アナ・ログ

東日本大震災10年

佐藤 拓雄

2021/03/19

10年前、1歳8か月だった次男は、東日本大震災の記憶は全くないそうです。
現在小学5年。これまで、幼稚園や小学校では、折に触れて震災の話や防災の話をされているようですし、私も時々話をしたり、被災地に連れていったりしていますが、「津波は怖い、海は怖い」という漠然とした恐怖感だけ持っているようで、どうもピンと来ていないようです。
やはり、実感が持てないのでしょう。
全国的に見れば、私の住む仙台は、被災地そのものかもしれませんが、ピンポイントな私たち家族の暮らしは、今や震災の影響を感じなくなっていますので、なおさらです。

10年経った今、震災後に生まれた子どもと当時乳幼児だった子ども、つまり今の小学生以下が、震災を経験していない世代と言えます。
あと10年したら、全ての未成年世代が震災を経験していないことになります。

そう考えても、これから、震災をどう伝えていくのか、ということがますます重要であり、かつ、難しくなっていくのだと思います。

一方で、この1年、大学生の長女は、何度も被災地や震災遺構の見学に連れ出したり、震災の話をしたりして、それなりに感じるところがあったように見えます。
県外の大学に入学したものの1年を通してオンライン授業となってしまい、結果として実家暮らしが続きましたが、その分このような機会を持てて、思わぬ副産物になりました。
長女は、震災当時小学4年。揺れをはじめ当時の記憶はいろいろあるようですが、当初はやはり怖がったり、もう少し年齢が上がっても、今度は学校生活の忙しさや受験等もあったりと、なかなか震災を学ぶ機会が持てませんでした。
大学生になった今、こうした機会を持てたことは、親としてよかったと素直に思っています。
【写真】の、山元町の震災遺構・中浜小学校も、その長女と訪れました。

次の世代に震災を伝えていくことは、私たち震災を経験した者にとっては「責務」と言ってよい、一生の課題だと思っています。
ただ、震災を知り、受け止めていこうという気持ちになるには、それぞれの心境の変化、特に子どもたちは心の成長が大切なのだろうと、このところ思っています。

アナウンサーという仕事を通して、震災を伝え続けていくことはもちろんですが、それとは別に、震災を経験した大人の一人として、少しずつでも、次の世代に震災を伝えていくことも私の責任だという思いも、10年経って強まっています。

次は、高橋咲良アナウンサーです。

鍋のお話

佐藤 拓雄

2021/02/27

この冬、我が家の夜の食卓には、毎日のように鍋が上りました。

我が家の場合、鍋が主菜ということは少なく、何かおかずがあって、それにプラス鍋。
中身は、白菜、大根、ねぎなど野菜が主で、だしで煮て味付けなし。
これをそれぞれ好きなだけ取って、しょうゆ、ぽん酢、キムチなど、好みの味をつけて食べるのです。
私は専ら塩。時々胡椒もふったりしますが、シンプルな味付けで飽きが来ません。
ただ、家族からは、毎回「塩ふり過ぎ!塩分多すぎ!高血圧になるよ!」と一斉に非難を浴びます・・・
小5の次男の食べ方も独特で、毎回、しょうがとにんにくだけ。塩分を足さないシンプルな味付けで美味しそうに食べています。

我が家の鍋がこうなっているのには、もちろんいくつかの理由があります。

一つは、5人の食事、という点。
オンライン授業の1年で、大学生の二人が実家暮らしとなり、久しぶりに一家5人がそろう毎日ですが、家族とはいえ、食の好みにはそれぞれ微妙な違いがあったりします。その少しの違いが5人分だと大きな違いになることもあります。
しかし、鍋には家族全員誰も文句を言わない、常にほぼ全員一致で、いいね、なのです。
ただ、文句は言いませんが、その味付けは好みが違い、だったらセルフで、ということでそれぞれが好きな味で食べる形に。

また、鍋だととにかく野菜が摂れる、という点も大きいです。
分量もそうですし、子どもたち(と言っても3人中2人は成人ですが)も、鍋だと野菜をたくさん食べます。
我が家の鍋は、野菜をたくさん摂るための汁物、という感覚に近いかもしれません。

そして、この鍋の残りが翌朝の汁物になります。雑炊になることもあります。
ここは味一択なので、時々不満げな人がいたりしますが・・・苦笑

そんな「毎日鍋生活」も春の訪れとともに終わるのか???
季節もそうですが、大学生二人の新年度の生活スタイルによっても、我が家の食卓は大きく変わってきそうです。

【写真】鍋と何も関係ありませんが、最近思いついて、市販の安い大福に、自分でいちごを入れ、「いちご大福」を自作してみました。「セルフいちご大福」いけるいける。売ってるいちご大福と変わりない!と自己満足(笑)

続いては、西ノ入アナウンサーです。

私の苗字は・・・

佐藤 拓雄

2021/02/04

今日から新しいお題です。
今回は、堤アナウンサーの発案で、「私の苗字は・・・」。

堤アナウンサー曰く、「2月13日は「苗字の日」。明治8年に国民全員が姓を名乗ることが義務付けられた日だそうです。皆さんの苗字の「あるある」や成り立ちなど、苗字について様々に語っていただければと思います。」

そのトップバッターが、日本で一番ありふれた名字の私です(笑)
いや、ありふれた、というとネガティブですので、「日本一多い」としましょう。

考えてみれば、人生で「日本一」などという称号を受けることはまずないわけですから、苗字だけでも日本一というのも悪くないかもしれません。

そんな「佐藤」ですので、幼稚園から小中高大学、そして現在に至るまで、どのコミュニティーでも、ほぼ複数「佐藤」姓がいるのが常です。ですから、まず苗字で呼ばれない、というのが一番の「あるある」でしょうか。

私の場合、「拓雄」「拓雄くん」「拓雄さん」「拓ちゃん」あたりが定番。
多くの場合、他に佐藤姓がいなくても、下の名前で呼ばれます。
そんな人生ですから、「佐藤さん」「佐藤君」と呼ばれる場合は、どことなくそう呼ぶ人と私の間に距離を感じてしまいますが、それは私の勝手というものでしょうね。

ところで、苗字と言えば、選択的夫婦別姓制度。
そうしたい人がそうする、という「選択的」な制度なのですから、それほど難しいことではないと思うのですが、どうして進まないんでしょうね。
私は夫婦で佐藤ですし、制度があっても夫婦別姓を選ぶかどうかは分かりませんが、少なくともそういう希望がある人たちが制度上そうできないというのは、よいことではないと私は思っています。

【写真】は、仙台放送から見えた泉ヶ岳。あまりにきれいに見えたので撮りました。クレーンを撮りたかったわけではなく、しかも、肉眼の方がもっときれいに見えたのですが・・・(苦笑)

明日は、「金澤」アナウンサーのお話です。

今年こそは〇〇!

佐藤 拓雄

2021/01/22

親として、この一年近く、一番気を揉んできたことの一つは、子どもたちの学校のことです。

小学生の次男については、去年3月から3ヶ月にわたる臨時休校中はその間の過ごし方や本人の気持ちなど、4月5月は学校再開に関してのゴタゴタ、6月に始まったら始まったで、異例のことずくめの学校がどうなっていくのか、そしてもちろん感染の恐れは・・・と心配は尽きませんが、それでも毎日なんとか元気に通えているのは何よりです。

一方で、いまだ先が見えないのは、長男・長女の大学の今後です。
別々の大学に通っていますが、二人とも全てオンライン授業で、貴重な大学生活の一年間が終わろうとしています。
このアナ・ログにも何回か書いてきましたが、特に1年生の長女は、一度もキャンパスで授業を受けたことがありません。
それでも、二人とも、今できることをやりながら日々生活しているのは、たくましいと思う一方で、今年こそは、大学生らしい生活を送ってほしいというのが、親としての一番の願いであり、非常にもどかしい気持ちでもあります。

それにしても、小中高校は、通学で対面の授業を行っているのに、なぜ大学だけがオンラインなのか。
「大学生は小中高校生に比べて行動範囲が広く、交流や接触の機会が格段に増えるから、感染の危険が高まる」ということらしいですが、それは大学生をあまりに低く見ていませんか?
確かにそういう学生もいるとは思います。
しかし、大学も小中高校と同じく教育機関であることを考えれば、コロナへの対処や感染しないための行動を、大学として学生たちに教育していくのも務めなのではないか、それをせずにオンライン授業をやっておけばそれでいいというのは教育機関としてどうなのか、と思ったりもするのです。

大学というのは、授業だけでなく、様々な人との出会いや経験の中で、子どもから大人へと成長していく大切な時間であり空間であると思っています。
オンライン授業が行われ単位が取れた、イコール大学生活が送れた、ということではないと思うのです。

とにかく、どうか今年こそは、そういう場に身を置けるような状況になってほしい、と思います。

そんな私の期待や希望とは裏腹に、感染拡大は治まらず、あと2ヶ月ちょっとで来年度というこの時期に、またもや緊急事態宣言。
今後、宣言が解除されても実際にはあまり減っていない、という中途半端な状況も考えられ、その中で上京させるとしたら、それはそれで心配で・・・

【写真】は先週の仙台放送前。今年は例年になく雪が多いですね。

次は、寺田アナウンサーです。

2021年コレが気になる

佐藤 拓雄

2021/01/15

今年も、仙台放送アナウンス部をよろしくお願いいたします。
今年こそは、誰にとっても良い年になることを祈るばかりです。

2021年も、気になるのは、新型コロナウイルスの状況です。年が明けても、一向に収束しませんが、これは誰にとっても同じことなので、あえてここでは書かず、別の話にします。

このアナ・ログで何度か書いていますが、仙台在住の作家・伊坂幸太郎さんの小説が大好きです。

去年、新刊を読み終えたあとに、なんとなくチェックしてみたら、全作品を読んでしまっていました。

私は、読んだ本は、スマホアプリに登録して「足し算」式に管理しているのですが、読んでいない本のリストは作っていません。本屋や図書館で出会った順番に、脈絡なく読んできたのですが、伊坂作品に関しては、どうもこのところ既に読んだものにしか出会わなくなったので、点検してみたらそういうことになっていたのです。

伊坂さんの作品は、とにかくハズレがありません。一度もがっかりしたことがないのです。「※あくまで個人の感想です」が、全部読んだ私の実感ですので、少しは説得力ありますか?
もちろん好みはあると思いますが、全作品がおススメです。ですので、これがおススメ、ということは言いません、あえて。

ともかく、新たに読むべき伊坂作品がなくなってしまった、これは私にとって大変な事態です。
なにしろ、あのワクワク、そして、やられた!を、新たに感じることができないのですから。

仕方がないので、2周り目に入りました。
それでも十分面白く、発見もありますし、ストーリーを忘れているものもあったりしますが、やはり、新作を読みたい!

・・・と言いつつ雑誌掲載まではチェックせず、単行本オンリーの読者ですが、2021年、伊坂幸太郎さんの新作がいつ出るのか、気になります。

【写真】は、小5の次男が気になっている、というよりはハマっている某漫画の、呪いの物体・・・タネを明かせば、次男が、拾ってきた木の枝をそれらしく箱に入れたものですが、確かに、それっぽい(笑)分かる方には分かりますよね?

続いては、西ノ入アナウンサーです。

冬の楽しみ

佐藤 拓雄

2020/12/25

クリスマスですね。
我が家では、小学5年の次男のところには、サンタクロースがやってきました。

「冬の楽しみ」といえば、何と言ってもクリスマスプレゼント。
・・・いや、これは、私ではなく、その次男の話です。

12月に入ると、いやその前、冬が近づいてくると、次男の物欲が加速度的に大きくなってきます。
あれが欲しい、これが欲しいと、その欲望はとどまることを知りません。
自分で勝手に、サンタさんにはこれ、パパとママにはこれ、おじいちゃんにはこれ、おばあちゃんにはこれ、と割り当てて要望し、全く遠慮がありません。
これを「微笑ましい」とみることもできますが、親として何かを間違えてしまったのかという自己嫌悪と困惑で、正直に言えば、あまりいい気持ちにはなりません。
一体いつからこんなに欲張りになったのか、いや、子どもというのは、自分の子ども時代を含め、そもそもそうなのでしょうが、それにしても、クリスマスプレゼントを「当然の権利」のようにねだられるのには、やはり辟易とするわけで・・・

そういえば、かつてドラマ化もされた漫画「ぽっかぽか」で、幼稚園児の娘・あすかが、サンタクロースに「中くらいの箱をください」とお願いしたのは、微笑ましく心温まったなあ・・・

次男にとっての「冬の楽しみ」、クリスマスが終わると、次は誕生日。夏生まれの次男の物欲は、夏に向かって少しずつ上昇し、初夏に、年に2回のピークのうちのもう一つを迎えます。

こういうのがいつまで続くのか。
でも、こういうことを言わなくなってくると、もう「子ども」ではなくなり、「あの頃はかわいかったなあ」と、親として懐かしがる時期が来ることも、いまや成人した長男・長女の時の経験から分かってはいるんですけどね。


さて、「アナ・ログ」、今年はこれが最後です。今年もご愛読ありがとうございました。
年末年始のお休みをいただいて、また新年1月4日から、次のお題で、飯田アナウンサーからスタートします。

幼い頃に憧れた職業

佐藤 拓雄

2020/12/03

今回のテーマ、2007年にも「子どもの頃なりたかったもの」というお題で、同じような話を書いていました。帽子に憧れてコックになりたかった、という話。詳しくはそちらをご覧ください。
・・・というわけにもいかないですね。

コック以降、憧れた職業と言えば、漫画家です。

小学生から中学生にかけて、とにかくよく漫画を読んでいて、小遣いのほとんどを漫画につぎ込んでいました。

漫画の原体験ともいえる「ドラえもん」に始まり、「ドカベン」「ブラックジャック」といった不朽の名作をリアルタイムで読み、「マカロニほうれん荘」に衝撃を受け、「キャプテン翼」でアディダスの帽子をかぶったりしました。「あしたのジョー」や「がんばれ元気」でボクシングの奥深さを知り、矢吹丈が「真っ白な灰」になったラストシーンは、絵を描き写しました。
なかでも、「ドクタースランプ」の登場は私にとっては革命的で、鳥山明さんのような絵とギャグマンガを描きたい、少年ジャンプの漫画賞に応募しようかと、インクをつけるタイプのペンを買って、色々な絵を模写しました。

今思うと、いろんな物事にすぐ感化される子どもだったんですね。

ただ、絵を模写したり、自分で「それ風」の絵を描いたりすることは、ある程度できるようになりましたが、肝心のストーリーが全く思いつかない(笑)
漫画家ってすごいなあ、と改めて思いつつ、夢は夢のままで終わったのでした。

そんなことを書いていたら、一昨日、偉大な野球漫画家、水島新司さんが引退を発表しました。発表翌日のスポーツ紙が揃って一面トップで大きく報じていて、改めてその存在の大きさが分かります。
「ドカベン」をはじめとする水島野球漫画は、多くの人がそうであるように、私にとっても、「教科書」であり「基本書」です。さらに言えば、「ドカベン」は息子2人と親子二代にわたる愛読者です。
楽天初年度の2005年、水島さんが楽天の本拠地へ取材にいらっしゃいました。私自身も野球の取材で行っていたのですが、私にとっては水島新司さんの姿を見たことが、その日一番の出来事でした。
引退は寂しいですが、水島さん、本当にありがとうございました。

寂しいと言えば、もうお一人、「釣りキチ三平」の矢口高雄さんの逝去。本当に絵が美しく、矢口さんの描く魚たちは、生きて動いているような生命力にあふれていて、子どもながら毎回息を飲みました。
矢口さんにも感謝の気持ちでいっぱいです。

【写真】石巻で見つけた「サイボーグ009」。こちらも偉大な漫画家で宮城出身の石ノ森章太郎さんの作品です。これも面白かったなあ。

続いては、堤アナウンサーです。

Myルール

佐藤 拓雄

2020/11/06

私は、特に仕事に関しては「Myルール」を作らないようにしています。
逆説的に、それが「Myルール」といえばそうなりますが、そういうルーティンを設けて、それがないとダメ、ということになるのがよくない、という考えからです。
入社してくる新人のアナウンサーたちを指導する立場になってからは、その新人アナウンサーたちにも、放送に臨むにあたってのルーティンを設けない方がいいよ、と伝えています。人それぞれではありますが、ルーティンが達成されないことで動揺するのも本末転倒ですからね。

それでも、放送に関しては、「Myルール」というより、「アナウンサールール」は存在します。

例えば、放送直前に絶対に走ってはいけない。
息が切れるからです。
それは当たり前でしょう、と思った方もいるかもしれませんが、特にこれを忘れてはいけないのは緊急時です。
一刻も早くスタジオに行き、緊急放送を、という事態でも、やはり走ってはダメなのです。
東日本大震災の時、揺れてすぐに、アナウンス部の自席からスタジオに向かいました。
大した距離ではないのに、スタジオが遠く感じ、非常にもどかしかったですが、それでも、走ってはいけないということは忘れませんでした。
もっとも、この時は、まだ大きく揺れている中だったので、スタジオに向かう途中も体が左へ右へと持っていかれて、実際には走れる状態でありませんでした。
そして、今だから言える恥ずかしい話ですが、走らないルールは守ったものの、あまりの大きな揺れに戦慄が走り、走ってもいないのに、心臓はハカハカしていました。意味ないじゃん、とは言わないでください(笑)
後日、系列のアナウンサーの先輩から、同じ震災の時の話を聞きました。この先輩も走らずスタジオに向かったそうです。廊下の向こうから、その姿を見た報道の上司に、なんでゆっくり歩いでいるんだ!早くしろ!と大声を出されたそうですが、それでも絶対に走らなかった、と言っていました。
小さなことかもしれませんが、私たちアナウンサーにとっては、やっぱり大切なルールです。

生放送の前にエレベーターを使わない、というアナウンサールールもあります。
もちろん、閉じ込められる恐れがあるからです。
ただ、エレベーターを使わず、階段を上って息が切れてはどうしようもありませんので、生放送には、色々な面で余裕を持って臨まなくてはいけませんね。

【写真】は、SNS等で話題だという、いちごのドリンク@名取市閖上の「かわまちてらす閖上」です。私ではなく、ともに大学生の長男&長女が飲んで写真に撮ったものです。特に長男は、話題のものにはとりあえず手を出すのが「Myルール」のようで・・・

次は、西ノ入さんの「Myルール」です。

再利用しています

佐藤 拓雄

2020/10/30

【写真】「再利用」とは全く関係ありませんが、白い「萩の月」です。正確には「萩の調(しらべ)煌(こう)ホワイト」というようです。
東京駅限定の販売で、宮城県民なのに、宮城を代表するお菓子なのに、宮城では買えません。しかも、東京駅では行列ができてなかなか買えないとか。そうなるととても食べたくなります。
先日、長女が運よく買ってきてくれて、ようやく食べることができました。
味は・・・食べてのお楽しみ。ここにはあえて書きません。

さて、本題。

今年、まさかの再利用をしたのは、マスクです。

2月から5月頃にかけてのマスク不足の際は、買い置きが減っていく中で、それまで使い捨ててきた不織布マスクさえも、簡単に捨てるわけにはいかないと、試しに洗ってみることにしました。
スーツを自宅で洗える愛用の洗剤ならば、不織布マスクだって洗えるのでは?と考え、実験してみると、これがなかなかいい感じ。
洗った不織布マスクは、効果は大幅に減っているのかもしれませんが、何回かは普通に使えましたし、ちょっとくたびれてきても、夜寝る時の喉の乾燥防止用などに再利用できました。
上手く洗えたことに満足する一方で、背に腹は代えられない状況とはいえ、使い捨ての不織布マスクを洗濯するようになるとは・・・となんだか気持ちが貧しくなるような、トホホな感覚も抱きました。

その後、ポリウレタンマスクや、旧来の布マスクとは違う、高性能のフィルター機能をもつ布マスクが手に入るようになり、毎日洗濯して繰り返し使っています。これは本来的に洗って再利用が前提のものなので、みすぼらしい気持ちにはなりません。

マスクを実験的に洗い始めたのが私だったことから、そのまま、私が「マスク洗い担当」になってしまい、毎晩のルーティンワークに。
家族全員のマスクを洗って干さないと寝られない毎日ですが、皆が毎朝きれいなマスクで出かけられることは、なんとなく気持ちの良いものです。

続いては西ノ入アナウンサーです。何を再利用しているのでしょうか。

秋ですから

佐藤 拓雄

2020/10/06

秋と言えば、サンマ。
・・・ですが、この秋も、我が家の食卓にはサンマは上らないと思われます。
言わずもがな、お値段が理由です。

去年も、秋の味覚のお題で書きましたが、結局一度も食べず。
このままだと2年連続サンマを食べず、ということになりそうです。
普段の買い物は妻に任せきりの私ですが、一尾300円から400円では、なかなか買おうという気になれるものではありません。

つい先日の、気仙沼港のサンマ水揚げがいまだゼロ、というニュースにも驚きました。
何が起きているのか。明らかに異変ですね。

旬の食べ物は、一番おいしい時が一番安い、というものだと思っています。
これまでの感覚だと、丸々として脂が乗って、抜群においしいのは、スーパーなら100円を切ったくらいのサンマ。
また、県内の沿岸部に行けば、地元の魚屋さんで、細身のサンマのぶつ切りが、200円で袋いっぱい。これを甘露煮にしてもらうと、もう、たまりません。ごはんが進む進む。
しかし、今や、そういう感覚の魚ではなくなっているのかもしれません。残念です。

そんなわけで、今年もサンマが恋しい秋になりそうです。

【写真】は先日取材で食べた定食。カツオの刺身も素晴らしかったですが、メカジキのカマの煮つけが最高に美味でした。サンマが不漁でも、宮城県にはまだまだおいしい魚がたくさんあります!

明日は高橋アナウンサーです。

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