佐藤 拓雄
2011/11/30
私の場合、「揺」でしょうか。
3月11日の揺れ。
正直に言いますが、揺れの中をスタジオへ向かった時、あまりのすさまじい揺れから、とんでもない被害が出る、ということが頭をよぎり、ものすごく動揺しました。「この世の終わり」かと思うと、心臓がとてつもない速さで動き、口から飛び出しそうでした。
動揺の正体は、緊張ではありません。恐怖です。
発生直後からの緊急放送に入ってまもなく、県内全域が停電していることが分かりました。
ということは、この放送が、一番届いてほしい人に届いていないということか?では、誰に向けて放送しているんだろう?
心が大きく揺れました。
物資不足が深刻になってくると、我が家も、食料が先細りになり、ガソリンも給油できない、一番下の子のオムツもひょっとすると足りなくなる?というような状況に陥りました。当然のことながら、私はろくに家にも帰らず、仕事。スーパーの列にも、ガソリンスタンドの列にも並ばず、家族を守らなくていいのか、と心が揺れたりもしました。
しかし、家族を含めたすべての被災者のために、自分の使命を果たすしかない、と自分に言い聞かせ、仕事に向き合いました。
それから8ヶ月半。
今でも、震災と向き合う毎日ですが、取材、放送の過程でも、一体何をどう伝えるべきか、今必要な放送とは何か、常に悩み、揺れ動いています。
でも、一人の宮城県民として、ともに前へ進んでいきたい、という思いだけは、揺るがず、強く持っています。
次は、金澤アナウンサー。震災を経て、第2子ご誕生という、はたから見ても大きな出来事が続いた一年を送ったのだろうなあと感じましたが、果たして・・・