西ノ入 菜月
2021/07/26
大学時代にBSフジ学生キャスターを務めていた時の写真です。
小学3年の時「めざましテレビ」のキャスターを務めていらっしゃった高島彩アナウンサーに憧れ、そこから漠然とアナウンサーという職業を意識してきました。
「何が何でもアナウンサーになるんだ。いや、ならなくてはいけない。」
と、次第に”憧れ”が本格的な”将来の夢”に変わり、夢を叶えるための一つの大きな挑戦として臨んだ学生キャスター。
なぜそこまで意識が変わったのか。きっかけは、「東日本大震災」です。
2011年、当時私は中学3年生でした。
実家がある埼玉も、経験したことのない激しい揺れだったのですが、テレビをつけて、東北が一番の被害を受けたことを知りました。
地震の被害も大きかったのに、さらに津波が東北を襲う映像を見たときは、現実のことなのか理解が出来ずにテレビの前で立ち尽くすしかなく、自分の無力さを感じました。
そんなときに、代わる代わる画面に現れる東北地方各局のアナウンサーの皆さんが、
当時の状況や地震・津波の注意喚起などを、冷静に伝えていらっしゃいました。
埼玉よりもはるかに大きな揺れに見舞われ、且つ、津波の被害という未曽有の災害に見舞われている中、アナウンサーとしての役割を全うする。
緊急時ながら、その姿にわたしまで勇気をもらい、胸が熱くなったのを覚えています。
その時、アナウンサーは「情報を伝えること」はもちろん、いざという時に「視聴者の命を守る言葉の技術も持つ職業」なのだということを知り、大変な仕事なのだなと思うと同時に、より一層憧れが強くなりました。
その時から、将来の夢が「”命を救う報道が出来る” アナウンサー」になりました。
大学生になってすぐにアナウンススクールに通い始め、発声、ニュース読みの練習などに励みましたが、練習が報われず挫折することばかり。
「自分はアナウンサーには向いていない、諦めようかな」と何度も何度も思いました。
そんな時、いつも気持ちを奮い立たせてくれたのは、記憶の中の震災時のアナウンサーの皆さんの姿です。初心に戻り、意を決して臨んだ学生キャスターのオーディション。
合格の一報を受けたときは、本当に嬉しかったのを覚えています。
その経験を糧にアナウンサー就職活動へ。
そこでも多くの挫折をしましたが、結果としてアナウンサーを目指した原点ともいえる、東北・宮城県のアナウンサーとして、今働いています。
私がアナウンサーとして仕事をする上で大事にしていることの一つに、
「過去を、当事者を、自分の事のように感じて伝える」というテーマがあります。
”震災当時に宮城県で被災をしていない私が、被災された方の気持ちを代弁して良いのか”
震災関連のニュースを伝えるときにいつも悩むことです。
そんな時は上記の思いを胸に、宮城県のアナウンサーになった自分だからこそ伝える責務があるのだと、気持ちを奮い立たせています。
これからのアナウンサー人生も多くの困難があると思いますが、どんな時も初心を忘れず、宮城県のアナウンサーとして役割を全うしていきたいです。
長くなりましたが、ここまで読んでくださりありがとうございました。
明日は、佐藤アナウンサーです。