アナ・ログ

あったかエピソード

佐藤 拓雄

2010/11/04

写真は、最近のお気に入りと言うか、これからの時期、デスク回りの必須アイテムになりつつあるアイテム。ウイルスやアレル物質をやっつけてくれる、「プ○ズマク○スター」モバイルです。充電タイプで、持ち運びもできるので、発声練習などでブースにこもるときはもちろん持っていきます。
「あったか」とは何の関係もありませんね。はい。失礼しました。

さて、「アイテム」「あったか」で、話を強引に持っていきますが、いろいろある冬の「あったかアイテム」。なかでも、子どもの頃よくお世話になった、湯たんぽにまつわるお話でも。

中学校3年生のときのことです。

朝起きて、右足のすねの横あたりがなんとなくかゆいな、と思いながら学校で一日を過ごし、家に帰って靴下を脱いでみてびっくり。3センチほどの細長い水ぶくれができているではありませんか。どうやら前の晩布団に入れていた湯たんぽによる低温ヤケドのようです。
医者に行くと、「治るのに結構時間かかりますよ」とのこと。高温のもので一瞬にしてできたヤケドと違い、低温ヤケドは、言うなれば「じっくり」時間をかけて焼けてしまっているので、その分、深いところまでヤケドしているため、見た目よりも重症で、治るのに時間がかかる、ということでした。

それから毎日、消毒とガーゼの交換で病院通いとなりました。高校受験を目前に控えるなかで、連日歩いての病院通い。寒い中でのトホホな気持ちは、今でも記憶に残っていますが、もう少し引いて考えてみると、ちょうどいい気分転換と運動になったかもしれないですね。

ちなみに、実際、いつ治ったのかははっきり覚えていませんが、数ヶ月を要したのは間違いありません。医者の言うとおりでした。

「あったかエピソード」が「あっちっちエピソード」になってしまいましたが、皆様もこれからの季節、お気をつけください(笑)

次は梅島アナウンサーです。

耳に残るあの音

佐藤 拓雄

2010/10/25

家庭の事情で長い間仕事を休ませていただいていましたが、おかげさまで今月から復帰いたしました。またどうぞよろしくお願いいたします。

自分にとって、一番耳に残る音、というよりずっと耳に残しておきたい音、それは、自分の子どもたちの声です。
生まれたばかりの頃の泣き声に始まり、意味不明な喃語、話し始めの片言の言葉、そして、どんどん成長して大人びた口を利くようになっても、その全てを記憶しておきたい、というのが親としての自分の心情です。実際、今も耳に残って離れないあのときのあの一言、あるいは、ああいうしゃべり方してたよなあ、という心満たされる印象的な「声の記憶」がいくつもあります。
ところが、人間の記憶など頼りにならないもので、残念ながらそうした全てを覚えているかというと、次々に忘れてしまっているのが現実で・・・
そこでありがたいのが、ビデオです。ビデオのいいところは、何と言っても音が残っていること。
我が家では、毎年、子どもたちのそれぞれの誕生日に、生まれた日から始まって、1歳2歳3歳・・・と、毎年の誕生日に撮ったビデオ映像を見返しているのですが、はっきり覚えていると思っていても、この頃こんな声だったっけとか、こんなこと言ってたっけとか、いい加減な記憶を改めて確かめることができたり、それによって記憶自体が補完されて修正されたりします。
今回のテーマは、「耳に残るあの音」ですが、耳に残りきらない音まで記録媒体に残しておくのもいいものだ、やはりビデオはちょこちょこ撮っておくべきだなあ、といつも思っています。

次回からは新テーマです。

学問の秋

佐藤 拓雄

2009/11/11

僕の卒業した大学の専攻は、大学院進学率が高く、学部の3年4年より、大学院生のほうが圧倒的に多いほどでした。
そんなわけで、大学院生というものを常に身近に感じて過ごしていて、漠然と「カッコいいなあ」という気持ちを持っていました。

何がカッコいいのか。
やはり、専門の研究に没頭しているところでしょうね。実際は「没頭」していない人も多かったのかもしれませんが、青い青い学部生からすれば、研究発表をしたり、論文を書いたりしているのをみて、自分もいつかああなりたいなあ、とワケもなく思ったりしたものです。
言い換えれば、専門を究めるカッコよさでしょうか。
また、大学院生の多くは、高校などの非常勤講師をして学費を稼いでいて、それもまたワケもなく憧れました。

そんななかでも、これはすごい!さすが大学院生!と、驚き、うらやましく思ったのが、ある先輩の「書庫」でした。
驚くなかれ、アパートの隣り合う部屋同士を2部屋借りて、片方を「書庫」というか「書斎」というか、本だらけにして使っていたのです。
一度、片づけを手伝ってくれと言われて訪れたのですが、書物の量もハンパじゃない。床が抜けるんじゃないか、というほどの学術・研究書が、図書館とかにあるようなスチールのラックにきれいに整理して置いてあるのです。うーん。これぞ研究者。すげえなあ。カッコいいなあ。と大学生の拓雄青年は思ったわけです。

それから十年近く後、今度は、妻の実家を訪れて、またおったまげました。
自宅に「ミニ図書館か!」と思わせるくらいの書庫が。
妻の父は、元大学の先生。大学院生のさらに上を行く、本物の研究者です。理科系の研究者なので、書物の内容は正直よく分かりませんでしたが、当然、先輩の家どころじゃない量。
それが、これまた整然と、スチールのラックに並んでいるのです。自宅に居ながらにして、大学の研究室状態。
研究者の自宅ってみんなこうなのか?ホントに大変なものだなあと、驚き、同時にうらやましく思いました。

自宅に専門書を並べて、昼夜分かたず論文執筆にあたる、というような、僕にとっては夢のような生活。
僕の場合、局アナというサラリーマンの道を選んだ時点で、まさに夢のまま終わってしまいましたが、いまだに憧れの念を抱き続けています。

明日からは、「秋」シリーズ最終章、「芸術の秋」です。

読書の秋 その2

佐藤 拓雄

2009/10/22

すみません。写真は、「スポーツの秋」でした。
クライマックスシリーズ第1ステージ、チケットが手に入り、長男と観てきました!
僕はスーパーニュースの後かけつけましたが、長男は、絶対最初から観たい!と、しばらく一人で観戦。そんな頼もしくなった長男に撮ってもらった1枚です。

さて、その小学5年生の長男は、歴史にとても興味があります。
そんな長男にぴったりの本が刊行されました。朝日新聞の発行する「週刊マンガ日本史」。毎週1冊、全50冊シリーズで次々に届く予定です。
僕も小さい頃から、歴史には大いに興味があるので、毎号、長男が読んだ後に借りて読むことにしました。

第1号は、「卑弥呼」。
いやー、面白かった。

長男も、邪馬台国の謎に興味津々です。
彼なりに、書かれた内容をよく理解していて、「邪馬台国はどこにあったんだろうねえ。パパはどこだと思う?」なんてことを言ってきます。

そこでふと思い出したのが、20歳くらいの頃に読んだ、邪馬台国に関する本。小中学生向けに書かれた本なのですが、実にわくわくする内容でした。

なぜその本を読んだのかというと、高校時代の友人(同級生)が書いたものだから。
当時大学生でそんな本を書けるほど、歴史に造詣が深い男だとは思っていなかったので、それにもびっくりしましたが、内容の濃さにもびっくりした記憶があります。
いわゆる「遷都説」をベースに書かれていて、本当に面白い本でした。

せっかくだから、その本を長男に読ませたいと思ったのですが、物置の奥にしまってあり、取り出すのは、相当な決意と時間が必要です。
新たに手に入れようにも、インターネットで調べたら、すでに廃刊になっているようでした。
でも、タイミングはまさに今。休みの日にでも、ちょっとがんばって、物置奥から「発掘」しようかな、と思っています。

ちなみに、著者である友人とは、しばらく連絡を取っていませんが、どうやら東北地方の大学で教鞭を執っているようです。どこかでご縁があるかな。

続いては、原アナウンサーです。

食欲の秋 その2

佐藤 拓雄

2009/09/29

食欲の秋です!
そんなわけで、今回は、各アナウンサーの「食欲」話です。2年前にも「食欲の秋」でやりましたので、「その2」です。

さて、皆さんは、料理の「キモ」は何だとお考えですか?
味?素材?腕?愛情?
育休を機に、少しばかり料理というものをするようになり、そのなかで、改めて僕が思ったのは、「料理は見た目」。食事を作るときは、目で見て美味しそうと思える料理を作るように心がけています。

なぜか。
見た目が美味しそうだと、食べたくなります。逆にいくら味がよくても、見た目がよくないと、食べる気が少し減りませんか?
最初に入るのは、目からの情報。視覚効果ってかなり大事だと思うのです。特に子どもの場合、「わあ、おいしそう!」が食欲に直結するような気がします。やっぱり、せっかく作った料理、喜んで食べてほしいですからね。だから、「料理は見た目」。

この考え、実は、予備校生時代にまでさかのぼります。
当時、某ファミリーレストランの厨房でアルバイトをしていました。そのとき、上の人たちから繰り返し言われたのが、「きれいな料理」を作ること。

ハンバーグやグラタンは焦げ目に注意。
添える野菜を丁寧にきれいに盛り付ける。
目玉焼きは黄身がど真ん中にないといけません。
パスタは具がきちんと見えるように盛る。
どの料理もお皿の端にソースなどがたれていてはいけません。
などなど、とにかく、きれいに、きれいに作ること。というのも、ファミリーレストランの場合、誰が作っても味は同じになるようになっていますから、特に「見た目」が大切。メニューの写真にあるとおりの「見た目」、お客さんが写真を見て「おいしそう!」と思った、そのイメージを、見た目の悪い料理で、裏切ってはいけないのです。

話は戻って、自分の料理。
家族に「わあ、おいしそう!」と思ってもらえるということは、パクパク食べてもらえる、ということ。それは、家族の健康にも直結します。食欲モリモリは、食事を作る側の喜びであり、願いです。

こじ付けかもしれないけど、「料理は見た目」を突き詰めて考えると、「料理は愛情」と言い換えられるのかもしれません。

あ、写真はもちろん悪ふざけです。

さて、産休中の林さんは、どんな食欲の秋を過ごしてますか?

オリンピック

佐藤 拓雄

2009/09/17

不思議なもので、オリンピック中継は、そのときの状況と一体になって、鮮明に思い出されます。

最初の記憶は、1984年のロサンゼルス。開会式の鮮烈な記憶です。めちゃめちゃカッコいいファンファーレ。空から降りてきた「ロケットマン」。
当時、高校1年生。吹奏楽部で、合宿中にこの開会式を見ました。早速ファンファーレを耳コピ、金管のみんなで吹きました。

次に記憶があるのは、1988年の冬季カルガリー。フィギュアスケート女子、カタリーナ・ビット選手や伊藤みどり選手を見ながら、「才能」とは、「芸術性」とは何だろう、ということを、音大受験生の自分に重ね合わせて考えていました。

同じ1988年の夏季、ソウルオリンピックは、ひどい扁桃腺炎で、水も飲めないほど喉が腫れ、うなりながら、男子マラソンを見ました。瀬古選手が結局入賞できなかった、ということを覚えています。

1992年バルセロナは、大学時代。ひとり暮らしのアパートで見た、バスケット、アメリカのドリームチーム。あまりにすごかった。それにしても、なぜビデオを録っていなかったのか、今考えても、自分の行動が不思議でなりません。のちに、NBA好き仲間からダビングしてもらいました。

1996年アトランタ。女子バスケで、日本が中国を破り、明け方のアパートで、ひとり大絶叫。

1998年長野。プレステの冬季オリンピックのゲームに夫婦で大盛り上がり。ジャンプ団体の涙の金メダルは、県警記者クラブ内で先輩と見ました。山下達郎「ヘロン」と、原田選手のろれつの回らないインタビューが、今も耳に残っています。

2004年アテネ。子どもたちのスイミングスクールの大先輩、森田智巳選手が背泳ぎで銅メダル。当時幼稚園児の長男を夜中に起こし、背泳ぎ決勝を一緒に見ました。写真は、その森田選手に見せていただいた、本物の銅メダルです。

2006年冬季トリノ。荒川静香選手の金メダルに、早朝の自宅で、今度は家族4人で大興奮、大絶叫。

なんだかまとまりのない内容ですが、自分の人生とともに、オリンピックを振り返ってみました。

続いては、新人の飯田アナウンサー。

祖父母の思い出その2

佐藤 拓雄

2009/09/07

育休が終わり、仕事に復帰して1週間が経ちました。
とはいえ、仕事と休みの区切りは、イコール子育ての区切りとはなりません。第三子・次男は、もうすぐ生後丸2か月となりますが、泣いて、飲んで、だっこされて、寝て、の毎日が続いています。授乳などと家事のタイミングが、うまく分かれるときのほうが珍しく、いきなり、「はい家事はもうしませーん」というわけにはいきません。
そんなわけで、今月は、子どものお弁当を3回も作ったのですが、おにぎりをにぎっていて、母方の祖母のことを思い出しました。

いったい自分が何歳の頃だったのか、全く覚えていないのですが、祖母におにぎりを作ってもらったことがありました。
弟と2人、あるいは、末の弟もいたかもしれないので、そうすると3人で、寿司屋のカウンターのようにテーブルに横に並んで座り、向かいに祖母。祖母のところには、櫃か何かに入ったごはんがありました。
その祖母に向かって、僕たち子どもが、「まる!」「さんかく!」「しかく!」とか言います。
すると、祖母は、「はいよー」なんて言いながら、リクエストどおりの形で、小さな小さなおにぎりを次々に握ってくれるのです。子どもの口にも小さいくらいですから、直径は2センチくらいのものだったのではないでしょうか。具なし、海苔なしの塩むすびですが、小さいので、いくらでも食べてしまいます。
そのうち、「ほし!」「ひしがた!」なんていうリクエストまでして、それでも、祖母は、チャチャチャっと、きれいに、そのとおりのおにぎりを作ってくれるのです。
それが楽しくて楽しくて、何個も何個も作ってもらった覚えがあります。祖母の「おにぎり屋さん」は、後にも先にもその時だけだったように記憶していますが、本当に楽しかった、いい思い出です。育休をきっかけに、おにぎりをにぎったりするようになり、そのたびに思い出すようになりました。

次回は、寺田アナウンサーです。

夏休み最終日

佐藤 拓雄

2009/08/31

7週間の育休生活を終えて、本日から、仕事に復帰です。また、よろしくお願いいたします。

今年は、子どもたちの夏休みに、最初から最後まで付き合うことになりました。育休の副産物、というか、出産時期が長男長女の夏休みに重なることも見越しての育休でもありました。こんなことも、今後はまずないでしょうから、とても貴重な経験になりました。

子どもたちにとっては、今年の夏休みは、弟が生まれ、ほぼ毎日、家族5人で過ごした夏休み。毎日「パパのごはん」を食べた夏休み。異例なことが多かった夏休み、どんな思い出が心に残ったのでしょう。夏休み最終日に聞いてみたら、2人とも口をそろえて、「キッザニアに行ったこと!」。…ガクッ。まあ、そんなもんでしょうね(笑)それはそれでいいんですけど。

僕の「夏休み」は、今年はありません。職場的には、育休が、長ーい夏休みのようになってしまいましたから、仕方ありませんが、実際には、仕事はお休みでも、休むヒマなど全くないのが育休生活。忙しく目まぐるしく、あっという間の7週間でした。くたびれもしましたが、新しい発見もあり、何より、家族を支える喜びに満ちていました。仕事を忘れ、家事に集中できる環境を与えてもらえたことに、心から感謝しています。

育休は終わっても、子育ては続きます。家事も、はい卒業、というわけにはいきません。今日からさらに忙しくなることは目に見えています。

だけど、自分の当面の目標ははっきりしています。一生懸命、日々を生きていくこと。仕事も育児も、そして家事も(笑)

改めて、どうぞよろしくお願いいたします。

このテーマは、今回がラスト。次のテーマのトップバッターは、早坂アナウンサーです。

お盆の思い出

佐藤 拓雄

2009/08/12

育休生活5週目、めまぐるしいながらも、僕が家にいることで、なんとか回っている我が家。逆に、僕が仕事に復帰してからの我が家の生活が、そろそろ心配になってきました…大丈夫なんだろうか。

さて、お盆と言って、真っ先に思い出されるのが、父の実家、福島県郡山市です。毎年、夏休みになると、お盆あたりに何泊かしに行きました。その中で、今でも忘れられない強烈な思い出があります。

確か、幼稚園の年長くらいだったと思います。その日は、祖父の誕生日を祝うということで、父のきょうだいが集まって食事をしました。
当然、主役は祖父。
それが面白くなかったのか、どういう心境だったのかは全く覚えていませんが、ある瞬間に、こんなことを口走ってしまったのです。
「ぼくは、おじいちゃんの誕生日に来たんじゃないやい!」
本当に、なぜこんな馬鹿なことを言ったのか、全く訳がわかりませんが、この一言と、その後の出来事は、はっきり覚えています。父が恐ろしい顔でこちらへやってきました。そして、僕の腕をグワっとつかむと、奥の部屋へ連れて行かれ、ゴチーン。目から火花が出るようなゲンコツでした。
大泣きした挙句、食事の席に戻らされた時の情けなさ、恥ずかしさ。子ども心にも、自分のしたことの馬鹿さ加減が身にしみて分かり、しょげかえって所在なく座っていました。
叔母の一人が、やさしい言葉をかけてくれたことも覚えていますが、どう考えても100%自分が悪いわけで、弁解の余地もありません。もしかすると人生最初の苦い思い出、これが、お盆の思い出です。

写真が、その「おじいちゃん」と僕です。以前「祖父母の思い出」というお題で、同じ写真を掲載しましたが、もう一度。

続いては、梅島アナウンサーです。

自由研究

佐藤 拓雄

2009/07/29

金澤くん、育休ブログのご愛読ありがとうございます(笑)

育休生活も3週目になりました。
おかげさまで、これはこれで、充実の毎日です。

長男が、理科の研究だとかで、次男がお腹にいたときの体重の変化をまとめるのだと言います。
小学5年生の理科では、人間の胎児の成長などを学ぶ単元があるようで、今の長男にとっては、まさにタイムリーな学習。

だけどこれは、いわゆる「自由研究」ではないらしく、あくまで「理科の宿題」らしいです。

「じゃあ自由研究は何するの?」と聞くと、「何にしよっかなー・・・」。
「毎日赤ちゃんを見て成長日記でもつけたらいいんじゃない?」と水を向けましたが、それはやらない、と素っ気ない返事でした。

一方、次男が生まれてから、「小さなお母さん」のように世話を焼いてくれる長女。
こちらにも「赤ちゃん成長日記」を勧めましたが、やはり断られました・・・

子どもたちにとって、弟はあくまで弟であって、観察の対象ではないのかもしれません。
あえて「まとめ」の形を取らなくても、子どもたちにとっては、きっと、かけがえのない体験になっているはず。
それこそが、本当の「自由研究」かもしれませんね。

そして、僕は、育休生活のなかで、「主婦業」と「赤ちゃんの成長」を自由研究中です。

続いては、早坂アナウンサーです。

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