アナ・ログ

私の必須アイテム

寺田 早輪子

2008/06/17

「黄色のストップウォッチ」。中継をする時、原稿を読む時、欠かせない仕事道具です。
青森のテレビ局に入社してすぐにいただいたものなのですが、故障することなく、10年、がんばってくれています。
手にした感じもちょっと重くて、存在感のある私のストップウォッチちゃん。
アナウンサー人生で、うかれている時も、けちょんけちょんに打ちのめされた時も、いつもそばにいて、冷静に時を刻んでいてくれる…「戦友」です。
「アナウンサーは、デジタルストップウォッチを使うものじゃない!アナログの秒針に慣れろ!」とは、大先輩アナのアドバイス。
しかし、今、ストップウォッチと言えば、デジタルが主流。アナログのものは、時計店でも、あまり見かけなくなりました。
私の愛用しているストップウォッチも、現在は廃盤になっているようです。(販売しているのでしょうか?情報、お待ちしております。)
台風中継に…、事件事故現場に…、スタジオに駆け込む時…、かな~り荒く使っていて、思い切り落としたことも数知れず…。それでも一度も壊れたことがないので「壊れることはないだろう」と過信しているのですが…、故障したら、どこに持っていけば良いのでしょう?そして、修理には、いくらぐらいかかるのかしら?…どなたかご存じないでしょうか?
続いては、白い歯がステキな板垣アナウンサーです。
白い歯を維持するための必須アイテムは…?

みどりと言えば

寺田 早輪子

2008/05/27

仙台が緑色に輝く季節、5月。私は、この時期の仙台の「空気」「景色」が一年で一番好きです。
そんな仙台の甘い果実「仙台いちご」を、食べたことはありますか?写真の私が手にしているのは、初めての宮城県のオリジナルいちご「もういっこ」です。
主に、亘理町のイチゴ農家が作っているイチゴで、大粒で、甘さと酸味のバランスが良く、果皮がしっかりしているので食べ応えもあります。
番組で、食べ物を食べて感想をリポートする、いわゆる「食リポ」での私の信条は、「一口で食べ、3回噛んだら、速やかに感想を言う」…なのですが、このイチゴ「もういっこ」を食べるリポートでは、一口で一粒食べたら、口いっぱいになってしまい、しゃべれなかったほど…。イチゴに、完全に負けました。
県内のスーパーでは、1パック 500円ほどで販売されていますが、去年、初めて輸出された香港の百貨店で、1パック 1500円で販売されたそうです!それでも即日完売!人気のイチゴです。東京、北海道、青森などにも出荷されているそうですよ。西日本の産地では、もう、イチゴは終わりの時期ですが、「もういっこ」は、6月くらいまで出回ることもあります。東北産のイチゴの強みですね!ぜひ!宮城の、仙台の、すがすがしい空気とともに、「もういっこ」を「もう一個」、召し上がれ!「みどりと言えば…」と言うテーマですが、「真っ赤なイチゴ」の話でした…。
続いては、がんばり屋さんの板垣アナウンサーです。
「戸棚の引き出しの中は、緑でいっぱい」だそうです。どういうことー?

子ども時代の宝物

寺田 早輪子

2008/05/19

幼い頃の私は、どこに行くにも、いつも「女の赤ちゃんの人形」を肌身離さず連れていました。彼女の名前は「早輪美(さわみ)」。本気で「妹だ。」と思っていました。「早輪子」の妹だから「早輪美」。名付け親は、私です。
ご飯の時間も一緒。早輪美にご飯を食べさせる(フリ)が楽しかった…。早輪美の口周りは、だから、ご飯粒で、ぐちゃぐちゃ。
お風呂も一緒。でも、早輪美はお風呂に入ると、体重が重くなりました。その時は良く理解できなかったのですが、人形の早輪美は中が空洞なので、口や、腕と胴体のすき間からお湯が入り、早輪美からは「チャプチャプ」という音が…。
そのまま、早輪美を連れて寝床まで行くものだから、父は怒って、早輪美を乾かしてくれました。
そんな早輪美と、あまり遊ばなくなったのは、弟が生まれてから。
私が、幼稚園の年長だった5才の春、弟が生まれました。
当時は、早輪美のような「妹」が欲しかったのですが、母が入院していた産婦人科医院で初めて会った弟は、『早輪美よりもかわいかった』ことを覚えています。
大きな声で「オギャー!」ではなく、「ピー!ピー!」と泣き、泣くと顔が赤くなり、手足はプニプニ。人形ではない、初めて見るリアルな赤ちゃん…、弟はかわいかったのです。
両親ともに仕事をしていて、「かぎっ子」だった私たち姉弟は、キャッチボール、ファミコン、庭の穴掘り、おままごと…、いつも一緒に遊んでいました。
両親が残業になると、晩ご飯も2人で済ませる日もあったので、つくづく、「弟がいて、良かったな」と感じます。
「子供時代の宝物は?」と聞かれて、まず思い浮かぶのは、「早輪美」ですが、本当の宝物は、「弟」かも知れません。

私のひとり暮らし

寺田 早輪子

2008/04/15

新人アナの広瀬さんは、毎日、体操着のような半袖シャツで、発声練習に勤しんでおります。皆様、応援、よろしくお願いいたします!
さて、私の初めての一人暮らしは、「青森」でスタートしました。
3月末、引っ越し当日は、猛吹雪。
車もなかったため、夜、徒歩で灯油を買いに行き、凍った横断歩道で、ズルっと転倒。
朝、顔を洗おうと、水道の蛇口をひねったら、水が出ない…。東北地方でもごく南部の生まれの私は、「水道管凍結」、「水抜き」という言葉の存在を、青森で初めて知りました。
夜、氷点下4度を下回ることも多い青森では、街中に銭湯が多い。「水道管が凍って、お風呂が沸かせなくなった人たちが入りに行くから、銭湯が多いのだ」と聞いたことがあります。
「銭湯」に行くようになったのも、だから、青森で一人暮らしをしてからでした。
「神田川」という唄でしか知らなかった銭湯。タオルを持って、シャンプーを持って、痛いくらいの寒さの中、行くのです。銭湯に。ひとりで。
青森市内では温泉も沸いているため、湯船には、ただのお湯ではなく、温泉が並々と…!走り回る、孫。洗い場に寝そべる、おばあちゃん。家族連れが多く来ていて、生活の一部に銭湯がとけこんでいる様子がうかがえました。一人暮らしを始めたばかりの私にとって、銭湯での光景は、心が温かくなり、一方で、ホームシックになってしまうものでした。
一人暮らしをして、初めて沁みる「家族の温かさ」。今年、一人暮らしも10年目。猛吹雪でなくとも、水道管は凍らなくても、離れて暮らす家族を思う気持ちは変わりません。
続いては…、写真に一緒に写っている早坂アナです。
仲良しすぎて、スカートまでお揃いになっちゃった!

私の新人時代

寺田 早輪子

2008/04/07

出射アナはじめ、会社で、「ねえさん」と呼ばれている寺田です。先輩にも、「ねえさん」と呼ばれ、たまにメールでは「姐さん」とも…。ちなみに、4つ年下の弟は、「ねえちゃん」と呼んでいます。
そんな「ねえさん」にも、やはり新人時代はあったわけで…。
私は、1999年にアナウンサーになりました。20世紀です。今年4月で、アナウンサー10年目に突入。当時、女性アナウンサーは人気の職業で、入社面接の控え室は、どこの社に行っても、特に、一次、二次面接では、きっちりスーツを着て、キレイにメイクをした女子であふれかえっていたものです。
先日、「今も女性アナウンサーは人気の職業なのだ」と感じた出来事がありました。同じ福島出身の大学3年生の女の子が、仙台放送にOG訪問にやってきたのです。今、大学新卒の就職は、学生有利の「売り手市場」。アナウンサー以外の求人も多分にあるのに、彼女は開口一番…、「アナウンサーにどうしてもなりたいのです!アナウンサー以外の職につくことは、考えられません!!」と話したのです。
そんなに「なりたい」アナウンサーという仕事とは、いったい彼女、そして、アナウンサーを目指す学生たちに、どう映っているのでしょうか?
TV画面に出る以外の、地味で、切なく、苦しい、下準備の作業もあるのですが…。
それでも、『表現する仕事』は、実に楽しいのです。アナウンサーとして言葉を発することは、絵を描いたり、文章を綴ったり、楽器を弾いたり、写真を撮ったりすることと同じだと思います。
他の誰でもない、自分だけの表現ができれば、とても楽しい仕事です。アナウンサーって。
入社したばかりの頃は、ただ間違えずに読むことで精一杯でした。「表現する喜びを噛みしめる日」が来るなんて…、思ってもみなかった。
アナウンサーを目指す学生のみなさん!いつか一緒に、「表現する喜び」を味わいましょう!
ワインでも味わいながら…( ̄▽ ̄ )
続いては…、「先日、一緒に飲んだワイン、美味しかったネ!」…早坂アナです。

どうしても捨てられないもの

寺田 早輪子

2008/03/10

本日からの新テーマ『どうしても捨てられないもの』。
1番・サード・寺田・背番号31 です。 
さて、私がどうしても捨てられないのは、肩から下の髪の毛。捨てられない、と言うより、「どうしても、切り捨てられないもの」ですね。この春は、お人形のようなボブスタイルが流行るとか…。でも、「ボブにしようかな」と思っても、あるトラウマのせいで、やっぱり切れません。
私は3歳くらいまで、尾てい骨付近まで伸びるストレートロングヘアでした。
ある日、保育所で、仲良しのミカちゃん&エミちゃんと「パーマ屋さんごっこ」をすることに。ジャンケンで勝った順から、「美容師役」、「お客さん役」、「順番を待っているお客さん役」を決めます。「ジャーン・ン、ケーン・ン、ポイ!」。真っ先に勝ったのは、私。選んだのは「お客さん役」。「美容師役」はミカちゃん。最後まで負け続けたエミちゃんは「待っているお客さん役」。ミカちゃんは、普段から、友達の髪を三つ編みにしたりするのが大好き。ゲットした「美容師役」にウキウキでした。
そんなミカちゃんが言ったのです。「先生に見つかると怒られるから、押入れの中でパーマ屋さんごっこをしよう!」と。
押入れの中の3人。それぞれの役の配置につく。私はミカちゃんに背を向けて座る。エミちゃんは待っている様子をかもし出すため、絵本を読みだす。
そして、ミカちゃんが手にしたのは、…本物の「はさみ」。

ミカ『お客さん、今日はどうしますか?』
サワコ『おまかせするわ。』
ミカ『かしこまりました~!』
エミ『・・・』
ミカ『ジョキ!』

…かくして、私のロングヘアは、モンチッチのようなベリーショートに。

…今でも、忘れられません。
押入れから出た瞬間、目が合った保育所のユミコ先生の、悲鳴
その日の晩、迎えに来た父の「泣き出しそうな、怒り出しそうな、でも、開いた口がふさがらなくて、何も言葉が出てこないよ」といった、顔。
家に帰ると、母は、激怒。
翌日、謝りに来たミカちゃんのママも、泣いていました。

大好きな人たちを悲しませた、私のショートヘア…。
ああ。やはり、ボブスタイルが流行っても、髪は切れそうにありません。

続いては…、ショートヘアがステキです。林アナウンサーです!

あたたかくなる話

寺田 早輪子

2008/02/25

拓雄さん?カイロは、肩甲骨付近と尾てい骨付近に貼ると取材中もポカポカです( ̄▽ ̄)
私からお届けいたしますのは「心がちょっと温かくなる話」。
写真は、『情報ライブ!ムービン』ニュース班の企画会議の様子です。普段は、もう少し人数がいるのですが…、この日は私も含めて、4人。みんな難しい顔をしています。
実は、私より、一つ年上のデスクが体調不良で休んでしまっているのです(;0;)
彼は、みんなから「旦那」と呼ばれている「ニュース班の大黒柱」。
がんばり過ぎたのでしょう。
旦那がいない日は、残されたスタッフで、無我夢中で、何とか、生放送に原稿を間に合わせ!映像を間に合わせ!旦那の抜けた穴を埋めるべく!でも、旦那のあけた穴は大きすぎて!…もう、とにかく、フルスロットルでがんばるしかないのですよ!!
でも、今回の「旦那、倒れる事件」で痛感しました。仲間が辛い時、苦しい時、一丸となって助けてくれるスタッフが、ムービンには、いるのです。
そんなムービンスタッフが、私は大好きです。
ちなみに、左奥のディレクターも、左肩を骨折中。両サイドにいる2人のディレクターは、ぎっくり腰。健康なのは、私だけ?ああ!満身創痍のニュース班…(;▽;)
とにかく、旦那…、早く体調を整えて、カムバックしてください!
 続いては…、お風呂で、温かくなる…と言うよりは、たまに、熱すぎて、暑っつくなる入浴法を続けている水上アナです。

私のカゼ予防法

寺田 早輪子

2008/02/18

板垣アナは、私の寒いダジャレで、いつも風邪を引きそうに凍えています…。
「寒い!」といえば…。
3年前の1月8日。新しい年の仕事初めは、極寒の海、三陸沖でのスキューバ・ダイビングロケでした。
新卒で入社したのは、青森のテレビ局。3月末の引越しの日は、大雪でした。
仙台の冬の風物詩「せんだい光のページェント」。初日のにぎわいを伝える中継リポートは、ありがたいことに、3年連続で担当しています。定禅寺通はあたたかい光に包まれますが、リポート中は、とにかく寒い…。
何かと、「寒さ」と縁のあるアナウンサーです、私。
寒さ厳しい屋外で長時間、仕事をする時は、体が冷えないよう、私は、必ず、ある場所に使い捨てカイロを貼ります。
それは、ここ。(写真をご覧ください。)肩甲骨の間。その一カ所にしか貼っていないのに、不思議と体全体が温まります。
まだまだ、寒い日が続きます。みなさまも試してみてくださいね。
続いては…、私の寒いダジャレにも、一応、微笑んでくれる梅島アナウンサーです!

雪といえば

寺田 早輪子

2008/02/01

雪といえば思い出すのが、青森の冬。私は2005年までの5年間、青森のテレビ局で働いていました。
入社して初めて迎えた冬。福島県浜通り生まれで、雪にほとんど触れたことのない私は、その降雪量に面食らいました。
風が強い雪の日には、目に雪が入ってきて、前を見て、歩けないほど。私は青森で『後ろ向きに登校する小学生たち』を初めて見ました。
極めつけは、朝ニュース担当時の早出出社。夜中、除雪車により、車道の雪はこんもりと歩道によせられます。午前4時。その歩道を歩いて会社へ。スノーボードでもしに行くようなブーツを履き、ひざから下は雪に埋もれ、…そう、獣道を作りながらの出社。
雪が降る土地ならではの体験でしたが、雪がもたらす恵みも数え切れないほどありました。
常に雪があると、湿度が高い。つまり、お肌ツルツル。乾燥肌の私も、青森では乾燥知らず。
そして、ベランダに、ビールをケースごとを出しっぱなしにしておくと、積もった雪が良い具合に冷やしてくれるのです。冷蔵庫で冷やしたビールとは全く違う、きめ細かな泡。凍りそうで凍っていない、あのギリギリまで冷えたビールの美味さは…、もう!
…あー、青森でビールが飲みたい。

続いては…、お酒が苦手で、宴会では、ご自分の分のビールを私にくださる金澤アナです。

初○○

寺田 早輪子

2008/01/08

私が初めてテレビでニュースを読んだ「初鳴き」は、今から9年前、1999年6月。入社して2カ月目でした。今、考えると、ずいぶん遅いデビューのように感じられますが、当時としては「最近の新人アナは、初鳴きが早過ぎる!もっと訓練してからでないといけないのでは?!」というご意見もいただいたほど、早いデビューでした。
同期のアナウンサーなどは、初鳴きの感想を…、「心臓が爆発するかと思った!」「緊張しすぎて、立ちくらみをしそうになった!」となどと言いますが、当時の私は、「テレビに出たくて!出たくて!もう…、早く出たかった!!」のです。
初鳴き、本番5分前、ウキウキしながら、昼ニュースのスタジオに入り、ニッコニコしながら、開口一番…、「こんにちは!!お昼のニュースを、お伝えします!!」(^▽^)
「ニュース2項目」と「その日の午後の天気予報」。時間にして3分ほどだったか…、22歳の私は、持っている力を100%出し切り、言葉をつっかえることなく、無事終了!!
私の初鳴きの感想は、「爽快!」でした。
しかし…。気分良く、スタジオを出たところで!…先輩から、一言。
「何だか、選手宣誓みたいだったね。」(T0T)
…「伝える」ことの奥深さ、難しさを思い知った初鳴きでした。

続いては、早坂牧子アナです。まきこお姉さんも、「JUNI体操」で、ウキウキ、ニッコニコですね!


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