アナ・ログ

子ども時代の宝物

佐藤 拓雄

2008/05/16

子どもの頃から、モノを大切にするタチでしたので、宝物はたくさんありました。
サンタさんにいただいた「パトカーの運転台のおもちゃ」や「マジンガーZのジャンボマシンダー」、小学校3年か4年の頃に流行った「怪獣スタンプ」などは、今持っていれば、別な意味でお宝なのかもしれませんが、どれもどこかへいってしまいました。なぜだろう。

それはともかく、小学校1年生頃、ものすごく大切にしていたのが、カメラです。父が買ってくれたものだと記憶しています。当時の父はかなりカメラに凝っていて、いつもペンタックスの一眼レフで運動会などの写真をたくさん撮ってくれました。父がカメラの手入れをしている姿もよく見ました。シュッシュッと空気を吹きかけてほこりを取ったり、レンズを磨いたり。そんな父を見ていたせいなのか、自分のカメラが欲しくて欲しくて・・・という経緯で買ってもらったものだったはずです。おもちゃではなく、子ども用でもありませんが、操作はほとんどシャッターを押すだけというもの。ピント合わせも必要なく、子どもでも簡単に操作できましたが、きちんとした写真が撮れました。
機種名もいまだに覚えています。「サクラパック100」。インターネットで検索してみたら、写真つきで見つかりました。そうそうこういう形だったなあ。コニカの製品だったんだ・・・非常に懐かしく、当時のことが思い出されました。
撮った写真で今も印象に残っているのは、6歳年下の弟が赤ちゃんの頃、風呂上りに素っ裸で部屋中を楽しそうに這い回る姿。祖父と散歩に行ったときに写真を撮ったことも、心に残っています。それにしても、フィルム代・現像代のことなどあまり考えず、パシャパシャ撮っていたなあ。
ただ、子どもの頃のカメラはこの一台だけ。カメラ少年になることもなく、中学、高校、大学、そして独身時代と、ほとんど写真を撮ることはありませんでした。
再び頻繁にシャッターを押すようになったのは、子どもが生まれてから。成長を残しておきたいという一心で、デジカメであるのもいいことに、膨大な量の写真を撮っている自分がいます。
デジカメも次々に買い替え、とうとうデジタル一眼レフまで買っちゃいましたが、その原点は、「サクラパック100」にあるのです。

次回は、このテーマのトリ、寺田アナウンサーです。

私のひとり暮らし

佐藤 拓雄

2008/04/18

19年前、1989年のちょうど今頃、大学入学と同時に僕の一人暮らしは始まりました。
最初のアパートは今考えてもかなりすごいアパートでした。6畳一間で家賃2万3千円、風呂・トイレ共同、築何年か不明(なほど古い)の木造2階建て。ドアは蹴ったら破れるんじゃないかと思うようなアルミ製のもの。壁も薄かった。さらには階段を誰かが昇り降りすると部屋がガタガタと微妙に揺れました…。
なぜそんなアパートに入ったのか?父の知人のお母さんが経営していて、その紹介で。それだけです。まあこんなものかなあ、と思って特に疑問もなく決めました。
あ、そうそう、電話もしばらくありませんでした。加入権が高かったし、あまり必要なかったので。
つまるところ、風呂なしトイレなし電話なし、もちろん彼女もなし。
でも、アパートのボロさよりも、ないない尽くしの生活よりも、僕にとっては初めての一人暮らし。うれしさ、楽しさのほうがまさっていました。大学の友達と毎晩のように誰かの部屋に集まって飲んで語って笑って。そんな楽しい楽しい毎日でした。
ですが、アルバイトも始め、仕送りの範囲でのやりくりも分かってきて、さらには、風呂ぐらい入りたいときに入りたいものだとか、トレンディドラマのようでなくても、もうちょっと小ぎれいな部屋に住んでみたいとか、段々にそういう欲が出てきます。
結局、その年の冬、近所にできた、フローリング、ロフト付、家賃4万4千円也の新築アパートに引っ越しました。もちろん風呂・トイレ付、階段を誰かが通っても揺れることもなく、ドアも頑丈。一気にグレードアップしたのでした。
その後、仙台放送の社宅、太白区内のアパートと、約9年間一人暮らしをしました。
そう言えば、一人暮らしを始めた1年後の春に、突然花粉症になりました。一人暮らしの自堕落な生活態度がいけなかったのかもしれないと思ったりしますが、後悔先に立たず。

次の当番は梅島アナウンサーです。箱入り娘を一人暮らしに出すとき、親御さんは、さぞかし心配されたことと思います。

私の新人時代

佐藤 拓雄

2008/03/28

入社当時の身分証明書が今もありました。これはその写真です。自分で言うのもなんですが、今よりスリムな点を除けば、あまり変わっていないような気がします。妻には爆笑されましたが、子どもたちはあまり驚かなかったので、それほど変わっていない、ということだと思っていいのかな、と。ビシッとした髪型にに新入社員の肩の力と初々しさが(笑)

さて、僕が仙台放送に入ったのは、1993年、15年前です。
入社1年目、担当番組、もちろんなし。夜の定時ニュースまたは昼のニュースまたは「スーパータイム」のスポーツコーナーが出番の全て。それ以外は、来る日も来る日もアナブースにこもり、発声練習、滑舌練習、ニュース原稿の読み練習を繰り返していました。要するに、人目に触れる仕事は非常に少なく、給料をもらいながら研修を続けていたようなものですが、練習はいつも一人。孤独でした。
同期入社の報道記者が一人前に記者リポートをこなしていたり、制作に配属された同期が番組制作にしっかり関わっていたりするのを見るにつけ、正直、僕はこんな毎日でいいのだろうかと悩み、不安だらけでした。入社したその日から「アナウンサー」と呼ばれているのに、自分の実力は「アナウンサー」たりえていない。自分が一人前になる日など訪れるのかと、出口の見えないトンネルの中で、もがき苦しんでいました。
今にして思えば、ニュースなど本番に臨む機会を設けながら、基礎を築く余裕を与えるという、当時の上司のバランスの取れた配慮に頭が上がりませんが、当時は辛かったなあ…。
なんだかやけに暗い話になってしまいましたが、決して「即戦力」ではなかった僕が今もなんとかやっていられるのは、この時期があったからこそ。4月には新人アナウンサーが入ってきますが、地道な基礎を大切に、新人時代を過ごしてほしいと思っています。

次は、大先輩、浅見アナウンサー。写真をチラッと見せていただきましたが、いやー、若い若い!あ、すみません。

どうしても捨てられないもの

佐藤 拓雄

2008/03/12

恥ずかしい話ですが、なかなかモノを捨てられない性質(たち)です。
まず、そもそも、物欲が強い。だから、いろいろなモノをすぐに欲しくなる。モノにはそれぞれ、こちらの思い入れがあるから、執着する。結果、家がモノであふれていく。この繰り返しです。時々、思い切って大量に捨てたりするのですが、またしばらくすると、「ふりだし」にもどる。
あ、でも、念のために言っておきますが、「買い物依存症」ではありません。中村うさぎでもありません。そんなにひどい買い物はしていません。多分していないと思う。していないんじゃないかな。って、「関白宣言」か。

それはともかく、そんな僕に、容赦なくダメ出しをしてくれる本があります。舛田光洋著「3日で運がよくなる「そうじ力」」。
この本によると、「そうじ力」の基本は、「換気」と「捨てる」。「捨てる」の章を開くと、ドキッとする言葉のオンパレードです。曰く、部屋にあふれるたくさんの荷物は、イコールその人の心の荷物だとか。そうかもしれません。
この本を読むたびに、どっさりモノを捨てて、身も心もさっぱりしている自分を想像しますが、なかなか実際の行動が伴わないのが僕のダメなところで、身についたのは「そうじ力」の心得だけ。現実の所有物は、増える一方です…なんとかしないとなあ。

結局、僕がどうしても捨てられないのは、物欲というか、モノへの執着というか、そういう自分の心なんでしょうねえ…

次は、原アナウンサー。あまりモノへの執着はなさそうに見えますが、どうなんでしょう?

あたたかくなる話

佐藤 拓雄

2008/02/22

渡り鳥の北帰行が始まったり、桜の開花予想が発表されたり、春が近づいていることを感じるニュースもありますが、まだ風は冷たく、やはり冬です。そんなわけで、今回の「アナ・ログ」は、「あたたかくなる話」をお題にしてみました。

さて、またまた、「出張でのひとコマ」シリーズです。今回は、今月の東京出張。
宿泊したホテルは、築地市場のすぐそば。となれば、市場の中の美味しいものを食べたくなるのが人情というものです。しかし、日中はずっと仕事、夜も予定がある。与えられた時間は朝の数時間しかありません。朝、ちょっと早目に起きて身支度を済ませ、築地市場へ向かいました。
仙台ほどではありませんが、朝の空気はかなり冷たく、東京もさすがに冬です。白い息を弾ませ、行列のできる寿司屋には目もくれず、目指す店はただ一つ、小さな洋食屋。どうしてもこの店で食べたいのでした。席の数は10ちょっと、間口も広くなく、うっかりすると通り過ぎてしまうような小さなお店ですが、うまい具合に、待つこともなく、すぐ席に着くことができました。
一年ぶりの再訪。店に入るや否や注文したのは、「マグロの尾肉のステーキ」。食事のメニューを決めることに関しては、いつも迷いに迷う僕ですが、この日は全く迷いなし。これを食べたくて食べたくて…。
「マグロの尾肉のステーキ」とは、文字通り、マグロの尾の部分の肉をステーキにしたもの。直径15cmほどの尾の肉を骨ごと輪切りにしてステーキに。厚さおよそ3㎝の厚切り尾肉を、(多分)、ワイン、醤油、バター、塩、コショウという、シンプルイズベストなソースにマヨネーズ、好みで辛子をちょっと添えて、いただきます。バターとワイン、そして香ばしい醤油の香りが、湯気とともにフワッと香ってきます。あー、書いているだけなのに、よだれが出てきそうです。ゴクリ。アツアツのホクホクで脂が乗ってて、もうウマいなんてもんじゃありません。ご飯は進むし、付け合せの千切りキャベツに、残ったソースをたっぷりひたひたにからめて食べる、これも最高です。
なんという満足度の高い朝食。一日分のエネルギーをもらい、冷たい風の中を、身も心もほっかほかになって、仕事へ向かいました。

次は、寺田アナウンサー。背中にカイロを貼る話ではないはずです。

私のカゼ予防法

佐藤 拓雄

2008/02/08

先日、系列の会議の出張で長崎に行きました。
九州は、これで鹿児島と熊本以外の5県(沖縄を含めれば6県)を訪れたことになりますが、改めて感じたのは、九州はどの県も「カラー」がはっきり分かれているなあということ。長崎で感じたのは(と言っても長崎市をちょこっと見ただけですが)、まず、歴史ある町だということ。1600年代に創業という店が古い建物のままフツーにあったり、さすがは江戸時代にオランダ貿易で栄えた町だなと感じさせられます。それから、建物が密集しているということ。長崎市の中心部だけなのでしょうが、東西の山にもびっしり建物が建っていたり、あの平和公園も入り口のすぐ脇に細いマンションが建っていたり、原爆爆心地のすぐ裏に小さいスナックがあったり。なんだかどこにでも建物が所狭しと建っている印象で、その中を縫うように、路面電車が走っています。この路面電車、昼間は約5分間隔ですぐ来るし、1回100円だし、すごく便利。「電停」は道路上にあるので、気軽に乗れるし、渋滞には巻き込まれないし、かなりいいです。仙台にもかつてはあったそうですが、地下鉄より利用しやすかったかもしれないなあ。

で、写真は、その長崎駅前での一枚ですが、ここでようやく本題です。すみません。「私のカゼ予防法」、第一はやはりマスクです。この写真は、それを言いたいがために撮ったので、別に長崎で撮らなくてもよかったのですが、それは話のつかみということで。

さて、僕の場合、日中にマスクをずっと外さないのは、間もなく到来するスギ花粉の季節だけなのですが、夜眠るときは、夏の暑い時期をのぞいて、ほとんどいつもマスクをしています。ノドに乾燥は大敵ですが、経験則上、寝ている間が一番乾燥しやすい。睡眠時のマスクはそれをしっかり防いでくれます。冬はこれに加湿器をプラスして、乾燥対策は万全です。とか言いつつ、朝になってみると、マスクがアゴのところにずり落ちていたり、おでこのところにあったり、あるいは枕元、足元に転がっていたり、ということはよくあるのですが…(笑)
ほかにも、手洗い・うがい、インフルエンザの予防接種等々いろいろ心がけていますが、それでも、かかるときはかかってしまうもの。絶対の予防法はないんでしょうね…

次回はスーパーニュースの相方・林アナウンサー。

雪といえば

佐藤 拓雄

2008/01/29

先日、東京の丸ビルで「奇跡のマンモス『リューバ』展」を見てきました。実物の写真撮影は禁止なので、入り口でパチリと一枚。開場直後から行列ができていました。
展示されているのは、雪と氷に閉ざされたシベリアの永久凍土から、ほぼ完全な形で発見された、マンモスの体です。およそ3万7千年前のものといいます。あまりに長すぎて、実感できないほどの時間です。「リューバ」と名づけられたそのマンモスは、生後約6ヶ月ということで、体長は120cmと大きくはありませんが、左半身を下にして横たわる姿は、ついさっきまで生きていたかのように思えるほど。足には体毛が残っていました。目は穏やかに閉じられており、眠っているだけのようにさえ見えます。目の前にすると、リューバが、3万7千年前から、突然時空を超えて現代にやってきたかのような、不思議な気持ちにとらわれました。
奇跡的な大発見ですが、このリューバが発見されたのは、シベリアの永久凍土が融け始めているからだといいます。実に皮肉なことで、地球温暖化の影響のようなのです。
永久凍土が、「永久」ではなくなってきている今の地球に、絶滅したマンモスが、雪と氷の中から姿を現した。この事実は重いなあと感じました。

次は、出射アナウンサー。「ユカ」さんの大好きな「ユキ」の話だそうです。

初○○

佐藤 拓雄

2008/01/16

去年秋のアメリカ・メディア研修での出来事。
サービス精神旺盛な国、アメリカだからなのか、講義では必ずコーヒーやデニッシュ類、ベーグルなどが会場の後方に用意され、セルフサービスで自由にいただけるようになっていました。朝などは特にありがたいサービス。日本でもこんなサービスがあったらいいのになあ、などと思いながら、毎回いただいていました。
その中で、バツグンにおいしかったのが、あるテレビ局で出されたドーナツ。見た目は、砂糖のついたフツーのリングドーナツでしたが、一口食べると、その食感に「おっ!」。ふわふわしていて、しっとり、そして、実に丁度よいモチモチ感。今まで食べたどのドーナツとも違う、まったく初めてのおいしさだったのです。サービスのケータリングだというのをいいことに、ちゃっかりもう一個食べてしまいました。
このドーナツ、実は、最近日本に上陸し、3つしかない日本の店では、長ーーーい行列ができているのだと、研修仲間の一人が教えてくれました。そうだったのか。そう言えば、店の名前こそ聞いたのは初めてでしたが、行列のできるドーナツショップ、テレビで見たことがあったゾ。もうこの時点で、いずれ機会を見つけて日本で買って食べよう、と決意は固まっていました。
その機会は意外と早く訪れ、先日、東京の店に行くことができました。平日の昼間だというのに、やはり店には長い行列、そして、入り口には「ただいまの待ち時間1時間」(!)とのインフォメーションも出ています。覚悟を決めて並び、実際には、30分程度でドーナツにありつけましたが、うれしかったのは、並んでいる人たちに、その場で食べてくださいと、1個ずつサービスでドーナツが配られたこと。僕などはそれで満足してしまい、もう、これで帰ってもいいかな、というくらいの気持ちでしたが(ウソです)、並びながら食べたできたてのあの味、これまた何とおいしかったことか。
結局、ここぞとばかり、3ダースも買って、家族だけでなく、喜んでくれそうな人を選んで配りました。
話題のドーナツ、初めての食感をぜひお試しあれ!

続いては、去年、「初スポーツ実況」を経験した板垣アナウンサーです。

大みそか

佐藤 拓雄

2007/12/21

大みそかと言えば、紅白歌合戦・・・いやいや、そんなことを言うほどベタな人間ではありません。ここ何年も全く見ていません。
しかし、毎年、この紅白歌合戦に関して、なんだかなあと苦々しく思うことがあります。
それは、紅白出場者決定の日、民放がご丁寧にそれを紹介すること。僕自身が、伝えている側の人間であることを承知の上で、物申す!
今年も、我がスーパーニュースでも、5時台の芸能コーナーで、出演者の記者会見やプロフィールなど、かなりの時間を割いて実に詳しく伝えていました。当のNHKでもここまでやっていないのでは、と思うほどでした。さらにずっこけたのは、その出場者紹介の話題のあと、フジテレビがその大みそかの同じ時間に放送する番組を、VTRも使わず、数枚の写真で、申し訳程度に紹介したこと。時間にして30秒程度でした。こんなことがあっていいんでしょうか。
確かに、紅白歌合戦は、かつてほどではないにせよ、話題ではあります。出場者が誰なのかは、視聴者の関心も高いでしょうし、その関心に応える、という編集方針も分からないではありません。
それでも、です。結局のところ、紅白の出場者を紹介するのは、競争相手である他の放送局の番組宣伝をしていることにほかなりません。全くやるべきでない、とまでは言いませんが、やはり、そういう冷めた視点で考えるべきことなんじゃないかなあ、と思うのです。
フツーに考えて、私たちテレビ局が、他のテレビ局の番組の宣伝になるような放送をすることはありえません。紅白だけ特別扱いなのですが、今や、紅白も特別な番組ではない気がします。自分たちの番組を「裏番組」扱いするようないじけた発想から抜け出さないといけないのに、なんとも苦々しく残念な気持ちで、毎年恒例の芸能ニュースを今年も見ました。

続いては、10日遅れですが、清水寺から、出射さーーーん!

クリスマスプレゼントの思い出

佐藤 拓雄

2007/12/17

写真で手にしているのは、「20Q(トゥエンティーキュー)」というおもちゃ。心に思い浮かべたもの(一般的な名詞など)を当ててしまうという不思議なおもちゃです。先日、長男が子ども会のクリスマスプレゼントとしてもらってきたのですが、これが、怖いくらいによく当たるので、親子で夢中になってしまいました。機会があればお試しください。

さて、本題。クリスマスに、サンタクロースにプレゼントを贈ったことがあります。

小学生の頃でした。寒いクリスマスイブに、ふと「こんなに寒くてサンタさんは大変なんだろうなあ」と思ったことがきっかけ。そこから思いつきで、「サンタさんのために紅茶を置いておいてあげたい」と、母に願い出て、温かい紅茶をポットに用意してもらったのです。サンタさんにあてた手紙も書きました。
翌朝、プレゼントがあるかどうかよりも先に紅茶を確認すると、全部飲んでありました!しかも、お礼の手紙まであったのです。何とうれしかったことでしょうか。大人になりそのわけを理解した今でも、クリスマスのうれしい出来事として、真っ先に思い出します。

この体験をもとに、4年前、童話を書きました。
ある童話賞に応募するためだったのですが、今まで一度も童話を書いたことなどなかった僕が、なぜか突然アイデアが浮かび、一気に書いてしまいました。もしかすると、それも、サンタさんからのプレゼントだったのかもしれません。

童話を通して言いたかったのは、「サンタクロースは心の中にいる」ということ。親になり、「サンタクロースは本当にいるの?」と子どもに聞かれたら、どう答えようか。そういう自分自身の問いに、童話で答えることができた気がしました。

以来、我が家では、子どもたちの希望で毎年サンタさんに紅茶を用意しています。

明日からは、新しいテーマ。トップバッターは、林アナウンサーです。

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