2007/06/28
仕事柄、小学生や中学生、高校生にお話をしてくださいといった依頼があります。仙台市のある市民センターで中学生の話し方教室のようなことをやってくれませんかという依頼がありました。「はて、何を」と思ったのですが、しかも2週連続で同じ中学生が参加するといいます。1回目は?そして2回目は?1回目は自分自身がどうしてアナウンサーになったのか?アナウンサーを志望したのか?という話をしました。それでも時間がありましたので、自己紹介の仕方なんぞだったかなあ。2回目は、ニュース原稿を持ち込んで「君もアナウンサーになってみよう」といった経験をしてもらいましたが、どうだったのでしょうか。緊張ぎみの中学生たちも、人に話を伝えることの大切さを感じ取ったようでした。
さて、話を戻しまして、自分はどうしてこの仕事に?
今の中学生よりは我々の時代のほうが大人びていたような気がしますが、浅見少年が目の当たりにしたのが東京オリンピックでした。1964年、昭和39年です。聖火リレーを沿道で見、開会式を迎えた10月10日、テレビからは、あの名アナウンサーとして語り継がれる北出清五郎アナウンサーの「世界中の秋晴れを東京に持ってきたような素晴らしい秋日和であります」という名セリフ。そして女子バレー日本対ソビエトの決勝では、これまた名アナウンサーの誉れ高い鈴木文弥アナウンサーの「金メダルポイント」実況。
昭和39年10月10日のその時、アナウンサーへの憧れをもつようになった日でもあります。
その時歴史が動いたのであります。
では、続いては「東京のバスガール」
初代コロムビア・ローズさんです。