アナ・ログ

憧れます

佐藤 拓雄

2024/06/19

漫画家、小説家、脚本家。
フィクションの物語を創り出す人に憧れます。

小学生の頃、漫画好きが高じて、漫画雑誌の「漫画賞」に応募しようと思ったことがあります。
インクをつけながら描くタイプのペンを買って、色々な漫画を模写したり、好きな漫画家の画風に似せたイラストを描いたりしてみましたが・・・
絵はまだしも、肝心のストーリーが全く思いつかない!
漫画賞応募はそれで断念しました。

大学生の頃は、ドラマ好きが高じて、脚本家に憧れ、シナリオの専門誌やシナリオ本を買ったりして、かなり読みましたが・・・
これまた、肝心のストーリーが思いつかない!!

幼い頃から、本はたくさん読んできましたし、ドラマもどれだけ見たか分かりませんが、それでも、ストーリーが出てこない、というのは、これは決定的に才能がないのでしょうね。

それならば、ドラマの演出家かプロデューサーだ!と熱い思いだけで、ドラマ制作をしているテレビ局の採用試験に応募しましたが、すべて敗退。
皮肉なもので、アナウンサー、しかも報道がほとんどという、フィクションと正反対の「事実」を伝える仕事に就いています。

それでも、フィクション、物語は、私の心の栄養で、ドラマを見たり小説を読んだりしないでいると、心が枯れていく感じがするのです。

つまるところ、私は、あくまで物語の「受け手」でしかあり得ない、ということなのですが、それだけに、心動かされる物語を紡ぐ人たちは、やはり私の永遠の憧れです。

【写真】先日、出張で名古屋へ行ったら、ノーベル物理学賞の天野浩博士の手形碑に遭遇しました。天野博士は名古屋大学だからですね。それにしても、え?なんでここに?という場所で、「遭遇した」という感覚なのです。
私にとって、ノーベル賞は、あまりにリアリティがなく、憧れすら抱いたことがありません。

次は、高橋咲良アナウンサーです。

雨の日どう過ごす?

佐藤 拓雄

2024/06/05

雨の日は好きではありません。
薄暗くて気分が上がりませんし、外に出れば傘を差したって濡れますし。
例えば、晴耕雨読。そんな過ごし方ができたらいいものですが、サラリーマンには土台無理な話です。
晴れていようが、雨が降ろうが、仕事に行かなければなりません。
ですから、現実としては、「雨の日どう過ごす?」ではなく、「雨の日どうやり過ごす?」ですね。
傘の分、持つ物が増えるので、雨の日はなるべく荷物を少なくしたいのですが、元々荷物が減らない私が、そんな都合のいいことができるわけもなく、「やり過ごす」方法さえいまだ見つかっていません。

そう言えば、数年前、久しぶりに傘を新しくしたら、不思議とその傘を持って出かけると雨に降られない、ということがありました。
新品の傘が、いつまでも新品のままで、これは持っているだけで雨を避けられる魔法の傘か?と思いましたが、さすがにその「魔法」が通用したのは、2カ月くらいでした。それでも、その間雨降りの日はあったのに、私自身が2カ月雨に降られなかった、というのはすごいと思いませんか?
自分だけ雨に降られない、そんなひみつ道具はないかな。ド○○もーーーん!

【写真】は、先日遭遇した「ブルーモーメント」。雨の日は見ることができません。

明日は、西ノ入アナウンサーです。

言葉にまつわる話

佐藤 拓雄

2024/05/17

かれこれ30年くらい感じていることですが、おかしな敬語が気持ち悪い。

その代表格が、「ビール飲まれますか?」

先輩や目上の人にお酒をすすめる時に、かなり多用されていると思うのですが、気持ち悪くないですか?

ビール飲みますよ、だけど、飲まれませんよ、とおじさんの屁理屈を言いたくなってしまいます。
「酒は飲んでも飲まれるな」と言うではありませんか。
・・・やはり屁理屈ですかね。

いや、でも。「飲む」の敬語が「飲まれる」なのは、やっぱり気持ち悪い。
「飲む、食べる」の敬語は、「召し上がる」でしょう。あるいは、「お飲みになる」。

確かに「れる・られる」には、「尊敬」の意味もありますが、「受け身」「可能」「自発」もあるわけで、だからこそ、「飲まれる」なんて言われると、私は「酒は飲んでも飲まれるな」に感じてしまうのです。
「食べる」→「食べられますか」で考えてみたらなおのこと、「可能」か「受け身」に感じませんか?
文脈で分かるだろう、と言えばそうかもしれませんが、紛らわしいからこそ、別の言葉「召し上がる」があるのだろうとも思います。

「ビール飲まれますか」には、そういう言葉を使わず、マニュアル的にパターン化して「れる・られる」をつければ敬語になる、というような安直な考えが透けて見える気がして、嫌だなあ、と思うのですが・・・
挙句、こういうことを正面から言うと、「〇〇ハラ」と言われてしまうのでしょうか。


【写真】内容とは全く関係ありませんが、仙台放送局舎前の新緑です。実に清々しい。


次回は、西ノ入アナウンサーです。

昭和

佐藤 拓雄

2024/05/09

いわゆる「昭和ひとケタ」生まれの私の父が、90歳を迎え、先日家族全員で「卒寿」を祝いました。
私を含め父の息子3人とその家族、つまりは皆、父の作った家族です。
全員集合したのは、いつ以来か分からないくらい久しぶりで、父も終始嬉しそうでした。
父が健康で、その卒寿を祝えるということ自体、ありがたい、幸せなことだとしみじみ思います。

身内自慢になってしまいますが、父は、おそらく平均的な90歳と比べて、はるかに元気で、漠然とイメージする「90歳の人」とは、よい意味で程遠いです。
母が亡くなり、独り暮らしになってから十数年経ちますが、ずっと三食自炊し、適度なウォーキングをし、日々俳句を作って、心身ともに健康を保っています。
お酒も相変わらず飲めますし、近所に住んでいるので、一緒に飲めるのは、私にとっても幸せなことです。
好奇心も衰え知らずで、お菓子をはじめ新しい料理に次々と挑戦したり、パソコン、スマホを使いこなして、自身の一句に写真と雑感を添えたハガキ通信を作ったり。
タブレットで動画を楽しむのも日課になっているようで、少し前ですが、反田恭平が2位に入ったショパン国際コンクールの生配信も全て見たとか。(その流れで、去年は2人で反田恭平のリサイタルに行きました。)

自分がこういう年の取り方をできるか、全く自信がありませんが、父には、尊敬の念ばかり。
そして、「健康寿命」を保って、いつまでも元気でいてほしいと、心から願っています。

父が、卒寿祝いのお返しにと用意してくれていたのが、【写真】のバウムクーヘン。自身の90年の「年輪」になぞらえたものだそうです。
父の「年輪」を思いながら、美味しくいただきました。
・・・あ、これは父の手作りではありません(笑)


明日は、西ノ入アナウンサーです。

春と言えば!

佐藤 拓雄

2024/04/24

先日、春らしい「桜あん」のだんごを食べました【写真】
甘いものは何でも好きな私ですが、桜餅とか「桜なんとか」の和菓子もとても好きです。やはり、花より団子ですね。
ちなみに、桜餅の桜の葉は、「剥がす」派です。うまく葉を剥がせたかどうかで、テンションが上下しますが、意外と剥がすのが上手いと自分では思っています。

さて、お題は「春と言えば」ですが、私が思い浮かんだのは、ある映画でした。
タイトルは、「(ハル)」。
「春」ではないですし、季節の「春」という意味でもないのですが・・・

森田芳光監督、深津絵里・内野聖陽主演、1996年の作品です。
パソコン通信をモチーフにした物語で、パソコン通信のやり取りの文字をそのまま画面に使う演出が、当時としてはとても斬新でした。
・・・ここで、そもそもパソコン通信って何?という方もいるかもしれませんが、今のSNSの原型みたいなもの、と言ったらいいでしょうか。スマホの無い時代の話です。

それはともかく、今でこそ、LINEのやり取りなどがそのまま画面に出てくるような演出の映画・ドラマは珍しくありませんが、1996年当時、この映画は大胆で実験的だったと思います。
当時の評判や、興行的にどれほどだったのかはよく分かりませんが、そういう目新しさだけでなく、人の心情を丁寧に繊細に描いていて、心に残る佳作だと思っています。
本筋とはあまり関係ない所では、東北新幹線が舞台の一つになっているのも、ちょっとうれしいポイントでした。

どうにも「春」の話には持って行けませんでした。
すみませんが、今日はこのへんで。

明日は、西ノ入アナウンサーです。

新年度 2024

佐藤 拓雄

2024/04/08

【写真】新年度早々、仙台放送にやって来たお客様。「仙台弁こけし」です。公式プロフィールによると「いぎなし(とても)なまってる宮城のご当地キャラクター」。
その通り、絶妙な仙台弁と愛らしい姿で、ニュースセンター中を、「いぎなし」笑顔にしていきました。
あ!私、サンダル履きでした!すみません(苦笑)

さて、本題。
長女がこの春大学を卒業し、この新年度から社会人になりました。
子どもの経済的自立が、子育ての一つのゴール、と考えると、ともあれ長女に関しては、子育て「卒業」と言えそうで、感慨深いものがあります。
しかし、我が家は、次男がまだ中学生、長男も自身の目標に向かって学生の身を続けているので、私の子育てのゴールはまだ先です。

この新年度は、私自身の立場にも変化がありました。
4月1日から、報道部との兼務になり、アナウンサーではありつつ、報道部でニュースのデスクの仕事もしています。
私はこれまで、アナウンサーとしての仕事内容は、報道が大半でしたので、報道は自分の「ホーム」の一つという感覚もありますが、これまでとは違う形でも報道に携わっていくことになります。

それに伴い、アナウンス部長は、金澤聡アナウンサーに変わりました。

私は、アナウンス部長を2017年3月から丸7年務めましたが、文字通りあっという間の出来事で、いつの間にそんな時間が経ってしまったのか、というくらい、7年もやっていた感覚が全くありません。40代だった自分が、7年経って50代半ば。光陰矢の如しです。怖い怖い。
今後も、後輩アナウンサーの指導・育成には、変わらず関わっていきますし、私の部長時代に採用・入社してきた若手アナウンサーたちは、いつまでも自分の子どもたちのような気持ちですので、変わらず見守っていきます。
今年度は、新人アナウンサーの入社はありませんが、若手アナウンサーをはじめ、仙台放送アナウンス部を、引き続きどうぞよろしくお願いします。

続いては、西ノ入アナウンサーです。

東日本大震災13年

佐藤 拓雄

2024/03/11

きょうで、東日本大震災の発生から13年となりました。
多くの方の命日にあたります。心からご冥福をお祈りします。

13年経ったということは、今の小学生以下は、全員が震災後の生まれということになります。
先日、地元新聞に、独自の調査結果が掲載されました。
宮城県内の小学6年生(つまり震災後生まれ)の17.7%(6人に1人)が、東日本大震災の発生年月日を正確に回答できなかったといいます。
震災伝承の課題と現状を表す結果に、驚かされました。
分かっていることとは言え、震災を文字通り「知らない」世代がここまで増えていることに、13年という時間を感じさせられます。
一方で、そのことだけで評価できるものでもないのもまた事実。
これからますます増えていく震災を知らない世代に、何を、どう、伝えていくのか、震災を経験した一人として、伝えることの模索を続けていかなければと改めて思います。

去年の秋、愛知県の大学生たちに、震災のことを話す機会がありました。
ゼミの研究の一環で、被災地や被災地のメディアを取材しているとのことで、震災を伝える一人としての私自身の体験や感じていることが話の中心です。
実はご縁があり、この大学の学生たちに話をするのは初めてではないのですが、毎回とても熱心で感心しています。
今回の学生たちは、大学2年生で、2011年は小学校低学年、しかも皆、震災の被災地出身ではありませんので、ほとんど記憶はないということでしたが、発生当時の状況や葛藤から現在に至るまで、多岐に渡って、熱心に質問し、話を聞いてくれました。
十数年が経った今、他の地域に、強い関心を持っている若い人たちがいるのが、大変頼もしく、私の話もついつい長くなってしまいました。
自分たち以外の人々を取材してテレビで伝えていくだけでなく、私たち自身の経験を、様々な形で伝えていくことも、私たちにできること・すべきことであり、震災伝承の一つだという思いを、年を重ねるごとに強くしています。

【写真】震災伝承施設の一つ、旧気仙沼向洋高校の伝承館です。震災遺構や震災を伝える施設の存在も、今後さらに重要になっていくと思います。

明日は、西ノ入菜月アナウンサーです。

最近こんなことしています

佐藤 拓雄

2024/02/28

我が家の朝は、毎日「めざましテレビ」。
そして、毎朝、「めざましじゃんけん」に挑戦し、勝敗に一喜一憂しています。なぜか妻は常にチョキを出したがり、私と中学生の次男はその時々の勘。
ともあれ、勝った・負けた・あいこだ、今週は点数の積み上がりが悪いとか、週の前半であっという間に100点になったとか、朝の話題の一つになっています。

そんななか、最近ふと思いました。
一般論として、じゃんけんの確率は、必ず3分の1。「めざましじゃんけん」の確率は調べていませんが、いくらなんでもその日全部同じということはないはず。
だとすれば、一週間同じものを出し続ければ、確実に100点に到達するはずだと。
平日のチャンスは4回。ただ、5時台は起きていないこともあるので、我が家の場合はだいたい3回。その3回が、確率通りに、勝ち・負け・あいこだとすれば、一日で35点。三日で100点を超えます。全て負けの日があったとしても、15点。いくらなんでもそれが五日続くことはないだろうから、悪くても一日平均20点とみれば、かける五日で100点到達です。
「めざましどようび」にも、2回チャンスがありますしね。

さらによく考えれば、毎日4回すべて挑戦すれば全敗でも20点なので、五日で100点。どんな勝敗でも、欠かさず挑戦すれば必ず100点になるわけですね。よくできています。

ということで、先週、全てチョキを出してみたところ、大成功。できなかった回もあったのですが、それでも木曜日には100点に到達しました!粘り勝ちです。
こんなやり方がよいのかどうかは分かりませんが、ともあれ実験成功、ということで。

【写真】仙台放送受付の「めざましくん」。

明日は、飯田アナウンサーです。

寒さの話あれこれ

佐藤 拓雄

2024/02/09

冬の体育館は寒い。
当たり前のことで今さらですが、最近そんなことを感じました。
中学生の次男の部活動の練習試合の見学です。
大げさではなく、冷蔵庫の中にいるようでした。

以前は高校の部活動を体育館で取材する機会も多く、冬の体育館がとても寒いということは知っていたのに、感覚として忘れてしまっていたようです。

思い出してみると、公立高校の体育館は特に寒く、ジェットヒーターみたいなものがあっても全く効果は感じられず、それさえない所のほうが多かったですし、屋内だからといって、外と変わらないのではと思うほど。
もちろん風が吹いてこないだけ外よりはマシですが、よく晴れた昼間は、日差しが届かない分、かえって外より寒く感じます。

学校の体育館ではなく、某屋根付き運動場は、昼間でも冬は外より寒く、夏は風が通らないため外より暑いという、最悪のコンディションだったことも思い出しました。

さて、次男の練習試合の見学に話を戻しますが、子どもたちは運動をしているのでまだいいのでしょうが、その日はそれでも寒かったようです。まして動かない親たちは、数時間で、文字通り体の芯まで冷え切りました。
帰り道、誰ともなく、「ラーメン食べたい」となって、親子3人でラーメン屋さんに直行。熱いスープが五臓六腑に沁みわたり、凍った体が「解凍」されたようでした・・・

【写真】はイメージです(笑)

次は、そんな寒さとは無縁の沖縄で、楽天イーグルスのキャンプを取材している、下山アナウンサーです。

試験の思い出

佐藤 拓雄

2024/02/01

【写真】は、岩手県の宮古駅にある「落ちないネコ」。駅舎の鉄骨に右前足の先を引っ掛けてあるだけなのに、東日本大震災の時も落ちなかったとのことで、受験生の縁起担ぎ、合格祈願に人気だそうです。

さて、私自身の受けた試験は、最も近い、会社の採用試験でも30年以上前ですので、「試験の思い出」と言われて、まず頭に浮かぶのは、自分の子どもたちの試験のことばかり。
「試験に臨む子どもの親」としての無力感を、何度となく味わった、という思い出ですね。

親としてできるのは、気を揉むことだけで、それが何にもならないことは分かっているのですが、それでも心配です。もちろん、心配した分、よい結果が出るというわけでもないし、結局は本人次第ですので、本当に無力でしかありません。
「試験を受けるのは子どもなのだから、親はどんと構えていればいい」ということをおっしゃる方もいますが、性格的にそうできないから心配なわけで。
そういう私のことを、子どもたちは鬱陶しいと思っているのだろうなあ、と思いつつ、それでも、親として何かまだできることがあるのではないか、という諦めの悪さ。

子どもたちもそれぞれ大きくなりましたが、まだあと何度か、「試験に臨む子どもの親」をすることになるので、当面、私の気持ちが落ち着くことはなさそうです。

でも、大学受験の付き添いで一緒に宿泊したとか、テストの成績や合格発表で喜んだとか、少しはよい思い出・楽しい思い出もありますので、自分の中でそちらをクローズアップして考えた方が、精神衛生上よいのでしょうね(苦笑)

明日は、堤アナウンサーです。

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