アナ・ログ

家電あれこれ

佐藤 拓雄

2020/09/30

またまた未来の世界のネコ型ロボットの写真ですみませんが、会社のデスクに常に置いているこのマスコットを持ち出したのは、今の家電って、もはや「ひみつ道具」レベル?!と思えるものもあるからです。
リモート会議を当たり前に行ったり、お掃除ロボットがいたり、自動運転も現実的になりつつあります。ドローンを見て、これがそのうちタケコプターになるのでは?と思ったりもします。
「ひみつ道具」は、未来の世界の家電。漫画の話にとどまらず、本当にそんな世界がやって来そうな気がします。


さて、我が家の家電製品の寿命は、概して短いです。
使い方が荒い、というよりも、使い倒すからだと思います。

例えば洗濯機。この20年ちょっとで、4台目くらいだったはず。
子どもが生まれてからは、毎日複数回まわすのが常で、その分ダメになるのも早いようです。

食器洗い機も相当酷使しています。
それほどに頼り切っているので、その結果として突然壊れると実に困ります。
初代のものが動かなくなった時、運悪く私は育児休暇の真っ最中で、一番食洗機に頼っている時期でしたので、修理までの間の手洗いが面倒で面倒で・・・という記憶がいまだに鮮明です。

私は、仙台放送のホームページのアナウンサープロフィールで、好きなものの一つとして書いているくらい、家電全般が好きです。
家電量販店は、私にとってのテーマパーク・・・とまでは言いませんが、何の用事が無くても行きたい場所であることは間違いありません。

ですから、新しい家電を買うことを検討したり、新製品が家にやってくることは心躍りますが、だからと言って、頼りにしていた家電には、できるだけ長く働いてほしいわけで、突然の故障と予定外の大型出費には、いつも悩まされます。

そんな中で、我が家の唯一の例外が、オーブントースター。
驚くなかれ、私が大学入学時に、ひとり暮らしを始めるにあたって買ったものなのです。
ですから、すでに30数年。全く故障の気配なく、稼働し続けています。
他の家電に比べて、酷使度が低いのか、はたまた、単純な製品だから壊れにくいのか。
その長寿ぶりは、我が家においては、もはや奇跡と言っても過言ではないかもしれません。


明日は、堤アナウンサーです。明日から10月ですね。

行きたい場所

佐藤 拓雄

2020/09/02

子どもじみたことを書きます。

過去や未来に行きたい。

自分の机の引き出しに、あの入り口はないものか、といまだに本気で思ったりします。

恐竜を見たい。
歴史上の人物に会ってみたい。
歴史の謎の真相を知りたい。
過去の人たちがどんな言葉をしゃべっていたのか、どんな暮らしをしていたのか。
・・・過去の世界への興味は尽きません。
また、許されるならば、過去の不幸な歴史を変えられないか。
もっと小さいレベルだと、数々の失敗をしてきた過去の自分に忠告し、失敗を回避させたいとも思います。
ただ、歴史を変えることによって、自分が存在しなくなるという、とんでもない矛盾に陥るかもしれませんね。怖い怖い。

そしてもちろん、未来も見てみたいですが、知りたいような知りたくないような。
よい未来なら知りたいけれども、悪い未来を知るのは怖い。その悪い未来を回避しようとして歴史を変えてしまい、また自分が存在しなくなるかも???というジレンマに陥りそうです。

ともあれ、こういうような気持が常にあるものですから、小説でも漫画でもドラマでも映画でも、時間を超える物語が好きです。
小説だと「リプレイ」(ケン・グリムウッド)、漫画なら、幼いころから愛読し続けてきた、藤子・F・不二雄さんの作品群、ドラマなら「信長協奏曲」や「JIN」、映画だと「バック・トゥ・ザ・フューチャー」といった具合です。

だからなんなんだ、という話なのですが、叶わぬことと知っているから余計過去や未来の世界に飛んでみたいのかもしれません。

ちなみに、藤子さんの生み出した、未来からやってくる、あの猫型ロボットの誕生は、92年後の明日ですね。
【写真】は、次男がテイクアウトしてきたシェイクのカップ。これだけでも心躍るものがあります。


明日は、西ノ入アナウンサーです。

ふるさと

佐藤 拓雄

2020/08/27

私は、神奈川県川崎市で生まれ、その後東京都多摩市で育ちました。
大学入学まで暮らした多摩市が私にとってのふるさとと言える場所なのでしょうが、どちらも団地に住んでいたこともあってか、いまひとつ「ふるさと」感がありません。
しかも、両親は20年近く前に仙台に引っ越してきているので、帰省先と呼べるところもなく、ますます「ふるさと」感を希薄にしています。
【写真】は去年の冬、東京に行ったときにちょっと時間があったので、かつての実家付近を歩いてみた時のものです。こういう団地群の中で育ちました。

そのような私が、「ふるさと」という言葉でぱっとイメージするのは、父の実家である福島県郡山市。
住んだことは一度もありませんが、子どもの頃は、毎年、夏休みと言えば、郡山。団地ではなく平屋の日本家屋の祖父母の家で、セミの鳴き声のやかましい暑い中、縁側に座って、新鮮なトマトやとうもろこしを丸かじりしたとか、そういう経験や光景が「ふるさと」という感じです。

私の父は、ふるさと郡山を大学入学で出てから、戻ることなくそのまま東京で働いていました。
その息子である私が、郡山ではないものの、隣県の仙台の大学に入ったことを、祖父は「拓雄が帰ってきた」と表現して喜んだそうです。
私自身は、郡山や東北への思い入れから仙台の大学に入ったわけではありませんが、潜在意識の中にある、東北地方への「ふるさと」感が、仙台を選ばせたのかもしれない、と今になって思います。

さらに時は流れ、今度は私の長男が大学入学で家を出ました。その長男が入学した大学が、私のかつての実家に近い場所にあり、ひとり暮らしの住まいも、私にとって馴染みのある地域になりました。

実家を出た私と長男それぞれが、それぞれ父親のふるさとの地域に移り住むという、巡り合わせの不思議さを感じます。

明日は、西ノ入アナウンサーです。

この夏は・・・

佐藤 拓雄

2020/07/31

利用している、写真のクラウドでは、毎日、「○年前のこの日」、つまり以前の同じ日付の写真が表示されます。
子どもたちの幼い頃の姿や家族で出かけた時のものなど、思い出がよみがえり、楽しいものです。
そのなかで、このところ目立つのが、夏休みらしい写真。
毎年この時期は、子どもたちの夏休み2週目くらいで、どこかに出かけていることが多かったことが写真から分かります。【写真】は、13年前の今日、2007年7月31日に撮った1枚でした。家族で行った沖縄です。

しかし、今年の夏は…コロナの影響で、小学生の次男はまだ夏休みに入りません。このあと短い夏休みがありますが、やはりちょっと出かけるのは憚られ、しかも曇りや雨の日も多く、猛暑でないのは助かりますが、7月も終わり、という季節感が全くありません。

そんななかで、我が家にどうにか夏らしさをもたらしているのは、毎夜聞こえてくる、ガサガサ、ゴソゴソ、カリカリ、バサバサバサッ、という物音。
泥棒ではありません。
何度も書いている、我が家のカブトムシたちです。
夜になり活動が始まると、とにかく活発。特にメスが元気よく、この物音の多くは、5匹のメスたちのものです。飼育箱の中で羽を広げて飛び回ったりしていて、それが「バサバサバサッ」です。

去年のつがいから生まれた幼虫が約40匹。半分弱は人にあげ、我が家では、結局、オス7匹メス5匹の、計12匹が羽化しました。
オス1匹は残念ながらすぐに死んでしまいましたので、目下11匹のカブトムシを飼育中。それぞれ1匹ずつ飼育箱に入れているので、11箱。
実はこれに加えて、家の近くで見つけてしまったコクワガタ2匹もいて、13箱の飼育箱が、リビングの端に鎮座していて、夜な夜な、ガサガサ、ゴソゴソ、カリカリ、バサバサバサッ、というわけです。

このエサ交換も毎日の大事な仕事。次男とともに行っています。
この夏は、カブトムシの活動音とエサ交換が思い出になりそうです。

続いては、西ノ入アナウンサーです。

リモート○○

佐藤 拓雄

2020/07/15

【写真】羽化したカブトムシたちをそれぞれ写真に撮って並べてみたら、なんだか、リモート会議の画面みたいになってしまいました笑

リモート会議は、すっかり定着した感があり、仙台放送でも様々な場面で利用されています。
ただ、その言い方、となると色々です。
「リモート会議」「オンライン会議」「WEB会議」「テレビ会議」「ビデオ会議」・・・過渡期でしょうし、どんな言い方をしてもある程度通じてしまうので、実際上の支障はあまりないのでしょうが、今後どれが言葉として残っていくのでしょうね。

リモートと言えば、長男と長女は、それぞれの大学が、前期はすべてリモート授業になってしまいました。これも、言い方は大学によって違い、やっていることはほぼ同じだと思うのですが、長男の大学は「オンライン授業」、長女の大学は「遠隔授業」。

それはともかく、大学のリモート授業というのは、致し方ない苦肉の策とはいえ、なんとも歯がゆい感じがします。
特に長女の場合は、今年入学ですので、大学のキャンパスには入試の時しか行ったことがありません。
確かに、授業を行い、学生の学びを確保することは大切ですし、大学側も知恵を絞りながら、この状況の中でできることを最大限やっているのはよく分かります。それに、そもそもの原因はコロナであって、大学にも学生にも、原因も責任もありません。
とはいえ、大学というのは、それだけの場ではないわけで。
新しい友人との出会い、遊び、サークル活動、アルバイト等々、自分の大学時代を思い出すだけでも、大学生活は、授業とそれ以外の広がりで構成されていました。
そうした全てをひっくるめて、「大学生活」なのであり、そのどれか一つがあればよい、ということではないんだよなあ、と私は思います。・・・言っても仕方ないことで、コロナ収束を願うしかないんですけどね。

全然関係ありませんが、小5の次男が、休校期間中から毎日遊んでいる「あつまれどうぶつの森」のテーマ曲のリモート収録演奏の動画を見せてくれました。ゲーム機に配信されたとのこと。これがすごーく良かったです。毎日聴きたいくらい。


明日は、飯田アナウンサーのリモート○○です。

涙のお話

佐藤 拓雄

2020/06/29

【写真】前回書いたカブトムシ。おととい、ついに羽化第1号が土の中から出てきました!涙は出ませんでしたが、感激でした!

さて、以前(調べたら13年前でした!)、このアナ・ログに、「自分にとっての「ベスト・オブ・マンガ」は『がんばれ元気』というボクシングマンガで、ストーリーや登場人物はもちろん、セリフの一つ一つまで今なお頭に入っていると言っても言い過ぎではないくらい読み込み、多大な影響を受けた」ということを書きましたが、去年久しぶりに一気に読み返しました。

やはり「マイ・ベスト・オブ・マンガ」であることは疑う余地もありませんでしたが、一つ違う感覚を覚えました。
それは、主人公・堀口元気の祖父母の見え方です。

元気の父と母は、駆け落ちして結婚し、しかも母親は元気を生むと同時に死んでしまいました。それ故、母方の祖父母は、元気の父を憎みに憎んでいます。ただ、孫である元気は可愛い。父も試合中の事故がもとで死んでしまい、元気はこの祖父母に引き取られるのですが、数え切れないくらい繰り返し読んだ子ども時代の私には、元気を溺愛する一方で、元気の父とボクシングを憎む祖父母の様子が、憎らしくて仕方がありませんでした。

ところが、自分が親となり、長男が成人した今になってみると、祖父母の気持ちも非常によく分かるのです。

特に、元気が、上京する前夜から当日朝のくだりは、以前は、元気の側からしか見えていませんでしたが、今回は、祖父母の気持ちが沁みる!沁みる!
荷物を詰め込みながら顔中を濡らす元気の涙よりも、明け方、家をそっと出て走っていく元気の声が遠ざかるのを聞きながら、ベッドに入ったまま、これまた顔中を涙で濡らしている祖父母の涙の方に、私は心を大いに揺さぶられ、私の視界は、涙でぼやけました。

・・・と、熱く語ってきましたが、今回は、ほとんどの方には「なんのこっちゃ???」という話だったことでしょう。すみません。

今度「涙」がお題の時は、「なみだ橋を逆に渡る」話にします。これも分からないですね。


明日は、梅島さんの涙のお話です。

不思議な話

佐藤 拓雄

2020/06/24

以前も書きましたが、去年の夏、次男の要望で飼ったつがいのカブトムシが、秋に卵を産んで40匹近い幼虫がかえり、一部を人に分けたりしつつ、大切に育ててきました。

子どものいる家庭で生き物を飼う場合の「あるある」だと思いますが、結局、一生懸命世話をしてきたのは親の私。
食欲旺盛な幼虫たちのために土を何度も入れ替え、糞を取り除き、土の状態を毎日確認し、場合に応じて飼育箱をも交換し・・・と骨の折れる作業でしたが、我ながらなかなか頑張りました。

そうした世話の甲斐あってか、どれも丸々と大きく育ち、3月初めには、一匹ずつボトル状の容器に引っ越しさせ、サナギになるのに備えました。

そして、先日、ついに何匹かがサナギになっているのを発見!
他の幼虫たちも、土の中に部屋を作って、そこに収まり、サナギになる準備ができたようです。

先月あたりは、一日中、カサカサという音を立てて活動しているようで、何だろうと思っていましたが、どうやらこれは、この部屋作りの作業を盛んにしていたのだろうと納得。

誰に教えられるわけでもないのに、準備を着々として、自らの体を変化させ、成虫になっていく。
自然の営みの不思議さを感じずにはいられません。

一方で、こうして手をかけて大切に育てていても、どうしても死んでしまう幼虫がいます。
同じ環境のはずなのに、あるものはたくましく育ち、あるものは生きていけなくなってしまう。
これもまた不思議でなりません。

自然の摂理、自然淘汰といった言葉で収めてよいものなのか。

分からないことだらけですが、目下15匹。ボトルに入って【写真】のようにリビングに鎮座しています。
このままどれもが成虫になってくれることを願う毎日です。

一つ悔やまれるのは、世話に一生懸命になり過ぎて、ほとんど写真を撮っていなかったこと。撮影チャンスだったであろう、飼育箱や土の入れ替えの際も、寒い時期のベランダで、幼虫たちを一刻も早く土に戻してやらないと、という気持ちばかりで、手早く作業を進めることしか考えていませんでした。


明日は、下山アナウンサーです。

歯の話

佐藤 拓雄

2020/05/27

新緑が眩しい季節【写真】今日から新しいお題です。

新緑から連想して「葉の話」
・・・ではなく、
6月4日・虫歯予防デーにちなんで、「歯の話」です。

私は、歯並びは悪くないのですが、実は虫歯だらけです。
物心がつく前、つまり乳歯の頃から虫歯だらけだったそうです。
親に言わせると、甘いものが好きで、特に某乳酸菌飲料は飲ませないと泣くほど好き。それが原因だというのですが、どうなんでしょうね。
歯磨きをきちんとして虫歯予防、ということがあまり社会に浸透していない時代だったから、というようなことも言われた気がしますが、これはそうかもしれませんね。

歯磨きで記憶にあるのは、幼児から小学校低学年の頃、歯医者に行くたびに、歯科医から「歯磨きができていない」と注意を受けたこと。歯の治療には耐えられる子どもでしたが、そのたびに母親の機嫌が悪くなる点で、歯医者はちょっと嫌でした。
その後、成長とともに、歯磨きはしっかりするようになりましたが、永久歯もあちこち虫歯になりました。

そんな経験もあり、自分の子どもは虫歯にならないように、と小さな頃から一生懸命歯磨きをしました(させました)。
最初は嫌がったので、夫婦二人がかりで小さな歯を磨き、自分で磨けるようになってからは毎回「仕上げ磨き」を。
努力の甲斐あって、長男は成人した今も虫歯ゼロ。
ところが、第二子・第三子である、長女と次男は、残念ながら虫歯が・・・次男に至っては、私のように乳歯の段階から虫歯ができて歯医者通いです。
こちらの気が緩んだわけではないと思いたいのですが、第一子の時ほどの厳格さがなくなってしまうんでしょうね。二人には、申し訳ない!と謝りたい気持ちです。

明日は牧アナウンサーです。

図書館にまつわる話

佐藤 拓雄

2020/05/21

家のそばのツツジが満開です。写真を撮ろうと近づくと、どれにも、もれなくハチがいました。【写真】
ミツを集めているのでしょうが、「蜜」ではなく「密」の字を連想する自分に苦笑。

さて、本題。

世界のありとあらゆる書物を読みたい、という、およそ実現不可能な夢があります。
できるわけのないことであり、夢はしょせん夢なのですが、とにかくたくさんの本を読みたい。
読んだことのない本、出会えなかった本がほとんど、というのが実際の人生なのでしょうし、読書だけして過ごすわけにもいかず、暇さえあれば本を開くというわけにもいかないのですが、そこに無駄な抵抗を試みたい。

また、厄介なことに、世の中には、読むに値しない書物もこれまたたくさんあります。
有限の時間のなかで、そんな「ハズレ本」に関わっている暇はないのですが、何を読んでも100%絶対にハズレなし、と言えるのは伊坂幸太郎の小説くらいのもので、自分で買った本が、そうしたハズレ本だと、気が小さい私は、心理的にも経済的にも時間的にも、失ったものを考えてしまい、ちょっと凹んでしまうわけです。

そこで、図書館です。

手当たり次第に、これ面白そう、という直感だけで、次々に借り、面白くなければすぐに投げ出しても全く問題なし。ハズレ本にあたっても失うものがありません。さっさと返却してまた次、ということに何の後ろめたさも感じないどころか、堂々と期限内に返却して、期限を守る爽快ささえある、と言ったら言い過ぎか。

ハズレ本を回避しつつ、思いがけず、よい小説や、知らずにいた好みの作家が見つかることもあるのが、図書館読書のいい所。

新型コロナウイルスの臨時休館も一応終わったので、様子を見つつ、また図書館読書を復活させたいところです。


明日は、「カワウソLOVER」西ノ入さんの図書館話です。

子ども時代のエピソード

佐藤 拓雄

2020/04/24

状況の収束が見えない中、私たち仙台放送アナウンス部も、コロナ対応の勤務が続いています。
なかなか気持ちが晴れない毎日ですが、ちょっとでも「上がる」ようにと、妻が、2013年の楽天イーグルス日本一の記念カップ【写真】に紅茶を入れてくれました。

さて、皆さん、子ども時代を振り返って、ご自身の最初の記憶って何でしょうか。
私は、これだ、というのが割とはっきりあります。

と言いながら、何歳の時なのかは曖昧なのですが、
家の前で遊んでいたところ、見知らぬ女性が笑顔で「あら、タクオちゃん、ひさしぶり~、おおきくなったわね~」と話しかけてきた、というものです。
だれ?なぜボクのことを知っているのだろう?
という疑問とともに、その時の光景が鮮明に記憶にあるのです。
それと同時に、この時から、自分は「たくお」というんだ、と意識したというか、そういうことも記憶としてはっきりしています。

とにかく、私の中に「ここが境目!」という感覚がはっきりしているのです。
一方で、それ以前の記憶は何もないに等しく、これが、いわゆる「物心」がついた瞬間だと私は思っています。
・・・と書いたのはいいのですが、なんだかどう書いても、この感覚を表現しきれていないなあ・・・これ伝わってますか?

それにしても、なぜ、乳児幼児の頃の記憶は途中まで失われてしまうのか。不思議でなりません。
私は、子ども時代、記憶力のよいほうだったのですが、それとこれとは関係ないということですよね。

ちなみに、私に笑顔で話しかけてきた女性は、私の叔母でした。甥の私は、きっと叔母に対して相当怪訝な顔をしたことと思います。
この話は、当の叔母にはしたことがありませんが、今さらながら、おばさん、すみません。
・・・ここで謝っても伝わらないですね。


次は、牧アナウンサーです。

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