アナ・ログ ~アナウンサーリレーエッセイ~

受験あれこれ

佐藤 拓雄
2019/01/24
大学入試センター試験も終わり、受験シーズン本格突入ですね。
我が家は、今年、4年連続で受験生を抱えています。
【写真】は、その受験生本人の長女に頼み込んで、渋々撮ってきてもらいました。

さて、若い皆さんはご存じないかもしれませんが、このセンター試験が始まる以前は、「共通一次試験」という、国公立大学の、似たような試験がありました。
私は、この共通一次「最終回」を受験しています。平成元年のことです。

恥ずかしながら、「事情」により(苦笑)、現役生の弟と同じ共通一次を受ける羽目になってしまった私。
しかも、試験場は、弟と同会場、同教室でした。
席順が五十音順で、私の席から一列左の前方に、弟の後ろ姿が見えるというシチュエーション。正直、弟の事が気になって仕方ありませんでした。
何かの科目の終わりには、解答用紙が回収されたあと、弟が試験監督の人に何やら話しかけているのが見え、「何かやらかしたのか?」と気が気でなくなったり。
かと言って、自分の試験に集中できないほど「弟思い」なわけでもなく、試験には淡々と集中したので、目標点に少し足りない結果になったのは、単に私の実力の問題です。

弟が何を試験監督に話していたのか、後で聞いてみると、「受験番号を書き忘れたかもしれない」ということだったと記憶しています。
実際に書き忘れていたかは知りませんが、弟の共通一次の成績は芳しくなかったようです。
ただ、弟は、その共通一次の後、恐ろしいほど猛勉強をして、私立の合格を勝ち取りました。浪人の私は、もうこの時期は、体調を崩さないようにとか、そんな感じで、勉強のペースは落としていましたが、現役生はこれがあるんですよね。

だから、特に現役生の皆さん(我が家の受験生含む)には、最後まで粘れ!と言いたいです。

いずれにせよ、高校受験は15の試練、大学受験はハタチ前の試練。受験は試練です。
同時に、受験生の親も試練です。

しかし、高校も大学も、そして就職も、勝負は入った後。どこに入るか、はもちろん重要ですが、そこで何をするかがもっと重要です。
・・・と今は言えますが、受験生当時は、入れるか入れないか、それしか見えないですもんね・・・

とにかく、受験生諸君、諦めるなよ!

明日は、飯田アナウンサーの受験あれこれです。

平成最後のお正月

佐藤 拓雄
2019/01/04
あけましておめでとうございます。
今年も仙台放送と仙台放送アナウンサーをよろしくお願いいたします。


【写真】は平成最後の初日の出。

とかく、何かにつけて「平成最後の」と言いがちな今日この頃。
新しい年のはじまりに、「最後の」をつけるのは、少々違和感がありますが、それはさておき。

私が平成最後のお正月に思い出すのは、昭和最後の日、昭和64年1月7日の朝です。

大学入試目前、お正月どころではないと勉強に勤しみ、この日の朝も予備校の自習室に行くため、急ぎ足で新宿駅を歩いていた、その時でした。
「天皇陛下におかれましては、今朝、崩御されました」というような構内放送が流れたのです。
今調べてみると、崩御の発表が午前7時55分だったようですので、おそらく、その発表を受けてすぐだったと思われます。
さすがに私も周りの人たちも、その瞬間は足を止め、無言で耳を傾けたような記憶があります。
その時、「今日が昭和最後の日」とすぐに思ったわけではありませんが、これが私にとっての「昭和最後の日」の記憶です。

翌日から元号が平成に。
その4月、つまり平成元年4月に、私は大学に入学し、仙台にやってきました。
平成のはじまりと同時に、私は宮城県民になったのです。
それから30年、大学を卒業し、仙台で職を得ました。
家庭を持ち、子どもたちは皆平成生まれ。

私にとっては、平成という一つの時代は、人生の激動期でもあったんだなあと、感慨深い、平成最後のお正月でした。

次回は、平成生まれの西ノ入さんです。

今年の総括

佐藤 拓雄
2018/12/23
今年も出張の多い一年でした。

行って仕事をしてとんぼがえり、という出張も結構ありますが、仕事の合間に、訪れた土地の風物に触れることができるのはちょっとした楽しみです。

【写真】は、先日、またまた出張で、愛媛の松山に行ったときのものです。

道後温泉近くの団子屋で食べた団子。
このお団子屋さんは、夏目漱石が松山に英語教師として赴任した時代から続く老舗中の老舗で、実際に夏目漱石が訪れて団子を食べ、小説に採り入れた、そのお店なのです。
私は実は、予備知識もないままに、ふらっと入ったお店だったのですが、ど真ん中ストライク、大当たりでした。

三色のほうが有名な「坊っちゃん団子」ですが、小説「坊っちゃん」に「団子二皿七銭」と出てくる団子は、三色の「坊っちゃん団子」ではなく、写真の真ん中、串にささっていない、黒いあんこの「湯ざらし団子」の方だそうです。

なんとなく名前から、三色の方を夏目漱石が食べたのだろうなと思ってしまいますが、このお店の当時のご主人が、「坊っちゃん」発表後に、「坊っちゃん団子」を考案して売り出したということですから、小説の題材になったのは間違いなく「湯ざらし団子」なわけです。

「これが「団子二皿七銭」の団子か・・・」と思うと、実に感慨深く、知的好奇心が大いに刺激されてきます。

お茶を飲みながら2種類の団子を食べ、漱石の足跡や「坊っちゃん」の一節に触れ、頭も心もお腹も満たされ、翌日の仕事にも、いつも以上に身が入りました(・・・と言っておきます。)

残念ながら「湯ざらし団子」は、賞味期限がその日のうちということで、お土産として持ち帰ることはできませんでしたので、三色の「坊っちゃん団子」を家族へのお土産にして、仕入れたばかりの団子の薀蓄を土産話として語りました。

すみません、「今年の総括」が最初の一行だけになってしまいました。

さて、皆さま、今年も仙台放送アナウンス部を応援してくださり、ありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
そして、どうかよいお年をお迎えください。

明日は、梅島さんです。

プレゼント

佐藤 拓雄
2018/12/19
【写真】ついこの間の「働きもの」の時と同じ場所ですが、今度はこのマジンガーZそのものの話を。

幼稚園の頃、サンタさんからのプレゼントでもらったのが、マジンガーZの「ジャンボマシンダー」というもの。
60センチくらいある、大きな、マジンガーZのおもちゃです。
当時毎週楽しみに見ていたアニメだったので、12月25日の朝、届いているのを見つけた時は、それこそ天にも昇るような嬉しさがあったことを今でも覚えています。
しかも、1歳半下の弟と私それぞれに1体ずつ。

頭の「パイルダー」部分は取り外しができ、主人公がマジンガーに乗り込む瞬間を楽しむことができます。
腕の部分は、飛び出す「ロケットパンチ」など、様々なオプションに取り換えて遊ぶことができるのですが、これは別売り。次々にオプションをねだる私たち兄弟に、父は「サンタさんも大変なものをくれたなあ」と苦笑しながら買ってくれていました。

当時周りでジャンボマシンダーを持っている友だちは見当たらず、そういう意味でも誇らしい気持ちになったり。
とにかく、私の「子どもの頃のうれしかったプレゼント」の上位にランクインしているプレゼントです。

で、話は写真に戻ります。

ジャンボマシンダーより大きなこのマジンガーZは、軽井沢にある、懐かしのおもちゃを売っているお店の店頭に鎮座しています。
このお店を見つけてうれしくなり、中に入って店主と話をしていて驚いたのが、件のジャンボマシンダーのこと。
なんと今、数万円で取引されているというのです。
箱付ならばさらに値段は跳ね上がるとか。
私のジャンボマシンダー、どこにいったのかなー。大学に入って家を出た時にはもうなかったような気もします。
数万円で売りたかった、というより、それほどレアなものを、自分で所有しておきたかった、というこれまたコレクター気質が私の中で目を覚まします。

それはともかく、さらに驚いたのは、今そうした高値のレアなおもちゃをごっそり買っていくのは、台湾などアジアを中心とした海外の人だとのこと。
店主は、「そうなるともう二度と日本には戻ってこないんだよね」と嘆きのようなご意見。
昭和を懐かしむようなレトロなおもちゃ群の中で、今という時代が透けて見えた一幕でした。


明日は寺田さんのプレゼント話です。

年末に向けて・・・

佐藤 拓雄
2018/12/03
先日、出張で福岡を訪れました。福岡タワーが、年末に向けて、巨大なクリスマスツリーになっていました。【写真】

さて、最近、小3の次男と、映画「ハリー・ポッター」のシリーズをまた観ました。

昨冬にシリーズ全作品を二人で観たことはこのアナ・ログにも書きましたが、最終作のテレビ放送があったことをきっかけに、次男が「また観たい」と言い出して、4作目から2人でイッキ見しました。
さらには、第1作にまた戻って、二巡目です。
20年近いハリー・ポッター好きの私に負けず劣らず、次男も一過性のものにとどまらず、かなりのハマりようです。
一家5人のうち、全作品を見たのは、そもそも私と次男だけですが、何度見てもやはり面白く感じる私たち二人は、さながら家庭内の「ハリー・ポッター愛好会」。見終った後も、劇中の音楽を口ずさんだり、話で盛り上がったりしています。

また、今回も、一緒に観ながら、次男の成長を感じました。
一つは、演じている俳優の名前まで覚え始めた点。ダニエル・ラドクリフ、エマ・ワトソンといった名前が次男の口から出てくるのは新鮮です。
そして、4作目以降は、ハリーも成長し、10代らしい恋愛のあれこれも話に入ってくるのですが、そこにそれなりについていっている次男がいました。
それぞれの恋心が交錯する場面では、「ハーマイオニーは本当はロンが好きなわけだから・・・」とちょっとだけ解説すると、「あ、そういうことか!」とすぐに理解し、キスシーンも、茶化したりせずに、物語の展開の中での登場人物の心の表れとして、よく理解しているように見えました。

そんな次男には悪いのですが、我が家は今年も受験生を抱え、年末に向けて、旅行の計画をしたり、ということはありません。
ハリー・ポッターは、「年末のお楽しみ」にとっておいてもよかったかもしれませんが、「愛好会」としては、年末も観たりするのかもしれませんし、年末に向けて、他にもまた何か二人で楽しめるものを探してみるか、と思ったりもしています。

明日は、入社して初めての年末を迎えますね。西ノ入アナウンサーです。

働きもの

佐藤 拓雄
2018/11/20
我が家の働きものが、このところ相次いで不調を訴えています。

台所の換気扇、IHクッキングヒーター、トイレ・・・などなど、毎日の生活を支えてくれている、家電や家の装備です。

換気扇は、しばらく前からどう考えても正常ではない音が出るようになり、ごまかしながら使っていましたが、とうとう交換することにしました。
思えば、入居以来使い続けてきたものですので、このへんが寿命のようです。20年以上、毎日本当によく働きました。

クッキングヒーターは、グリル部分に不調が。
数年前に交換したもののような気がしていましたが、調べてみると、10年は軽く超えていました。
毎日フル稼働で我が家の食卓を支える大切な働きもの。経年劣化はやむなしですが、寿命が近づいているのかもしれません。

トイレの故障は、ちょっと想定外でした。水を流すためのレバーが機能しなくなったのです。
これはその交換だけで済みましたが、トイレのレバーは一体毎日何回稼働しているのだろうと考えると、これも相当な働きものだったんだなあと感慨深いものが。

今年は、1月に電気温水器が故障して大変なことになりました。

我が家では、洗濯機も相当な稼働率で、寿命が来るのがかなり早いです。

困るのは、こうした働きものたちは、往々にして、ある日突然故障してしまうこと。
毎日、それなしでは生活がスムーズにいかない、というくらい依存しているだけに、一度故障すると大変です。

一日も休まず働かせているこちらも、もう少し丁寧にそれぞれの調子に耳を傾け手入れをすればいいのかもしれませんが、なかなか分からないというのが本音。

毎日の働きに感謝しなければいけないと思いつつ、次はどの働きものが不調を訴えてくるのか、冷や冷やしている今日この頃です。

【写真】先日、軽井沢で見つけたマジンガーZ。日々戦うマジンガーZも、ある意味、働きものかと。

明日は金澤アナウンサーです。

色 いろいろ

佐藤 拓雄
2018/11/09
男が黒で女が赤。
私が子どもの頃のランドセルは、これしか選択肢がありませんでした。
また、特に、他の人と違うものを持ちたいというこだわりもなかったので、ランドセルと言えば黒か赤、としか思いませんでした。

長男の小学校入学時は、かれこれ10数年前になりますが、この時も、それほどたくさんの色があったわけではないと記憶しています。
売り場には、黒・赤以外も置いてありましたし、実際入学してみると、黒・赤以外のランドセルの子もいたのですが、やはり主流は黒・赤だったと思います。

長女のランドセルについては、2007年(!)4月のアナ・ログ「入学」のお題で、少々触れました。
この時長女は、水色やピンクも気になっていたようですが、最終的には、主流の赤系に落ち着いたのを覚えています。それでも、赤の中でも自分なりにこれだ、という色を選び、どうしてもこれ、と譲らなかったこと、それを家で毎日背負い、入学への期待感を見せていたのが印象に残っています。

そして今、小3の次男の登校風景を見ると、ランドセルはかなりカラフル。小学生たちは様々な色のものを背負っています。
次男のランドセルも、黒ではありません。
時代は変わったなあ、と思います。

ただ、ランドセルに関して、時代は変わったなあ、とより強く感じたのは、ランドセルを買う時期。
長男・長女の時は、年明けつまり入学の3か月前くらいで十分間に合ったのですが、次男の時は、入学前年の夏。
なんとなく、上の子たちのイメージでのんびり構えていたのですが、その前の年のニュースで、こんなに早いことを知り、時期を逃さないようにあわてて選びました。
そのためなのか、ランドセルに対して、長女が当時見せていた、小学校入学への期待感の象徴のような思いを、次男は抱かなかったような気がします。
時期が早すぎるんだと思います。
入学準備だって、子どもが気持ちを高めていくにふさわしい時期というものがあるのだろうと思いますが、それに合わない時期にランドセルを買ったことは、いまだ複雑な心境です。
その時期に買わないと売り切れてしまうし。

【写真】長男・長女の卒業後、使っていたランドセルを分解して作ってもらった、小さなランドセルです。

続いては、いつも原色系のカラフルなスニーカーを履いている、下山アナウンサーです。

ハロウィーン

佐藤 拓雄
2018/10/23
正直言って、私および私の家族には、ハロウィーンというものが定着しているとは言えません。
妻がかぼちゃ的なケーキを買ってきたりすることはありますが、それも毎年というわけでもなく、まあその程度です。

ただ、ハロウィーンと言われると必ず思い出すことはあります。

十数年前、家族で東京ディズニーランドに行った時のこと。
まだ小さかった長男と長女にとっての「初ディズニーランド」でした。(次男はまだ生まれていませんでした)

これがちょうどハロウィーン前の時期だったので、園内いたるところで、「Trick or treat?」と呼びかけられ、子どもたちはちょっと戸惑ったような、気恥ずかしいような表情で応じていたのを覚えています。
【写真】はその時に食べたムースか何かのカップを持ち帰ったもの。今でも我が家で現役で活躍中です。

「初ディズニーランド」の時、子どもたちは、事前にガイドブックを買って、これに乗りたいあれに乗りたいと、「乗りたいものリスト」を作り、私たち親も、それを見てどういう順番で行ったらいいか、なんてあれこれ考えたりして、行く前から楽しい時間を過ごしました。

その帰りの新幹線で長女が眠ってしまい、仙台駅に着いて起こしても全く目を覚まさず、仕方なく、眠ったままの長女を仙台駅からずっとだっこで家まで帰ったことも思い出します。ぐったり眠っている長女は重くて、腕がちぎれるかと思いました。

その後、何度も行くうちに、子どもたちの方が詳しくなり、怖がって乗れなかったものに乗れるようになったり、一人で回りたいとか、友達と行きたいとか、ディズニーランドは、子どもたちの成長を感じる場でもありました。


ところで。
ハロウィーンの仮装を、「コスプレ」と言う人が時々いますが、あれは違和感がありますね。なかには本当にコスプレの人もいるようですが、あくまでハロウィーンの場合は「仮装」だと思います。成り立ちからしてそうだし、英語でも、仮装とコスプレは言い分けているようです。

明日は寺田アナウンサーです。

今年は○○の秋に!

佐藤 拓雄
2018/10/15
小3の次男が、学校からの帰り道に青虫を捕まえてきました。
女子高生の長女は少々気持ち悪がりましたが、次男は「命なんだよ!」と抵抗。

飼育箱に入れてキャベツを食べさせたところ、わずか2日後に、サナギになりました。
そういうギリギリの時期の青虫だったようです。

あたり前ですが、サナギになると、全く動かず生きているのか死んでいるのか分からないような状態です。
乾燥しすぎていないか、霧吹きでもしたほうがいいのか、止まり木がないのに大丈夫か、あれこれ悩みつつ、長女を含めた家族みんなで毎日様子を気にして見守っていました。

私と長女が「今日も変化なかったね」と確認したその翌日、次男が大声を張り上げました。

「蝶々になってる!!!!」

黒い綺麗な蝶々がそこにいました。

頭では分かっていますが、なんという生命の神秘。
小さな命は、着実に自らを成長させていたのです。

さあ、その蝶々をどうするか。
ちょっとみんなで考えて、飼育箱のふたを外して、ベランダに置き、飛び立つのを待ってみることにしました。

ところが、翌日になっても、飼育箱から出てきません。
死んでしまったのか?と心配して覗き込むと、ヒラヒラっと羽をはばたかせ、箱から出てきました。
そのまま、バタバタせわしなく羽を振りますが、飛び上がることはしません。
そうするうちに、植木鉢に自力でよじ登り、そこにしがみついたまま、じっと動かなくなりました。気温の低さや雨のせいなのか、それとも、飛び立つ準備をしているのか。
時々羽を動かすので、生きていることは分かります。

さらに2日後、次男が、学校で、砂糖水をやってみたらどうか、と聞いてきて、ペットボトルのふたに入れ与えると、植木鉢から飛び降りて今度はそのふたにしがみつき、居座っています。

私たちの心配をよそに、自分のペースで、自分の生命を生きている。
生き物ってすごいなあと、しみじみ思いました。

前後して、この秋のドラマ「僕らは奇跡でできている」を見たこともあり、
「今年は生命の神秘や尊さを感じた秋に」なりました。

蝶々は、数日後、いつの間にかいなくなってしまいました。自分のペースで飛び立ったんでしょうね。

明日は寺田さんです。

走ること

佐藤 拓雄
2018/10/05
こう見えて、子どもの頃は短距離走が得意でした。
覚えている限り、徒競走で2位以下になったことはありません。
我が家の子どもたちには、そこは遺伝しなかったようで(苦笑)

それはともかく、子どもたちの運動会で、なんだかなあ、と思うことがあります。
それは、徒競走で、予めタイムを計り、似通ったタイムの子たちで競争させていること。
今は多くの小学校でこうしたやり方だと聞きます。
私が子どもの頃は、単純に背の順でしたが、そうすると、速い子と遅い子が混在して、差がついてしまうから、というよく分からない配慮から、今はタイム順で組み合わせているようです。
このやり方だと、全体の中ではかなり遅い子でも、競争では1位になることがあります。それはそれで本人には嬉しいのでしょうが、見ていると、順位だけに目が行き、自分の本当の力を分かっていないのでは?という姿が目につきます。反対に、全体の中では速いのに、速い子ばかりの組であるためにビリになってがっかりしている子もいたり。
もちろん昔のやり方でも、組み合わせ次第でそういうこともおきますし、ある意味どちらも社会の縮図のようにも見えますが、競争の前から配慮するという今のやり方は度を越している、と言ったら言い過ぎでしょうか。

そんな過剰な忖度をするくらいなら、速く走る方法を学校でしっかり教えてくれ、と思います。
昔からそうですが、短距離走は、速い子はもともと速い、遅い子は遅いまま、というのが現状です。
私だって、所詮は自己流で速かっただけであり、理にかなった走り方というのがあるのを知ったのは、大人になってからでした。
先日、次男の小学校でPTA行事として「走り方教室」が開かれました。よい機会でしたが、それは学校が体育の授業でやることではないのか?という思いも残りました。

まもなく、「東北・みやぎ復興マラソン」。
出場者の中には、大人になってから走ることの楽しさに気がついた方もいることでしょう。
子どもの頃に学校で、「走り方」を教えてくれていたら、人生が違っていた、と思っている方もいるのではないか、と思ったりします。

こんな私はモンスターペアレントでしょうか?(苦笑)

次回からは新テーマでお送りします。