アナ・ログ

ふるさと

伊藤 瞳

2020/08/31

8月も今日で最後!あっという間ですね。
9月になる前に夏らしい一枚を!
今月7日に仙台放送に飾られている吹き流しの前で、浴衣を着て中継をしました(*^-^*)
写真は、そのときのオフショットです。
水色の浴衣は新鮮で、浴衣を着るのすら4年ぶりのことだったので、心ときめく1日でした(*´ω`*)

さて、今回のお題「ふるさと」!
このご時世で、なかなかふるさとに帰ることができていない新人1年目を送っています。

新生活では、不器用ながら自炊をすることもあって、母が教えてくれたレシピで、作って食べることもあります。味はおそらくほぼ一緒なのですが、「自分が作った」と思うと、なんだか美味しさと満足度が半減してしまいます。自分で自分に作る料理は、正直ものすごく萎えます(笑)

そんな私の食生活を見越した母が、支援物資として、気まぐれにクール便で手料理を送ってくれるときがあります。有難く頬張ってみると、母の味に全身が包まれ、美味しくて嬉しくて涙が…(笑)
「母が作った」というだけで、私にとっては、ミシュランの三つ星を超える世界最高級のブランド力を持つようです。

帰省ができず、大きく膨らんだふるさとへの「恋しさ貯金」は、「味の里帰り」によって、少しばかり使うことができています。次はいつ送られてくるのか楽しみに待ちながら、萎えずに自分の手料理と向き合いたいと思います(笑)!

明日からは新しいお題「行きたい場所」です。
堤アナウンサーからスタートです。

西ノ入 菜月

2020/08/28

私は埼玉県出身です。

宮城出身の方に「私は埼玉出身です。」というと、大半の方は、大宮や浦和などの、比較的埼玉の中でも栄えている地域を思い浮かべる方が多いことから、「都会っ子ね」と言ってくださることが多いのですが…

全然違うんです…。

私の出身は「坂戸市(さかどし)」という所で、川越市の近くの山寄りにある場所のため、都会と言える条件であるビルはありませんし、飲み屋街もありません。場所によっては、見渡す限りの田んぼと畑が広がっている場所です。
その穏やかな故郷が私は本当に大好きで、実家に帰ってゆっくりすることが、社会人になってからの趣味の一つでもあります。

その故郷では、小さいころ友達と近所で遊ぶと言ったら、ザリガニ釣りだったり、小学校の校庭で50m走をしたりと、自然を相手にしたり、限られた場所で遊ぶようなことばかりしていました。笑
ちなみに、この時に短距離走を極めすぎたのか、運動が得意だった全盛期の高校時代に50m走を7.5秒で走り、陸上部の友達にも勝ってしまった経験があります。

そんな、埼玉と言えど自然豊かな場所で育ったため、仙台放送のアナウンサー採用試験で初めて仙台駅に降り立った時は、あまりの都会指数の高さに衝撃を受けたことを覚えています。「高いビルがある…」と。
今では仙台での暮らしも慣れましたが、埼玉の実家に帰ってから仙台に戻るときは、未だに仙台駅前のビルの高さに一瞬驚きます。

ただ、今はこのご時世ですので、なかなか実家に帰れていません。冒頭の写真の、実家で飼っているルナにも会えていません…忘れられている可能性もあるため、写真のように冷たい視線を向けられるかもしれません。涙

あすは伊藤アナです。

佐藤 拓雄

2020/08/27

私は、神奈川県川崎市で生まれ、その後東京都多摩市で育ちました。
大学入学まで暮らした多摩市が私にとってのふるさとと言える場所なのでしょうが、どちらも団地に住んでいたこともあってか、いまひとつ「ふるさと」感がありません。
しかも、両親は20年近く前に仙台に引っ越してきているので、帰省先と呼べるところもなく、ますます「ふるさと」感を希薄にしています。
【写真】は去年の冬、東京に行ったときにちょっと時間があったので、かつての実家付近を歩いてみた時のものです。こういう団地群の中で育ちました。

そのような私が、「ふるさと」という言葉でぱっとイメージするのは、父の実家である福島県郡山市。
住んだことは一度もありませんが、子どもの頃は、毎年、夏休みと言えば、郡山。団地ではなく平屋の日本家屋の祖父母の家で、セミの鳴き声のやかましい暑い中、縁側に座って、新鮮なトマトやとうもろこしを丸かじりしたとか、そういう経験や光景が「ふるさと」という感じです。

私の父は、ふるさと郡山を大学入学で出てから、戻ることなくそのまま東京で働いていました。
その息子である私が、郡山ではないものの、隣県の仙台の大学に入ったことを、祖父は「拓雄が帰ってきた」と表現して喜んだそうです。
私自身は、郡山や東北への思い入れから仙台の大学に入ったわけではありませんが、潜在意識の中にある、東北地方への「ふるさと」感が、仙台を選ばせたのかもしれない、と今になって思います。

さらに時は流れ、今度は私の長男が大学入学で家を出ました。その長男が入学した大学が、私のかつての実家に近い場所にあり、ひとり暮らしの住まいも、私にとって馴染みのある地域になりました。

実家を出た私と長男それぞれが、それぞれ父親のふるさとの地域に移り住むという、巡り合わせの不思議さを感じます。

明日は、西ノ入アナウンサーです。

高橋 咲良

2020/08/26

山に囲まれていると安心すると感じるのは、私が山形県で生まれ育ったからでしょうか…
私が生まれ育ったふるさとは、山形県天童市。高校生までの18年間をここで過ごしました。ふるさとを離れてもう7年くらい経つので、実家の周りに新しい家がいくつも建っていたり、天童駅周辺の道路が整備されていたり、大きなイオンモールが建っていたりと、街はどんどん変化しているのですが。

草や土の匂いが混じった空気や、夜は虫の鳴き声が聞こえるほど静かになるところ、星がたくさん見える広い空など、変わらない部分も沢山あって、ふるさとに帰るとやっぱり安心します。

先日、街の住み心地についてのある調査で、天童市が東北で9位にランクインしたという記事を見ました。自分のふるさとがランクインしていると嬉しいものですね。天童市はラ・フランスやサクランボといった美味しい果物がとれますし、緑豊かな県の総合運動公園もあれば温泉もありますし、美味しいお蕎麦屋さんも沢山あります。改めて、自慢のふるさとです!

と自信を持って言えるようになったのは、ふるさとから離れて、違う街に住んでみたからこそなのかもしれません。今までは気づけなかった、ふるさとの魅力に気づけるようになりました。

さて、写真ですが…
5月に第1弾をアップしました、「クラシックバレエストレッチ動画」の第2弾が、仙台放送公式YouTubeチャンネルと、仙台放送アナウンサー公式チャンネルにて公開中です!
今回は、ベッドで寝ながら出来るバレエストレッチを紹介していますので、眠りにつく前に是非試してみて下さい(*^^*)

続いては、佐藤アナウンサーです !!

金澤 聡

2020/08/25

きょう8月25日は奇しくも私の48回目の誕生日です。五十路が見えてきました。
仙台に住んで26年です。私の人生で一番長く居を構えているのが仙台ですので、私のふるさとは「宮城県仙台市」です。
この夏休みは我が家では「県外移動自粛宣言」を出しました。とはいえ、子どもたちに何か一つでも夏の思い出を残してあげたいと思い、「ふるさと」観光をしてまいりました。伊豆沼に行ってボートにのって蓮の花を見てきました。
遊覧用のボートは、もともと9人乗りだったそうですが,蜜を避けるため6人乗りに改造してありました。訪れたときは我々家族の貸し切り状態でしたので、よりディスタンスを取ってゆったり眺めることができました。
検温をしてアルコール消毒をしてボートに乗らなくてはいけないので、コロナ対策万全の中の遊覧でした。7月の大雨で蓮の葉が枯れてしまった箇所がありましたが、ゆっくり進むボートの中にいるとお釈迦様のような気持ちに。(カンダタは出てきませんでしたが…)

そうこうしているうちに伊豆沼遊覧もお昼近くになったのでございましょう(『蜘蛛の糸』の結びっぽく書いてみました)
ボートを降りる直前に小学生の息子が、「ここはラムサール条約に登録されているところだよね」と博学たらしめん事を申すので、びっくりしたのと同時に、天から蜘蛛の糸でも降りてきてくれないかと願う、我がふるさとの湿地帯でありました。

次回は高橋アナウンサーです。

飯田 菜奈

2020/08/24

比較的長く住んだ場所や、思い入れの強い場所のことを、「第二のふるさと」という言い方をしますよね。私には第二のふるさとがたくさんあります。笑
もちろん仙台もその1つですし、他にも5ヵ所ぐらい挙げられます。
実際に滞在した期間ではなく、どんな出来事があったか、どんなふうに過ごしたか…
振り返るとそれぞれの場所で思い出がいっぱいあって、1ヵ所を選ぶことはできません。

大学2年生、ちょうど20歳の春休みを過ごしたオーストラリアのメルボルンも、私にとっての第二のふるさとだと思っています!20歳という、怖いもの知らずで何事にもチャレンジできる年齢だった、というのも大きいですが、これまでの人生で一番濃い時間を過ごしたと思います。それぐらい、楽しいことも、つらいことも、大泣きしたことも、幸せだったことも、まさにジェットコースターのように、いろいろありました。

語学学校のクラスメイトが、フランス、インド、タイ、ブラジル、中国、韓国など、様々な国から来た同世代の人たち…という環境も新鮮で、日々、文化の違いを学ぶことができました。印象的だったのが、”今度の休日にどこに遊びに行くか”を数人で話していた時、選択肢が2つに絞られ、どっちが良いかと聞かれた日本人の私が「どっちでも良いよ!」と言ったら、「日本人は自分の意見をはっきり言わないよね!どっちが良いのか言って!」と怒られたことがあります。

ハッとしました。ここは日本ではなく、海外。自分はこう思う!こうしたい!という意思を持って、相手に伝えないといけないんだ。
それ以降、自分の意見や思い、感じたことをしっかり伝えるようになったら、語学学校でさらに友達が増え、コミュニケーションが円滑になりました。海外旅行に行く際にも、毎回それは心がけています。大事なことを教えてくれた友人に感謝です!

写真は、最近出会ったかき氷。宇治金時みるく味です。フォルムが映える~!!
残暑が厳しい日々が続きますが、皆様ご自愛ください。

お次は金澤アナウンサーです。

下山 由城

2020/08/21

ふるさとは埼玉県です。

川口市で生まれ、大宮市を経由して、幼稚園くらいから浦和市にいました。大宮と浦和は、今のさいたま市ですね!

出身高校(埼玉・栄東高校)の最寄り駅は大宮駅より宇都宮線でさらに北へ2駅進んだ「東大宮駅」でした。主に住宅地が広がる場所です。ですので、友人らと遊ぶ場所といえば何でも揃っている大宮駅でした。
慣れ親しんだJR大宮駅西口の景色…JR仙台駅西口によ~く似ています。ネット上でもよく“似ている”言われていますが、私自身も初めて降り立った時の感想がそれでした。正直、仙台駅の方が栄えています!ペデストリアンデッキとか駅前ビルの配置とか、あらゆる点が似ています。だからなんだか落ち着く好きな場所です。

埼玉と言えば最近大きなトピックがありました。
熊谷市が誇っていた歴代最高気温41.1℃(2018年7月23日に記録)が、今月17日にまさかの静岡県浜松市に並ばれてしまったのです。これは完全にノーマークだったでしょう。だいたい埼玉・熊谷市か岐阜・多治見市をよく耳にする気がします。静岡がそこまでいく印象はありませんでした。そもそもさいたま市は基本的に熊谷市ほど暑くなりません。40℃以上はちょっと体感したことがないので想像できないですね。危険な暑さであることは間違いないです。体調管理にお気を付けください。

今回の写真は埼玉県羽生市の日本酒『花陽浴』(はなあび)です。今、日本でもトップレベルに人気の銘柄と言っていいでしょう。それが埼玉の酒というのがうれしいですね。私はもちろん、私の周りにも好きな人が多いですよ!酒屋さんでもすぐに売り切れています。これは特別な日に飲みたくなる日本酒です。お店とかで見かけたらぜひ飲んでみてください!

…久しぶりにこんなに埼玉について話しました(笑)


お次は飯田アナウンサーです!

梅島 三環子

2020/08/20

私のふるさとは、静岡県静岡市。高校まで過ごしました。
ふと気づくと、ふるさとで過ごした年月とふるさとを離れてからの年月が同じくらいになりました。時の流れのはやさに驚かされます。

子どもが生まれてからは、以前に比べれば帰省するようになりましたが、今年はそうもいきませんね。ふるさとで休みを過ごせないという方も多いことと思います。
私もまさにその一人です。
家に帰れば家事もせず、子供と遊んでいればいいだけの役割で過ごしてしまうので、子どもとしっかり向き合う、いい期間にもなるのですがね。

ただ今年は帰ったこところで、普段通りのようには遊べないかもしれません。出来る範囲で、できる事で楽しもうと思います。

写真は、頂き物のスイカ。
お恥ずかしながら、これまでカットされたものしか買ったことがなかった私…。
インターネットで切り方を検索してしまいました。
私が切っても、美味しかったです(笑)

次は、下山君です。

牧 広大

2020/08/19

東京の実家に住んでいた時は当たり前のように降りていた地元の駅、ふるさとを離れると、電車を降りた瞬間、ホームで「あ、帰ってきたな~」といつも感じます。
中学までは地元の学区内の学校で歩き、高校は自転車で通っていたので、本格的に電車で通うのは大学生のときだけでしたが、いかんせん、電車社会。どこに行くにも電車に乗ります。

小さいころから慣れ親しんだ駅から実家までの道を社会人になって久々に通ると、
「こんなオシャレなお店ができたんだ!」
「お魚屋さんがコンビニになってる!」
「大好きだったパン屋さん、なくなってしまったのか…」
帰るたびに発見だらけで、住んでた頃と比べるとどんどん変化していています。
地元の町が発展していくのはうれしい反面、慣れ親しんだお店がなくなっていくことにとても寂しい思いをしました。

現状、新型コロナウイルスの影響で何カ月も実家には戻れていませんが、この状況が落ち着いて、次に帰るときはどんな様子なのか。楽しみな気持ちよりも、心配な気持ちのほうが時間が経つにつれ大きくなっています。

写真は福岡がふるさとの会社の後輩からもらった明太子。
自宅で切って、美味しくいただきました。いつか福岡にも旅行に行きたいですが、まだまだ我慢の時期は続きますね。

続いては梅島アナです!

寺田 早輪子

2020/08/18

私のふるさとのいわき市の磐城高校が、甲子園交流試合に出場しました!

実は、私の弟が磐城高校野球部OBです。いわきで生まれ育った私にとって、磐城高校野球部は特別な存在です。
「1971年 磐城高校 夏の甲子園準優勝」時の町を挙げての盛り上がりや、小さな大投手と呼ばれたエース田村投手の活躍ぶりについて、小さい頃から周りの大人に、何度も何度も語り聞かせられました。白地に、濃くさわやかなブルーの文字で「IWAKI」と記されたユニフォームを着た弟を、家族みんなで誇らしく思っていました。

その磐城高校野球部が、時を超えて今年、センバツ高校野球で21世紀枠での出場が決定。
あの夢の舞台へ磐城高校が出られる!…と喜んだことのもつかの間、新型コロナの影響で、センバツ中止が決まりました。

休校、部活動の休止、外出自粛…と、ただひたむきに野球に向き合ってきた高校生たちに、たたみかけるように困難が襲いました。自分の中でどうけじめをつければいいのか、悩んで悩んで悩み抜いたと思います。
野球部だけではありません。代替試合もないままに、引退を決めざるを得なかった3年生も大勢います。
新型コロナに翻弄された高校生たち。我慢の日々や悩んだ日々は決して無駄ではないよと、伝えたいです。
大事な人を守るため、いろんなことを我慢して、自分の心と向き合って、ちょっとずつ前を向いてきたみんなを、心から尊敬します。

8月15日、磐城高校は夢の甲子園で、国士舘高校と対戦。甲子園のグラウンドで、一瞬一瞬を全身で感じていたことが、選手たちから伝わってきました。この経験を力に変えて、きっと大きく一歩を踏み出していくのではないか…、そう確信できる「笑顔」でした。

さわやかで、力に満ちた素晴らしい試合でした。
私にとって、ずっと忘れられない一戦になりました。
ありがとうございます!

☆写真は…、結成10周年を迎えた「伊達武将隊」!スタジオ生出演していただきました!

アナ・ログ。続いては…、政宗様の右に写っている牧アナウンサーです。

堤 勇高

2020/08/17

今日から新しいお題「ふるさと」です。
例年とは違い実家などに帰らない方も多いお盆になりましたが、皆さんはどう過ごしましたか?

さて、「夏」と「ふるさと」はとても親和性が高いと感じます。セミの鳴き声、道にうつった木の陰などなどちょっとしたシーンから子どもの頃、故郷の情景を思い出します。中でも最近特にふるさとを思い出させるのが「におい」です。

梅雨が明け夏らしい暑い日が多くなりましたが、そんな日に外に出ると「夏のにおい」がします。私は「アスファルトが熱されたにおい」と勝手に解釈しています。夏休み中の部活の行き帰りで感じていたにおいなので、通学に使っていた堤防の道を自転車で走る風景が浮かんできます。まさに当時慣れ親しんでいたふるさとの景色です。

さらに、仕事帰りなど、夜に外に出るとこれまた夏のにおい。これから夕立が来そうな、少し土臭いにおいです。このにおいをかぐと、実家の目の前にあった草むらを思い出します。わたし含め、近所の子どもたちの遊び場にもなっていた場所です。残念ながら今はもう駐車場になってしまいました……

今はもう見られない景色だからこそ強烈に頭の中に残っているのかもしれません。

写真は先日、プールを取材させていただいた時の1枚です。梅雨時期でしたが途中から晴れて、夏を存分に感じられました!

次は寺田アナウンサーです。