西ノ入 菜月
2021/03/15
私がアナウンサーを目指そうと決意したのは、東日本大震災がきっかけです。
10年前のあの日、私は中学3年生で、兄とともに埼玉県の実家にいました。卒業式を間近に控え、短縮授業で早めに帰宅し、ゆっくりしていたら突然の激しい揺れが襲いました。埼玉でさえ立っていられないような非常に激しい揺れで、家が軋むような音と共に物が倒れました。
あまりの恐怖で身体が動かず、揺れが収まってから飛び出そうなほど波打つ心臓を感じながらテレビをつけて、ニュースを確認し…。そこで初めて、東北が一番の被害を受けたことを知りました。
その時、東北にいなかった私でさえあまりの恐怖に震えていたのに、東北各地のアナウンサーが代わる代わる冷静に的確に状況を伝えている姿を見て、「命の危険にあった中でも、自分の使命を果たしているアナウンサーのみなさんはなんて勇ましいのだろう」と感じ、いつしか憧れに変わりました。
その時に抱いた思いを、今は自分が、力強い使命をもって宮城のみなさんに伝えていきたいです。そのためには、気持ちだけではなく技術力も伴わなければ話になりません。有事の際に、宮城のみなさんに信頼して情報を聞いていただけるよう、東北のアナウンサーとして日々精進していきます。
写真は石巻の復元船サン・ファン・バウティスタ号です。老朽化のため、原寸大の船は2021年3月末で解体されることが決まっていますが、復興のシンボルとして力強く大海原を臨むその姿からは、勇気や希望を感じます。形だけではなく、心の復興を目指して。
明日は伊藤アナです。