アナ・ログ

アナウンサーを目指したきっかけ

佐藤 拓雄

2021/07/27

まずは【写真】から。
食べた後のマンゴーの種を妻が植えたら芽が出てきました!
しかし、実をつけるまでには6~7年かかるとか(笑)
そもそもこのままで実がつくのか?という実証実験レベルですね(笑)

さて、就職を考えた時に目指したのは、アナウンサーではなく、ドラマの制作者でした。
その前は、何度かこのアナ・ログで書いたように、音楽家を目指していました。

音楽家の道に挫折して、普通大学に進んだものの、将来の目標を失い、何を職業にすればよいのか、なかなか見つかりませんでしたが、子どもの頃から音楽同様に好きだったテレビで仕事をしたい、それも、テレビ番組の中で一番好きなドラマの制作に関わりたいと思うようになりました。

ドラマの制作をしているのは、キー局など限られた局ですので、チャンスは多くありません。
また、テレビ局の採用試験は、今もそうですが、アナウンサーが先に行われ、それより少し遅れて、制作など一般職の試験が行われます。
そこで、テレビ局の採用試験に少しでも慣れようという、非常に浅い考えでアナウンサーの採用に応募しました。
もちろん、やる気もないのに応募した、というわけではないのですが、自分に適性はないと思っていたので、あくまでも「場慣れ」のため、というスタンスでした。

ところが、私の就職活動は、アナウンサーの試験では、あと一歩で内定というところまで進めた局がある一方で、「こんなドラマを作りたい」と意気込みを語った一般職の採用試験は、全て1次で敗退という、自分としては思いもよらなかった経過をたどりました。
思い知ったのは、「やりたい仕事」と「向いている仕事」が違うということ。
そうなってみて、アナウンサーならば、テレビの様々な場面に関われるし、実は、テレビ好きの自分にとっては、うってつけの仕事ではないか、と思うようになり、またまた浅い考えで方向転換、アナウンサー試験に本腰を入れることにしました。

幸いにも仙台放送に採用されて今に至りますが、こうして振り返ってみると、全く計画性のない行き当たりばったりの綱渡りで、本当に恥ずかしい話です。

それにしても、人生は分からないものだと思いますし、自分の適性を、自分ではなく他人によって知る、ということもあるのだということ、これが私の就職活動の教訓かもしれません。


次は、寺田アナウンサーです。

おうち時間

佐藤 拓雄

2021/07/09

「おうち時間」という言葉は、なんだか「まやかし」のようで、私は好きではありませんが、コロナ以前から、私は、自宅で過ごす派です。
もともと遊びあるく習慣がありませんので、外出自粛といっても、私の生活は大して今までと変わりありません。
外食もレジャーも、行かないわけではありませんでしたが、行けなくなったからといってストレスが溜まることもありません。
以前との違いは、飲み会と出張が、一切なくなったことくらいでしょうか。

夫婦そろってそんな感じなので、子どもたちもだいたい同様ですが、成人した長男と長女はともかく、次男(小6)の本当のところは、どうなのだろうと思うことはあります。
ただ、回転寿司に行けないとか、映画を観に行けないとか、細かい不満はあるものの、今は小学校が休校になっているわけでもなく、習い事も行けているので、休日は、ゲームとテレビと漫画、そして、美味しい「うちのごはん」があれば、まずまず機嫌よし。
成長期と重なったこともありますが、むしろ家での時間が増えた去年の学校休校のあたりから、ぐんぐん背が伸びています。
もちろん、子どものことなので、注意深く見ておかないといけない、とは思っています。

去年は、大学生の2人もオンライン授業で家にいたので、一家5人が家にいる、という時間が長くなりました。
数年前と違い、大人4人+大きめの小学生、という5人なので、さすがに、家が狭いなあ、と感じることもあり、それは少々ストレスがありましたが、嘆いても家が広くなるわけではないので。

そんな最中、食料品の買い物に行ったはずの妻が、突然、麻雀牌を買ってきました(笑)
長男と妻がやたらと麻雀をやりたがり、そこに長女も乗っかる形。
私は、学生の頃からコンピュータ麻雀専門なので、役は分かっていても、点数の数え方がよく分からず、さほど積極的ではないのですが、人数合わせで付き合わされます。
小学生の次男は、麻雀は分からないので加わりませんが、その間は、ゲームを無制限にやらせてもらえるので、好意的です。
長男が次々あがり、妻がムキになり、長女と私は、多くが「ヤキトリ」というのがお決まりの展開。
家の食卓に牌を並べる、「ザ・ファミリー麻雀」ですが、こんなことをできるのも、自粛生活の思わぬ副産物で、まあ、悪くはないですね。

長男・長女がこの春から家を出たので、家族麻雀はしばらくお休み。次は正月でしょうか。

【写真】珍しく私が高得点であがりました。リーチ・三色・ドラ4で「ハネ満」だったかな?つい写真に撮りましたが、そういうことをするのが「素人」なんでしょうね(苦笑)

次は、西ノ入アナウンサーです。

雨といえば

佐藤 拓雄

2021/06/24

先日の父の日、突然、宅配便で和菓子の詰め合わせが届きました。
有名菓子店の、どらやき・最中・栗饅頭という、あんこ・和菓子好きの私にはたまらない中身。【写真】
送り主は、東京にいる大学生の長女です。気の利いたことをしてくれるじゃありませんか。

ところで、このところ、我が家は、一つのキーワードが、日々の多くを支配していました。
それは、「修学旅行」。
小6の次男の修学旅行があったためです。

学校での事前学習や説明は、早い時期から行われていたようですが、その都度色々報告してくれ、さらには、「あれを用意しないと」、「これが必要だ」と、私たちも急かしながら、次男なりに入念に準備を行っていました。
次男の頭の中は、8割、いや、9割が修学旅行で占められているのか、と思うほどでしたが、無邪気な我が子の様子に心温まりました。
一方で、それほど楽しみにしている修学旅行が、雨だったら、いや、天候ぐらいならまだしも、当日発熱でもして行かれなくなったら、などと、親としては、ついついネガティブな心配をしてしまったり。

迎えた当日、次男に合わせて私までも5時起きして、無事送り出しましたが、そのあとのドッと疲れた感じは、早起きのせいだけではなく、やはり、さりげなく親の私たちにもプレッシャーになっていたのだなあと、苦笑しました。
子どもの修学旅行でなぜ親がプレッシャー?と思った方もいらっしゃるでしょうが、親なんてそんなもの、というか、私はそんな親ですので、仕方ありません・・・

幸い、雨に降られることもなく、無事全日程を終えて、次男は元気に帰ってきました。
用意した雨具を使わずに済んだのは、何よりでした。


明日は、寺田アナウンサーです。

父の日あれこれ

佐藤 拓雄

2021/06/08

数年前、次男が、「父の日のプレゼント」と言って、ドーナツを一つ買ってきてくれたことがありました。
微笑ましい思い出ではありますが、なぜか、その年の誕生日にはそういうことはなく、その違いは本人にしか分からないままです笑

我が家は「父の日」でイベント的に何かすることはほとんどなく、「父の日」の話、といって思いついたのはこれくらいですので、ここからは、「父の日」ではなく、私の父の話を書きます。

父については、以前にもこのアナ・ログに書いたことがありますが、母が先立ってからも、自立した生活を保ち、元気に暮らしています。

母の存命中は、父が料理をする姿を見た記憶はありませんでしたが、今は何でも自分で作って、私たちにも時々届けてくれます。
好奇心旺盛で、研究熱心。こういうふうに歳をとれればいいなあと思わされることの多い存在です。

【写真】は、その父が、毎年、端午の節句に合わせて作ってくれる粽(ちまき)。餅米の食感と笹の香りがきな粉の甘さと相まって、何個でも食べられる、我が家の5月の風物詩になっています。

もともとは、父の母、つまり私の祖母が長年作ってくれていたもので、その作り方は、私の母が受け継ぎました。
母が亡くなり、作り方が分からなくなって一旦途切れかけましたが、父が復活させました。なんでも、白石まで講習を受けに行ったとか。
最近は、材料の笹の葉が高いとぼやいていましたが、こうして毎年作り、届けてくれます。
祖母から母、そして、まさかの父へと受け継がれ、私たち夫婦は、今のうちに教わっておかないといけないなあという気持ちを強めています。


明日は、西ノ入アナウンサーです。

朝ごはん

佐藤 拓雄

2021/05/31

我が家の次男(小6)は、朝から食に貪欲です。

まだ小さな頃から、起きてすぐ「きょうの朝ごはんは何ですか?」と聞いてきたような子です。
晩ごはんではなく、朝ごはんのメニューを聞くことって、あまりない気がしますが、これを食べたい、というのが、その都度はっきりしていて、とにかく、食に対して、強い意思と欲を持っているのです。
朝から食べる分量もかなりしっかり、しかもあっという間に平らげて、学校へ出かけていきます。これは、親として、見ていて非常に気持ちがよく、ほっとさせられます。

先日亡くなったエリック・カールさんの「はらぺこあおむし」さながら、生まれてこのかた、ずっとはらぺこ君。
学校では給食の「おかわり争奪戦」にも毎日参戦しているようですし、学校から帰っても、すぐに「お腹が空いた」とおにぎりやごはん(米)をペロリ、ということもしばしば。おやつにお菓子類よりもごはんを欲しがるのも、親としてはとても好ましく感じています。その分、体が大きくなるのも早いようです。

そんな次男ですので、朝ごはんが少しでも進まない様子だと、体調が悪いのかな?と心配になったりします。
実は、だいたいそういう時は、前の日の晩ごはんをドカ食いして、お腹の減りが遅い、というだけだったりしますが(笑)

上の二人の小学生時代は、朝ごはんは毎日ちゃんと食べていましたが、「きょうの朝ごはん何?」と聞いてくることはまずありませんでしたし、分量もスピードも、次男とはだいぶ違い、なかなか食べ終わらない子どもたちに「はやくしないと学校に遅れるよ」と、しょっちゅう言っていた記憶があります。

きょうだい同じように育てているつもりですが、朝ごはんひとつとっても、それぞれ違うもので、とすると、環境ではなく、持って生まれた特性なのでしょうか。

ともかく、朝ごはんを美味しそうにしっかり食べる次男を見ると、今日もわが子が健康でいることへの感謝の気持ちと、その元気をこちらももらえたような気持ちになります。

【写真】先週26日の皆既月食。写真に撮ると、肉眼で見たのと違うのですが、珍しいものを見られたので、ここに載せます。

明日は、新しいお題で、牧アナウンサーから。

集中力が切れたときには

佐藤 拓雄

2021/05/11

新緑の候

・・・という書き出しで始めたくなるような、ここ最近の通勤路【写真】。

さて、諸説あるものの、人間の集中力には限界がある、というのが当然のことのようです。
私も集中力は切れてばかり。
特にデスクワークの仕事の時はそうです。
かといって、どこかでのんびり休んでリフレッシュ、なんて非現実的ですし、そんなことができたとしても、進めなければいけない仕事が減るわけではないので、続けるしかありません。

そういう状態に対して、私はこれといった「特効薬」は持ち合わせていませんが、やっている仕事が行き詰った時に、別の仕事に取りかかる、ということはよくやります。
同じデスクワークでも、別の内容になると、また気分が変わり、進みがよくなります。
いったん置いた方が別のアイデアが出ることもありますし。

「ドラ○○○」という東大受験を目指す某漫画に、こんなことが書いてありました。
勉強に疲れて気分を変えたい時には、遊ぶのではなく、勉強をするのだ、と。
リフレッシュのためと思って遊ぶと、かえって後ろめたい気持ちや不安な気持ちになってしまう。
だから、勉強のストレスは勉強で解消せよ、というのです。
具体的には、歴史の漫画を読んだりして、目先を変える、という方法が紹介されていました。

受験勉強と仕事は違いますが、非常に納得。

あ、ちなみに、漫画のタイトルの「○○○」は「えもん」ではありませんよ(笑)

明日は、伊藤アナウンサーです。

朝型?夜型?

佐藤 拓雄

2021/04/19

幼少期は、超朝型、というか超早寝型に育てられました。
小学校低学年までは、遅くても午後7時が就寝時刻。6時ごろ就寝ということも少なくなかったと記憶しています。昭和の子どもだったということかもしれませんが、これほど早く寝る人も周りにはあまりいなかったように思います。
小学校高学年になっても、午後8時までには寝ていました。
おかげで、中学に入って、テスト勉強というものをし始めたところ、すぐに眠くなってしまい、午後9時で、もうフラフラ。時間が足りない、と焦りました。
かと言って、朝極端に早いかというとそうでもなく、だいたい午前6時が起床時刻。
こんなに睡眠をとったのに、身長はさほど伸びず、「寝る子は育つ」なんて、言葉だけのことなんですね。

そんな私でしたが、中学高校と少しずつ夜起きていることにも慣れ、大学に入って一人暮らしを始めると、すっかり夜型に。
特に卒業論文を書いていた、大学4年の秋から冬は、完全に昼夜逆転でした。静かな夜のほうが、はかどるためで、明け方まで論文書きをして、そこから布団に入り、午後3時ごろ起きてまた卒論、という繰り返し。今思うと、非常に不健康ですが、それで何とか大学は卒業できました。

その後については、しばらく話を飛ばしますが、40代後半になったころ、何時に寝ても、朝5時過ぎに目覚めるようになりました。いよいよ「老人化」が始まったのか、と思ったのですが、ここ2年くらいは、そんな時間帯に目覚めることはなくなりました。夜は日付が変わる前には就寝しますが、起きていられないようなほど眠たくなることもあまりなく、とはいえ、あまり夜更かしもできず、一方で、朝型です、と言えるほどでもなく、7時間以上は睡眠をとりたいのが常で、いわゆる「ショートスリーパー」とは対極です。だからといって、寝坊するようなこともなく・・・

結局、今の私は、朝型でも夜型でもなく、睡眠時間を確保できれば大体いい、という「中間型」といったところでしょうか。

【写真】は、我が家のコクワガタ。どうやら越冬に成功したようです。先日、おそるおそる飼育箱の中の木をどかしてみたら、そこにいて、足をモゾモゾ動かしていました。たくましさに感動です。

明日は、梅島アナウンサーです。

お部屋づくりのこだわり

佐藤 拓雄

2021/03/31

【写真】先週末、自宅近くの桜が咲いていました。ソメイヨシノと思われます。やはり今年は例年より早いのかなあと思ったら、そのすぐあと、3月28日に気象台が開花を発表しました。

さて、自分の部屋などなく、たまの在宅ワーク時のスペースをどうにか確保するのが精いっぱい、リモート会議は自宅からならバーチャル画面必須、という状態ですので、「こだわり」はおろか「お部屋づくり」という言葉すら、私の辞書にはありません。
考えれば理想は色々ありますが、現実はとてもとても・・・ということばかり。

・・・と家族のせいにするようなことを書きましたが、大学時代からおよそ9年の一人暮らしを含めて、そもそも部屋づくりにこだわりを持ったことがあったか???・・・ありません。

30数年前、一人暮らしの最初に入ったのは、一体築何年だ?という家賃2万3千円の木造アパート。トイレ・風呂共同の6畳一間、階段を誰かが通れば、ガタガタと振動が来る、そんな部屋でした。
それでも、生まれて初めて得た「自分だけの部屋」を、自分で好きに使えることに心躍りました。ある意味、無欲でした。

そのうち、もっとオシャレ、かつ風呂とトイレがある部屋に、と欲が出て、新築の物件を自分で見つけ引っ越しました。風呂・トイレはもちろんですが、フローリングのロフト付き、エアコンまで付いて、一気にランクアップ。当時の学生としては贅沢なコードレス電話機も買ったりして、自分なりに満足していたなあ。

ただ、記憶をたどっても、その頃を含め、こだわりを持って部屋づくりをした覚えはありません。おそらくそういうセンスがないし、資金力もないからでしょうね。

あ、こだわり、一つだけありました!
間接照明とオレンジ色の灯り(電球色)が苦手です。
物がよく見えなくて、どうにも落ち着かないのです。間接照明や電球色は、「落ち着き、リラックス」などがキーワードになるようですが、私は逆です。
電球は、昼光色か昼白色、これだけは譲りません。

と、こんな話を書こうと思うんだけど、と妻に話したら、「全て同感」との答えが返ってきました。だから一緒に暮らしていけているのか、と今さらながら納得。

まとまりを欠く話になってしまいましたが、今回はこのへんで。

明日は、入社2年目に入る、伊藤瞳アナウンサーです。

東日本大震災10年

佐藤 拓雄

2021/03/19

10年前、1歳8か月だった次男は、東日本大震災の記憶は全くないそうです。
現在小学5年。これまで、幼稚園や小学校では、折に触れて震災の話や防災の話をされているようですし、私も時々話をしたり、被災地に連れていったりしていますが、「津波は怖い、海は怖い」という漠然とした恐怖感だけ持っているようで、どうもピンと来ていないようです。
やはり、実感が持てないのでしょう。
全国的に見れば、私の住む仙台は、被災地そのものかもしれませんが、ピンポイントな私たち家族の暮らしは、今や震災の影響を感じなくなっていますので、なおさらです。

10年経った今、震災後に生まれた子どもと当時乳幼児だった子ども、つまり今の小学生以下が、震災を経験していない世代と言えます。
あと10年したら、全ての未成年世代が震災を経験していないことになります。

そう考えても、これから、震災をどう伝えていくのか、ということがますます重要であり、かつ、難しくなっていくのだと思います。

一方で、この1年、大学生の長女は、何度も被災地や震災遺構の見学に連れ出したり、震災の話をしたりして、それなりに感じるところがあったように見えます。
県外の大学に入学したものの1年を通してオンライン授業となってしまい、結果として実家暮らしが続きましたが、その分このような機会を持てて、思わぬ副産物になりました。
長女は、震災当時小学4年。揺れをはじめ当時の記憶はいろいろあるようですが、当初はやはり怖がったり、もう少し年齢が上がっても、今度は学校生活の忙しさや受験等もあったりと、なかなか震災を学ぶ機会が持てませんでした。
大学生になった今、こうした機会を持てたことは、親としてよかったと素直に思っています。
【写真】の、山元町の震災遺構・中浜小学校も、その長女と訪れました。

次の世代に震災を伝えていくことは、私たち震災を経験した者にとっては「責務」と言ってよい、一生の課題だと思っています。
ただ、震災を知り、受け止めていこうという気持ちになるには、それぞれの心境の変化、特に子どもたちは心の成長が大切なのだろうと、このところ思っています。

アナウンサーという仕事を通して、震災を伝え続けていくことはもちろんですが、それとは別に、震災を経験した大人の一人として、少しずつでも、次の世代に震災を伝えていくことも私の責任だという思いも、10年経って強まっています。

次は、高橋咲良アナウンサーです。

鍋のお話

佐藤 拓雄

2021/02/27

この冬、我が家の夜の食卓には、毎日のように鍋が上りました。

我が家の場合、鍋が主菜ということは少なく、何かおかずがあって、それにプラス鍋。
中身は、白菜、大根、ねぎなど野菜が主で、だしで煮て味付けなし。
これをそれぞれ好きなだけ取って、しょうゆ、ぽん酢、キムチなど、好みの味をつけて食べるのです。
私は専ら塩。時々胡椒もふったりしますが、シンプルな味付けで飽きが来ません。
ただ、家族からは、毎回「塩ふり過ぎ!塩分多すぎ!高血圧になるよ!」と一斉に非難を浴びます・・・
小5の次男の食べ方も独特で、毎回、しょうがとにんにくだけ。塩分を足さないシンプルな味付けで美味しそうに食べています。

我が家の鍋がこうなっているのには、もちろんいくつかの理由があります。

一つは、5人の食事、という点。
オンライン授業の1年で、大学生の二人が実家暮らしとなり、久しぶりに一家5人がそろう毎日ですが、家族とはいえ、食の好みにはそれぞれ微妙な違いがあったりします。その少しの違いが5人分だと大きな違いになることもあります。
しかし、鍋には家族全員誰も文句を言わない、常にほぼ全員一致で、いいね、なのです。
ただ、文句は言いませんが、その味付けは好みが違い、だったらセルフで、ということでそれぞれが好きな味で食べる形に。

また、鍋だととにかく野菜が摂れる、という点も大きいです。
分量もそうですし、子どもたち(と言っても3人中2人は成人ですが)も、鍋だと野菜をたくさん食べます。
我が家の鍋は、野菜をたくさん摂るための汁物、という感覚に近いかもしれません。

そして、この鍋の残りが翌朝の汁物になります。雑炊になることもあります。
ここは味一択なので、時々不満げな人がいたりしますが・・・苦笑

そんな「毎日鍋生活」も春の訪れとともに終わるのか???
季節もそうですが、大学生二人の新年度の生活スタイルによっても、我が家の食卓は大きく変わってきそうです。

【写真】鍋と何も関係ありませんが、最近思いついて、市販の安い大福に、自分でいちごを入れ、「いちご大福」を自作してみました。「セルフいちご大福」いけるいける。売ってるいちご大福と変わりない!と自己満足(笑)

続いては、西ノ入アナウンサーです。

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