アナ・ログ

アナウンサーを目指したきっかけ

飯田 菜奈

2021/08/03

大学に入学し、サークルを決める際、楽しいだけでなく何か身になるような時間を過ごしたい!と思い「放送研究会」を選びました。

高校生まで人前で話すのが苦手で、そんな自分を変えたい!大学生活4年間で”しゃべり”を少しでも磨けたらいいなぁ、という気持ちで放送研究会の「アナウンス部」に所属したのですが、、、入ってびっくり!!
「わたし、夏からフジテレビのアナウンススクールに通うんだ!」
「わたしは、日テレのスクールに通う!」などと、
1年生のうちから、本気でアナウンサーを目指している人たちばかりだったのです。

そこで初めて”アナウンサーって、目指せる職業なんだ…”と気づかされたことが、
アナウンサーという職業を意識したきっかけです。 
サークルの仲間に刺激を受け、しゃべりが苦手な私が、一生をかけてそのコンプレックスをなくしたい!と真剣にアナウンサーを目指すようになり、就職活動もサークルの仲間と一緒に頑張ることができました!
情報交換ができる友人や先輩が身近にいてくれたことは大きく、心強かったですね。

どこにきっかけがあるか、わからないものですね~
これからも、どんな些細な”きっかけ”にも、気が付けるような自分でいたいと思います。

☆写真☆
最近食べて感動の美味しさだった桃のデザート。
ヨーグルト、ヨーグルトムース、みずみずしい桃… 最高の組み合わせで、
夏にぴったりな爽やかな味でした!!

このテーマは今日でラスト!
次回からは新テーマに変わります。トップバッターは西ノ入アナです。

堤 勇高

2021/08/02

幼い頃から本当に喋るのが好きでした。
声も大きく、よく「静かにしろ」と怒られていました。

それがこのアナウンサーという職業に直接つながっているかと言えば、そうとも言えません。

アナウンサーという職業を意識し始めたのは小学生の頃です。
サッカーを習っていた私は、練習試合の時によく「実況ごっこ」をしていました。

テレビ中継で聴いた雰囲気を頼りに、「それっぽい」しゃべりで実況の真似をすると、たいていまわりにいる友達は褒めてくれるか、笑うか、いずれにしろ何かしらのリアクションをしてくれました。
そのごっこ遊びから少しずつアナウンサーに対する憧れを抱きました。

ですので私がアナウンサーを目指した最初のきっかけは、「……について伝えたい」や「視聴者の皆さんを笑顔にしたい」といった高尚なものではありません。
(当然その後大人になる過程でより多くの「目指す理由」が生まれました。)

ただ、その小学生時代に抱いた思いを中学、高校、大学と持ち続けられたのは少しだけ誇れる部分なのかなと思います。
もちろん早く目指し始めたから、長く目指し続けたから偉いというわけではありませんが……

写真は利府町の宮城スタジアムにあるオリンピックのモニュメントと五輪マークの花です。
スマホでズームしてしまったので画質が良くないのが残念……
取材に行った7月初旬、会場では準備があわただしく行われていました。

次は飯田アナウンサーです。

伊藤 瞳

2021/07/30

YouTubeで新しい企画を始めました(*^-^*)
仙台放送のアナウンス部で1番年下の私が、
先輩アナウンサーに気になることを直接インタビューします!
アナウンス部の雰囲気も感じていただけると思います。
初回のゲストは、西ノ入菜月アナウンサーです♡
是非ご覧ください。写真は、インタビュー中の様子です。

さて、私がアナウンサーを目指したきっかけは、家族です。
母、叔父、兄がアナウンサーで、
幼い頃からアナウンサーの仕事を知る機会が多くあり、影響を受けていました。

中学と高校では、放送部に、大学では放送研究会に所属し、
アルバイトは、放送関係。
就職前の人生の大半で、声を使うことを続けていました。

声優や翻訳家など憧れは多くありましたが、
気付くと、思いは、アナウンスに引き戻されていました。
きっかけは家族でも、
自分自身が、やっぱり、アナウンスが好きなんだと思います(*^-^*)

「好き」を仕事にさせていただけることに感謝します。

次は、堤勇高アナウンサーの「きっかけ」です。

下山 由城

2021/07/29

主なきっかけの1つは「朝のラジオ」です。

実家での朝は、いつも同じラジオ番組が流れていました。朝のテレビ情報番組なんて、ほぼ見たことがありません。ラジオを毎日聴いていたことで、小学生の由城少年は声を使う仕事に夢を持ったようです。
中学生になったときには、MDコンポ(時代を感じますね)を買ってもらって、そこから夜はひたすら自分の部屋でラジオを聴いていました。テレビの大人気バラエティやドラマよりも、AMラジオでした。オールナイトニッポン以上に聴いていたのが、巨人戦のナイターです。野球実況に興味を持ったのはそれが大きく影響していますね。同世代のアナウンサー志望の人たちのなかでは、誰よりもラジオを聴いていた自信があります。相当マニアックな領域までいっていたと思います(笑)

●ラジオで喋りたい
●巨人戦の実況をしたい

大枠はこの2点です。
そこから考え方に多少の変化(ラジオ→テレビ・ラジオ/巨人戦→プロ野球)はありましたが、スポーツ実況をやりたいと思いアナウンサーを目指しました。試験はなかなか上手くいかず、なんとか縁があり秋田県のテレビ局に採用をいただけたのは大学4年…2012年12月末のこと。今考えると、かなりギリギリまで粘ったなと感じます。当時は超前向きな性格がある意味功を奏して「絶対にアナウンサーになれる」と思っていたので、あまり落ち込むことはなく試験を受け続けていました。タフなメンタルをしていると思います(笑)もちろん、応援してくれた両親や友人の支えが大きかったですけどね。試験対策とかは反省点が多いですが…。
そこから秋田で4年を過ごし、2016年の冬に仙台放送の採用をいただきました。そういえば仙台放送が男性アナウンサーを中途採用したのは初めてのことだったようで、これもまたタイミングだなと思います。夢だったプロ野球実況をやるチャンスをいただけて本当にうれしいです。

学生時代にラジオを聴いてアナウンサーを夢見たときに、出身地ではない東北で働く想像は当然まったくしていませんでした。考えていた道のりとは大きく異なって今に至るわけですが、それはそれでめちゃくちゃ楽しんでいます。こうやって振り返ると、改めてがんばろう…って思いますね。


写真は全然関係ないですが、黄金のアマビエです。
お次は伊藤瞳アナウンサーです!

寺田 早輪子

2021/07/28

「あなた、文章を読むのが上手いわね~!アナウンサーみたい!」
小学5年生の国語の授業。みんなの前で教科書を朗読した私に、先生がおっしゃったこの何気ない一言が、私に「アナウンサー」という職業を意識するきっかけをくれました。
この一言は、当時、勉強でもスポーツでも、特に周りより秀でた才能がなく、ぼんやりしていた私が「先生に褒められる」という衝撃的な出来事で、今でも忘れられない言葉です。

その日からテレビで「アナウンサー」に注目し始めた私。
特に、土曜の夜に大好きで見ていた『俺たちひょうきん族』の「ひょうきんベストテン」に出ていたアナウンサーに憧れ、「私も将来、ひょうきんアナになりたいなー」と夢を抱き始めました。
それがアナウンサーになりたいと思ったきっかけです。

ある日、突然にかけられた言葉が、一人の人生を大きく動かす。
「言葉のパワー」を心から感じます。

実際にアナウンサーになった今、私の言葉が、誰かの人生にとってプラスに作用することを願いながら、毎日言葉を紡いでいます。

☆写真は…、笹かまぼこの接写中♪

アナ・ログ。続いては下山さんです。

佐藤 拓雄

2021/07/27

まずは【写真】から。
食べた後のマンゴーの種を妻が植えたら芽が出てきました!
しかし、実をつけるまでには6~7年かかるとか(笑)
そもそもこのままで実がつくのか?という実証実験レベルですね(笑)

さて、就職を考えた時に目指したのは、アナウンサーではなく、ドラマの制作者でした。
その前は、何度かこのアナ・ログで書いたように、音楽家を目指していました。

音楽家の道に挫折して、普通大学に進んだものの、将来の目標を失い、何を職業にすればよいのか、なかなか見つかりませんでしたが、子どもの頃から音楽同様に好きだったテレビで仕事をしたい、それも、テレビ番組の中で一番好きなドラマの制作に関わりたいと思うようになりました。

ドラマの制作をしているのは、キー局など限られた局ですので、チャンスは多くありません。
また、テレビ局の採用試験は、今もそうですが、アナウンサーが先に行われ、それより少し遅れて、制作など一般職の試験が行われます。
そこで、テレビ局の採用試験に少しでも慣れようという、非常に浅い考えでアナウンサーの採用に応募しました。
もちろん、やる気もないのに応募した、というわけではないのですが、自分に適性はないと思っていたので、あくまでも「場慣れ」のため、というスタンスでした。

ところが、私の就職活動は、アナウンサーの試験では、あと一歩で内定というところまで進めた局がある一方で、「こんなドラマを作りたい」と意気込みを語った一般職の採用試験は、全て1次で敗退という、自分としては思いもよらなかった経過をたどりました。
思い知ったのは、「やりたい仕事」と「向いている仕事」が違うということ。
そうなってみて、アナウンサーならば、テレビの様々な場面に関われるし、実は、テレビ好きの自分にとっては、うってつけの仕事ではないか、と思うようになり、またまた浅い考えで方向転換、アナウンサー試験に本腰を入れることにしました。

幸いにも仙台放送に採用されて今に至りますが、こうして振り返ってみると、全く計画性のない行き当たりばったりの綱渡りで、本当に恥ずかしい話です。

それにしても、人生は分からないものだと思いますし、自分の適性を、自分ではなく他人によって知る、ということもあるのだということ、これが私の就職活動の教訓かもしれません。


次は、寺田アナウンサーです。

西ノ入 菜月

2021/07/26

大学時代にBSフジ学生キャスターを務めていた時の写真です。
小学3年の時「めざましテレビ」のキャスターを務めていらっしゃった高島彩アナウンサーに憧れ、そこから漠然とアナウンサーという職業を意識してきました。

「何が何でもアナウンサーになるんだ。いや、ならなくてはいけない。」
と、次第に”憧れ”が本格的な”将来の夢”に変わり、夢を叶えるための一つの大きな挑戦として臨んだ学生キャスター。

なぜそこまで意識が変わったのか。きっかけは、「東日本大震災」です。

2011年、当時私は中学3年生でした。
実家がある埼玉も、経験したことのない激しい揺れだったのですが、テレビをつけて、東北が一番の被害を受けたことを知りました。
地震の被害も大きかったのに、さらに津波が東北を襲う映像を見たときは、現実のことなのか理解が出来ずにテレビの前で立ち尽くすしかなく、自分の無力さを感じました。

そんなときに、代わる代わる画面に現れる東北地方各局のアナウンサーの皆さんが、
当時の状況や地震・津波の注意喚起などを、冷静に伝えていらっしゃいました。
埼玉よりもはるかに大きな揺れに見舞われ、且つ、津波の被害という未曽有の災害に見舞われている中、アナウンサーとしての役割を全うする。
緊急時ながら、その姿にわたしまで勇気をもらい、胸が熱くなったのを覚えています。

その時、アナウンサーは「情報を伝えること」はもちろん、いざという時に「視聴者の命を守る言葉の技術も持つ職業」なのだということを知り、大変な仕事なのだなと思うと同時に、より一層憧れが強くなりました。

その時から、将来の夢が「”命を救う報道が出来る” アナウンサー」になりました。

大学生になってすぐにアナウンススクールに通い始め、発声、ニュース読みの練習などに励みましたが、練習が報われず挫折することばかり。

「自分はアナウンサーには向いていない、諦めようかな」と何度も何度も思いました。

そんな時、いつも気持ちを奮い立たせてくれたのは、記憶の中の震災時のアナウンサーの皆さんの姿です。初心に戻り、意を決して臨んだ学生キャスターのオーディション。
合格の一報を受けたときは、本当に嬉しかったのを覚えています。

その経験を糧にアナウンサー就職活動へ。
そこでも多くの挫折をしましたが、結果としてアナウンサーを目指した原点ともいえる、東北・宮城県のアナウンサーとして、今働いています。

私がアナウンサーとして仕事をする上で大事にしていることの一つに、
「過去を、当事者を、自分の事のように感じて伝える」というテーマがあります。

”震災当時に宮城県で被災をしていない私が、被災された方の気持ちを代弁して良いのか”
震災関連のニュースを伝えるときにいつも悩むことです。
そんな時は上記の思いを胸に、宮城県のアナウンサーになった自分だからこそ伝える責務があるのだと、気持ちを奮い立たせています。

これからのアナウンサー人生も多くの困難があると思いますが、どんな時も初心を忘れず、宮城県のアナウンサーとして役割を全うしていきたいです。

長くなりましたが、ここまで読んでくださりありがとうございました。

明日は、佐藤アナウンサーです。

牧 広大

2021/07/21

声を使う職業に就きたかったこと、放送局に憧れがあったこと、この二つがきっかけでテレビ局のアナウンサーを目指しました。
目指し始めたのは、大学3年生の時。就職活動でいろいろな職業を見たときに、自分の声で勝負するアナウンサーという職業を見つけ、やってみたいと思うようになりました。そこから試験を受けるための準備を進め、ニュース読み、フリートーク、パネルトーク、模擬実況…、
今まで全くやったことないものが、すぐに上達するわけがなく、いろいろと悪戦苦闘しながら、日々練習していました。まわりは小さいころからなりたかったという人も多く、アナウンサー試験に向けていろいろ鍛錬して準備をしていて、目指す人たちのすごさに日々圧倒されていました。
もっと小さなころから自分の将来をしっかり考えておけばよかったと後悔しましたが、笑
なんとか今の会社に内定をもらい、無事にアナウンサーとして働くことができています。

先日バスケットボールの国際強化試合を実況させていただく機会を頂きました。Bリーグでは仙台の試合を喋ったことはあったのですが、代表戦は他の競技を含めて初。
少し…、いや、けっこう興奮気味に喋ってしまい(笑)、いろいろなミスをたくさんしてしまいました…
ただ日本のトップレベルの選手たちが集まり、目の前で精度の高い技術を見て話せたことはとてもいい経験になりました。自分の中では今回できなかったことのほうが多いですが、今回得たこの経験を今後のバスケット実況はもちろん、他の競技や仕事に活かしていきたいと思います。

社会人、そしてアナウンサーになって7年目、まだまだたくさんミスはしますし(自分の力量の問題もありますが笑)、バスケットだけではなく、知らないことも多くあります。
どんな仕事でもそうかもしれませんが、アナウンサーという仕事も、日々進化し、終わりがない仕事。だからこそ面白いと感じる部分もあれば、日々勉強していかないといけない職業と常に感じます。

写真は日本代表戦の時の様子。利府町にあるセキスイハイムスーパーアリーナで行われました。毎年春高バレーの県大会で使われる体育館でもありますが、国際試合ということもあって、いつもとはまた違った雰囲気が出ていました。

続いては西ノ入アナウンサーです。

梅島 三環子

2021/07/20

何を書こうかと考えたのですが、昔のことを思い出すと、なかなか恥ずかしいです…。

小さなきっかけは色々あったと思いますが大きかったのは中学校の面談の時、将来の夢を聞かれて咄嗟に答えたことによるものが大きかったと思います。
「無い」というのも悔しいし、私の理科の点数では幼いころからの夢だった「獣医になりたい」とは口が裂けても言えず(笑)。
頭が真っ白になった時、何となく頭の中にあった「アナウンサー」という言葉が出たのだと思います。笑い飛ばされるかと思いきや、先生から思いもよらず夢の後押しをするような言葉をかけてもらい、まんざらでもなくなって今に至っています。
もちろん目指した理由は、しっかりありますよ。きっかけというだけです。

大学の面接でも、将来の夢を聞かれ、行きたいテレビ局やその理由まで聞かれて、大学の試験なのか就職試験なのか、わけがわからない状況でした。
私にとって当時は叶うとも思っていなかった「夢」について語るのは恥ずかしいことでしたが、案外口に出してみると励ましてくれる人も多く結果よかったのかなと思っています。

将来の夢でさえも、何がきっかけになるかわからないものですね。

写真は、「ともに」の取材で伺った東松島市の水耕栽培されたメロン。
試験栽培とは思えない素晴らしい出来でした。

明日は、牧アナウンサーです。

金澤 聡

2021/07/19

『マスコミ講座 ~アナウンサー・マスコミ・広告代理店を目指す学生へ~』

大学3年生の春。学生証更新のため大学の窓口を訪ねたとき、上記の1枚のポスターが貼ってありました。最初は全く気にも留めずにただぼんやりと眺めていました。大学生活も折り返し、人生のモラトリアムもあと2年。自分探しの旅に決着付けて、就職含め将来のことを考えないといけないと思っていました。
そんな時に、あのポスターが視界に入ってきたのです。

なんとなく眺めていたポスターを、いつの間にか前のめりで凝視。
『マスコミ講座』に入れたらアナウンサーを目指してみようと、急に心にパッション。
自分の脳に刻むメモ書き。
(変なラップ調になってしまいました…すいません)
“マスコミ講座を受講するには、試験と面接を受けないといけないらしい”
“試験と面接はスーツを着ていかないといけないらしい”
“試験申し込み期日はきょうまでで、試験は3日後!”

慌てて窓口で申し込み、そして、友達に電話してスーツを借りに行きました。
試験勉強も面接対応もできず、あっという間に講座試験日が来ました。筆記試験はボロボロ、面接は緊張しすぎて何をしゃべったか分からないほど散々なものでした。

が、
なぜか合格し受講することになりました。

講座を受けるようになってからは、アナウンサーになる事を人生の目標に掲げて、自分なりに精一杯努力したように思います。スマホもネットもない30年も前の出来事。あの時ポスターを見ることがなかったらおそらくアナウンサーにはなっていないと思います。
偶然か、必然か。人生の転機はどこにあるのかわかりませんが、これだから面白いと言い聞かせてます・笑

次は梅島アナウンサーです。

高橋 咲良

2021/07/16

きょうから、新しいお題です!
仙台放送アナウンサー陣の「アナウンサーを目指したきっかけ」をそれぞれ綴っていきます。何だか、就職活動をしていた時期を思い出すお題です。笑

私がアナウンサーを目指すきっかけになったのは、小学生の頃友人に言われた「アナウンサーみたいだね」という言葉でした。小さい頃から人前にたって話すことがとても好きで、司会や、発表者をすすんで引き受けていた私を見て、友人が何気なく言ってくれた言葉でした。とても嬉しかったです。

そこから、アナウンサーという仕事を意識するようになり、憧れを抱いていました。しかし、自分には無理だと思い、本気でアナウンサーを目指すことはありませんでした。ただ、心の片隅にはずっと、友人に言われた「アナウンサーみたいだね」という言葉がありました。

それから十数年が経ち、自分が将来どんな仕事に就くか真剣に考え始めた大学3年生のころ。自分の得意なことを生かせて、楽しいと思える仕事がしたいと思った時、真っ先に浮かんだのがアナウンサーという仕事でした。
厳しい倍率の中を勝ち抜かねばならない難しい試験だと分かっていましたが、1度しかない人生、後悔しないよう挑戦してみようと自分を奮い立たせ、アナウンサーを目指すことを決めました。
そして幸運にも、こうしてアナウンサーとして働くことが出来ました。
あの時の友人の何気ない一言が、こんなにも自分の人生に影響を及ぼすとは…思いもよりませんでした。アナウンサーという仕事にめぐり合わせてくれた言葉に、感謝しています。

続いては、金澤アナウンサーです!