アナ・ログ

初○○

金澤 聡

2008/01/04

2008年、あけましておめでとうございます。
今年も「アナ・ログ」をどうぞよろしくお願いいたします。
新年一発目のテーマは、『初○○』です。


今年、年男です。12才になります。すいません、「偽」です。
この文字は2007年で終焉にしましょう。
そして今年、年男なので「アナ・ログ」トップバッターです。

改めて、今年、年男です。
あまり焦らず、じっくりと構えて福音を待とうという気持ちを表しました。
写真は、「果報は寝て待て」です。
2008年、『初』写真です。(寝てるだけの写真でいいのでしょうか)

さて、思い起こせば12年前。24歳の年男のときに入社。
入社式のことはほとんど覚えていません。ちょっと緊張したかなあ程度の記憶です。
『初』放送日(アナウンス部では“初鳴き”と言っていますが)のことは、脳にこびりつくほど覚えています。
極度に緊張していたので、逆にしっかりと覚えているのでしょう。

35秒間の天気予報でした。
その35秒間の天気予報を読むのに、2時間前から下読みをしていました。
何かを念ずるように、まさに、読経のように。
いざ本番。
ジェットコースターの苦手な方はよくお分かりになるかと思いますが、
急降下する瞬間のあの緊張感、不安感、恐怖感に似ていました。
35秒間、無事読み終えたときの解放感。手の汗。忘れません。

今年、年男です。
あの入社1年目の『初心』を忘れずに、寝て待ちます。何をだろう。
とにかく年男の今年!(相当しつこいですね…)何とぞよろしくお願いします。

次回は、浅見アナウンサー。キャリア豊富な浅見アナの『初』とは!?

大みそか

金澤 聡

2007/12/23

歳を重ねるごとに時の流れが早くなり、今年は激流のごとく過ぎた1年のような気がします。

 もう少しで大晦日です。私の実家の新潟では「年取り」と言っていました。
 といっても少しニュアンスが違っていて、厳密には大みそかのすごし方で、家族の忘年会のようなものです。
 「年取り」には必ず焼き鮭が食卓に並べられました。
 なぜ焼き鮭かは調査不足ですが、何があろうと絶対に大みそかに食べさせられました。

 実家にいるとき年末の私の三大行事は、『障子やぶり』、『天井そうじ』、そして、『鮭を焼く』でした。
 1年を締めくくる最後の食事で、家族に生焼けの鮭はもちろん、真っ黒こげの鮭を食べさせてはいけないと、
それはそれは慎重に鮭を焼いたのを覚えています。
 焼きあがって、切り身の1番大きいのが祖父、2番目が父親と決められていました。
 父親に焼き方を褒められると、1年間のすべての艱難辛苦が吹っ飛ぶほど喜び、焼き鮭でご飯4膳くらい食べていたような…
そのくらい我が家では大事なものでした。

 来年は年おとこ、初心にかえって大みそかは鮭を食べようかと思っています。
 写真は一応、年の瀬の忙しさを表現してみました。(鮭とは全く無関係ですね、はい、そうですね)
 みなさん良いお年を。

 次は、どんな「年取り」をしているのでしょうか。寺田アナウンサーです。

クリスマスプレゼントの思い出

金澤 聡

2007/12/05

小学生のときのクリスマス会。
この日は手作りのプレゼントを先生も含めてクラス全員で交換するという催しがありました。
僕のプレゼントは、前日に母親と一緒にフエルトで作ったサンタの帽子でした。
それを受け取った人が日常生活の中で喜んで帽子として使ってくれるのかなど考えず、
クリスマスということだけでサンタの帽子にしたのだと思います。
もちろんクリスマス以外の日にかぶれば空気が読めない、いわゆるKYと思われる確率100%の赤と白の帽子でした。

さて、クリスマス会当日。
パーティームード一色の中、友達のH君だけが沈痛で蒼白な顔をしていました。
彼は僕にこう告げました。プレゼントを忘れてしまったと。しかも、作ることすら忘れていたと。
クリスマス会開催まで給食とお昼休みを合わせても45分。
慌てふためく僕ら二人の視界に、給食のみかんが飛び込んできました。
目で会話を交わした二人は、そのみかんとわら半紙を手に取り校舎の奥へ。
みかんを上手に包装し、強引にプレゼントに仕立て上げクリスマス会開催を待ちました。


やはり人間正直に生きるものです。その日僕が受け取ったプレゼントは嘘のようで本当の話、みかんでした。
サンタさんからプレゼントされたのは人生の教訓でした。

次回は、どんな思い出があるんでしょう。早坂アナです。

近頃○○が気になります

金澤 聡

2007/11/30

近頃、お腹まわりが気になります。

今年初めて「人間ドック」に行ってきました。とうとうそんな歳になったかと一抹の寂しさを感じながら受診。
前日の夜8時以降は食事を摂ってはならず、受診当日は水分もダメ。
ベテラン人間ドック受診者からバリウムの恐怖を説かれ、不安のなかいざ胃の検査へ。
差し出されたバリウムと炭酸。恐怖におののきながらバリウムを口へ。
すると…、
前日からほとんど水分をとっていなかったため、バリウムが美味しい!恐怖など微塵も感じませんでした。
しかし!
炭酸も合わせて飲んでいるにもかかわらず、担当の方はゲップ禁止令を発令。
そんなことは、ベテラン受診者にレクチャーされていませんでした。
これが苦しい。5分くらい体をグルグル動かされながらゲップを止めるのは、15秒間まばたきしないことよりもはるかに辛いものでした。
一番大きな障害をクリアして、ホッとしながら身体測定へ。
体重が4kg増!?ウエストが、えっ?あれっ?というくらい肥大化。
メタボリック症候群の基準値は男性の場合腹囲85cm以上だそうです。

人間ドックの検査結果は異常なしでしたが、ウエストが少し気になる結果が…。
みなさん気をつけましょう。

私の○周年

金澤 聡

2007/11/02

リトルリーグ野球を担当して4年目の真夏、夢のような時間を過ごしました。

 リトルリーグ野球は毎年世界大会がアメリカで行われます。
 当時は宮城県大会、東北大会を勝ち抜き、全日本選手権で日本一になり、さらに、アジアチャンピオンにならないと世界大会に出場できませんでした。世界大会の常連は関東や関西勢でした。僕がリトルリーグを担当している間に宮城のチームが世界大会に出場することは夢にも思っていませんでした。

 しかし、夢が現実のものとなったのが、2002年の夏でした。宮城代表の「仙台東リーグ」です。
3人のエース級の投手を擁し攻守にバランスのとれたチームでした。全日本選手権で日本一になると、アジア大会も制覇し見事世界大会出場、その勢いで世界大会の決勝の舞台にまで登りつめたのです。
 お陰で僕は、アメリカまで取材に行くことができ、決勝戦をスタジアムで見ることができたのです。
 決勝は全米生中継、3万人以上の観客が詰め掛けていました。
 僕は夢か現実か分からないような不思議な意識の中、試合を見ていました。
 試合は惜しくも1-0で敗れました。悔しさと同時に夢を実現してくれた選手への感謝の気持ちが混ざった涙がこみ上げてきました。
 リトルリーグ担当4周年、一生忘れられない年となりました。
貴重な体験をさせてくれた仙台東リーグの皆さんにいまでも感謝しています。

 そして、当時の3人のエース級投手のうちの一人が、今年の夏、甲子園最速を記録した佐藤由規投手です。
 プロの道を選んだ彼の活躍に期待しています。僕の夢は、まだまだ続きそうです。

 次は、板垣アナウンサーです。○周年はなんでしょう?

読書の秋

金澤 聡

2007/10/17

 秋の夜長にじっくり読書することのなんと贅沢なことか。
 最近特にそう思うようになりました。寄る年波でしょうか、なんでしょうか…。

 学生の頃は時間がありすぎてありすぎてその穴埋めに読書をしたり、
 長い長い春休みや夏休みのときは夜中に読書を始めて気付いたら朝だったり、
 流行の小説を読んだり、国文学を読み漁ったり、パスティーシュ(様式模写)に傾倒したりと
 とにかく読書は「自由」そのものでした。

 好きなときに好きなものを読む。それが秋だろうが冬だろうが夏だろうが季節なんて関係ありませんでした。
 あぁ、素晴らしきかな学生時代。

 ところが、社会にでるとこうも変わるのかと思うくらい、読書は「自由」ではなくなりました。
 仕事のため仕事に関係したものを読む。これが大半のような気がします。
 
 だからこそ、秋の夜長に好きな本を読むことがいまはとても贅沢に感じます。
 お寿司の「中トロ」もうまいが「いわし」の方がうまいと感じる贅沢さに似ているというか…
よく分かりませんね。はい。
 寄る年波でしょうか、なんでしょうか…。
 
 
 次は、どんな本を読んでいるのでしょうか、なんでしょうか…。原アナウンサーです。

スポーツの秋

金澤 聡

2007/10/12

雪国育ちだった僕にとっては、「スポーツの秋」というより『スポーツ準備の秋』だったかもしれない。

学生時代いわゆる“走るスキー”と言われているノルディックスキー部だったので、冬以外は乾いた土の上をひたすら走り持久力強化に努めていた。特に秋は体力強化のラストスパートの時季だったので陸上の長距離部より走っていたかもしれない。スキーを履いていれば滑る分距離が稼げるので幾分楽なのだが、ただただ走るのは苦痛だった。しかも、スキーはストックを使うので登りも滑ることができる。しかし、走るのはいくら腕をブンブン振り回しても距離は出ない。早く寒い冬が来て欲しいと思うほど、秋はつらい時季だった。

ノルディックスキー部にとって、秋は『実り』というより『種まき』の時季だった。かといって実際僕自身が冬に花開いたかというと、そうでもなかったような…
そのせいもあってか、いま僕のウインタースポーツは専ら「スノーボード」。リフトに乗って頂上へ、そして、重力に身を任せ滑る。こんな楽しいものはない!
そろそろ雪山が恋しくなる秋でもある。学生時代とは違った意味で、早く寒い冬が来て欲しい。

次回、一家言ある浅見さんにとってのスポーツの秋とは!?乞うご期待!

食欲の秋

金澤 聡

2007/09/20

『食』にあまり執着しないのですが、宮城の秋は格別です。

高校駅伝の取材中に亘理で食べた「はらこめし」。本末転倒ですが「はらこめし」が楽しみで、毎年駅伝シーズンが待ち遠しかったのを覚えています。駅伝中継がなくなり残念ながら取材で食べることはできなくなくなりましたが、これは格別です。

高校バレーボール新人戦の取材中に石巻で食べた海鮮もの。毎年10月末か11月上旬に行われる高校バレーの新人戦の中継。会場の石巻に前日入りして、夜はあわびにまぐろにクジラにと海鮮ものをおいしくいただきました。
残念なことに、今は前日入りがなくなってしまいました。しかし、これも格別でした。

仕事を通じて宮城の美味しい秋の味覚を楽しませてもらいましたが、残念ながら、取材自体がなくなるのです。
私がたずさわるとそういう運命になるのでしょうか?
文字通り「おいしい」取材の復活を祈りつつ、プライベートで宮城のうまいもの巡りでもと思っています。

そういえば、リトルリーグ秋季大会はさんまの美味しい季節の気仙沼開催があったようですが、私が入社したとたん無くなったようです。

次回の板垣アナは取材消滅王?の私のせいで残念ながら、仕事で「はらこめし」「海鮮もの」は食べていません。
ごめんなさい。

祖父母の思い出

金澤 聡

2007/08/30

どこの家のおばあちゃんもそうなのかもしれないけれど、僕のおばあちゃんは心配性で涙もろい。

学校の登下校で事故に遭っていないかいつも心配してくれたし、学校で賞をもらえば、おばあちゃんはいつも喜んで泣いてくれた。いまでもそうだが、実家に帰ると真っ先に出迎えてくれて帰省の無事を確認しホッとした表情を見せてくれる。そして、何かのパーティでも催されるのでは?というくらいお菓子や果物などたくさん食べ物を出してくれる。あとはひたすら最近あった出来事を僕に教えようと話し続けてくれる。

仙台へ出発の日は、おばあちゃんは必ず涙を流して見送ってくれる。僕の姿が見えなくなるまで泣きながら手を振り続けてくれる。仙台に着いて無事の電話をおばあちゃんにかけると、泣きながら元気で頑張りなさいと言ってくれる。

小さいときは何でこんなに心配するのだろう、なんでこんなに涙をながすのだろうと思っていたが、いまとなってはとてもありがたいこと。
ゲートボールや詩吟の大会で全国行脚、趣味のカラオケ、そして家事にと毎日多忙なスーパーおばあちゃん。
おばあちゃんが泣いて喜んでくれるような報告をたくさんできるよう、また頑張ろうと思う。

次は、この夏サイダーをがぶ飲みした寺田アナウンサーです。

宿題あれこれ

金澤 聡

2007/08/17

小学生の頃は、国語が苦手でした。夏休みや冬休みの国語の宿題はいつも後回しでした。
よくアナウンサーを志したなあと我が事ながら感心します。
まさに「少年老いやすく学なりがたし」。
大人になってからも宿題があるとは思ってもみませんでした。
しかも、大人になってからの宿題は本当に難解。いまだに解けないものもたくさんあります。
小さいときから国語をしっかり勉強していればこんなに苦労することもなかったかもしれません。
まさに「後悔先に立たず」です。

もしかしたら、アナウンサーになることで周りに感化されて国語力がアップするのではと深層心理にあったのかもしれません。まさに「朱に交われば赤くなる」ともいいますし…。
ただし、まさに「雀百まで踊り忘れず」「三つ子の魂百まで」ともいいますので何ともいえませんが…。

いずれにしても、まさに「蒔かぬ種は生えぬ」といいますから今後も新たな大人の宿題にチャレンジして行きたいですし、結果がでるまでは、まさに「桃栗三年柿八年」の精神でしっかりと腰を据えて頑張ろうと思います。

さて、大人になって国語力を克服したかのような、まさに「鬼の首を取ったよう」にことわざを連発していますが、
色んなことわざ辞典を見ながら作成しています。
国語の宿題の参考になったでしょうか…。ならないですね、はい。

次は、宿題を忘れたことはなさそうな、国語は得意のような、林アナウンサーです。

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