高橋 咲良
2021/03/23
10年前、私は高校1年生で、お隣の山形県にいました。
地震が発生した時は、クラス会の真っ最中。大きくて長い揺れに驚き外へ飛び出すと、同じような人が何人もいて、停電したために信号機は止まっていて、これは大変なことが起きたのだと、とにかく無我夢中で家へ帰りました。自宅へと向かう途中、深々と雪が降ってきて、春とは思えない寒い1日だったと記憶しています。
停電していたためにテレビが見られず、数日してから目の当たりにした惨状に胸が締め付けられて、涙が流れました。
今年の3月11日は、名取市閖上に行きました。震災から10年となる今年の3月11日は、雲1つない青空が広がっていました。
この青空に向けて、閖上の記憶前では、14時46分の黙とうの後ハト風船が放たれました。ハト風船には「ありがとう」「忘れない」様々なメッセージが書いてあります。
そしてどのメッセージにも、お名前が書いてありました。
このハト風船は、「空の上にいる大切な人への手紙」だからです。東日本大震災によって、多くの人の命が奪われました。
当たり前のことなのですが、亡くなられた方の数だけ家族や大切な人がいるのだと、このハト風船に綴られたメッセージを見て、改めて感じさせられました。どうか無事、ハト風船がそれぞれの大切な人に届いていますように。
多くの人の命やふるさとを奪い、それまでの生活を一変させてしまった東日本大震災。
もう2度と同じ悲しみを繰り返さないために、私は宮城県のアナウンサーとして、伝えるという職に就く者として、出来ることを精一杯努めていきます。
続いては、下山アナウンサーです。