アナ・ログ

芸術の秋

2009/11/12

○○の秋特集。続いてのテーマは『芸術の秋』です。
私は絵を描いたり、歌ったり、音楽を奏でたりするのはからっきしで、私自身が芸術を表現するのは大の苦手です。
そもそも字が汚いです。ここでまずは書道には向いていないことになりますが、線をまっすぐ書けない、キレイな円を書けない…などで絵画は×。そして字が汚い人の最大の特徴である、バランス感覚の欠如。こうなるともう全部ダメですね。
歌唱力に関しても論外です。

ただ、芸術を鑑賞することは最近になって増えてきました。見聞を広めるためにと、それまで一切興味がなかったクラシックコンサートやオペラ、ミュージカルなどを無理やり見始めて2年ほど。苦手分野の克服の意味も込めて、自分を強制させて見に行っていましたが、食わず嫌いでした。
今では、仙台でのピアノコンサートに一人で行くようにもなりました。美術館などは、自らすすんで行く事はありませんが、旅行先にある美術館に行くということはあります。

芸術を本当に理解できているわけではないでしょうが、自分とは対極の位置にあるものに触れるといい刺激になりますよね。

続いては原さんの芸術です。

学問の秋

2009/11/04

大学の卒業も決まって時間を持て余している頃、つまり最も学問から遠ざかっている時期に、私は福沢諭吉の「学問のすゝめ」を読みました。
「学問のすゝめ」と言えば『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』という言葉はあまりにも有名ですよね。
当時、「学問のすゝめ」を読みながらこのフレーズにいつ遭遇するのかと思って楽しみにして読み進めていたものでした。
そしてその一説に辿り着いた時に、驚きました。
福沢諭吉はこの言葉を《人はみんな平等ですよ》という、それまで思っていた通りの意味では使っていなかったのです。
確かに文章全体から『天は…』の一部分だけを抜き出せば《平等》ということなのでしょうが、このフレーズの後にも言葉は続いていきます。
その一連の流れから私が読み取った意味は《生まれた瞬間は皆平等だけれども、その後は努力次第なので、皆さん勉強を頑張りましょう》というものでした。

もしかしたら私の読解力が低いだけなのかもしれませんし、もしくは《平等》という意味だけを持たせた部分が、「学問のすゝめ」の中の別のどこかにあるのかもしれません。
ただ「学問のすゝめ」は「学問を勧めている本」ですから、本旨としてはやっぱり《勉強を頑張りましょう》であったと納得した記憶があります。

何でも自分で実際に見たりやったりしてみないことには、分からないことって多いですね。
続いては梅島さんです♪

読書の秋 その2

2009/10/21

私は本を読みながら、気になる事柄をメモすることがあります。
手元にメモ用紙がない場合は携帯電話にメモ。
メモするものと言えば面白い言葉。それにエッセイなどを読むと、著者が面白かったと話す書物や映画の題名などがあります。
以前、遠藤周作さんのエッセイを読んでいて、いわゆる第3の新人の仲間である安岡章太郎さん、吉行淳之介さん、三浦朱門さんなどの名前がよく出てきたため、数珠つなぎのように読む本が増えていきました。

そのメモの中には、古くなって何のメモだか分からなくなるものもあります。
最近では『はなさんか爺さん』がありました。
この言葉、落語好きの方はピンと来るかもしれません。
『はなさか爺さん』ではありません。『はなさ‘ん’か爺さん』です。
これは、『対談の七人 爆笑問題』の中で、爆笑問題のお2人が故淀川長治さんと対談している中に出てきた一説で、
「爺さんが、犬がワンワンと吠えたところを掘ったら小判が出てきた。隣の爺さんが『その犬を貸してくれ』と言った。隣の爺さんが借りたが、今度は吠えない。怒った隣の爺さんが無理に尻尾を引っ張ったら犬がこっちを向いて“はなさんか爺さん”」

何を思ってこのフレーズをメモしたのか、今となっては分かりかねますが、このブログのネタに活かせたという意味で非常に有意義なメモとなりました。

続いては佐藤さんです。

食欲の秋 その2

2009/10/13

私の好物はカレー、ハンバーグ、エビフライ、牛丼、そぼろご飯、たこ焼きです。これらは毎シーズンOKなものばかりなので、私にとってはいつでも食欲の季節です。
こう言うと「何でも美味しくて幸せだね」と言う人もいますが、「広瀬の舌はバカだ」と言う人もいます。
別に季節物に興味ありません。例えば、みかん、柿、すいか、メロンなど(なんで果物ばっかやねん!)は大好きです。ただ、冒頭の強者達が強者すぎるのです。

こんな性格ですから、食べる時は何でも美味しく沢山食べます。見た目では想像できないくらい食べるね、とよく言われます。

一方で、食べない時は一切何も食べない日があります。読書していたり、録画していたスポーツ中継が溜まってしまって休みの日に一気に見ようという日がそんな日です。そういった時こそ、チャップリンの映画に出てきた、ジッとしていても食べ物を口に運んでくれる機械があったらいいのになぁと思います。それどころか、ジッとしていても口を動かして咀嚼までさせてくれる機械が欲しかったりもします。
どんだけ怠け者なんだと思うかもしれませんが、読書に対する集中力が尋常じゃなかったからだということにしておいて下さい。

さて続いてのテーマは、その『読書の秋』です。
梅島さんからです。

オリンピック

2009/09/25

私の「オリンピック」は、スポーツのオリンピックではなく数学オリンピックです。高校で一時期熱中したことがありました。数学オリンピックは国内予選⇒国内大会⇒国際大会と進みます。
私はここに書くには恥ずかしい成績でしたが、友人には国際数学オリンピックでメダルを獲るような人が何人かいました。

彼らには、数学の天才ならではのエピソードがあります。
一緒にご飯を食べに行ってメニューを観ていると、やにわに『この店の品物を全て注文すると◎◎円になる』と言い出しました。
私がメニューにあるだしまき卵の味を想像している間に、彼らはそんな計算をしています。

そういった数学好き達の多くには、ある共通点がありました。幼い頃から“鉄道好き”だという人が非常に多いのです。鉄道好きには乗るのが好き、見るのが好きなど様々あるようですが、数学好きの好物はみな揃って時刻表です。
以前、何が面白いのか聞いたところ、『特急が、鈍行をどこで追い抜くのか考えるのが面白い』と話していました。おそらく彼らは頭の中に路線図を広げて、JR・私鉄・地下鉄の全ての電車を時刻表通りにヨーイドンで走らせて、何十何百もある全車両の動きをシミュレーションしているのだと思います。
ものすごい想像力です。

この想像力が数学にも影響を与えていると思います。
例えば“トラックの周りを走る駆けっこ”に関する文章題は、山手線が好きな子にはあまり抵抗がないかもしれません。
さらに、太陽の周りを回る星の動きも山手線と近いものがあります。「太陽系の惑星が、すべて一直線に並ぶのはいつ?」「皆既日食はいつ起きる?」といった問いは、山手線のちょっとした応用程度かもしれません。

時刻表を観ていると数学が得意になるのか、はたまた数学の才能がある子の目には時刻表が魅力的に映るのか、どちらか分かりません。ただ、「幼少時から数字の羅列を見渡していて、数字に対する抵抗感がなくなった」という話す人もいます。もし子供を数学の天才に育てたいならば、路線図と時刻表を渡してみるのも一計かも??

写真は「みちのくYOSAKOIまつり」(10月10日午後1時から生放送)のPRでのひとコマ。
次は、一緒にYOSAKOIをお送りする寺田さんです。

祖父母の思い出その2

2009/09/04

私の頭の中では母方の祖父の最強伝説があります。
何が最強かというと、それはもうストレートに腕っぷしの強さ、格闘技(プロレスごっこ)です。

幼年期の男児ならばプロレスごっこをした経験があると思います。
私も仕事終わりの父と、毎晩のようにプロレスごっこをしていました。
親戚の家に遊びに行けば、『刺客現る』くらいの高揚感と緊張感を持ち、新たな対戦相手として親戚と一戦交えていました。

それで、祖父の何が最強なのかというと、祖父は倒れても倒れても何度も立ち上がる格闘スピリットを持ち合わせており、唯一決着がつかなかった相手です。

毎晩、プロレスごっこをしていた父は、仕事を終えての疲労というハンディがあったにしろ、今思えば10分もしないうちに決着がついていました。もちろん私の全勝です。
時には、あまりにも早く決着がついたため、父に対し『プロレスというものはそんなに簡単に終わっては成り立たない』と子供ながらに異を唱え、誤審だったという形で再試合が行われたこともあります。

しかし祖父は、子供の気分が最高潮に達したタイミングで負けてあげるという暗黙のルールを知らなかったのでしょう。
それとも私が、最弱のレスラーである父との対戦に慣れすぎてしまっていたのか。
もしくは、戦争を生き抜いた世代の父親像というのはこういうものなのか。

祖父との試合は、『猪木vsマサ斎藤の巌流島決戦の再現か!』と思わせるほど長時間に及び、ボサボサに髪を乱しながら立ち上がる祖父の鬼の形相に、恐怖すら覚えました。
あれは演出なのか。あるいは遠慮なく蹴り飛ばしてくる孫に対して、祖父は本当に怒っていたのかもしれませんが。

試合の決着はつかないまま、階下からの祖母の「ご飯よ~」の声で、一旦お預けになったきりだと思います。
遠い記憶ですが、思い返せば思い返すほど、鮮明に甦る祖父の力。戦前男子は強かった。


続いては佐藤さんです。

夏休み最終日

2009/08/18

8月もあっというまに後半戦になりました。
楽しい夏休みも残り少なくなってきました。
というわけで『夏休み最終日』というテーマでお送りいたします。

去年の夏休みは12月でした。1週間のお休みがあったので親戚とともにヨーロッパへ行ってきました。バルセロナでスペインサッカーのバルセロナvsレアル・マドリードの試合を観たり、クリスマスのパリの街を歩いたりと充実した日々でした。

というわけで今年も夏休みは当分先かと思われます。この8月中は東京に帰った時にフジテレビの同期・榎並大二郎アナウンサーに会いに台場に遊びに行きました。写真は、左から榎並アナ、ラフくん、私です。
榎並アナはフジテレビの採用試験で最終面接まで毎日ともに試験を受けていた仲。入社後も連絡を取っていました。ただ、会うのは本当に久しぶり。10ヶ月ぶりくらいでしょうか?
お昼ご飯を一緒に食べたり、夕方のスーパーニュースのスポーツコーナーも見学させてもらったり。多忙極まる榎並アナ。友人だからといって、普通こんなことまでしてくれないですよ。心から感謝です。

ニュース本番前には榎並アナに誘われて私も一緒に発声練習をしました。この時の様子はフジテレビのホームページにある、高橋真麻アナのブログに載っております。

榎並アナとは大学時代の思い出の方が多いので、この夏、改めて新鮮な気持ちになれました。

さて、次は早坂さんです。

お盆の思い出

2009/08/10

唇を蚊に刺されました。
まだお盆には入っていないですが、最近の話です。

これまでお盆の時期は、両親の実家に帰省したり、海外へ単身赴任していた父を訪れたり、部活したり、勉強したり。色んな場所に行きましたが蚊って、当たり前ですが大体どこにもいますよね。
蚊は手や足を刺すものだと理由なく信じていましたが、違いました。
痒くてしょうがないので、虫刺され薬を塗ることに。取扱説明書には、「目に塗るな」とはありますが「口に塗るな」とは書いてありませんから大丈夫、躊躇なく塗りこみました。
ただ、薬が取れてしまわないためにも、飲食はもちろん舌なめずりや唇を動かすことも極力少なくしなくてはいけないのです。それに「口に塗るな」とは書いてないにしろ「舐めても大丈夫」という話は聞いたことないですし、到底大丈夫とは思えません。
口を開けたままにするか、閉じて動かさないようにするか二者択一。
迷いなく閉じる方を選択し、数分間ジッと我慢。
痒みは取れましたが、あぁいったスースーする薬を鼻の近くに塗ると、気になってしょうがなくなる。そんな経験って皆さんもありますよね。

一昨年のお盆の時期、友人と名古屋に行きました。
朝、友人から日焼け止めを借りて顔に塗った時にビックリ。大の苦手とするココナッツミルクの香りがする日焼け止めでした。
世の中の香りの中で、苦手トップ3に余裕で入るココナッツミルクの香りのものを、よりによって鼻の近くに塗ってしまい、鼻がもげそうになり、しばらく悶えました。海水浴中でも使うものですから、洗顔してもなかなか落ちず、この香りと一日中、お付き合いすることになりました。
名所名所を巡っている最中、忘れた頃にふとココナッツミルクの香りが漂い、突如悶え始める。
食事をしても、カレーも名古屋コーチンも、何を食べても全部ココナッツ味。ひつまぶしにココナッツミルクを注ぎ足す店なんて、どこの世界に行ってもありません!


拷問のような嗅覚攻め。なぜかお盆の時期に多いような気がします…
さて、続いては早坂さん。アクティブな早坂さんにはどんな思い出がありますか?

自由研究

2009/07/24

小学6年生の時に母親研究をしました。
母は、映画などを観ている人に結末を話したがります。ドラマの第1話を観ようとしている矢先に、原作を読んで知っていた母が横から結末を話し始めて出鼻を挫かれたことが多々ありました。こういった経験から、母はどのくらいの確率で結末を明かすかを実験したのです。
食事時に「明日からは●●という小説を読むことにする」といった話を切り出して、どのくらいの割合で母が内容に触れるかを数えました。研究目的などあまり考えず、なんとなく実行したもので、正確な結果は記憶していません。もちろんその数値が高いのか低いのかも特に考えませんでした。
ただ、結論に『母は「スポーツの中継はドキドキして疲れるから、結果を知っている試合を録画で観る方が安心できて好き」と常々話しております。そういった考えの下、ドラマをハラハラドキドキ観ている息子が可愛そう。結末を知らせてあげて安心させてあげたい」という親心が働いているのではないか』というようなこじつけをして、課題を提出しました。

この実験は大学時代にも行いました。
2006年ドイツ・サッカーW杯、ブラジル戦(日本時間午前4時開始)。日本がブラジルに勝って、オーストラリアが負ければ日本が決勝トーナメントに進出できるという状況。
先制したのは日本。直後、オーストラリアが先制を許したという途中経過が…。このままなら日本が決勝トーナメント進出!でしたが、結果は皆さんご存知の通りでしょう。
試合を観終えて私は閃きました。一番良いところまで観たけれど、途中で寝てしまって結果を知らない人を演じようと。
大学で友人に対し、「途中まで中継を観ていたんだけれども、日本は決勝トーナメントへ進出したんじゃない!?家に帰って録画を観るのが楽しみ」と目を輝かせて話して回ることにしました。
その結果は…50%の人が結末を明しました。

思い返してみると小学校時代、母親が結末を話した確確率が50%以上だったのは間違いありません。
小学校時代の研究の結論が大学に入ってついに出されました。

私の母は比較的お喋りなようです。

前々回の『バーゲンについて』とも若干被った内容になってしまいました…
続いては浅見さんの自由研究です!

旅の思い出

2009/07/07

これまでも何度か「旅」ついて書いてきたので、どこの旅話を書こうかなと悩んでいたところ、原アナウンサーから、去年6/11[『私の必須アイテム』8/14『怖い話』の続きを書いてとアツい(?)要望がありましたので、書かせて頂きます。
【これまでの要約】
《湾岸戦争直前、広瀬家などバクダッド在住の日本人数十名はイラクを出国すべく砂漠を爆走し、私・母・姉は見事検問を突破》(わずか62文字。以前の2回分、2千文字の内容がいかに薄いことか…)

爆走旅行を終えた私達はヨルダンの首都アンマンに到着し、2日後くらいには日本へ帰国。
一方、父は来た道を車で十数時間かけて引き返します。運転手にとってはきつい道程ですが、砂漠の夜空で見た天の川は、それはそれはキレイだったそうです。
その後…
イラクの侵攻を受けたクウェート駐在員は軍事施設に監禁されていたそうですが、父はバグダッド市内での行動は許可されていました。ただ、なかなか出国許可は下りず、イラクが多国籍軍から攻撃を受けないよう、ヒューマンシールド(人間の盾)として人質同然の扱いだったようです。

という怖い話が続いていますが、日本の方々が心配するほど、イラクにいた人はそれほど不自由な思いはせず、楽しい思い出の方が多いです。プールに、空気で膨らますボートなんかを持って入ると、子供も大人も珍しがって寄ってきて仲良くなったりと、ほのぼのした思い出も。
ただイラクの思い出で特に印象強いのは‘暑さ’です。世界最高気温58.8℃を記録したバスラ市がイラクにはあります。暑いというか、肌が痛いです。
イラクについてよく言われる冗談に「洗濯物を左から右へ干していき、干し終わった頃には左から取り込める」というのがあります。風呂は《冷》の蛇口を回せば大丈夫。母が日本の時の癖で《熱》の蛇口を回した風呂に入った時にはえらい目に合いました。
暑さに関係ないけどもう一つ有名な冗談を。「イラクのゴルフコースは世界一難しい。なんせ全部バンカーだから」。実際にはゴルフコースは無いらしいですが、私だったら18ホールまわる前に暑さで倒れるでしょう。

原さんからの“アツい”要望が“暑い”話になったところでお終い♪このくだらないオチを公開する私の勇気を皆さんどうぞ、けなしてください!!
続いては原さん。あらあらかしこで行った旅!?のお話です!

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