アナ・ログ

「私、〇〇マニア?です。」

佐藤 拓雄

2019/11/08

出張の帰り、京都駅に偶然「ドクターイエロー」が!【写真】
20年近く前、当時「新幹線マニア」だった長男に付き合って、毎週のように新幹線を見に行ったことを思い出しました。

さて、それとほぼ同じ頃、何度かこのアナ・ログにも書いていますが、「ドラマニア倶楽部」という深夜番組をやっていたことがあります。

仙台放送以外の他局も含め、ドラマについて、生放送でひたすら30分間語る、という内容。
ドラマ好きの私が、仙台放送の先輩ディレクターとドラマの話でしょっちゅう盛り上がり、その先輩ディレクターの企画で始まった、マニアックな深夜番組でした。
インターネットが普及しつつあった時代で、ネットに掲示板を作り、不特定多数のドラマニア達の書き込みを次々に紹介してあれこれ言ったり、そんなところもなかなか斬新でしたが、今なら、すぐに「炎上」でしょうか。そう考えると、わずか20年でも、時代が大きく変わったと感じます。

番組のために、週に15~18本くらいの連続ドラマを観る日々でした。
録画機器が、VHSのビデオだけという、今からすると「原始時代」のような環境で、自宅に2台、会社に数台というビデオデッキを駆使して録画し、次々に観る毎日。
当然自分にとっては全く面白くないものも観なくてはいけないわけで、いくら「ドラマニア」と言えども、大変でしたが、単なるドラマ好きが仕事になるとは、テレビ局っていいよなあ、とも思った仕事の一つでした。

現在は、好きなものだけを好きなように観る、気楽なドラマニア生活。

最近は、インターネットで「北の国から」を一気に見直しています。連続ドラマだった1981年から82年の最初のシリーズ、その第1回からです。
ストーリー自体を忘れていたり、今この年齢で観ると、以前と随分捉え方が違うなあ、と思ったりもしますが、やはり、いい。全24回を終わり、「83冬」から「2002遺言」まで続くスペシャルを順次、という段階に入りました。

並行して、「踊る大捜査線」とか、さらにはるか昔のトレンディドラマとかまで観たりして、便利な時代を満喫する一方で、これではいくら時間があっても足りません。
「踊る」なんかは、ディスクに保存して持っているのに、また観てしまいます。
あ、これ、もちろん違法なものではなく、有料の公式動画ですよ。念のため。


次は寺田アナウンサーです。

お腹いっぱい食べたい!「秋の味覚」

佐藤 拓雄

2019/10/23

まずは、【写真】。言わずもがなの「はらこめし」です。
先日、妻の友人から手作りのものをいただきました。
これまた言わずもがなですが、美味でした。
「はらこめし」を食べると、「宮城の秋」という気がしてきますね。
宮城ならではの、大いに誇りたい料理です。
毎日食べてもいいくらい、それこそ「お腹いっぱい食べたい!秋の味覚」です。

ところで、今年は、サンマが深刻な不漁。これも毎日食べたいほどの秋の味覚ですが、この秋、我が家の食卓には、一度も上がっていません。

そのサンマにまつわるお話を一つ。

大学生のころ、宮城のサンマがあまりに美味しいので、実家の家族にも食べてほしいと思い、送ったことがあります。
脂ののった、丸々と太った大きなサンマが実家に到着。
早速母が塩焼きにしたそうですが、脂がのっているだけに、煙がすごい。
台所の窓を開けて煙を外に追い出しつつ、おいしそうなサンマが焼けてきたころ、遠くから消防車のサイレンの音が聞こえてきたといいます。
「どこかで火事かしら」と思っているうちに、サイレン音は家のすぐ近くに。
すると、玄関のブザーが鳴り、ドアを激しくたたく音が。
慌ててドアを開けた母の前にいたのは、なんと消防隊員!
「お宅が火事だと通報がありました!大丈夫ですか!!」
「はあ????」
お分かりと思いますが、窓からモクモクと出るサンマの煙が、近所の人に火事と間違われ、119番されてしまったわけです。
私のせいではありませんが、サンマを送ったことで、かえって申し訳ないことをしたと思いつつも、結局は笑ってしまいました。
以来、サンマの塩焼きを食べるたびに、この「事件」を思い出します。

それにしても、サンマ。
「お腹いっぱい食べたい!」どころか、このまま食べずにシーズンが終わるのではないか、と思う今年の秋です・・・

明日の当番は、西ノ入アナウンサーです。

コーヒーの話

佐藤 拓雄

2019/10/08

私は去年の夏までは、大のコーヒー好きでした。
しかし、この1年ちょっとコーヒーを全く飲んでいません。
胃の調子を悪くして、どういう訳か、コーヒーを飲もうという気が一切なくなってしまったのです。胃の調子がよくなっても、香りだけは大好きですが、重たいというか、胃に入れたくない感覚なのです。(酒は平気で飲むのに・・・苦笑)

代わりに好んで飲むようになったのが紅茶。
今までのコーヒーと同じ頻度で飲むようになりました。
そうなって感じるのが、コーヒーと紅茶の、似て非なるところ。
味とか、そもそも豆と葉だし、ということではなく、社会における位置づけです。ちょっと大げさか。

まず、コーヒーはだいたいどこにでもあります。
会社でも、コーヒーは、全員の共有のものとして豆を買い、常に淹れて置いてありますが、紅茶はそんなことはありません。自分でティーバッグを持ち込み、自分のために淹れて飲む。
打合せや会議などでは、当然のようにコーヒーが出てきますが、紅茶が出てくることはまずありません。「コーヒー飲めません」と言いにいことも多く、そんな時は黙って残すしかありません。
先日は、系列の会議で「コーヒー飲めませんので私の分は結構です」と言ったら、気を遣って紅茶をわざわざ持ってきてくださり、かえって恐縮してしまいました。
街にもコーヒー店はいくらでもあるのに、紅茶店はほとんどありません。(コーヒー店に紅茶は置いてありますが。)
ペットボトルや缶でも、コーヒーは迷うほど選択肢があるのに比べ、紅茶は実に少ない。駅の売店や自販機など、スペースの少ない所では置いてないことさえあります。
「お茶飲みましょう」は、「お茶」なのに、実態は「コーヒー」。

こんな世の中ですので、紅茶派の人はどこか肩身が狭いように思うのですが、それでも声を上げないほど慎み深いのか、そもそも本当に少数派なのか。
たかが紅茶ではありますが、少しばかり世の不条理を感じつつ、今日も職場ではマイ・ティーバッグで紅茶を飲んでいます。

【写真】最近お気に入りの、石巻産の紅茶「KITAHA」。東北では唯一の国産紅茶です。渋みが少なく、すっきりさっぱりした味わいが好きです。

明日は、高橋さんです。

ショックだったこと

佐藤 拓雄

2019/09/13

今日から新しいお題「ショックだったこと」。

この夏、次男の強い要望で、カブトムシをオスメス1匹ずつ飼いました。
どちらも、エサをたくさん食べ、飼育ケースの中を所狭しと動き回る、元気なカブトムシでしたが、夏が終わる前にそろって寿命が尽きました。
残念ですが、自然の摂理、仕方のないこと。

メスは、土の中に潜ったきり出てこなくなり、そこで命を終わらせたようです。
外に埋めるため、死骸を探して、ケースの中の土をそっと掘り返すと、もぞもぞと動く白い小さな幼虫が!

実は、死んだ2匹は、つがいとはいっても、同じケースで飼っていたのはわずか3日ほどでした。オスが非常に攻撃的なので、分離したのです。
ですから、卵を産んだかどうかは微妙だったのですが、2匹は、命を次の世代に繋げていました。なんという自然のたくましさと儚さ。
次男は「仲が悪いのかと思ったけど、本当は仲良しだったんだね」と、邪気のない一言。そう言う次男の心持ちに、清々しさも覚えます。

結局、少なくとも40匹はいる(!)ことが判り、親子で大いに心躍らせ、慌てて土を追加し、毎日様子を観察して、大切に育てています。

実は、私がカブトムシの幼虫を大切にしたい気持ちには、もう一つ理由があります。

小学生のころ、カブトムシの幼虫を飼い、重大な失敗をしたからです。
今も忘れない、本当にショックだった出来事です。

以前「昆虫」というお題の時に書きましたので一部を再録します。

・・・
サナギになって土の中にいるときに、気になって掘り起こしました。
サナギの姿を見つけて一安心し、土をかぶせましたが、やってはいけないことでした。
サナギになる時にカブトムシが自分で作った「部屋」を私が壊してしまったのです。
羽化したカブトムシは、羽の部分がつぶれて開かない状態でした。
デリケートなサナギの時期に土があたってしまったのが原因と考えられます。
自然の摂理に反した行為で生き物を傷つけ取り返しのつかないことをした・・・その心の痛みは今も忘れられません。
・・・

今度はこんなことがないように、そして、生まれてきた小さな命を死なせないようにと、観察と手入れの毎日です。

今回の【写真】は、在りし日のオス君。実に食欲旺盛でした。

次は堤アナウンサーです。どんなショックが?!

9月10日は牛タンの日

佐藤 拓雄

2019/09/09

牧君の言う通り、肉は大好きですが、鶏のムネ肉とササミは、パサパサするのであまり好きではありません(苦笑)

それはさておき、この夏、帰省した大学生の長男が、牛タンを食べたいというので、私と長男・次男という佐藤家の野郎3人で牛タン屋に行きました。
定型的な仙台の牛タン定食を、実はこれまで食べたことがなかったという小4の次男でしたが、一口食べて大喜び。「仙台人」として知っておくべきことを、また一つ知ったということでしょうか。ってそんなに大げさなことじゃないか。


さて、15年くらい前、ある番組で、仙台市内のお店を取材しました。

典型的な「仙台の牛タン店」ではなく、洋食の要素が入った、オリジナルのメニューを出す牛タン店でした。
そのとき取材したのは、絶品のタンカツ。
2センチはある厚切りのタンを、薄い衣で包み、浅い油で「揚げ焼き」のようにしたもの。歯ごたえのあるタン焼と違い、噛むとスッと肉がほぐれるような柔らかさでした。
朗らかで温かいご主人と奥様の人柄、そして、タンカツ以外のメニューも絶品ぞろいで、その後は取材抜きで昼も夜もしょっちゅう通う、大好きなお店になりました。

お気づきになった方もいるかもしれませんが、ここまですべて過去形で書いたのは、そのお店がもう無くなってしまったからです。
ご主人が急逝され、閉店してしまったのです。

このお店のことは、2007年6月の当アナ・ログで詳しく書きました。

読み返してみましたが、改めてこのお店のことが鮮明に思い出されます。
10年以上たちましたが、私の中でここに匹敵するお気に入り牛タン店は見つかりません。

さらに残念なことに、タンカツはじめ、このお店の料理を撮った写真が一つもありませんでした。
考えてみると、15年くらい前は、今のように何の料理でもすぐに写真を撮る、という時代ではなかったんですね。

仕方ないので、今回の【写真】は、先日、仙台放送の男性アナウンサー5人全員で食べた、とあるお店の超厚切りの牛タン。実にウマかった。


明日こそまさに「牛タンの日」。梅島さんの牛タン話です。

ちょっとラッキーなできごと

佐藤 拓雄

2019/08/22

先日、お盆に入るころ、家族で福島に一泊しました。
お墓掃除とお墓参りに小旅行を兼ねた、我が家の夏の定番コースのようなものです。

お盆休みの時期、しかも天気はあまりよくない予報で、どうなるかなと心配&覚悟をして出かけましたが、行きは上りだったためか全く渋滞なしですいすい到着。
天気も、雨は降らず、かと言って、日差しもほとんどないという、「お墓掃除日和」とでも言いたいくらいでした。

翌日は、思いつきで、裏磐梯から米沢へ抜ける峠越えのルートを行ったところ、これまた混雑なくすいすい。(ただし、かなりのつづら折りの道で運転はまずまずハードな感じがしました。)

峠を降りた米沢で、名物の冷たいラーメン【写真】に舌鼓を打ちました。美味い。
あっさりしているのに、しっかりした味のスープ(なんのこっちゃ?)、ツルツルした、やや細めのちぢれ麺。てっぺんに載った「ガリ」がさっぱり感を演出します。
あー、また食べたくなってきました。
ただでさえ「冷し〇〇」好きの私ですが、たまらない一品でした。
で、このお店が、入った時には、全く並ばず、すんなり座れたのですが、そのあと長い行列が。本当に数分の差です。

そして、米沢から仙台までの帰り道。
東北中央道~山形道は交通量は少なめ、混んでいるはずの東北自動車道下りは、わずかな区間しか走らなかったためか、これまた渋滞にはまらず。

満員電車なのになぜか自分の前だけ席が空いて座れちゃったりするという、ドラえもんのひみつ道具があった記憶がありますが、そんな感じさえする、「ちょっとラッキー」なことが続いた2日間でした。


明日は、寺田アナウンサーの「ちょっとラッキー」話です。

ヒヤッとする怖ーい話

佐藤 拓雄

2019/08/14

先日、仕事中のことでした。
社内でついていたテレビから、速報ニュースとして、
「大学のボートが海で転覆、20人以上が海に投げ出された」
という一報が入ってきました。

大学名そしてボート部と聞いて、ゾッとしました。
長男の高校時代の野球部の仲間が、その大学のボート部にいると聞いていたからです。
私自身も保護者として部活動に関わるなかで、自分の息子の一人のように思う、長男の元チームメイトです。

そこから詳細が分かるまでの時間が、本当に長く、重苦しいものでした。
ニュース以上の情報はおそらくどこにもないはず。ニュースの一報とはそういうものです。
それは分かっているのに、何か他にないのか、どこかにそれ以上の情報はないかと、探そうとします。もちろん、何かあるわけがありません。
焦る気持ちと、どうか万一のことがありませんようにと、祈るような気持ちで、仕事どころではありませんでした。かと言って、詳しいことが分からない段階で周囲にあれこれ言うのも憚られ、息が苦しくなるような時間でした。

結局、その後のニュースで、全員無事、と伝えられ、まずは一安心。
長男に、その友達に連絡を取ってみてくれ、と連絡し、詳細が分かりました。
ややこしいのですが、ボート部といっても、転覆したのは、海でやるほうのボート。長男の友人は、川でやるほうで、そもそも部が違うとのこと。このため、事故には全く関係していなかったということでした。

それにしても、「血の気が引く」とはまさにこういうことか。ヒヤッとするどころではない、ゾッとした恐ろしい話でした。

そして、改めて思うのは、こうした思いでニュースを待つ人がいるということ。
入社の時から教えられてきたことではありますが、待つ人たちに情報を届けることの重み、その人たちの思いを感じて伝えることの大切さを、確認させられた出来事でした。


【写真】先月家族で訪れた岩手県宮古市の海。猛暑の日でしたが、澄んだ海水は、だいぶ「ヒヤッと」していました。

明日は、高橋アナウンサーです。

夏休みに行きたい場所

佐藤 拓雄

2019/07/23

高校野球の季節がやってきました。

それを前に、先日、録画を引っ張り出して、去年の甲子園準々決勝をまた観てしまいました。
金足農業対近江。
9回裏逆転サヨナラ2ランスクイズのあの試合です。
100回大会の去年を象徴するような、また、「金農フィーバー」を決定的にしたあの試合です。
何度見ても興奮しますね。
去年の金農の試合は、全試合録画を永久保存です。

そして、今はまさに宮城大会真っただ中。
なかなか球場に足を運ぶことまではできませんが、結果は毎日気になって仕方ありません。

私自身は、スポ少や部活動などで本格的な野球をやっていたわけではありませんが、日々の遊びをはじめ、野球が常に身近だった世代です。
高校野球にも、「ドカベン」をはじめとする水島新司漫画を原体験に、子どもの頃から親しんできました。
そして、数年前に、「高校球児の親」というものを経験してから、それまで以上に、高校野球、甲子園への思いが強くなってしまいました。
兎にも角にも、夏は甲子園です。

しかし、ここで告白します。
こんなに好きなのに、私は、甲子園に行ったことが一度もありません・・・
毎年専らテレビ観戦。
観に行ったことはもちろん、取材で行ったこともないのです。
仙台放送も、甲子園には毎年取材班を出しますが、それも巡りあわせ上、回ってきませんでした。

そうは言っても、今の私に、夏の甲子園を観に行く時間はちょっと取れそうにありません。
仕事をリタイアして、「毎日が夏休み」になったら行きたい場所、それが夏の甲子園です。

【写真】は数年前、長男が高3の時の宮城大会開会式。この日は猛暑でした。


明日は、堤アナウンサーです。今年の夏は、社会人初の夏ですね。

七夕

佐藤 拓雄

2019/07/09

こどもの頃から、星の観察が苦手です。
どうしても星座を見つけられません。
オリオン座の三ツ星、カシオペアくらいは見えますが、北斗七星も見つけるのがやっと。その他は全然見えてこないのです。
視力の問題ではなく、想像力とかクリエイティビティとか、そういう能力の問題だと思います。

それを初めて自覚したのは、小学4年生の時。
クラスメイトと先生で夜、自主的に星空を観察するために集まりました。
夜の外出ということで、非常に張り切って出かけたのですが、クラスメイトが次々と見つける星座が、私にはちっとも見えてきません。
ほらあそこ、と言ってもらっても、その「あそこ」がどこを差すのかが分からないのです。
これは、当時の私にとって、少なからぬ挫折感で、コンプレックスになりました。

ただ、だからと言って、宇宙への興味関心は無くなったりはせず、以前「宇宙について」というお題の時に書いたように、宇宙への憧れ、宇宙の不思議を知りたいという好奇心は、今も強く持っています。
相変わらず星座は見えませんが。

で、七夕。
織姫と彦星。ベガとアルタイル。
皆さんは、ご自身の目で見たことがありますか?
私は、残念ながら、いや、当然ながら、ありません。
正直、天の川もどれなのかちっとも分からない情けなさです。

【写真】は、先週、空に見つけた、うろこ雲。7月にしては珍しいですよね?なんとなく、「天の川」に似ていなくもないので、この写真にしました。


明日は飯田アナウンサーの七夕です。

温泉

佐藤 拓雄

2019/06/27

小学生の頃、父方の祖父の、喜寿だったか、そういうお祝いで、親戚一同が集まったことがあります。
行ったのは、福島県の磐梯熱海温泉。祖父は郡山市に住んでいましたので、割と近場ですね。

その磐梯熱海温泉で、祖父と私と弟という3人だったと思いますが、温泉に入りました。
かなり広い浴槽で、泳ぎを覚えたばかりの私は、ついつい平泳ぎを披露。
今考えると、「温泉で泳いではいけません」とたしなめられるような場面でしょうね。
ところが、その時祖父がとった行動は、一緒に平泳ぎをスイスイ、でした。
「おじいちゃん、泳ぐのじょうずだね!」とはしゃぐ私と弟。
ますます調子に乗る祖父。

という感じで、楽しく温泉に入り、部屋に戻りました。
「温泉気持ちよかった?」などと母か叔母かに聞かれたのだと思います。
「おじいちゃんと泳いだよ。おじいちゃん泳ぐのうまいんだよ」
というようなことを言うと、周りの大人一同が、目を見開き、「えーっ?!おじいちゃん泳いだの!?」。

それもそのはず、祖父は、明治生まれの父親。
口数は少なくて、自分の子どもにはかなり厳しく、万に一つも、温泉で平泳ぎを披露するような人ではなかったようですので、息子・娘である、父や叔父叔母の驚きは相当だったようです。

ただ、私にとっての祖父は、厳しい面は全く見せず、優しくて、いつも私たちを可愛がってくれて、茶目っ気もあり、というおじいちゃんでしたので、温泉で泳ぐのも、父や叔父叔母のような意味での驚きはなかったのです。

父親としての顔と、孫に見せる祖父の顔が、これほど分かりやすく違うのも微笑ましいですね。
私の父も、これほどではありませんが、やはり孫に対しては、私の知らなかった顔を見せていたりします。
将来私もそうなるのでしょうか?

【写真】は、その磐梯熱海温泉に程近い、猪苗代湖。単なる連想です。

明日は、西ノ入アナウンサーの温泉話です。

次へ ≫