アナ・ログ

旅の思い出

佐藤 拓雄

2009/07/10

マグロステーキ定食とウニぶっかけ丼?金澤君、厳しい質問すぎるって(笑)そんな究極の選択、決められるわけないじゃないですか!ミックスはないのか、ミックスは!いっそのこと、両方!

さて、写真は、3年前、家族で北海道へ行ったときのもの。富良野にある、ドラマ「優しい時間」の舞台の喫茶店「森の時計」です。
数年前から、毎年夏と冬、家族旅行に出かけるようになりました。なので、「旅の思い出」というと、真っ先に思い出されるのが、これまでの家族での旅行の思い出です。
それまでは、妻の実家へ孫の顔を見せに、というのが夏休み冬休みの定番となっていましたが、妻の両親が仙台に戻ってきて、僕の両親もすでに仙台住まい、ということで、長期の休みに「孫の顔を見せに」行く必要がなくなってしまったので、旅行に行くようになったのです。
一家四人の遠出は、費用もかかります。が、一家そろっての旅行を永遠にできるわけではありません。おそらく子どもたちは、中学、高校と進むにつれ、部活だ受験だと忙しくなってしまうはず。そんな「期間限定」だからこそ、今行っておかないと、というのが、親としての正直な気持ちです。「モノより思い出」というCMのキャッチコピーそのままの心境です。

そんな家族旅行ですが、この夏はお休みです。
というのも、今月、我が家に新しい家族が誕生する予定だからです。第三子です。この夏休みは、家族旅行の思い出ではなく、新しい家族との生活が始まった思い出が胸に残ることになります。
そして、私事ばかりで恐縮ですが、来週月曜日(13日)から、育児のため休暇を取らせていただきます。8月末までの7週間、仕事を休みます。スーパーニュースは、林アナウンサーと、僕の代わりに寺田アナウンサーが入り、留守を守ってくれることになっています。
育休中も、この「アナ・ログ」は書きます。それから、この期間だけ、ブログを書いてみようと思っています。
本日夕方から、「仙台放送コミュニティサイト8ch Cクラブ」内にページが立ち上がる予定です。
初めての育休で感じたことなど書いていきたいと思っています。よろしければ、こちらもご覧ください。
http://8ch-club.com/jos/blog/SatoTakuo/

次の当番は、梅島アナウンサーです。

バーゲンと言えば

佐藤 拓雄

2009/06/24

先週金曜日、「親知らず」を抜きました。スーパーニュースを休んだのはそのためです。先月29日にも同じ理由でお休みさせていただきました。なにしろ、「埋伏歯」といって、生えてこないため、かかりつけの歯医者さんではダメで、平日しかやっていない大病院での抜歯になってしまいました。それなりに腫れ、それなりに痛かったです。特に今回は週が明けても鈍い痛みが続きました。しかし、これで、晴れて、悩ましい親知らずとはさようならです。やれやれ。

さて、バーゲン。
初めて一人でバーゲンに行ったのは、高校1年か2年の夏だったと思います。1984年か85年ごろ、バブル前夜ないしバブル初期ですね。もはや死語ですが、「DCブランド」という、ブランド物の服を、こぞって着ていた時代です。今思うとどこがカッコよかったんだろう?と思うようなものばかりで、しかも、これが結構な値段。どうってことないTシャツが1万円ぐらいしたりとか。で、そのDCブランドの服がバーゲンでは半額!渋谷、原宿あたりでは行列ができたんですよ。
そんなわけで、高校生の僕も、バーゲン初参戦。「POPEYE」だったか「HOTDOG PRESS」だったか忘れましたが、バーゲン情報を仔細にチェックし、なけなしの1万数千円をもって、いざ原宿へ。まあ、すごい人出だった、というのが一番印象に残っていることです。バーゲンに行かなくなって久しいですが、今でもあんなに混むんでしょうか。猫も杓子もバーゲン、バーゲン。お祭り騒ぎです。
もう一つ、ショップによっては、店員が店の外に出て、大声で「安いよ安いよ」みたいなことをやっていたのも、いまだに強烈な記憶として覚えています。叩き売りじゃないんだから。もうちょっと品よくやってほしいものです。でも、そういう店員さんが「メンズ○○のジャケットが1万円!」とか言ってて、そこに人が群がっていると、もう何が安くてお得なのか分からなくなってくるんですね。みんなが熱に浮かされたような状態、そして、すごいエネルギー。バーゲン恐るべしです。
大混雑の中ゲットした「戦利品」がなんだったか、もうすっかり忘れてしまいました。
こんなことを何回繰り返したのか、そのうち、バーゲンは疲れるだけ、と全く行かなくなりました。それが大人になるということなのでしょうか(笑)

次は早坂アナウンサーのバーゲン話です。

結婚式あれこれ

佐藤 拓雄

2009/06/18

自分の場合、結婚式はしましたが、結婚披露宴はしませんでした。写真撮影をしたあと、町の教会(写真がその日のその教会です)で結婚式をして、親きょうだいだけで会食。とても楽しい会食だったことが思い出されます。家族が増えることは楽しいなあ、としみじみ思いました。10年以上前のことです。

僕は男三人兄弟の長男ですが、弟の一人は、ハワイで挙式。これも親きょうだいのみで、4泊6日のハワイ旅行、ハワイの教会で結婚式をして、会食しました。ハワイの教会は、南の島っぽい雰囲気が漂い、讃美歌もどこかハワイアン風。参列者は家族のみで、厳かな中にも暖かくそしてのんびりした、いい結婚式でした。このとき僕のほうは長女が生まれたばかりで、一家で参加と言うわけにはいかず、妻と長男長女を置いて、僕だけが休暇を取って参加しました。でも、両親と3人でハワイ観光するという後にも先にもこのときだけの親孝行ができました。
もう一人の弟は、結婚式や披露宴をせず、入籍のみでした。

というように、兄弟でも結婚の仕方は三者三様。親戚や友人知人の結婚式を見ても、実に様々、それぞれです。どれがいい、ということではなく、それぞれの考え方・価値観やそのときの状況などが反映されているように感じます。

ウチの子どもたちは、どんな結婚をするのか、それ以前に、息子がどんな女性を連れてくるのか、娘がどんな男性を連れてくるのか、それを考えると、今からやきもき、特に将来の「花嫁の父」としての心境は、早くも複雑です。

寺田さんは、結婚式で失敗した話、だそうです。

マイ○○

佐藤 拓雄

2009/05/29

会社で使っている、マイ○○の数々です。
マイバッグは今や当たり前になりつつある時代、マイカップ、マイ水筒、マイ箸もそれほど珍しくないような気がしますが、これはどうでしょう?マイからし&マイわさびです。

現在の仙台放送本社は、大年寺山の旧社屋とは違い、周辺にお昼を食べるところはあります。ですが、僕は、ほとんどの場合、持参した弁当か、近くのスーパーやパン屋で買ったものをデスクで食べています。時間がない、というより、デスクで食べるほうがなんとなく好き、というだけです。マイ弁当は、節約にもなりますしね。

で、そんな昼ごはん生活に欠かせないのが、このマイからし&わさび。もともと、とんかつ、シューマイには絶対からし、ステーキにはわさび、というように、何かというと、からしやわさびをつけるのが好きなのですが、デスクでお昼ご飯、となると、なかなか持ってこられない。ならば、冷蔵庫に入れときゃいいんだ、というだけのことです。おかげで、ピリリとメリハリの利いたお昼を食べることができます。小さな贅沢というやつです。というか、自己満足です。
でも、この「デスクご飯」におけるマイ○○は、追求していくとキリがなさそうです。マイしょうゆ、マイドレッシング、マイ塩、マイこしょう。そのうち、マイぽん酢とか?さすがにぽん酢は使わないか。

原アナウンサーは、今ハマっているあることについてのお話だそうです。

遠足の思い出

佐藤 拓雄

2009/05/19

高尾山。東京都八王子市にある標高600メートルほどの山です。「ミシュランガイド」に載ったことで、このところやけにテレビで目にするようになりました。登山客がわんさか訪れて大混雑になっているとか。確かに都心から近くてお手軽ではありますが、そこまでありがたがる山でもないと思うんだけど。
というのも、高尾山は僕のかつての地元と言ってもいい山で、中学時代の遠足が高尾山でした。八王子市の隣、多摩市から揃いのジャージ姿で大挙して京王線に乗り、「高尾山口駅」(「たかおさんぐちえき」と読みます)から頂上までひたすら歩き、弁当を食べて下山するという遠足でした。シンプル…。
遠足以外でも、何度も家族で出かけた思い出のある山でもあります。そう言えば、自分が親になってから家族で登山に行ったことってないなあ。
話がそれましたが、この高尾山登山遠足で学んだことで、今でも忘れないことが一つあります。
「登山は降りるときの方がキツイ」
ダメですか?ダメでもなんでもいいんですが、ともかく、この時、生まれて初めて「ひざが笑う」という感覚を味わいました。友達と競いながら下りたということもあったのでしょうが、600メートルの高尾山でも、なめたらいけません。
なめたらいけない、と言えば、テレビでは、道を間違えて遭難しかかった人とか、家族とはぐれた人とか、頂上でビールをガンガン飲んだり、バーベキューに興じたりする人たちが映されていましたが、ミシュランに載ったからって、都心から1時間だからって、600メートルだからって、山は山です。近所を散歩するのとはワケが違うんです。
ちなみに、大好きなドラマ「ふぞろいの林檎たち」で、高尾山に登るシーンがあります。「ワンゲル同好会オリーブ」の活動という名目ですが、お目当ての手塚理美と石原真理子が来ないことが分かって、時任三郎と柳沢慎吾がドタキャン。中井貴一が不本意ながら中島唱子と二人きりで登山するというお話でした。行きも帰りも京王線に乗ってたなあ。
以上、遠足の思い出でした。

(写真)新緑の季節、仙台放送前も緑が実にきれいです。

寺田さんは、いつ頃の遠足の思い出でしょうか。

ゴールデンウイーク

佐藤 拓雄

2009/04/28

数えてみると、仙台放送に入社してから17回目のゴールデンウイークを迎えることになります。この17回、一度もカレンダーどおりに休んだことがありません。
と言うと、お忙しいんでしょうね…という声が聞こえてきそうですが、そういうわけでもありません。忙しくても忙しくなくても、常にゴールデンウイークのお休みは土日だけ。忙しいからゴールデンウイークがないのではなく、テレビ局は、もともとカレンダーどおりの休みということになっていないのです。
理由はよく分かりませんが、民放テレビ局の番組編成は、土日は平日と違いますが、祝日は平日どおり。ですから、僕たちも、祝日は平日どおりに仕事をすることになります。なので、ゴールデンウイークといえども、土日以外はいつもどおり、明日29日も、僕にとってはいつもの水曜日です。
ただし、この「祝日は平日」、ニュースの番組上には、いろいろ影響があります。例えば、官公庁はお休みなので、官公庁発のニュースは祝日はまずありません。企業や学校もお休みですから、「世の中」の動きがあまり多くありません。休日の人は遊びに出かけていたり、普段は夕方のニュースの時間には仕事をしているという人が家にいたりします。ニュースがなくなることはありませんが、いろんな意味で、平日とは違います。それでも、テレビ局は「祝日=平日」。少なくとも僕が知る限りずっとそうです。
ちなみに、NHKは「祝日は祝日」という番組編成。僕たち民放テレビ局でも、報道と番組制作以外の部署は、「祝日は祝日」として休みをとっています。

次回は浅見さんです。浅見さんのゴールデンウイークは?

春といえば

佐藤 拓雄

2009/04/08

春といえば、僕にとっては、もちろん花粉症との戦いの季節。暖かくなってきたここ最近は、くしゃみの回数も、鼻水の量も、やはり多くなってきました。あと3週間くらいの辛抱かな…。
でも、こんな話を書いてもしょうがないので、別の話にします。

「ハル」と聞いて、花粉症の次にイメージしたのが、「(ハル)」という映画でした。と言っても、僕は映画そのものは見ていません。ノベライズを読んで、すごく印象に残ったのと、なぜか妻がパンフを持っていたのでイメージが膨らみ、見たような気になっているのです。
映画としては、1996年の作品です。森田芳光監督。主演・深津絵里、内野聖陽。
ご存知の方には、「知ってるよ」という話になってしまいますが、パソコン通信で知り合った人たちの話です。ここがミソなのですが、「パソコン通信」です。インターネットではないのです。
なにしろ、1996年の作品です。ウインドウズ95が発売されたのが、その前年、1995年。「インターネット」という言葉が、今みたいに当たり前でない時代です。パソコンも、携帯も、持っている人のほうが少ない時代です。ちなみに僕が初めてパソコンを買ったのが、この1996年。初めて携帯を買ったのも、やはり1996年。最初のパソコンはCANONのノートで、ハードディスクがたったの1GB。でも当時はこれがかなりの大容量でした。値段は20数万円しました…。
えー、話がそれてしまいましたが、インターネットではなく、パソコン通信。今で言う掲示板みたいなものの一つに、「会議室」というのがあって、そこで匿名の人同士がやりとりするという、そのやり取りを中心に物語が進んでいくのが、この「(ハル)」という映画でした。
台詞の代わりに、「>」という引用符や絵文字の付いた、会議室への書き込み、やり取りが頻繁に出てきます。その手法が、当時の僕には、とても新鮮で、斬新に思え、印象深かったのです。
で、今これを振り返ってみると、「電車男」なんてまさにこんな手法で、「(ハル)」がいかに早いか、ということを感じます。
ちなみに「(ハル)」とは、主人公のハンドルネーム。本名の(ハヤミノボル)と打って、真ん中を消していったら(ハル)になったという話でした。じゃあ俺は(サオ)?ダメだこりゃ。というのが当時考えたこと。

次は浅見さん、どんな春ですか?

デビュー

佐藤 拓雄

2009/03/27

WBC、日本連覇の余韻が残る中、このスコアボードに見覚えありませんか?
行ってきました!WBC・ラウンド2の試合会場、アメリカ・サンディエゴは、ペトコパークですっ!
…っても、1年半前ですけどね。すみません。

さて、以前、「旅行」というお題のときに、アメリカNBA観戦デビューのことを書きました。「近頃○○が気になります」というお題では、やはりアメリカの4大スポーツのひとつ、NFL観戦デビューの話をしました。
しかし、残念なことに、メジャーリーグの観戦デビューは、いまだ果たしていないのです。

この写真のときは、シーズンオフの10月末で野球はやっていなかったのですが、第1回WBC決勝の地、ということで、ぜひ球場だけでも見てみたいと訪れました。右中間スタンドはゲートらしきものは何もなく、出入り自由。まるで公園の続きのようで、何の違和感もなく、グランドぎりぎりのこんなところまで行って写真が撮れてしまいました。この部分は砂地で、子どもの遊び場だとか。
それから、スコアボードの左下にちょっと写っている「ウエスタン・メタルサプライ」という会社の建物は、韓国戦で内川選手がホームランを打ち込んだところです。今回のWBCの中継でも紹介されていましたが、もともと建設予定地にあって解体予定だったものを球場に組み込んで観客席の一部にしてしまったといいます。なかなか洒落ていますよね。
「ボールパーク」ってこういうのなんだろうなあ、と思わせる雰囲気がありました。その意味では、楽天のKスタもなかなか頑張っているなあとも感じました。

10年以上前には、ボストン・レッドソックスの本拠地のスタジアムを、夜中に外から眺めたことがありました。松坂投手の入団ですっかりおなじみになりましたが、レフトにグリーン・モンスターという大きなフェンスがある球場です。このときも11月上旬のシーズンオフ。まあ、当時の最優先事項はバスケットボールだったので、特別残念にも思わなかったのですが、自分の中での野球熱は年々高まるばかりです。

メジャーリーグ観戦デビューをいつかは果たしたい、野球少年の息子と「ボールパーク」を満喫し、7回に「テイク・ミー・アウト・トゥ・ザ・ボールゲーム」を歌ってみたい、という夢を、今のところ自分の心の中だけでそっと温めています。

続いては、原アナウンサーです。

合格発表

佐藤 拓雄

2009/03/12

はい。宮城マスター検定は僕も2級です。

特に意味はありませんが、「仙台放送前」バス停を撮ってみました。後ろの建物が仙台放送。文字通り、目の前です。

さて、合格発表。
大学に入るまでは東京に住んでいたのですが、東北大学の合格発表は、わざわざ仙台まで見に来ました。すでに合格した私立の入学金納付の締め切りがちょうどその日だったから、というのが理由だったと記憶しています。でも、実際には、その入学金は親がその前に納めてくれていました。「締め切り当日の納付では、何か手違いがあったら大変」という親心です。本当に感謝しかありません。
なのにわざわざ仙台へ見に行ったのは、一つは、少しでも早く見たかったということ。インターネットなんてない時代。「レタックス」というFAX+電報のようなものがありましたが、見に行った方が早い。もう一つは、福島県郡山市に住む祖父母を訪ねてきなさい、というこれまた親心でした。
片平キャンパスで合格を確認し、NTTの臨時公衆電話に並んで親に報告(携帯電話もない時代です)、すぐさま新幹線で郡山へ。
祖父母宅の玄関先で靴も脱がないまま「おじいちゃん、東北大に受かったよ!」と報告すると、その言葉にかぶるぐらいのタイミングで祖父が言ったのは、「うん、見たぞ、文学部、○○番、佐藤拓雄。あった」。「・・・はあ???」なぜ祖父がすでに知っているのか?母から電話があったのか?それにしても受験番号までなぜ知っているのだ?
そのわけは、「東北大学合格発表」という名のテレビの特番でした。当時、そんな信じられないような特番が存在したのです。おそらく東北各県にネット放送していたのを祖父が見たのでしょうが、そんな番組があることすら知らなかった僕には、かなりカルチャーショックでした。
後で知ったのですが、合格発表の掲示板を延々映し続けていくという、スペクタクルな内容。そんな番組が成立したのも、今では考えられないことですが、当時は、合格者の受験番号のみならず氏名、出身県まで貼り出されていたからです。個人情報丸出しです。今は掲示板すらないそうで…
でも、おかげで祖父母を早く喜ばすことができました。
そんなわけで、僕は、合格発表というと、この日の祖父とのやりとりをまず思い出すのです。

続いては金澤アナウンサー。「親切な」周囲の人たちのおかげで、感激が半減したとか?

一番緊張したこと

佐藤 拓雄

2009/03/04

またこの季節がやってきました。花粉です。マスクにメガネ、防備体制を整えますが、憂鬱です。思わず眉間にしわが。

さて、「緊張」と「緊張感」は違うものだと僕は思っています。頭が真っ白になったり、足が震えたり、口の中が乾いたりするようなのが「緊張」、身が引き締まるようなのが「緊張感」。もっと簡単に言うと、頭がカッカしているのが「緊張」、クールなのが「緊張感」ということかな。「緊張感」は必要なものですが、「緊張」はないほうがいいもの。

前置きが長くなりました。
今から10年ちょっと前、長男が生まれたとき、出産に立ち会いました。初めての出産、なんとなくのイメージしかないまま、病室と分娩室で陣痛に苦しむ妻の腰をさすり続けました。陣痛開始から13時間、ついにこの世に姿を現したわが子。妻の背後からまず見えたのは、当たり前ですが後頭部と背中でした。そのときの率直な実感は、感動・感激というものとはちょっと違い、「あ、ヒトだ」。次に思ったのが、「一人増えたんだなあ」ということ。人が誕生するということは、人が一人増えるということ、なんと重たいことなんだ、ということ、そして、人(母親)から人(赤ん坊)が出てくるという生命の不思議を、ずしーんと感じました。このときの身が引き締まる思い、緊張感は、今も忘れることができません。さらにその2年後には長女が誕生。このときも出産に立ち会いましたが、やはり同じ感覚を持ちました。背中のあたり、つまり肌が見えると「あー、ヒトだ」って思うみたいです。
なんだかとりとめがありませんが、僕にとって、子ども二人の出産に立ち会えたことは、親としての自覚、責任、そして緊張感を持たせてくれる実によい機会となりました。
とはいえ、時間が経つにつれて、そのかわいい姿に、緊張感はどこへやら、ニヤニヤしっぱなしのバカ親に変身したこと、そして、子どもたちが成長してきた今は、子どもを叱っては自己嫌悪に陥るダメ親であることも、正直に書いておきます。トホホ。

このテーマ、ラストは早坂アナウンサー。出射アナウンサーの退社で席替えがあり、デスクが向かいになりました。

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