アナ・ログ

好きな音楽

佐藤 拓雄

2016/11/01

高校時代、「好きな音楽」を職業にしようと考え、音楽大学を目指しました。

一浪して不合格になり、音楽の道を諦めました。
自分の才能の限界がはっきりしたことが理由です。
まだ19歳。人生最大の挫折でした。

音楽大学から、普通大学に進路を変更し、勉強の予備校に通いました。
これ以上浪人生活をするわけにもいかず、背水の陣で一生懸命勉強し、大学には入りましたが、心の中から、音楽の道に進みたかった、という「ひっかかり」が消えることはありませんでした。
30年近く経った今も、その「ひっかかり」がないと言えば嘘になります。
叶わない夢なんて、世の中にいくらでもありますが、その「ひっかかり」が消えないので、私は、音大を諦めた後、楽器をやめてしまいました。

ふとした時に思い出す、母の言葉があります。
私が、音大受験に踏み切るか真剣に悩んでいた時のことです。
「好きな音楽は、好きなまま、趣味のままにしておいたほうがいいんじゃない?」
今思えばおっしゃる通りですが、当時の私は、むしろその言葉に反発するかのように音楽の道に突き進みました。
後悔はありませんが、母親の言葉に従っていたら、また違う人生になっていたのだろうと思うこともあります。

今回は辛気臭い話になってしまいましたね。

最後にちょっとだけ笑える話を一つ。
私と妻は、以前から好きな音楽・アーティストの傾向が似ています。
結婚当初、それぞれの荷物を持ち寄って新生活を始めたところ、同じCDが2枚ずつ、何組も揃ってしまいました。

職業としての音楽は諦めても、聴く方の音楽は大好きです。

写真は先日某所で見かけた、3センチくらいの小さなアマガエル。カエルと言えば、カエルの歌が~、ということで、音楽とこじつけです。

明日は、金澤アナウンサーです。

秋の味覚

佐藤 拓雄

2016/10/26

先日、秋休み中の次男と、妻、私の3人で、八木山動物公園へ行きました。
もはや、この3人、あるいは、次男と妻の2人という組み合わせでは「定番」の動物園ですが、今回は珍しいものを見られました。

それが、この写真。
リクガメの体重測定です。
甲羅の下の方を飼育員の男性が二人で持ち上げ、体重計(?)に載せて測っていました。
その前段階として、外に出していたリクガメを室内に運んできたのですが、台車にビールケースのような箱を載せて、その上にリクガメを前向きに載せて運んでくるところに遭遇。
どんな画か想像してみてください。
私は正直ギョッとしましたね(笑)

さて、動物園に行くと、次男は、決まってお気に入りの食堂で何かを食べます。それもあまり時間に関係なく、とにかくそこで食事がしたいようです。
今回も、着くなり、お昼にはまだ時間があるのに、カレーライスを大人一人前、あっという間に平らげました。
気持ちのよい秋晴れの動物園。暑くもなく、寒くもなく、外が気持ちいいなあ、と思わせてくれる初秋の昼前に、ガツガツとカレーライス。
小学校一年生の食いしん坊は、「秋の味覚」というよりは、「食欲の秋」でした。

ちょっとテーマから外れたので、もうひとネタ。
去年、「コイン精米」の話をここに書きましたが、その玄米を分けてくれた知人に、「よく精米の話だけであんなに文章書けるよね~」と、(多分)お褒めの言葉をいただき、「今年の精米はどう書くの?楽しみ~」と言われてしまいました。
今年は、一人で行ってきました!って威張るようなことじゃないか。
今年の「精米話」は、あまりふくらみませんが、それはともかく、精米したてのお米の香りは素晴らしい!これぞ秋の味覚。いや、香りだから嗅覚か?

このテーマは今回で終了。
明日からは新しいお題で、木下アナウンサーからです。

ファッション

佐藤 拓雄

2016/10/04

先日、長男が18歳の誕生日を迎えました。
写真は、その朝届いたお祝いのお赤飯。
近所に住む私の父が、私たち家族の誕生日のたびに、自分で炊いて、それぞれの誕生日の朝、届けてくれるものです。
母が存命中は、母が炊いてくれていましたが、父はそれをしっかり引き継ぎました。尊敬。

さて、その朝、何気なく、「もう18歳か・・・生まれた日のことは昨日のように記憶が鮮明なのになあ・・・」
とつぶやくと、長女がすかさず、
「いやいやいやいや、昨日ってことはないでしょう、7日前くらいじゃない?」
とつっこんできました。
こういうツッコミ、私はイヤじゃないので、
「いや、5日前かな。で、○○(長女)が3日前、○○(次男)は本当に昨日」
と返します。すると、小学1年の次男は、
「なんで僕が生まれたのが昨日なの?」

それはさておき、長男と長女は、制服のない高校に通っていますので、毎日来ていく服は、彼らの中で大きな関心事の一つのようです。
長男は、私服の学校なのに、野球部のため、入学以来ずっと詰襟学生服着用という、ファッションとは無縁の生活を送ってきましたが、この夏で高校野球を引退し、学生服も引退。ですから、私服の学校に入学したての1年生のように、せっせと服を買い込み、毎日あれこれ組み合わせを考えながら通学しているようです。
長女も長女で、私服での登校が楽しいようで、何かにつけて服を買ってくれと言われる日々。
そうそう、小学生の次男も、私服登校でした。これは当たり前すぎますね。
でも、同じ男の子の兄弟でも、好みが違うなあと感じるのは、長男は小学生のころTシャツやカットソーなど、頭からかぶって着る服を好んだのに対して、次男は、ボタンのシャツもとても好きというところ。長男は、ボタンのシャツは、あってもちっとも着てくれませんでした。

とりとめない話になってしまいました。
高校生2人から「オジサン」扱いされることが、とみに多くなってきた私のファッションは、自分で語るようなことは特にありませんが、ネクタイの結び目だけは自信があります。

続いては、金澤アナウンサーです。

行楽スポット

佐藤 拓雄

2016/09/26

写真の巨大な丸い石は、「大萬寿石」。
「おおまんじゅういし」と読みます。
およそ20トンの自然石で、その名の通り、まるで巨大なまんじゅうです。
福島県某所の「萬寿神社」(まんじゅうじんじゃ)に鎮座しています。

先日、家族で立ち寄ったのですが、その目的は、ここへ行くことではなく、お彼岸を前にお墓掃除に行った帰りでした。
お墓掃除。
お盆の前、お彼岸の前にはやらなくてはいけない、と気になりながらも、日程の都合などでついつい父に任せてしまいがちですが、今回は行くことができました。
受験生やテスト前の長男長女は連れて行くつもりはありませんでしたが、次男に
「今度の○曜日、お墓掃除に行くよ」
と声をかけると、返ってきたのは、
「やったー!」という歓喜の声。
行楽シーズンにお墓掃除かよ、とは思わないんですね。かわいい、かわいい。
次男は、末っ子の宿命で、お兄ちゃんお姉ちゃんのスケジュールに振り回され、お付き合いやお留守番ばかり。行楽らしい行楽が、上2人に比べると、非常に少なく、お墓掃除でも遠出を喜んでくれるという、ちょっと切ない背景がそこにあります。
まあ、確かに、お墓掃除はすぐ終わりますので、大半は、高速道路に乗って、外でおいしいものを食べて・・・ということなので、行楽と言ってもいいんでしょうが、やっぱり、もう少しいろいろな所に連れて行ってあげたいなあ、と思いつつ、次に遠出できるような見通しは今のところなく、身近なところで、楽しいことをさせてあげるしかないな、というのが現実です。
ちなみに、八木山動物公園の回数は、きょうだい3人の中で次男がダントツです。

このテーマ最後は、稲垣アナウンサーです。

秋の夜長に

佐藤 拓雄

2016/09/07

つい先日、サッカー日本代表・本田圭佑の記者会見がテレビに映り、それを見た次男(小1)の一言。
「じゅんいちダビッドソン?」
小学校低学年レベルでは、本物をモノマネが凌駕しているようです。

くだらない枕はこのくらいにして。
ここ何年も、秋の夜長というものを感じた記憶がありません。
夜長どころか、夜になるとすぐ眠くなり、時に寝落ちまでして、あっという間に朝、というパターンばかり。
かといって、自然に朝早く目が覚めてしまうほど「成熟」もしていない(苦笑)、そのうえ、眠いのに、さっさと寝てしまうのはもったいないと思う貧乏性。
とにかく、「秋の夜長」とはほど遠い私の毎日です。

・・・もしや、これは、妖怪のせいではないのか?
と思ったら、次男が開いていた「妖怪ウォッチ」の小冊子に、いました!

妖怪「ばたんQ」
「疲れ果てて家に帰った人をバタンキューと倒れこませて休ませる、慈悲深いレジェンド妖怪。」

こいつだ!!
次男曰く「Sランク妖怪」だそうです。彼らの世界では、「レア」でありがたいようですが、こんな妖怪に憑りつかれても、ちっともありがたくないっ!
誰か退治してくれっ、と次男の最新の妖怪ウォッチで探してみましたが、見えませんでした。はい。

今回は、枕から落ちまで、すべてくだらない話でした。すみません。

次の当番は、稲垣アナウンサーです。

お土産

佐藤 拓雄

2016/08/26

写真は、最近それぞれ別の方からいただいたお土産です。どちらも私の大好物。
おいしゅうございました。

さて、私が子どもの頃、父は、仕事で出張に行くと必ずお土産を買ってきてくれました。
とにかく父の帰りを心待ちにして、帰るなり「お父さん、お土産は?」と、父にまとわりついていたような記憶があります。
不思議なもので、何のお土産がどうだった、という具体的な記憶は全く残っていなくて、楽しみで楽しみで仕方なかった、という思いだけが残っています。

そして、今、父親になった自分に、子どもたちが同じことをしてくれます。
さすがに、高校生になった長男と長女が、私にまとわりつくようなことはもはやありませんが、小さい頃は、帰宅すると、私に手も洗わせてくれないほど、「お土産は?」「お土産タイムは?」と大はしゃぎでした。今は末っ子の次男がそんな感じ。でも、長男長女も、お土産自体は、心待ちにしてくれているようです。

そうなると、こちらも、あれこれ考えます。
これなら喜ぶか、いや、こっちのほうがいいか。待てよ、あの子は、こっちのほうが好きか。
何度も訪れている出張先だと、絶対に外さない、我が家の「鉄板」とも言えるお土産がいくつかあるのであまり迷いませんが、初めて訪れた土地では、かなり考えます。事前にリサーチしておくことも多いですが、食べ物以外にも、サプライズ的なお土産を考えたりして、とにかく、家族の喜ぶ顔が見たい、その一心で、頭とお金をかなり使ってしまいます(苦笑)

とはいえ、そうやってあれこれ考えても、冒頭に書いたように自分の子ども時代を振り返るにつけ、子どもたちにとっては、後々残るのは「何をもらったか」より、その時楽しかった記憶、なのかもしれないと思ったりします。
私は私で、頭をひねった割に、何をお土産にしたか、ということは早々に忘れていきますが、家族の喜んだ顔やそういう時間の楽しい気持ちは忘れません。お土産はその入口みたいなものなんでしょうね。

このお題は私がラストでした。
次は別のお題で木下アナウンサーから始まります。

佐藤 拓雄

2016/08/04

先日、3人の子どもたちの学校の個人面談を、夫婦そろって、一日で3つ「はしご」しました。
たまたま、平日に休みがあったため、その日ピンポイントで学校に希望を出したところ、うまく調整していただけました。

こう書くと、やたらと教育熱心な父親、と思われるかもしれませんが、毎回個人面談に顔を出すわけでもなく、ほとんどは妻が一人で行きます。
かと言って、今回何か特に大きな悩みや相談したいことがあったというわけではなく、夫婦でいっしょに同じ話を聞いてくれば、伝聞にならず、ニュアンスも含めてよく理解できるから、という意味が一番大きいです。どちらか一方が面談に行って、それを相手に伝えるのは、お互い、うまく伝わっているのかどうか、難しいと思うことが多く、夫婦同席は、日程が合えば、の話ですが、なかなかいい方法でした。ただし、移動も含めて、一日すべてが面談というスケジュールは、結構大変でしたが。

さて、
これから大学受験という大きな山に挑む長男。
高校最初のヤマ、中間考査を終わって、成績表の出た長女。
小学校入学というヤマを越えて、最初の夏休みに入った次男。

それぞれに、それぞれの学校生活があり、担任の先生も三者三様でしたが、共通していたのは、とにかく、子どものことをよく見てくださっていて、かつ、助言の一つ一つが非常に具体的だったこと。抽象的な、もやっとした話はほとんどなく、特に学習面の課題がはっきり分かりました。プロフェッショナルの先生方に、親として安心しました。

とはいえ、安心できたのは、先生に対してだけで、特に、高校生活ここまで部活動どっぷりだった長男は、自分がこれから挑もうとしている山を、一体どのくらいの高さだと認識しているのか、親としてはため息の出る材料ばかり。私が勉強するわけではないので、見守り、気をもむことしかできませんが、まずは「入試の天王山」と言われる夏のヤマを乗り越えてほしいものです。

写真は、先日広島出張の際に食べた「黒田投手の男気弁当」。
200勝という高い山の頂は、どんな景色なんでしょうね。

続いては、梅島アナウンサーです。

スタミナ源

佐藤 拓雄

2016/07/27

長男の高校野球が終わりました。
今まで一度も負けたことのなかった相手にまさかの大敗。
あっけないというか、言葉がないというか…

初戦敗退ではなかったのですが、夏の大会は怖い、という印象ばかりが残りました。
「魔物」は、甲子園球場だけでなく、地方球場にも棲んでいるんですね。
今は、ふとした瞬間に忍び寄ってくる、寂しさ、虚脱感、無力感との葛藤の毎日です。

この2年数ヶ月、私が親としてやってきたことと言えば、毎晩のユニフォームの洗濯、試合の応援、次々に痛む道具の購入や様々な徴収金の支払い、保護者会での役割、といった、書き連ねるほどでもない、フツーのことばかりではありますが、それなりにかなりエネルギーが必要でした。
小中学校時代とは違う、高校球児の親、というのはこういうものか、という一端をわずかながら体感し、どの親御さんもきっと同じように毎日黙々と支えているのだろうなと、チームメイトの親御さんはもちろん、見も知らぬ全国の親御さんに、連帯感を抱いたりもしました。

敗退したことでこうしたことが報われなかった、などという気持ちは、微塵もありませんし、報われるために支えてきたわけでもありません。

では、何が原動力、言い換えれば、スタミナ源だったのか。やっと本題にたどり着きました。

それは、一言で言えば、我が子の存在そのものです。
そこに我が子がいるから支える。我が子の存在があるから元気が出る。
前の話と少し矛盾しますが、我が子を支えた見返りがあるとするなら、それは、我が子の姿がそこにある、ということに他なりません。
…と言いつつ、現実の世界は、きれいごとばかりではなく、疲れてイヤになることもたくさんあったのですが、それは、この際置いておいて。

でもこれ、「高校野球の保護者」という限定的な話ではありませんね。
子どものために体力気力を使い果たし、子どもからまた元気をもらうという、エネルギーが行ったり来たりしているだけみたいですが、これが子育てだ、と私は思っています。

長男は、今度は受験勉強での勝負。親の役割もそちらにシフトします。
長女と次男にも、均等に親としてのエネルギーが必要です。
ともかく、その存在をスタミナ源に、また頑張りますか。

次は、稲垣アナ。

夏の楽しみ

佐藤 拓雄

2016/07/11

夏と言えば、高校野球!
宮城大会が始まりました。
今年はまさかの開会式雨天延期。でも本番はこの天気でした!

自分は本格的に野球をやっていたわけではありませんが、子どものころから高校野球が大好きで、暇さえあればテレビ中継を見ていました。
このところ、「あの名勝負プレイバック」みたいな企画がテレビでも新聞でもよくありますが、そういうのを目にするにつけても、自分が結構リアルタイムで見ていたことに驚かされます。

高校野球漫画の金字塔、「ドカベン」も覚えるくらい読みました。
だから高校野球が好きになったのか、高校野球が好きだからドカベンが好きなのか、今では全く分からなくなってしまいましたが、とにかく、夏と言えば、高校野球です。
そして、高校野球と言えば、夏です。
春の選抜もいいけど、やっぱり夏のドラマティックさにはかないません。

一生のうちで、高校生であるわずか2年ちょっとの間しかできない、高校野球。
夏の敗退は、3年生にとっては、人生一度の高校野球の終わりです。

なんか当たり前のことを書いていますが・・・

長男は、高校球児のはしくれです。
強豪校の有望選手でも、弱小校の大黒柱でもありませんが、そんな普通の高校球児にも、いろいろドラマがあります。
長男が高校野球をやって、つくづく思うのは、チームの数だけ、選手の数だけ、ドラマがあるということ。
大きなドラマ、小さなドラマ、その高校球児を支える人たちのドラマ。
強いか弱いか、上手いか下手か、そんなことは全く関係ありません。
知れば知るほど、親として関われば関わるほど、どんな相手にもドラマがあると痛感し、敵味方関係なく、関わる人すべてが大切に思えてきます。
長男のチームメイトたちには、私にとって我が子も同然の思い入れがありますし、親同士の連帯感も、関わるほどにどんどん強くなっています。
人生一度きりの高校野球をやることができた長男がうらやましくもあり、長男のおかげで、高校野球に関われたことに大いに感謝もしています。
今年は、長男にとっての最後の夏。どんなに長くても8月で高校野球は終わりです。
今年の夏の高校野球は、「夏の楽しみ」なんていう軽い言葉で表せない、複雑な気持ちで迎えています。

明日は、稲垣アナウンサーです。

佐藤 拓雄

2016/06/29

私の父については、この「アナ・ログ」で折に触れて書きましたように、とにかく、80を超えても元気で、年の取り方のお手本を示してくれているかのような存在です。
写真は、その父が先日作ってくれた和菓子。アジサイをイメージしたオリジナルです。これで「試作品」だというから驚きました。目に涼しく食べて美味しく、家族みんなであっという間にいただきました。

さて、そんな父の息子である私も、「父」なわけでして。

自分が単なる「息子」、あるいは結婚して「夫」から、「父」になったのは、およそ18年前のこと。
出産に立ち会い、生れてきた長男の背中が見えた時に、自分は「父」というものになった、とはっきり自覚したことを憶えています。
とはいっても、自分の子どもが生まれたという事実だけでは、生物学的な意味の「父」でしかなく、何も分からない、全て手探り、日々、正解のない、子どもとの向き合いを重ね、迷いに迷いながら、「父」であろうとしている、というのが私の実情です。
そこに果たして到達点、ゴールはあるのか、と思うと、全くそうは思えず、逆説的ですが、その「修行」のようなプロセス自体が「父親」であることかもしれないなあ、と思ったりします。
一方で、私の父のように、息子からも孫からも尊敬の念を集めるような存在になれれば、それがひとつの到達点かもしれないとも思ったり。

そして、もう一つ言えること。
それは、自分に子どもが生まれるまで、決して「子ども好き」とは言えなかった自分が、自分の子どもに対しては、生まれた瞬間から、いや、生まれる前からかな?とにかく無条件に「かわいい」と思ってしまうこと、そして、自分のすべてを投げ出しても、この子だけは守りたい、という、それまでの人生で感じたことのなかった感情を持つようになったこと。
これは、頭で考えて分かる理屈とかじゃない、本能として埋め込まれた「父親スイッチ」とでも言うべきものがオンになったとでも言うような、そんな感覚で、それこそが、日々「父」であろうとする私の「原動力」であることは間違いありません。

それから、子どもたちがいるからこその、喜び、安らぎ、これは「父」というか「親」の特権ですね。

明日からは新しいお題でお送りします。

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