伊藤 瞳
2022/03/16
アナウンサーになって迎えるのは、2度目の東日本大震災発生日でした。
1年目の時は、閖上から中継を行う咲良アナに付いて、現地で見学という形で過ごしました。発生日に被災した場所で過ごすのは初めてのことで、あの日の出来事は本当にあったことなのだと、ずっしりと噛みしめたのを覚えています。
就職前は、関東で暮らしてきた自分にとって、流れる一瞬、一瞬に重みがあって、人生で最も東日本大震災を「感じた」日でした。
そして先日。
2年目になって、今度は同じ閖上から中継をする立場になりました。もちろん、今年も流れゆく時間の重みを感じながらではありましたが、受け止めるのに必死だった1年目と比べると、落ち付いて冷静な心持でした。震災11年の閖上を見つめながら、自分が今ここで、「伝え手」として発信する意味を考えていました。
2年目は、これまで生きてきた中で、東日本大震災を最も「考える」時間だったと思います。
東日本大震災を、見つめる上でも考える上でも、これまで宮城にいなかった時間分、大きなブランクがあるのは分かっています。ただ、それを逃げ道にせずに、これからも一人の「伝え手」として何が出来るのか考え続けていきたいと思います。
写真は、11日にお伝えした、震災メモリアル公園の絵灯篭です。
次は、梅島アナウンサーです。