アナ・ログ

私のイチおし・映画編

佐藤 拓雄

2008/10/24

非常にベタで申し訳ありませんが、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」をイチおしとさせていただきます。ベタですよね?すみません。はい。
でも、本当に好きなんです。VHSのビデオで(時代を感じるでしょう?)パート1からパート3までを何度も見ました。見るたびに新たな発見があったりして、細かい部分までよく作られた作品だなあ、と感心してしまったりもします。
そして、ストーリーのスピード感とテンポのよさ。グイグイ引き込まれて、ラストまであっという間です。先日、このアナ・ログを書くために、と引っ張り出してみたところ、時間もないのに、危なく最後まで見てしまうところでした。危なくないか。そのくらい何度見ても面白い。
あ、今気がついたんですが、これだけの大ヒット作、わざわざ魅力を語る必要もないか?まいっか。
ところで、僕は、常々、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」って「ドラえもん」だよなあ、と思っていまして、大学時代は、これで卒業論文を書こうと思ったくらいです・・・ウソです。筆が滑りました。すみません。
でも、「ドラえもん」と思っているのは本当です。
では、なぜ「ドラえもん」なのか?
まずタイムマシン。でもこれだけでは「ドラえもん」じゃなくてもいいですよね。
次に、いじめっ子・ビフの存在。このビフを、ジャイアンと思ってください。のび太は?ビフにいじめられる、マーティーの父親・ジョージです。しずかちゃんもいました。マーティーの母親になる女性・ロレイン。肝心のドラえもんは、タイムマシンを作ったドクですね。のび太であるところのジョージとドクが絡まないところがちょっと違うんですが、一種のひねりだと勝手に解釈し、一件落着。
決め手は、デロリアンのタイムマシンによるタイムトリップで行く先々で、いつも同じ人間関係が展開されていること。ジョージ、ビフとその取り巻き、ロレインの先祖や子孫が同じような力関係でトラブっているわけです。これって、ドラえもんでしょ?大昔へ行っても、未来へ行っても、のび太の先祖・子孫がジャイアンの先祖・子孫にいじめられていたり、っていう展開です。
ね、ね、ね。ドラえもんに思えてきたでしょう?思えてこない?思ってください。
というわけで、「新説・バック・トゥ・ザ・フューチャー」でした。失礼しました。

寺田アナウンサーは、地元が舞台のあの映画だとか。

最近食べたウマいもの

佐藤 拓雄

2008/10/02

この夏、石垣島周辺への家族旅行で、様々なウマいものに出会いました。この旅行で、僕は、できる限りすべての食事を沖縄の食べ物にしてみようと、密かな個人テーマを設定していました。

石垣牛、八重山そば、ポーク玉子、ゴーヤチャンプルー、島らっきょう、ジーマーミ豆腐、海ぶどう、ラフテー、アンダーミースー。飲み物は、オリオンビールにさんぴん茶。甘いもの類では、氷ぜんざい、サーターアンダギー、黒糖オーレ、石垣の塩アイスキャンデー、島ごと・工場ごとに違う純黒糖。果物は、パイナップル、パッションフルーツ、ドラゴンフルーツ、マンゴー・・・どれもこれも、僕の口に合う。どうしてだろう。ウマいウマい。個人テーマは、ほぼ達成できました。

なかでも発見だったのが、「ちんびん」というお菓子。写真がそれです。石垣島のお隣の島・竹富島で、こんな感じで売られているのを、妻が見つけました。見るのも初めてなら、名前を聞いたのも初めて。どんなのだろうねえ、なんて言いながら口に入れると、これがウマいウマい!子どもたちもすぐさま気に入り、長男などは、持ってきた自分の小遣いで自分だけの分を追加で買って食べたほどです。
沖縄風クレープなどと言われることも多いようですが、むしろ、黒糖味の薄いホットケーキをくるくるっと巻いたようなもの、と言ったほうがお分かりいただけるように思います。何もつけずにこのまま食べます。シンプルでいくら食べても飽きない味。ふわふわ・もちもちした食感とほんのり香る黒糖の風味がたまりません。

その後、石垣島の商店街で、「ホットケーキミックス」ならぬ「ちんびんミックス」を発見。仙台に居ながらにして、「ちんびん」を味わうことができました。あー、ウマい!

次は、早坂アナウンサー。8月の席替えで、席が隣ではなくなりました(笑)

「まつり」あれこれ

佐藤 拓雄

2008/09/25

そうです、金澤君。僕もハワイ大好きです。でも、今かかっているのは、「沖縄病」。あー、沖縄に行きたい…

そんなわけで、今回も、夏に訪れ撮ってきた、「ちゅらさん」ロケ地シリーズ・小浜島の写真です。主人公・えりぃ達が通った小浜小学校(中学校も併設)です。

さて、この小浜島がある八重山地方の小さな島を舞台にした、石原慎太郎の小説があるそうです。「そうです」というのは、僕はまだ読んでいないからで、そんなものを題材に、この「アナ・ログ」を書くのも、少々気が引けますが、沖縄好きとして、とても気になっている小説です。
タイトルは「秘祭」。その島のある祭りと言い伝えをめぐるミステリー的な内容とか。
気に入っている沖縄料理店の店長さんが教えてくれました。
早速「ヤホー」(笑)で検索してみましたが、ちょっと前の出版で、売っていない。もちろん、ア○ゾンの古本とか、古本屋とか、図書館とか、根気よく探せば手に入るのかもしれませんが、まだそこまではやってません。さらに「ゴーグル」(笑)で検索したら、映画化されてDVDもあることまで分かりました。
ちなみに、この小説を教えてくれた店長さんも、人から薦められたそうで、まだ読んでいないとのこと。
ア○ゾンの、内容紹介をみると、ますます読みたくなり、なおかつ、「島っていいよなあ。移住したいなあ」なんて気軽に言えなくなりそうな内容のようで・・・。
ここまで書いた以上、何が何でも探して読んでみます。感想は何かのテーマにこじつけてアップします。

次の出射アナウンサーは、「東京でデンマークまつり」だそうです。

ツキ(月)にまつわる話

佐藤 拓雄

2008/08/28

写真は「ちゅらさん」小浜島ロケ地シリーズ3、「和也くんの木」です。

さて、小学3年から6年生くらいにかけて、妙についてる時期がありました。と言っても、懸賞によく当たる、という程度でしたが。

記憶にある中で一番の大当たりは、現金1万円。小学3年の冬、近所の商店街の歳末セールの福引でした。
最終日ということで福引所には長い行列。2つ下の弟と二人でそれぞれ3回分の福引券をもって並びました。「お兄ちゃん先にやってよ」と弟が言うので、僕が先に回すことに。これで弟と明暗が分かれてしまったのです。
ガラガラポンと回して最初に出たのが銀色の玉。
「1万円だっ!!」という商店街の人の驚いた声、カランカランという大きな音。福引の行列のみならず、通りかかった人まで、みんながこっちを見ます。いきなりのヒーロー誕生です。
小遣い300円の小学生が突然手にした途方もない大金。そして、周囲の羨望のまなざし。天にも昇る気持ちでした。
続く弟は、当然のように、末等、現金10円×3=30円が大当たり。
二人で大事な懸賞金を持ち、息せき切って帰宅、「お母さん!1万円当たったよ!!」と報告したところまではよかったのですが、直後、「30円」の弟が、近所中に聞こえそうな大声で泣き出したのです。
「お兄ちゃんだけ、ズルい!僕が先にやれば僕が当たってたのに・・・ウォーンウォーン」
・・・こんな調子です。
これにはほとほと参りました。そんなこと言われてもなあ・・・
しかし一向に泣き止む気配のない、ミスター30円。
結局、困った母親が「拓雄、おすそ分けしなさい、2千円でいいから」と、こちらにしてみるとあまりに理不尽な「大岡裁き」を見せ、涙は止まったのでした。まさに「ゴネ得」の弟くんでありました。
ちなみに、1万円マイナス2千円=8千円で、欲しかったキャッチャーミットを買ったと記憶しています。

とここまで書いて思うのは、こういうことって、一生覚えてるものなんだなあ、ということ。
でもこの話、弟の側からはどう見えていたんだろう。全く覚えていなかったりして。

さて、そんな「福引少年」のその後ですが、この時期でツキは尽きてしまったのか、大人になってからの懸賞運は全然なく、宝くじも当たったためしがありません。

次の広瀬くんは、バグダッド話の続きではないようです。

怖い話

佐藤 拓雄

2008/08/20

写真は、ドラマ「ちゅらさん」ロケ地シリーズ、小浜島の「シュガーロード」。ドラマでは通学路になっていた道です。「怖い話」とは全く関係ありません。あしからず。

さて、10年くらい前、夕方の「スーパーニュース」でサブキャスターをしていた時のことです。
当時は、日中は記者の一員として、記者クラブを拠点に取材活動をし、夕方は放送ギリギリの5時半頃会社に戻ってスーパーニュースに出る、という毎日でした。
ある日、いつものようにギリギリに記者クラブから戻ろうとしてタクシーに乗っていました。ふと時計を見ると、え?!6時25分?!とっくに放送の始まっている時間ではありませんか!
「運転手さん、急いでくださいっ!!!!」
通用口から全力疾走でニュースセンターへ。見ると、ライトがついて、メインキャスターの柴山さんがニュースを読んでいます。当時の茂ヶ崎のニュースセンターは、オフィス部分と直結していたので、放送中の様子が後ろからよく見えるのです。
ああ・・・とうとうやっちまった・・・遅刻です。というか、放送の「すっ飛ばし」です。どうしよう、このままスタジオに行ったほうがいいのか。いや、しかし、原稿はどこだ、こんなに汗だくでは出られないか、息も上がってる、などと瞬時に色々なことが頭を駆けめぐります。
うーん、それにしても、なんであんなにスタジオが遠いんだ?そんなに広くないはずなのに、柴山さんの後姿がやけに小さく見えます。おかしいぞ?それに歩いても歩いても、前に進まないじゃないか?あれ?もう6時45分?なんでそんなに時間が進んでいるんだ?
うーん、うーん・・・

というところで、ハッと目が覚めます。
今でも、何度も見る、この怖ーーーーーい夢。

アナウンサーとして、「すっ飛ばし」ほど恐ろしいものはありません。
僕自身は、現実に「すっ飛ばし」をしたことはありませんが、これからも、この怖い夢を何度も見るんだろうなあ。

次回は、浅見さん。まさか「まんじゅう怖い」ではないと思いますが・・・

ふるさと

佐藤 拓雄

2008/08/04

先週、夏休みをとって家族で旅行に出かけました。訪れたのは、沖縄・八重山地方。かねて行ってみたいと思っていた、ドラマ「ちゅらさん」のふるさと・小浜島にも足を伸ばし、ドラマのロケ地を見ることができました。写真はそのひとつ「こはぐら荘」前での一枚。台風が過ぎ去った直後で空が青くないのが残念でしたが、ドラマニアとしては、ロケ地めぐりに大満足です。そして、小浜島、とってもとってもいい所でした。

さて、僕は神奈川生まれの東京育ちですが、「ふるさと」と言われてぱっとイメージするのは、神奈川でも東京でもなく、福島県郡山市の父の実家です。

子どもの頃は毎年夏、郡山に行くのが楽しみでした。
郡山の祖父母の家は、父がそこで生まれたという、まさしく生家。なので、古い。でも、団地暮らしの僕は、その家の縁側で、足をぶらぶらさせ、セミの鳴き声を聞きながら、農家から届けられた新鮮なとうもろこしやトマト、桃、すいかなどを食べていると、「こういうのを『ふるさと』って言うんだろうなあ」と子ども心に思ったものです。
郡山には、その当時ですら自分の家の近所にはなかった駄菓子屋もあり、「ふるさと」には何でもあるんだなあ、とうらやましく思えました。
唯一、「マジンガーZ」など好きなアニメの放送が1週から2週遅れていたのには、大変ショックを受けましたが。

その後、仙台に住むようになった僕にとっての「ふるさと」は、普通に考えれば、東京の実家、ということになりますが、どうも「ふるさと」という気がしない。しかも、7年前に両親が東京をひきはらい、仙台に引っ越してきたので、帰省先という意味での「ふるさと」も存在しません。

単なるイメージの問題なのでしょうが、そんなわけで、「ふるさと」という言葉を聞いたとき、真っ先に頭に浮かんでくるのは、夏の郡山の縁側なのです。

次の原アナウンサーも実家は東京ですが、どんな「ふるさと」話でしょうか?

一度訪れてみたいあの場所

佐藤 拓雄

2008/07/22

数えてみると、日本国内でも行ったことのある都道府県は、32。まず、残りの15を制覇したいと思いますが、遠出の機会は、家族4人での旅行、あるいは、仕事で出張、となると、全国制覇は、いつになることか。
ちなみに、残っているのは、鳥取、島根、山口とか、宮城に住んでいる僕にとってはちょっとやそっとのことでは行かないようなところばかり。あとなぜか青森県にも行ったことがないんですね。これは自分でも不思議ですが、意外に遠いからなあ。

海外に目を向けますと、これはもう行ったことのあるところを数えたほうが早いわけで、行ってみたいところだらけですが、なかでも行ってみたい・見てみたいのは、不思議な所・物と、世界史的・歴史的な価値のある所や物。
例えば、イースター島、ナスカの地上絵。「七不思議」的なものをこの目で見たい。そして、千年単位の歴史にも触れたい。万里の長城、ピラミッド、とかです。
とは言うものの、万里の長城以外は、どれも日本からやたら遠いし、安全面でも少々不安があるので、とても家族旅行レベルではなく、「なるほど・ザ・ワールド」のリポーターにでもならない限り出張で行く可能性も全くないので、結局、少なくとも働いているうちは行けないのかも。
事ほど左様に、僕にとって「一度は訪れてみたい場所」とは、「よほどの決意がないと行かずに終わってしまう場所」なのかもしれません。

今回の内容は、話が進むにつれショボくれてしまいました。こういうのを「竜頭蛇尾」っていうんでしょうね。すみません。

次は、新人の広瀬アナウンサーです。

雨の日のすごし方

佐藤 拓雄

2008/07/08

問題です。
次のうち、かの発明王エジソンが発明したものはどれでしょうか?
①メガホン②セメント③トースター

分かりましたか?
答えは・・・
全部です。

先日、ある雨の土曜日でした。息子の少年野球が雨で中止になり、一家4人でぽっかり予定があきました。このところ雨の休日はこういうことが多いのですが、この日は、一家で、多賀城市の東北歴史博物館へ行き、「発明王エジソン展」を見てきました。これが実に興味深い内容でした。

まず驚いたのは、とにかくエジソンの発明があまりに多く、幅が広いこと。
エジソンの代名詞とも言える、電球や蓄音機などをはじめ、先ほどのメガホン、セメント、トースターなどなど、現代の工業製品、家電製品の原型がほとんどエジソンの手によるものと言っても過言ではないくらいです。1093件もの特許を取得しているとか。

そして、先見の明。
100年以上も前の、自動車自体が当たり前じゃない時代に、もう「次は電気自動車」と言って、開発を始めていたそうです。いやはや。早過ぎです。

商品化と宣伝文句もすごい。というか、今見てもちっとも古くない。当時としてはものすごく斬新だったはずです。

いろいろ書いてきましたが、人によっては、ご存知の話ばかりだったかもしれません。すみません。

驚きと感心しきりの展示を見たあと、展示内容の図録に、エジソンの母の教育について書かれた本、さらに、子供向けのエジソンの漫画伝記まで、3冊も書籍を買って帰りました。
実に充実した雨の休日になりました。

あ、ちなみに、写真は、言うまでもなく、エジソン発明のメガホンです。インスタントジョンソンではありませんよ、金澤君。

そんなわけで、このテーマはこれで終わり。明日からは、また新たなお題です。トップバッターは、金澤アナウンサー。

私の必須アイテム

佐藤 拓雄

2008/06/19

写真は、「スーパーニュース」放送中の必須アイテムボックス。中身は、電子辞書、アクセント辞典、「用語ハンドブック」というフジ系列の言葉の取り決めに関する冊子、ストップウォッチ、そして筆記具類。これをいつも足元の見えないところに置いています。辞書類は、放送中でも、よく使っています。

さて、心配性で気が小さいということなのか、モノに頼りすぎということなのか、このボックスに限らず、とにかく必須アイテムだらけの生活を送っているような気がします。
だから、いつもやたらと荷物が多くなってしまいます。
通勤用のバッグは、いつもギュウギュウで重たい。何か特別なものが入っているわけでもないのですが、あれも必要、これもないと困るかも、といろいろ入れてしまい、その結果です。
時々もっとスリムにしたいと、中身を点検するのですが、これはないと困る、これも万一のときに必要・・・というように、ほとんど減ることがありません。
今、中を除いてみると、入っているのは、手帳、メモ帳、ペンケース、名刺入れ、折りたたみ傘、目薬やのどスプレーほか常備薬を入れた小物入れ、電子辞書、携帯音楽プレーヤー、そしてもちろん携帯電話(会社のと自分の)、本、書類、バスのプリペイドカード、IDカードなどなど。うーん、不要なものはないなあ。
実はこれらのものが入ったバッグのほかに、日によっては、お茶と弁当の入った袋が加わります。いつも重たい荷物を持っての通勤。雨の日は結構ストレスです。
先日、社内の先輩が「とうとう手ぶら通勤になった」と言っていました。なんとうらやましい、憧れの「手ぶらサラリーマン」。しかし、僕の場合、一生なれそうにないです・・・。

次の早坂アナウンサーでこのテーマはおしまい。「女性ならいつも身につけているもの」と言ってましたが、何?

みどりと言えば

佐藤 拓雄

2008/05/20

先週金曜日に書いたばかりなのに、もう当番が回ってきてしまいました。この「アナ・ログ」、順番は厳正な抽選によって決めているので、たまにこういうこともあるんです。

写真は、4月最後の日に僕が撮影した定禅寺通です。前回の自分の順番のときにちょっと触れたデジタル一眼レフで新緑を写してみました。こうして見るとビルの谷間の通りがまるで森のように見えます。「都会の森」。そんなドラマもあったなあ。・・・話がそれましたが、僕はこの時期の定禅寺通がとても好きです。そんなわけで、今回のテーマは、「みどりと言えば」。

さて、みどりと言えば、清水ミチコ。
いきなり新緑と全く違う話で大変恐縮ですが、「みどり」と言われると、以前「夢で逢えたら」というお笑い番組で、清水ミチコが演じていた「みどり」という強烈なキャラクターが真っ先に思い浮かんでしまうのです・・・。いわゆる「ブスキャラ」。いやもうホントに強烈でした・・・。
・・・こうなったら脱線ついでにお笑い番組の話をします。
今は空前のお笑いブームだそうですが、僕もお笑い番組が好きです。原点は、小学生時代の「漫才ブーム」というこれまた空前のお笑い黄金期。当時一番好きだったのは、「4チャン」(関東地区の日テレの呼び方)で土曜正午から放送していた「お笑いスター誕生」。当時は土曜日も学校がありましたので、毎週終業と同時に走って家に帰り、明けた月曜日には、友達と「お笑いスタ誕」の話ばかりしていました。ルパン三世こと故山田康雄と中尾ミエの司会。とんねるずもこの番組で出てきたんですよ。九十九一(つくもはじめ)という芸人の斬新さにびっくりしたのが一番の思い出です。
「THE MANZAI(ザ・マンザイ)」という番組もありました。ビデオデッキが珍しい時代、「THE MANZAI」をラジカセに「録音」しているクラスメートがいて、そいつの家に行くと何度も聞かされました。
とりとめなさすぎなので、このへんで終わります。
しょうもない内容になってしまいましたが、定禅寺通のきれいな写真に免じて許してください。

次の原アナウンサーは、「みどりの○○」に思い出があるそうです。

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