アナ・ログ

ゴールデンウイーク

寺田 早輪子

2009/04/27

「社会人になって初めてのゴールデンウィーク」。1999年のゴールデンウィークは、青森のテレビ局に入社して、まだ1カ月しか経っていなかった私にとって「毎日、発声練習をしているのに、休んだら台無しになるのでは……」という『恐怖』感の中、迎えた連休でした。

恐怖を抱きながらでは、旅行や観光に出かける気にもならず、アパートにずっとこもっていよう!…と思っていました。

そんな私の気持ちを察したのか、福島から父、母、弟が、車で青森に遊びに来ることに…。

初めての一人暮らしで、少しばかり寂しかった私。東北の南端・いわきから東北の北端・青森まで、車で大移動してきた家族が到着し、6畳二間のアパートに家族4人が揃った時は、狭かったけれど、何だか…、気恥ずかしいような…、心弾むような…、そんな気持ちになったのを思い出します。

「弘前城の桜を見に行こう!」とか、
「美味しい回転寿司を食べに行こう!」とか、
「岩木山を眺めてみよう!」とか、短期間で青森を満喫しようとしていた我が家族でしたが、初日に、弟が、つまみ食いしたホタテの貝ひもにあたったらしく、ダウン。

結局、私のアパートで、弟はずーっと寝込んでしまい、母は看病、私と父は、薬や食材を買い出しに…。
場所が「いわき」から「青森」に変わっただけで、「何もしない連休」となりました。

それでも、その翌年の夏、父が病気で亡くなったので、あのゴールデンウィークは貴重な、貴重な家族だんらんの時間になったな…と思います。

考えてみると、大人になってから、父と二人きりで車に乗ったり、スーパーで買い物したりしたのは、あの時が最初で最後でした。帰りに、二人でソフトクリームを食べたっけ…。

特別なことは、本当に、何もしなかったゴールデンウィークでしたが、思い出は深く心にしみています。

★写真は、アナウンス部に仲間入りした飯田菜奈アナウンサーの歓迎会です。サイズが小さ過ぎて、申し訳ございません!!設定を間違えました(;▽;)
しかも、…寺田はどこに写っているでしょうか??

続いては…、ゴールデンウィークも、お休みなしで「スーパーニュース」にご出演!
佐藤拓雄アナウンサーです!

春といえば

寺田 早輪子

2009/04/16

「ハルばあちゃん」。
明治35年生まれの、私の祖母は、名前が「ハル」といいます。

秋田県大館市の「曲げわっぱ」を作る家に生まれ、結婚して鷹巣町に…。私の父は、ハルばあちゃんにとって、五人目の子供でした。

14年前、ハルばあちゃんは、94才で天国に…。

私が幼稚園に上がる頃、ハルばあちゃんは、家の中で転んでしまい、それからずっと寝たきり状態でしたが、とても小さな、かわいらしいおばあちゃんでした。体の大きさもそうですが、話す声も小さく、いつも微笑んでいた思い出があります。


時々、ハルばあちゃんは、病院のベッドの上で、手をひっくり返す動作をしていました。のちのち、母に聞いたのですが、ハルばあちゃんは、若い頃、趣味で、よくお煎餅を焼いていたそうで…。きっと、お見舞いに行った私にお煎餅を焼いてくれていたのでしょう。


ハルばあちゃんの介護は、嫁にあたる私の母が、一手に担っていました。
寝たきりが長く続き、認知症の症状も出てきた頃、ハルばあちゃんが、私に、こっそり言った言葉があります。

「あなたの母さんには、本当に申し訳ない。感謝しているよ。本当に良くしていただいて…。あんたの母さんは、本当にすごいよ。」

孫の私の名前が思い出せない様子でしたが、病床のハルばあちゃんと、きちんと会話を交わしたのは、それが最後だったと記憶しています。

仕事をしながら、介護を続けた母。
感謝の気持ちで最期を迎えたハルばあちゃん。

二人のような優しい気持ちを、私も持って生きていきたいと思います。

★写真は、本格的な春が来る前に…、
 冬に撮れたナイスショットを載せちゃいます!
 (青根温泉にて)


続いては…、新番組「あらあらかしこ」!頑張っています!原アナウンサーです!

デビュー

寺田 早輪子

2009/03/25

 私のデビューは、1歳の時。
両親が共働きだったため、私は1歳の赤ちゃんのころから保育所に通っていました。
家族以外の人々と接する、いわば「社会」へのデビューが、1歳でした。

 いわき市鹿島町の「ひまわり幼児園」。私の『第二の実家』です。
『第ニの母』は園長の長久保由美子先生。
私は「ひまわり幼児園」入園第1号でした。

 私が小学校に上がる時、長久保先生に渡されたノートがあります。
それは、長久保先生が、私が入園してから毎日、撮ってくださった写真を貼り、その日の出来事を手書きで綴ってくださったもの。

 朝の8時から夜7時まで仕事をしていた母は、このノートのおかげで、赤ちゃんだった私の一日が手に取るように分かったに違いありません。

 印象深いのは、お昼ごはんが『お子様ランチ』だった、私が3歳くらい?のある日のメモ。

『サワちゃんは、どうしても「お子様ランチ」と言えず、「おこさらまんち」と言う。
「お子様ランチだよ!」と教えても、「お・こ・さ・ら・ま・ん・ち!」と元気に返される。』

 長久保先生…、そんな早輪子も、アナウンサーになれました。

 第1号の私の入園から30年。
「ひまわり幼児園」も、この春で閉園するというお便りが届きました。

 長久保先生!お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。
母は時々「仕事ばかりしていたから、早輪子には寂しい思いをさせた」と話すことがありますが、「寂しい思い」なんて、本当に記憶がありません。

 それもこれも、何もかも、やさしく包んでくださった長久保先生のおかげです。
心から、ありがとうございました。

★写真は、3月13日(金)、東京・お台場での「FNSアナウンサー大賞表彰式」。
「ナレーション部門 ブロック賞」受賞しました!!
隣りは、番組部門で受賞した新潟総合テレビ・市野瀬瞳アナウンサーです♪

あすは、板垣アナウンサーです。板垣さんのアナウンサーデビューは…、良かったよ~。新人アナとは思えない落ち着いた雰囲気が、良かったよ~!

合格発表

寺田 早輪子

2009/03/17

父が泣いている姿を見たのは、後にも先にも、あの日が最後でした。
高校の「合格発表」の日。
その日、合格者氏名が貼り出された掲示板を見に行く前に、同じ高校を受験した友達から「早輪子の名前も、あったよ!合格したよ!」と電話がありました。

「お母さん、お父さん、私、受かったって。」

電話を切った私がそう言うのを聞いて、驚き半分、笑みを浮かべた母。
一方、父は、笑顔でスッ…と、隣りの部屋に…。

泣いていたのです。
なぐさめに行った母は「良かったね。良かったね。」と声をかけていました。

こっそり覗いた隣りの部屋で、父は、笑いながら、顔を真っ赤にして、びっくりするほど泣いていました。
入試後の自己採点の結果が思わしくなく、「落ちたかも…」と意気消沈していた私以上に、両親は落ち込んでいたので、余計に、うれしかったのでしょう。

ただ、生まれてきてそれまでに、「泣き笑い」「うれし泣き」「男泣き」して、喜びを表現する父を見たことがなかったので、やはり、父のその表情は驚きでした。

私の父は、日常の9割を「怒」の表情で生きているような人でした。「喜怒哀楽」の「怒」。
眉間にしわを寄せて、口数も少なく、私がわがままでも言おうものなら瞬間湯沸かし器のように怒る。…今、思えば「極度の照れ屋の照れ隠し」なのでしょうが…。

 当時の父は50歳になったばかり。今、父と同じように仕事を持ち、働くようになって、父の「泣き笑い」の意味が分かるような気がします。

「働く」ということは厳しく、ストレスも溜まる。
思い通りに行くことは少なく、本当は夢もあったのに…。
色々な思いを抱え生きる日常の中で、「長女が志望校に合格した」ことは、50歳の父にとって「泣き笑い」してしまうほどのニュースだったのだな……と。

 今年も、高校「合格発表」のニュース取材をします。
思い出してしまうのは、父のあの「うれし泣き」。
 父が亡くなって、もう8年になります。でも、今でもあの表情は鮮明によみがえります。

 さては、あすは、つい最近、仙台放送・アナウンサー採用試験の「合格発表」で、ドキドキを味わったばかり!広瀬アナウンサーです!

一番緊張したこと

寺田 早輪子

2009/02/20

今回のテーマは『一番、緊張したこと』!
トップバッターで緊張します…、寺田です。( ̄▽ ̄;)

「寺田さんって、緊張したことないでしょ?」と、
子どもの頃から言われ続けている私。

 でも、実は、誰にも言っていませんが、私、小さな物音にも「ビクッ!!」としてしまう「びびりちゃん」です。

 アナウンサーの仕事でも、コンサートや講演会の司会など、大勢のみなさまの前に出る仕事は、一番緊張します。

 緊張し過ぎで失敗したことも…。

 では、『本当にあった寒い話』…。

 その事件は、入社一年目の新人時代、青森県黒石市で、夏に毎年開かれる 日本三大流し踊りのひとつ『黒石よされ』の会場で起きました。
「組み踊り」コンテストの司会を務めることになった私。ピンクの浴衣を着て、舞台そででスタンバイ。

 本番5分前…、手のひらに汗が、じわ~~~。下駄を履いた足もガクガク~~。
 そして、本番!私は、元気良く舞台中央に飛び出しました!!
「みなさん、こんにちは!!!」

………シーン。
お客様の反応、ナシ。

……クスクス!
しかも笑い声まで聞こえてくる始末!

(なんで!?)←※私の頭の中の声

 すると、最前列のおじいさまが叫ばれたのです。

「あんた。マイクは?」

 緊張しすぎて、マイクを持たずに、舞台上に走り出てしまったのでした!!!
 会場のお客様から見れば、舞台上の私は、口パク状態だったのです…

 急いで、舞台そでに戻り、マイクを持って、また大勢のお客様の前に…。

 はずかしいー。今、思い出しても、はずかしー。
冷や汗が出ます。

 緊張のし過ぎには、皆様、十分ご注意ください。


★写真は、いよいよ明日放送の特別番組収録中の一コマ。早坂アナと私です!!
東北の昭和を、イケメン俳優・半田健人さんと旅する番組「わがまま気まま旅気分!君恋し 探して昭和…」早坂アナと私が、半田さんをナビゲートしました。

 放送は、仙台放送で、あす 2009年2月21日(土)午後1時30分~ です。ぜひ、ご覧下さい!!


 続いては、金澤アナウンサーです!
金澤アナが緊張されているところは、お見受けしたことがないですけれど…。

私の最新ヒットソング

寺田 早輪子

2009/02/06

「最近、流行っている曲でよく聞くのは?」と聞かれると、…うう~ん。
頭を抱えてしまいます。
1976年。「ピンク・レディー」のデビューとともにこの世に生をうけた私。『ペッパー警部』『透明人間』『UFO』などを歌いまくり♪踊りまくり♪。赤い半透明の「ソノシート」は折れ曲がるほど聞き倒しました。
私は「昭和の歌謡曲」が大好きです。特に、70年代後半以降の歌謡曲が大好き。カラオケの十八番は、石川さゆりさん『津軽海峡冬景色』、テレサ・テンさん『つぐない』、都はるみさん『北の宿』、大川栄策さん『さざんかの宿』、八代亜紀さん『雨の慕情』…。
 そんな「昭和な私」ですが、最近、iPodの操り方を覚えまして…。小粋な軽快ソングを聞きながら通勤するのが毎朝の楽しみとなっております。
 中でも、リピートをかけて何度も聞くのが、Perfumeの「ポリリズム」です。歌詞にある「プラスチックみたいな恋だー♪」というのは、アラサーの私にはちょっと新しすぎる感覚ですが…、テンポが良い!リズムが良い!早歩きにちょうど良いのです。
 私の家から会社までは、音楽を聴かずに歩くと、25分~30分かかるのですが、「ポリリズム」を聞きながら歩くと、…あら!不思議!15分~20分で会社に到着!冬でも、少し汗ばむくらいで、良い運動になっています!

★写真の真ん中は、昭和の歌謡界に造詣の深いイケメン俳優・半田健人さん!
東北の昭和を半田さんと旅する番組『わがまま気まま旅気分!君恋し 探して昭和…』ロケの一場面です。早坂アナと私が、半田さんをナビゲートしました。
放送は、仙台放送で2009年2月21日(土)午後1時30分~、
BSフジでは2009年2月21日(土)正午~です。ぜひ、ご覧下さい!!

続いては、原アナウンサーです!
原アナの十八番は、岩崎良美さんの「タッチ」ですよね!

寒い日のお仕事

寺田 早輪子

2009/02/03

真冬の海に潜ったことはありますか?2005年1月。この年の私の仕事初めは、スーパーニュースの「潜水取材」でした。潜った場所は、冬のダイビングスポット・宮城県南三陸町の志津川湾。水深10mのポイントで、冬にしか見られない「ダンゴウオ」を探すという企画でした。

「ダンゴウオ」とは、体長2cmほど、コロコロと丸くてかわいらしい魚です。透けるような赤い体は、まるで、イチゴゼリーのよう。図鑑で、初めて見た時は、ドラクエの「スライム」を思い出しました。ダイバーの間では「海底のアイドル」と呼ばれるほど、ファンの多い魚で、ダンゴウオに会うためだけに、関東地方などから来る方もいらっしゃいます。

…しかし、正月が明けたばかりの海水温は約10度。夏の「ウェットスーツ」では、とてもじゃないけれど寒いので、セーターを着て、フリースを着て、その上に「ドライスーツ」を着込んで潜ります。フードもしっかり被るので、「もじもじ君」状態に…。

気合を入れて、海の中へ!…潜ってしまえば、「水温10度」は意外と温かい。だって、船の上…、つまり、外気温が「1度」なのですもの…。
ただ、ドライスーツは着ていても、むき出しの「顔」が切れるように痛い…。寒すぎて(痛すぎて)レギュレーターをくわえた唇は、通常の2倍くらいの「ポッテリ唇」に…。

これだけの思いをしたのに…、普段の行いが悪いのか、結局、私は「ダンゴウオ」に会えませんでした。志津川のこのポイントで「ダンゴウオ」に会えないことの方が珍しいそうです…。それでも、体長6センチほどで、オレンジ色、口が「ニュー」と伸びた「クチバシカジカ」の撮影には成功!とてもかわいらしかった。真冬の海で見つけた、温かく、小さな灯火のようでした。

暖かい南の海でのダイビングも大好きですが、寒い日の冷たい海の中でしか見られない光景に…、「ダンゴウオ」に、機会があったら、気合いを入れなおして、また会いに行きたいです。

★写真左は私。真ん中はジュニくん。右は早坂アナ。この『記念撮影ボード』は、青葉区上杉5丁目の仙台放送本社1階「アゴラカフェ」にございます。遊びに来てね!

続いては、写真右の早坂アナウンサーです!

かつてお年玉で買ったもの

寺田 早輪子

2009/01/08

 私が「お年玉」で買ったもの。ぬいぐるみ…、バービー人形…、洋服…、あれやこれやこと買いました。そう、私は自他ともに認める浪費家。大人になった今でこそ、反省し、倹約を心がけていますが…。子供の頃はひどかった。
 
 「お年玉」で思い出すのは、私とは真逆で子供の頃から倹約家だった弟のこと。
弟がお年玉で好きなものを買っている場面を、私は見たことがありません。
 弟は、お年玉を全額貯金していました。私は、その様子を、毎年「何で???」と、頭の中に「?」マークが付きっぱなしの状態で眺めていました。

 一度だけ、貯まったお金で、ファミコンのソフトを買っていたのを見ました。本当に欲しいものができた時に、どん!と買うのです。
 そんな弟は、子供の頃、私とケンカをして負けた時、必ず、泣きながらこう言っていました。
「大人になってお姉ちゃんがお金に困っても、お金、貸してあげないぞ!」
…何だか、すごいケンカですね…( ̄▽ ̄ )
 
 そういえば、弟は、耳たぶが大きい『福耳』。「福耳の人はお金が貯まる」と言いますが、「本当だ」と私は思います。
ちなみに、私の耳たぶは異様に小さい…。
…う~ん…、ちゃんと貯金します。

☆写真は今年の干支でもある「うし」。とても味の良い「仙台牛」と私。私の頭の上に「牛の角」…、ではなく、「指」を出しているのは佐藤拓雄アナウンサーです!
 続いては、板垣アナウンサーです。板さんは、浪費家?倹約家?

2008年総決算

寺田 早輪子

2008/12/29

2008年。今年は様々な場面で、自然の持つ力、人の生きる力の強さを思い知らされました。
6月の岩手・宮城内陸地震。栗駒山の土砂崩れは「崩れる」というより、「山があちらこちらで、大規模に、下にずれ落ちた」状態。道路が地割れした現場の取材では、分厚いアスファルトさえも引きちぎった地震のパワーに、身震いしました。

栗駒山の中腹にある栗原市耕英地区、秘湯の温泉場もある花山地区には、現在も避難指示が出ています。自宅に戻れず、仮設住宅で生活をする住民は163人に上ります。
地震から半年となった今月14日。仮設住宅に、妻と子供3人と住む50代の男性は、私の取材にこう応えてくださいました。「今日の栗駒山はすごく大きく見えた。山に負けないように、復興に向けて頑張りたい。」職を失い、家に帰れない状況でも、笑顔を見せてくれたその男性から、私はパワーをいただいた気がしました。
「どんな逆境にあっても負けない」強い力を、私も持って歩いていきたいと思います。

来年は、丑年です。地震で断水が続いた栗原市花山の小豆畑地区では、飼われていた肉牛も被災しました。十分な水を飲めない日もありましたが、今、その牛たちも強く、大きく育っています。地震後に生まれた子牛が、先日の取材では、キラキラした瞳でカメラを見つめていました。
地震で傷ついてもなお、大根やトマト、そして温泉など、山の恵みをもたらし続ける栗駒の自然。その自然の中で復興に向けて頑張る人たち、動物たち。
迎える2009年。私もみなさんのように、強く歩いていこうと思います。

★写真は、今年も多くの時間、ナレーションの収録のためにこもった「アナブース」で。今年も時を刻んでくれた私のかわいい「ストップウォッチちゃん」と、2008年最後の「どアップ」です。

今年も一年、仙台放送をご覧いただき、ありがとうございました!来年も、スーパーニュースでお会いしましょう!!

クリスマスソング、私はこの一曲

寺田 早輪子

2008/12/08

前回のアナログでは、風邪ひきアナウンサーの私へ、お見舞いメッセージをいただき、ありがとうございました!おかげさまで、全快いたしました!うがいを一日5回しています!
 さて、クリスマスソングといえば、やっぱり、これですよ!『ビング・クロスビー』!
ビング・クロスビーは、1930年代~1970年代のアメリカで、俳優・歌手として活躍された大スターです。
私より、私の父母世代のみなさまの方がより詳しく、その魅力をご存知のことでしょう。
まさに、古き良きアメリカ。
私が持っているCDアルバムは、学生時代に購入したもので、15曲入りです。
「The Christmas Song」は恋人同士で…。「Jingle Bells」は小さいお子さまがいらっしゃるご家族に…。「Let It Snow, Let It Snow, Let It Snow」はクリスマスのご馳走を召し上がりながら…と、いずれの曲も、暖炉にあたっているかのように心を温めてくれますよ。
子供の頃は、父がレコードを持っていて、クリスマスの夜にかけてくれました。そうした思い出もあって、温かい気持ちになれるのかもしれません。
クリスマスの雰囲気を盛り上げてくれるビング・クロスビーの歌声。ぜひ、お聞きください。

★写真は、去年のクリスマスに、一緒に居酒屋で楽しく過ごした早坂牧子アナウンサーと。「真っ赤なお鼻のトナカイさん」をイメージしています。

 お次は、同じく、去年のクリスマスに、一緒に日本酒を飲んでいた梅島三環子アナウンサーです( ̄▽ ̄ )

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