」「しかく!」とか言います。
すると、祖母は、「はいよー」なんて言いながら、リクエストどおりの形で、小さな小さなおにぎりを次々に握ってくれるのです。子どもの口にも小さいくらいですから、直径は2センチくらいのものだったのではないでしょうか。具なし、海苔なしの塩むすびですが、小さいので、いくらでも食べてしまいます。
そのうち、「ほし!」「ひしがた!」なんていうリクエストまでして、それでも、祖母は、チャチャチャっと、きれいに、そのとおりのおにぎりを作ってくれるのです。
それが楽しくて楽しくて、何個も何個も作ってもらった覚えがあります。祖母の「おにぎり屋さん」は、後にも先にもその時だけだったように記憶していますが、本当に楽しかった、いい思い出です。育休をきっかけに、おにぎりをにぎったりするようになり、そのたびに思い出すようになりました。

次回は、寺田アナウンサーです。

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