アナ・ログ

東日本大震災11年

金澤 聡

2022/03/18

“スポーツでは、勝敗以上に価値のある試合がある”

先日行われたサッカーJ2リーグ、ベガルタ仙台といわてグルージャ盛岡の試合もそのひとつ。
3月12日に行われた被災地クラブ同士の初のJリーグ舞台での対戦。震災からの希望の光として活動してきた両チームの『東北ダービー』でした。

ベガルタ仙台は、J1再昇格してから2年目のシーズンに被災。
震災発生からおよそ1か月後には、様々な支援や協力があってリーグ戦に参戦。再開初戦の川崎フロンターレに逆転勝利を収め、まさに「希望の光」として、被災したサポーターへ明日に向かう一条の光を見せました。
翌年2012年にはクラブ最高位の2位に躍進し、アジアのクラブNo.1を決める、ACL(アジアチャンピオンズリーグ)に出場しました。
残念ながら昨年はJ2リーグへの降格が決まり、今シーズンは1年でのJ1復帰を目指しての再起のシーズンを迎えています。

いわてグルージャ盛岡は、2011年は東北社会人サッカーリーグ1部に属し震災発生後は被災地に出向きボランティア活動を行っていました。2013年には全国地域サッカーリーグ決勝大会で初優勝を果たし、その年にJリーグ入会が承認され、2014年のJ3リーグ参加が決定しました。
そして今年はJ3リーグから昇格し、J2リーグに舞台を移して戦います。

震災の影響を受けながらも、クラブの歴史を刻んできた仙台と岩手のチームが対戦した、特別な意味での3月12日の試合でした。
胸の透くような青空の下、両チームともに気持ちの入ったプレーを見せてくれました。

勝敗よりも、対戦することに大きな価値がある試合。
仙台と岩手の『東北ダービー』は震災の教訓と復興の思いを改めて考える大事な試合だと思います。

次は高橋アナウンサーです。

卒業あれこれ

金澤 聡

2022/02/22

門出の季節となりました。
今春、ご卒業される皆様、誠におめでとうございます。
前途洋々たる輝かしい未来になることを願っています。
(校長先生風情で申し訳ありませんが、心からそう願っています)
ということで今回のテーマは「卒業あれこれ」です。

数年前から、毎朝6時前に起床しています。どんなに遅く就寝しても、その時間に起きてしまうようになったこともありますが…。
朝早く起きて、まず、水をコップ1杯飲み、体の水分調整をします。これが目覚めのスイッチになります。
体内が少し整った後で、今度はみっちり20分以上体操をします。ラジオ体操第1と第2を含め、ストレッチなど入念に体をほぐします。体が温まったところで、筋トレをします。スクワットと腕立て伏せを中心に少し体に負荷をかけます。
このルーティンが終わると、朝食です。

なにが言いたいのかといいますと、体の悪い数値から『卒業』するために、こんな事をしているというのを言いたかったのです。このところ人間ドックを受ける度に、ある数値を見てはため息を付くというのを繰り返していたので、何かを変えないといけないと思い立って始めました。

休日、子どもたちは、私と一緒に公園に行きサッカーを必死にやってくれて私の体調改善に付き合ってくれています。ありがたや。
どうも最近、「アナ・ログ」に書くネタが、“健康もの”が多くなっているのが自分でも気になっていますが、健康になって、この話題から卒業したいと切に思っています。

次は、西ノ入アナウンサーです。

2月5日は「プロ野球の日」

金澤 聡

2022/02/15

プロ野球はキャンプイン。いよいよ球春到来です。

そういえば、9年前の今頃の沖縄県久米島キャンプ。
当時恒例となっていた朝の声出しで
田中将大投手が宣言しました。

『今年の野球界の主役は、俺たち楽天だ!』

久米島の早朝、砂浜でその宣言を耳にしたときに
寝ぼけていた頭のてっぺんから滝行の冷水を浴びたような衝撃を受け
“田中投手ならやってくれるかもしれない”と
全身が震え、一瞬で目が覚めたのを覚えています。

果たして2013年はその宣言通りに、初のリーグ優勝、初の日本一となり
楽天は野球界の主役になりました。
田中投手もリーグ戦は1度も黒星が付くことなく24勝0敗という
空前絶後といってもいいほどの成績を残し優勝の立役者となりました。

さあ、今年も田中将大投手は楽天のユニフォームを身にまとってマウンドに立ちます。
チームは戦力がさらに整い、主役になる準備は出来ています。
野村さん、星野さんが空から祝福の拍手を送ってくれるようなシーズンになることを期待しています。
開幕を心待ちにしています!

写真は、先月、出張先のホテルから撮影した雪の神宮球場です。
ヤクルトの本拠地ですが、勝手に楽天の白星の吉兆だと思い込んでいます。


次は、梅島アナウンサーです。

60周年!

金澤 聡

2022/02/03

仙台放送は60周年、私はそのうちの25年、四半世紀に渡って携わっていることになります。
そして、私自身は、今年で50周年。人生を歩んできて半世紀になるわけです。

会社は法“人”ですので、「人」に例えたら60歳、私と同じ中年です。
お互い元気とバイタリティに満ちた中年になれたらと思っています。

私が入社時は、会社からパソコンを支給されることもなく、携帯電話はⅰモード全盛の時代。
今思えば、どうやって仕事をしていたのか、忘却の彼方です。
実況資料や取材メモはノートに丁寧に書いていたのは覚えています。
25年経過して、仕事の環境も相当変わったと改めて感じています。

当時ニュースの原稿は手書きで、人によっては字のクセが凄すぎて、
「誤読するな!」と厳しく怒られても、そりゃあ無理だよと心の中で呟いていた若き頃。

プロ野球の試合が当時、県営宮城球場(現・楽天生命パーク宮城)で開催されるため
リポートした際、7度も撮り直し、お客さんから「頑張れよー」と言われコーヒーを差し出された1年目。

あれから25年が経ちました。
今年最初の仕事は、春の高校バレー全国大会の実況でした。
全国大会に出場した
古川学園、仙台商業ともに目指していた優勝には届きませんでしたが
実にさわやかな姿をコートで見せてくれました。
前向きな1年のスタートになりました。

60周年、50周年ともどもよろしくお願いいたします。

今回のテーマ「60周年!」は私で最後でした。
次回から新たなテーマ、“2月5日は『プロ野球の日』”です。
トップバッターは下山アナウンサーです。

2022年は・・・

金澤 聡

2022/01/12

あけましておめでとうございます。
今年も「アナ・ログ」を含まして、何卒よろしくお願い申し上げます。

2022年は…
“50歳”になります。半世紀を迎えます。
あぁ、本当に来るんだなぁ、50歳って。
正直な感想を言えばこんな感じでしょうか。
50年歩んできた道に何かを残してきたのかどうか。振り返るのは止めようと思います。
ぺんぺん草も生えていなかったら、心が砂漠化しそうなので・笑

さて、旧年は体の面で色んな厄に見舞われましたので、今年は「無事之名馬」
『健康』を大事にする1年です。

スポーツではベガルタ仙台がこの1年、J2開幕からまさに竜虎の勢いで白星を積み重ねてJ1再々昇格を成し遂げること、そして、楽天イーグルスが、リーグ制覇、そして9年ぶりの日本一になることを願っています。

あとは…
去年の足の大ケガから完全復活し、子どもたちと一緒にスキー場で颯爽と滑ることを、虎視眈々と狙っています。
新年早々、張り子の虎ですかね、そうですね…。健康に気を付けます。

次は、堤アナウンサーです。

2021年振り返って

金澤 聡

2021/12/22

今年は年齢的に厄年ではありませんが厄年のような1年でした。
コロナ禍でみなさん大変な1年だったと思いますが、私はさらなる災禍が襲ってきました。

“足を大ケガして1か月近く入院”

ケガ入院は人生で初めてでしたが、手術するまでケガの痛みに襲われ、術後はリハビリで痛いという、なんとも苦痛に耐える1か月でした。
術後すぐに痛みに耐えながら懸命にリハビリをしたことで、お陰様でいまは日常の生活を送ることができるようになりました。私のケガの場合は、医師曰く「“鉄は熱いうちに打て”ではありませんが、術後ホットな期間にすぐにリハビリ」だそうです。

快気祝いに、家族で芋煮をしてきました。家族みんなで、晩秋の青空の下、芋煮を囲めるようになって、月並みですが改めて健康の大切さやありがたみを、まさに痛切に感じました。

“健康に勝るものはなし”

この言葉を胸に刻んだ今年1年でした。
来年のみなさんの健康を祈念して、今年最後のアナ・ログにいたします。
今年もありがとうございました。
次回は、西ノ入アナウンサーです。

メッセージ

金澤 聡

2021/12/08

先日、公園を散歩していると、背中にハートのマークが付いている虫を見つけました!(写真)

何か良い事がやってくるメッセージなのではと喜び勇んで家に帰って図鑑で調べました。
「エサキモンキツノカメムシ」
何やら長い名前ですが、カメムシです。あの嫌な臭いを発するカメムシでした。
小学生のとき、林間学校に向かうバスの車中であの強烈な臭いが襲ってきました。とっさに「このバスの中にカメムシがいる!」と大きな声を発した私。みんなでバスの中を探したものの見つからず、宿舎に着いて、荷物を出そうとしたら私のリュックの底に臭いの元がいました。誰にも見られないように逃がした苦い思い出があります。

いくらハートが付いているとはいえ、カメムシはカメムシです。少し残念な気持ちになりましたが、よく調べてみると、「幸運を呼ぶカメムシ」と呼ばれているようですし、このカメムシのメスは、卵を抱えて守る習性があるそうです。
しかも、孵化してから1回目の脱皮を終えるまで片時も離れず守るそうです。
少しは見直しました。
あとは本当に福をもたらしてくれたら、過去のことは水に流そうと思います。
あっ、そんな小さいハートの私だから現れたのか…。
もっと大きな心を持ちなさいというメッセージですね、これは…。

次は伊藤アナウンサーです。

発見

金澤 聡

2021/11/12

最終盤を迎えているサッカーJ1リーグ。
今シーズンは残すところあと3試合。
写真は、ベガルタ仙台の試合開催日に撮影した開場前のユアテックスタジアム仙台です。

アウエーサポーター席を除いたスタジアムの観客席がチアペーパーで彩られました。
ベガルタゴールドとベガルタブルーの応援用の紙=チアペーパーがシートに置かれ、厳しい終盤の戦いをベガルタカラーのスタジアムの雰囲気で後押ししようというもの。
試合が始まった頃は2色でしたが、時間をちょっと巻き戻してみると…
写真のように、スタジアム開場直後は、チアペーパーで白と赤のポーランド国旗が描かれていました。
これはポーランド出身のGKヤクブ・スウォビィク選手へ向けた応援メッセージ。ここまで数々のピンチを防ぎゴールを守ってきたスウォビィク選手への激励と感謝の意味を込めたものだと思います。
母国から遠く離れてやってきた選手に勇気を届ける素晴らしい演出だと思いました。

誰もいない観客席に鮮やかな彩りの中でポーランド国旗が浮かび上がっているのを実況席から発見し、ピッチにいらしたベガルタ仙台中継リポーターの村林いずみさんにお願いして撮影していただきました。

スタジアムやアリーナに足を運ぶ度に思うことがあります。
宮城に多くのプロスポーツチームが存在し、応援できるチームがあることの何と幸せなことか。このことを常に忘れずに実況に携わろうと思っています。

次は、寺田アナウンサーです。

注目

金澤 聡

2021/11/04

我が家では何でも種を植える習性があります。
食した後の種はどんな芽を出しどんな花が咲くのか、家庭菜園ではなく、ある意味「実験」に近い感覚です。いつでも植えられるように、菜園セットは常備してあります。

今年の夏、ふるさと納税の返礼品で私の大好物のメロンが届きました。とても甘くて美味しいメロンでしたが、我が家ではいつものように種に注目する訳です。
この種を植えて育てれば、また美味しいメロンが食べられるのだろうかと並々ならぬ好奇心が溢れてくる訳です。当然、食べたいという欲だけではなく、科学的な知的欲求が大半を占めている訳でありまして…えー、まー、はい。

メロンを食べ終わった後に種を洗って、芽が出るまで水耕栽培をして、ある程度成長したらプランターに植え替えます。すると、写真のように計画通りに育っていきました。

が…
私の食の欲求とは裏腹に…、
もとい、科学的知的欲求とは裏腹に、この後残念ながら枯れてしまいました。
メロンが食べきれない程余っている方がいらっしゃれば我が家の研究材料として使わせていただいてもいいのですが…笑

今後も種に注目して実験は続けていこうと思います。
特に、メロンの種にこだわります。あくまでも科学的な知的探求です、はい。

次は、高橋アナウンサーです。

金澤 聡

2021/10/14

来年の小学校入学を控えていらっしゃるご家庭では、すでにランドセルを購入され大切に保管されている方が多いかと思います。我が家の場合、長男の時は、ランドセル商戦が夏場にピークを迎えると聞いて7月頃に品定めをして8月に購入した記憶があります。
なんでも今は2月から4月中にほとんどのブランドが販売をスタートしていて、ランドセル商戦のピークも前倒しされているようです。

色は様々な種類があって、私の小学生時代と違い、朝の歩道は百花繚乱の華やかな通学風景となっています。ランドセルが元気な子供たちの背中で揺れているのを見ると通勤するこちらの足取りも少し軽快になります。
といいいながらも、我が家のランドセルは「黒」でしたが、どこも壊れず無事長男と6年間通ってくれて感謝しています。

そんな我が家のランドセルをまだまだ必要としている人がいると新聞で知って、もうひと踏ん張りしてもらうことにしました。
アフガニスタンの子供や女性にランドセルを寄贈する活動を行っているとの記事を見て、海外輸送費1800円を支払い、ランドセルを送りました。ランドセルの色など選べず、ましてや教育を受けることも困難な状況下にある子供たちに我が家の黒ランドセルが少しでも役に立ってくれればと思っています。

華やかな通学路は豊かさと自由を象徴している風景なのかもしれないと感謝しながら通勤しています。

次は伊藤アナウンサーです。

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