アナ・ログ

雨の日のすごし方

佐藤 拓雄

2008/07/08

問題です。
次のうち、かの発明王エジソンが発明したものはどれでしょうか?
①メガホン②セメント③トースター

分かりましたか?
答えは・・・
全部です。

先日、ある雨の土曜日でした。息子の少年野球が雨で中止になり、一家4人でぽっかり予定があきました。このところ雨の休日はこういうことが多いのですが、この日は、一家で、多賀城市の東北歴史博物館へ行き、「発明王エジソン展」を見てきました。これが実に興味深い内容でした。

まず驚いたのは、とにかくエジソンの発明があまりに多く、幅が広いこと。
エジソンの代名詞とも言える、電球や蓄音機などをはじめ、先ほどのメガホン、セメント、トースターなどなど、現代の工業製品、家電製品の原型がほとんどエジソンの手によるものと言っても過言ではないくらいです。1093件もの特許を取得しているとか。

そして、先見の明。
100年以上も前の、自動車自体が当たり前じゃない時代に、もう「次は電気自動車」と言って、開発を始めていたそうです。いやはや。早過ぎです。

商品化と宣伝文句もすごい。というか、今見てもちっとも古くない。当時としてはものすごく斬新だったはずです。

いろいろ書いてきましたが、人によっては、ご存知の話ばかりだったかもしれません。すみません。

驚きと感心しきりの展示を見たあと、展示内容の図録に、エジソンの母の教育について書かれた本、さらに、子供向けのエジソンの漫画伝記まで、3冊も書籍を買って帰りました。
実に充実した雨の休日になりました。

あ、ちなみに、写真は、言うまでもなく、エジソン発明のメガホンです。インスタントジョンソンではありませんよ、金澤君。

そんなわけで、このテーマはこれで終わり。明日からは、また新たなお題です。トップバッターは、金澤アナウンサー。

私の必須アイテム

佐藤 拓雄

2008/06/19

写真は、「スーパーニュース」放送中の必須アイテムボックス。中身は、電子辞書、アクセント辞典、「用語ハンドブック」というフジ系列の言葉の取り決めに関する冊子、ストップウォッチ、そして筆記具類。これをいつも足元の見えないところに置いています。辞書類は、放送中でも、よく使っています。

さて、心配性で気が小さいということなのか、モノに頼りすぎということなのか、このボックスに限らず、とにかく必須アイテムだらけの生活を送っているような気がします。
だから、いつもやたらと荷物が多くなってしまいます。
通勤用のバッグは、いつもギュウギュウで重たい。何か特別なものが入っているわけでもないのですが、あれも必要、これもないと困るかも、といろいろ入れてしまい、その結果です。
時々もっとスリムにしたいと、中身を点検するのですが、これはないと困る、これも万一のときに必要・・・というように、ほとんど減ることがありません。
今、中を除いてみると、入っているのは、手帳、メモ帳、ペンケース、名刺入れ、折りたたみ傘、目薬やのどスプレーほか常備薬を入れた小物入れ、電子辞書、携帯音楽プレーヤー、そしてもちろん携帯電話(会社のと自分の)、本、書類、バスのプリペイドカード、IDカードなどなど。うーん、不要なものはないなあ。
実はこれらのものが入ったバッグのほかに、日によっては、お茶と弁当の入った袋が加わります。いつも重たい荷物を持っての通勤。雨の日は結構ストレスです。
先日、社内の先輩が「とうとう手ぶら通勤になった」と言っていました。なんとうらやましい、憧れの「手ぶらサラリーマン」。しかし、僕の場合、一生なれそうにないです・・・。

次の早坂アナウンサーでこのテーマはおしまい。「女性ならいつも身につけているもの」と言ってましたが、何?

みどりと言えば

佐藤 拓雄

2008/05/20

先週金曜日に書いたばかりなのに、もう当番が回ってきてしまいました。この「アナ・ログ」、順番は厳正な抽選によって決めているので、たまにこういうこともあるんです。

写真は、4月最後の日に僕が撮影した定禅寺通です。前回の自分の順番のときにちょっと触れたデジタル一眼レフで新緑を写してみました。こうして見るとビルの谷間の通りがまるで森のように見えます。「都会の森」。そんなドラマもあったなあ。・・・話がそれましたが、僕はこの時期の定禅寺通がとても好きです。そんなわけで、今回のテーマは、「みどりと言えば」。

さて、みどりと言えば、清水ミチコ。
いきなり新緑と全く違う話で大変恐縮ですが、「みどり」と言われると、以前「夢で逢えたら」というお笑い番組で、清水ミチコが演じていた「みどり」という強烈なキャラクターが真っ先に思い浮かんでしまうのです・・・。いわゆる「ブスキャラ」。いやもうホントに強烈でした・・・。
・・・こうなったら脱線ついでにお笑い番組の話をします。
今は空前のお笑いブームだそうですが、僕もお笑い番組が好きです。原点は、小学生時代の「漫才ブーム」というこれまた空前のお笑い黄金期。当時一番好きだったのは、「4チャン」(関東地区の日テレの呼び方)で土曜正午から放送していた「お笑いスター誕生」。当時は土曜日も学校がありましたので、毎週終業と同時に走って家に帰り、明けた月曜日には、友達と「お笑いスタ誕」の話ばかりしていました。ルパン三世こと故山田康雄と中尾ミエの司会。とんねるずもこの番組で出てきたんですよ。九十九一(つくもはじめ)という芸人の斬新さにびっくりしたのが一番の思い出です。
「THE MANZAI(ザ・マンザイ)」という番組もありました。ビデオデッキが珍しい時代、「THE MANZAI」をラジカセに「録音」しているクラスメートがいて、そいつの家に行くと何度も聞かされました。
とりとめなさすぎなので、このへんで終わります。
しょうもない内容になってしまいましたが、定禅寺通のきれいな写真に免じて許してください。

次の原アナウンサーは、「みどりの○○」に思い出があるそうです。

子ども時代の宝物

佐藤 拓雄

2008/05/16

子どもの頃から、モノを大切にするタチでしたので、宝物はたくさんありました。
サンタさんにいただいた「パトカーの運転台のおもちゃ」や「マジンガーZのジャンボマシンダー」、小学校3年か4年の頃に流行った「怪獣スタンプ」などは、今持っていれば、別な意味でお宝なのかもしれませんが、どれもどこかへいってしまいました。なぜだろう。

それはともかく、小学校1年生頃、ものすごく大切にしていたのが、カメラです。父が買ってくれたものだと記憶しています。当時の父はかなりカメラに凝っていて、いつもペンタックスの一眼レフで運動会などの写真をたくさん撮ってくれました。父がカメラの手入れをしている姿もよく見ました。シュッシュッと空気を吹きかけてほこりを取ったり、レンズを磨いたり。そんな父を見ていたせいなのか、自分のカメラが欲しくて欲しくて・・・という経緯で買ってもらったものだったはずです。おもちゃではなく、子ども用でもありませんが、操作はほとんどシャッターを押すだけというもの。ピント合わせも必要なく、子どもでも簡単に操作できましたが、きちんとした写真が撮れました。
機種名もいまだに覚えています。「サクラパック100」。インターネットで検索してみたら、写真つきで見つかりました。そうそうこういう形だったなあ。コニカの製品だったんだ・・・非常に懐かしく、当時のことが思い出されました。
撮った写真で今も印象に残っているのは、6歳年下の弟が赤ちゃんの頃、風呂上りに素っ裸で部屋中を楽しそうに這い回る姿。祖父と散歩に行ったときに写真を撮ったことも、心に残っています。それにしても、フィルム代・現像代のことなどあまり考えず、パシャパシャ撮っていたなあ。
ただ、子どもの頃のカメラはこの一台だけ。カメラ少年になることもなく、中学、高校、大学、そして独身時代と、ほとんど写真を撮ることはありませんでした。
再び頻繁にシャッターを押すようになったのは、子どもが生まれてから。成長を残しておきたいという一心で、デジカメであるのもいいことに、膨大な量の写真を撮っている自分がいます。
デジカメも次々に買い替え、とうとうデジタル一眼レフまで買っちゃいましたが、その原点は、「サクラパック100」にあるのです。

次回は、このテーマのトリ、寺田アナウンサーです。

私のひとり暮らし

佐藤 拓雄

2008/04/18

19年前、1989年のちょうど今頃、大学入学と同時に僕の一人暮らしは始まりました。
最初のアパートは今考えてもかなりすごいアパートでした。6畳一間で家賃2万3千円、風呂・トイレ共同、築何年か不明(なほど古い)の木造2階建て。ドアは蹴ったら破れるんじゃないかと思うようなアルミ製のもの。壁も薄かった。さらには階段を誰かが昇り降りすると部屋がガタガタと微妙に揺れました…。
なぜそんなアパートに入ったのか?父の知人のお母さんが経営していて、その紹介で。それだけです。まあこんなものかなあ、と思って特に疑問もなく決めました。
あ、そうそう、電話もしばらくありませんでした。加入権が高かったし、あまり必要なかったので。
つまるところ、風呂なしトイレなし電話なし、もちろん彼女もなし。
でも、アパートのボロさよりも、ないない尽くしの生活よりも、僕にとっては初めての一人暮らし。うれしさ、楽しさのほうがまさっていました。大学の友達と毎晩のように誰かの部屋に集まって飲んで語って笑って。そんな楽しい楽しい毎日でした。
ですが、アルバイトも始め、仕送りの範囲でのやりくりも分かってきて、さらには、風呂ぐらい入りたいときに入りたいものだとか、トレンディドラマのようでなくても、もうちょっと小ぎれいな部屋に住んでみたいとか、段々にそういう欲が出てきます。
結局、その年の冬、近所にできた、フローリング、ロフト付、家賃4万4千円也の新築アパートに引っ越しました。もちろん風呂・トイレ付、階段を誰かが通っても揺れることもなく、ドアも頑丈。一気にグレードアップしたのでした。
その後、仙台放送の社宅、太白区内のアパートと、約9年間一人暮らしをしました。
そう言えば、一人暮らしを始めた1年後の春に、突然花粉症になりました。一人暮らしの自堕落な生活態度がいけなかったのかもしれないと思ったりしますが、後悔先に立たず。

次の当番は梅島アナウンサーです。箱入り娘を一人暮らしに出すとき、親御さんは、さぞかし心配されたことと思います。

私の新人時代

佐藤 拓雄

2008/03/28

入社当時の身分証明書が今もありました。これはその写真です。自分で言うのもなんですが、今よりスリムな点を除けば、あまり変わっていないような気がします。妻には爆笑されましたが、子どもたちはあまり驚かなかったので、それほど変わっていない、ということだと思っていいのかな、と。ビシッとした髪型にに新入社員の肩の力と初々しさが(笑)

さて、僕が仙台放送に入ったのは、1993年、15年前です。
入社1年目、担当番組、もちろんなし。夜の定時ニュースまたは昼のニュースまたは「スーパータイム」のスポーツコーナーが出番の全て。それ以外は、来る日も来る日もアナブースにこもり、発声練習、滑舌練習、ニュース原稿の読み練習を繰り返していました。要するに、人目に触れる仕事は非常に少なく、給料をもらいながら研修を続けていたようなものですが、練習はいつも一人。孤独でした。
同期入社の報道記者が一人前に記者リポートをこなしていたり、制作に配属された同期が番組制作にしっかり関わっていたりするのを見るにつけ、正直、僕はこんな毎日でいいのだろうかと悩み、不安だらけでした。入社したその日から「アナウンサー」と呼ばれているのに、自分の実力は「アナウンサー」たりえていない。自分が一人前になる日など訪れるのかと、出口の見えないトンネルの中で、もがき苦しんでいました。
今にして思えば、ニュースなど本番に臨む機会を設けながら、基礎を築く余裕を与えるという、当時の上司のバランスの取れた配慮に頭が上がりませんが、当時は辛かったなあ…。
なんだかやけに暗い話になってしまいましたが、決して「即戦力」ではなかった僕が今もなんとかやっていられるのは、この時期があったからこそ。4月には新人アナウンサーが入ってきますが、地道な基礎を大切に、新人時代を過ごしてほしいと思っています。

次は、大先輩、浅見アナウンサー。写真をチラッと見せていただきましたが、いやー、若い若い!あ、すみません。

どうしても捨てられないもの

佐藤 拓雄

2008/03/12

恥ずかしい話ですが、なかなかモノを捨てられない性質(たち)です。
まず、そもそも、物欲が強い。だから、いろいろなモノをすぐに欲しくなる。モノにはそれぞれ、こちらの思い入れがあるから、執着する。結果、家がモノであふれていく。この繰り返しです。時々、思い切って大量に捨てたりするのですが、またしばらくすると、「ふりだし」にもどる。
あ、でも、念のために言っておきますが、「買い物依存症」ではありません。中村うさぎでもありません。そんなにひどい買い物はしていません。多分していないと思う。していないんじゃないかな。って、「関白宣言」か。

それはともかく、そんな僕に、容赦なくダメ出しをしてくれる本があります。舛田光洋著「3日で運がよくなる「そうじ力」」。
この本によると、「そうじ力」の基本は、「換気」と「捨てる」。「捨てる」の章を開くと、ドキッとする言葉のオンパレードです。曰く、部屋にあふれるたくさんの荷物は、イコールその人の心の荷物だとか。そうかもしれません。
この本を読むたびに、どっさりモノを捨てて、身も心もさっぱりしている自分を想像しますが、なかなか実際の行動が伴わないのが僕のダメなところで、身についたのは「そうじ力」の心得だけ。現実の所有物は、増える一方です…なんとかしないとなあ。

結局、僕がどうしても捨てられないのは、物欲というか、モノへの執着というか、そういう自分の心なんでしょうねえ…

次は、原アナウンサー。あまりモノへの執着はなさそうに見えますが、どうなんでしょう?

あたたかくなる話

佐藤 拓雄

2008/02/22

渡り鳥の北帰行が始まったり、桜の開花予想が発表されたり、春が近づいていることを感じるニュースもありますが、まだ風は冷たく、やはり冬です。そんなわけで、今回の「アナ・ログ」は、「あたたかくなる話」をお題にしてみました。

さて、またまた、「出張でのひとコマ」シリーズです。今回は、今月の東京出張。
宿泊したホテルは、築地市場のすぐそば。となれば、市場の中の美味しいものを食べたくなるのが人情というものです。しかし、日中はずっと仕事、夜も予定がある。与えられた時間は朝の数時間しかありません。朝、ちょっと早目に起きて身支度を済ませ、築地市場へ向かいました。
仙台ほどではありませんが、朝の空気はかなり冷たく、東京もさすがに冬です。白い息を弾ませ、行列のできる寿司屋には目もくれず、目指す店はただ一つ、小さな洋食屋。どうしてもこの店で食べたいのでした。席の数は10ちょっと、間口も広くなく、うっかりすると通り過ぎてしまうような小さなお店ですが、うまい具合に、待つこともなく、すぐ席に着くことができました。
一年ぶりの再訪。店に入るや否や注文したのは、「マグロの尾肉のステーキ」。食事のメニューを決めることに関しては、いつも迷いに迷う僕ですが、この日は全く迷いなし。これを食べたくて食べたくて…。
「マグロの尾肉のステーキ」とは、文字通り、マグロの尾の部分の肉をステーキにしたもの。直径15cmほどの尾の肉を骨ごと輪切りにしてステーキに。厚さおよそ3㎝の厚切り尾肉を、(多分)、ワイン、醤油、バター、塩、コショウという、シンプルイズベストなソースにマヨネーズ、好みで辛子をちょっと添えて、いただきます。バターとワイン、そして香ばしい醤油の香りが、湯気とともにフワッと香ってきます。あー、書いているだけなのに、よだれが出てきそうです。ゴクリ。アツアツのホクホクで脂が乗ってて、もうウマいなんてもんじゃありません。ご飯は進むし、付け合せの千切りキャベツに、残ったソースをたっぷりひたひたにからめて食べる、これも最高です。
なんという満足度の高い朝食。一日分のエネルギーをもらい、冷たい風の中を、身も心もほっかほかになって、仕事へ向かいました。

次は、寺田アナウンサー。背中にカイロを貼る話ではないはずです。

私のカゼ予防法

佐藤 拓雄

2008/02/08

先日、系列の会議の出張で長崎に行きました。
九州は、これで鹿児島と熊本以外の5県(沖縄を含めれば6県)を訪れたことになりますが、改めて感じたのは、九州はどの県も「カラー」がはっきり分かれているなあということ。長崎で感じたのは(と言っても長崎市をちょこっと見ただけですが)、まず、歴史ある町だということ。1600年代に創業という店が古い建物のままフツーにあったり、さすがは江戸時代にオランダ貿易で栄えた町だなと感じさせられます。それから、建物が密集しているということ。長崎市の中心部だけなのでしょうが、東西の山にもびっしり建物が建っていたり、あの平和公園も入り口のすぐ脇に細いマンションが建っていたり、原爆爆心地のすぐ裏に小さいスナックがあったり。なんだかどこにでも建物が所狭しと建っている印象で、その中を縫うように、路面電車が走っています。この路面電車、昼間は約5分間隔ですぐ来るし、1回100円だし、すごく便利。「電停」は道路上にあるので、気軽に乗れるし、渋滞には巻き込まれないし、かなりいいです。仙台にもかつてはあったそうですが、地下鉄より利用しやすかったかもしれないなあ。

で、写真は、その長崎駅前での一枚ですが、ここでようやく本題です。すみません。「私のカゼ予防法」、第一はやはりマスクです。この写真は、それを言いたいがために撮ったので、別に長崎で撮らなくてもよかったのですが、それは話のつかみということで。

さて、僕の場合、日中にマスクをずっと外さないのは、間もなく到来するスギ花粉の季節だけなのですが、夜眠るときは、夏の暑い時期をのぞいて、ほとんどいつもマスクをしています。ノドに乾燥は大敵ですが、経験則上、寝ている間が一番乾燥しやすい。睡眠時のマスクはそれをしっかり防いでくれます。冬はこれに加湿器をプラスして、乾燥対策は万全です。とか言いつつ、朝になってみると、マスクがアゴのところにずり落ちていたり、おでこのところにあったり、あるいは枕元、足元に転がっていたり、ということはよくあるのですが…(笑)
ほかにも、手洗い・うがい、インフルエンザの予防接種等々いろいろ心がけていますが、それでも、かかるときはかかってしまうもの。絶対の予防法はないんでしょうね…

次回はスーパーニュースの相方・林アナウンサー。

雪といえば

佐藤 拓雄

2008/01/29

先日、東京の丸ビルで「奇跡のマンモス『リューバ』展」を見てきました。実物の写真撮影は禁止なので、入り口でパチリと一枚。開場直後から行列ができていました。
展示されているのは、雪と氷に閉ざされたシベリアの永久凍土から、ほぼ完全な形で発見された、マンモスの体です。およそ3万7千年前のものといいます。あまりに長すぎて、実感できないほどの時間です。「リューバ」と名づけられたそのマンモスは、生後約6ヶ月ということで、体長は120cmと大きくはありませんが、左半身を下にして横たわる姿は、ついさっきまで生きていたかのように思えるほど。足には体毛が残っていました。目は穏やかに閉じられており、眠っているだけのようにさえ見えます。目の前にすると、リューバが、3万7千年前から、突然時空を超えて現代にやってきたかのような、不思議な気持ちにとらわれました。
奇跡的な大発見ですが、このリューバが発見されたのは、シベリアの永久凍土が融け始めているからだといいます。実に皮肉なことで、地球温暖化の影響のようなのです。
永久凍土が、「永久」ではなくなってきている今の地球に、絶滅したマンモスが、雪と氷の中から姿を現した。この事実は重いなあと感じました。

次は、出射アナウンサー。「ユカ」さんの大好きな「ユキ」の話だそうです。

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