アナ・ログ ~アナウンサーリレーエッセイ~

夏が始まった

堤 勇高
2024/07/10
4月から夕方のニュースで天気コーナーも担当しています。
当然気温についてお伝えする機会も増えました。

つい数週間前まで「明日は夏日(最高気温25度以上)になります。暑くなりますね。」と話していた記憶があるのですが、あっという間に真夏日(最高気温30度以上)予報をお伝えする日が多くなりました。

幼い頃の記憶では春→梅雨→夏と季節が移り替わる印象でしたが、今は春→夏→梅雨→夏のイメージです。
単に子ども時代の私の季節認識がざっくりしすぎていた可能性もありますが、夏の始まるタイミングが早まっていること、そして「ちょっと暑いけどカラッと爽やか」な初夏の範囲は非常に狭くなっているように思います。

そんな子ども時代の夏と言えば毎年のようにカブトムシやクワガタを飼っていたことを思い出します。
今の子どもたちにも人気なのでしょうか?
そもそも今でも捕まえに行けば簡単に手に入るのでしょうか?

カブトムシより圧倒的にクワガタが好きだった私は、夏になると捕まえたりもらったりしたクワガタを箱が透明なタイプの虫かごに入れてひと夏の間飼っていました。
エサのゼリーを取り替えたり、クヌギマットを取り替えたり、時には興味本位で指を挟ませてみたり……
犬のように散歩したり猫のようになでたりはできないのですが、見ているだけでテンションの上がる不思議な魅力がありました。

小学校高学年に入ったあたりから飼わなくなったと思いますが、今でも夏と言えばで浮かんでくるイベントの一つということは、歴代クワガタ・カブトムシたちとの夏の日々は当時も相当心躍っていたのだと思います。

写真は梅雨時期らしい曇り空を仙台放送本社から撮ったものです。
雨は降っていませんでしたがあまりにも「らしい」空だったので写真に収めました。

次は飯田アナウンサーです。

憧れます

堤 勇高
2024/06/27
英語を流暢に話せる人に憧れます。

海外に住んでいたことも、英会話教室に通ったこともないので、英語のレベルは「大学受験に向けて勉強した」程度です。
その中でも英語の「読み書き」とリスニングは頑張ったのですが、受験にあまり関わらないスピーキングはおざなりに。海外旅行は英語の得意な友人の後ろで隠れるように巡っていました。

さて先日、七北田公園で開催された「Pokémon GO Fest」の取材に行った際のことです。
会場には県内外を問わず多くのファンが駆けつけ、海外から来た方も非常に多くいました。

次々とインタビューをしていく中で、ついにカナダから来たという海外ファンにインタビューすることに。
「どこから来ましたか?」や「仙台はどうですか?」など簡単な英語で何とか質問をし、その方も(おそらく気をつかって)聞きやすい英語で答えてくれていました。
そして「お気に入りのポケモンはなんですか?」という質問をしようと、頭の中で文章を練って投げかけたとき、一瞬相手の返答が遅れた気がしました。

「パッとは出てこなかったのかな?」と当初は思っていましたが、改めて質問の文章を思い返したところ……

お気に入りを意味する「favorite」という単語を間違えて「famous」と言っていたのです。
日本語にすると「あなたの『有名な』ポケモンはなんですか?」というなんとも意味の分からない質問です。

自分の英語が中学レベル以下にまで落ちてしまっていることを痛感させられました。

最終的には相手が「favoriteってことだよね?」と意図をくみ取ってくださりインタビューは無事終了しましたが、非常に恥ずかしい思い出となりました。
英会話、習おうかな……。

写真はそんなPokémon GO Festの取材関連で、街中を歩くラプラスです。
陸上をよちよち進むラプラスはなかなか新鮮で可愛かったです。

次は飯田アナウンサーです。

雨の日どう過ごす?

堤 勇高
2024/06/13
休みの日の過ごし方としては、あまり雨が降っているかどうかに左右されません。
降っても照っても家でダラダラしますし、買い物に行くとしても地下鉄か車を使って出かけるので雨の影響なしです。(仙台駅前のアーケード街が発達している恩恵、受けまくってます)

比較的強い雨であっても「いつも通り」の生活スタイルです。

一方で特に仕事の日。
雨が降ると、できるだけ車道から離れて過ごします。(これは「過ごし方」なのか?という話には目をつむっていただいて……)
これまで通勤中、帰宅中、取材中、ロケ中とありとあらゆる場面で車に水たまりの水をかけられてきたからです。
車道にできた水たまりを車が通過するときにバシャっと水が飛んでくるアレです。
被害妄想かもしれませんが車のルート的に「わざとやったんじゃないの!?」と思う場面すらありました。

ロケで締めのリポートを撮影している際に水をかけられ、あと1場面だけなのに私の「乾き待ち」で皆さんをお待たせしたこともありました。

そういう「体質」なので雨の日は道を歩くと車道に水たまりがあるかないかと車のルート取りに細心の注意を払っています。

写真は雨と正反対、快晴の空と県庁です。
あまりの晴れっぷりに太陽光をうまく処理できず、光の線が入っています。
この爽やかで過ごしやすい気候のまま9月あたりまでいってほしいものです。

次は飯田アナウンサーです。

言葉にまつわる話

堤 勇高
2024/05/30
日々様々な言葉に触れていなければいけないと感じます。

大学時代は中国語を習っていました。
習得できたのは簡単な文法など初歩中の初歩でしたが、単語や読み方などいろいろと覚えていきました。
卒業から数年、残念ながら中国語と向き合う機会はなく(そもそも日本語と向き合うのに精いっぱいで)中国語を読んだり書いたりすることはありませんでした。

先日、ふと目にした中国語の文章を読もうとしてみたところ、意味も発音もほとんどわからず……
一応勉強してきた言語がごっそりと頭から抜け落ちていることに多少のショックを受けました。

同じように日本語も使っていないものはどんどんと頭の中から消えていくのかなと思います。
実際にスポーツ実況をしていても、各競技によって特有の表現方法(競技する場所をグラウンドと呼んだりコートと呼んだりピッチと呼んだり……)がありますが、しばらくその競技をしゃべっていないとすぐさま適切な表現が出て来なくなってしまいます。
そもそもグラウンドもコートもピッチも日本語ではないですが、報道の現場でも、食リポの現場でも同じことが言えると思います。

ですので、日ごろからなるべく表現方法が偏らないように注意しています。対象を言い表すときに最適な言葉はどれか?ということを考えるようにしています。
加えて、他の人はどういう表現をしているのかにも注目し、バリエーションが増えるように気を付けています。

そこで今回の写真です。
仙台駅前ですがあまりにもきれいな夕焼けで、写真に収めました。
表現するならば青とオレンジのコントラストが、こう……まさに……どことなく……
要修行です。

「言葉にまつわる話」は私がアンカーでした。
次回からは新しいお題、寺田アナウンサーからスタートです。

昭和

堤 勇高
2024/05/02
1円から500円までの硬貨には製造年が刻印されていて、いつ製造された硬貨かそれを見ればわかります。その製造年によってはコレクターの間で本来の値段以上の価格で取引される「プレミア硬貨」になるんだとか。

そんな硬貨、昭和○年と刻まれたものが随分と減ったなと感じます。私が子どもの頃、良く光るきれいな硬貨を見ると「あ、平成のやつだな」と思って確認していました。ぴかぴか光る硬貨に惹かれていたのです。ただ、当時は半分以上が昭和に製造された硬貨(私の体感ですが)で、平成のものを私の中でレアもの扱いしていました。

そのころから比べると、今は平成の硬貨が大半を占め、令和の硬貨がちらほら。あのころに比べると昭和の硬貨は格段に少なくなっている気がします。先ほど私の財布の中を確認したところ昭和製造の硬貨は2枚しかありませんでした。
500円玉はすでに新デザインに変わっていますが、数十年後には昭和製造の硬貨というだけで価値が上がるほど希少なものになっているのでしょうか。大事に保管しておいたらどうなるのかな?とふと思います。

写真は先日取材した南三陸町の「海の見える命の森」からとった景色です。
津波からの避難場所として整備されたこの場所からの景色は、あいにくの天気でしたがそれでも圧巻でした。

次は梅島アナウンサーです。

春と言えば!

堤 勇高
2024/04/12
春が旬の食べ物はとても多いですが、私としてはタケノコに特別な思い入れがあります。

子どもの頃、春になると毎年タケノコ掘りに行っていました。地域の集まりがあり、その中の一人が持っている土地の竹林で毎年行われていたイベントです。竹林の中を、足元をよく見ながら歩き回っていた風景はよく覚えています。

タケノコを掘る作業自体は非常に簡単でした。地面から頭を出しているタケノコを探し、その周りを小さなスコップで掘っていきます。タケノコのほぼ根本まで見えた段階で大きなシャベルを使い、てこの原理で掘り出して一丁上がりといった具合です。

子どもの頃の私は、毎年とにかく大きなタケノコを探していました。参加した人の中で「一番大きなタケノコを掘った人」をとにかく目指していました。

毎年毎年タケノコの大きさを求め続けた結果、最終的に根元の方は緑になった「ほぼ竹」状態のタケノコを持ち帰っていました。
そんな状態のタケノコは当然可食部が少なく、食べられるのは先っぽの方だけ。料理に使える大きさで言うとむしろ普通のタケノコより小さいくらいでした。

子どもの頃の私はそれでも「一番大きなタケノコをとった」ことに満足していました。大人になった今なら、生えたばかりのタケノコの方が可食部の大きさも味も優れているとわかるのですが……。

掘ったばかりのタケノコを食べる機会は幼少期以来しばらくありませんが、そんな思い出も込みで、今でもタケノコは大好きです。

写真は春らしく桜です。西公園で撮ったものですが、かなり多くの花見客で非常に盛り上がっていました。欲を言えば天気がもう少し良ければ……と思いますが。

次は高橋アナウンサーです。

新年度 2024

堤 勇高
2024/03/27
今回から新しいお題「新年度2024」です。

年度末や新年度になると思い出すのが紅白餅です。
紅白饅頭とも呼ばれるあれです。

小学校や中学校では卒業式の日と入学式の日に学校で紅白餅が配られました。
多くの皆さんの通った学校でもそうだったと思います。

赤いお餅と白いお餅の2個セットで、大きさはこぶしくらい。中にはあんこが入っています。
それが熨斗や水引の描かれた箱に入っていて、「祝卒業」や「祝入学」と書かれていた記憶があります。

私はあの紅白餅が大好きでした。
柔らかいお餅と甘いあんこ。しかも大きさもなかなか。
あれをほおばったときの幸福感はたまりません。

学校で配られたという特別感もおいしさに拍車をかけたのかなと思います。
当然お菓子などを持っていくのはご法度、そんな学校でお餅が配られるというのはそれだけでビッグイベントでした。

そんな紅白餅、社会人になってからほとんど食べていません。
入学式や卒業式に関わる機会が取材以外にないので、当たり前ではありますが。

自分で買えば一発解決ですが、それは邪道な気がするので……。
次に紅白餅をもらうのは自分に子どもができて、小学校に入学したときになる可能性が高いですね。
その場合も食べるのは子どもか。

写真は福島県の観光スポット大内宿で食べたねぎそばです。
丸々一本のネギを箸の代わりにして食べる珍しいそばです。もちろんネギ自体も薬味としてかじれます。
紅白餅に夢中だった少年時代には食べられなかったであろう大人の味がしました。

次は飯田アナウンサーです。

東日本大震災13年

堤 勇高
2024/03/21
東日本大震災の発生から13年。
復興の中で、津波の被害を受けた沿岸部を中心に、今でも景色はめまぐるしく変わっていると感じます。
たった5年前に宮城に住み始めた私ですら「この前来た時とかなり景色が変わったな」と驚くことが少なくありません。

先日目にしたニュースにこんなものがありました。
「今の小学6年生の6人に1人が東日本大震災の起きた年月日を正確に書けない」。
時間の経過を強烈に感じたニュースでした。マスコミで働く身としては、あの日の出来事について、小さな子供にまで届けられていないことを反省しなければいけないと感じます。

今年1月1日には能登半島地震が発生しました。多くの方が亡くなり、多くの方が生活に不便を強いられています。連日のニュースの中では東日本大震災で得られた教訓が活かされた面と活かされなかった面が数多く報じられました。
避難の仕方、避難所の環境、現地の医療体制、復興に向けての動きなどなど……。

地震を「起きないようにする」ことは現状不可能です。
いつかまた大きな地震が発生した際「東日本大震災やその後の地震で得られた教訓がすべて活かされ、守れるはずの命がすべて守られた」という未来。これが私たちの目指すべき未来であり、発生から時間がたったとしても、ニュースで東日本大震災について伝える意義ではないかと感じます。

写真は今年の3月11日当日の気仙沼です。
風はあったものの良く晴れていて、午後2時46分には多くの方が黙とうを捧げていました。

次は千坂アナウンサーです。

最近こんなことしています

堤 勇高
2024/03/04
それほど頻繁というわけではないですが、最近ゴルフをするようになりました。

数年前に初心者向けのゴルフセットを買って以降、家で「熟成」させていましたが、最近ようやく日の目を見るようになっています。

その程度なのでもちろん技量は「初心者以下」の状態です。
その分打ちっぱなしに行くと、うまくボールが遠くにまっすぐ飛んだ時のうれしさが格別です。
もちろん何が良くて上手く打てたのかは不明です。

そんな、ボールが(なぜか)まっすぐ飛んで、(なぜか)遠くに飛んでいく爽快感が、他大多数を占める「爽快ではない」ショットを忘れさせてくれます。

何球か打っているうちに、頭から雑念がなくなり、無心で打つフェーズに入ります。
ある意味でゾーンに入るような集中の時間が過ぎていきます。

気持ちの良いショットのほかに、この無心の時間も最近ゴルフをやる理由となっています。

ただ、先日家に帰ったあとよく考えてみると、集中しているのは良いとして無心であることは果たして良いことなのかと気づきました。
何も考えずに打っていて一生上手くならないだろうと。

このままでは多分いつまでたってもカッコ悪いフォームのフニャフニャショットしか打てないことになりそうです。
コースに出て爽快なショットを打つことなど夢のまた夢。

今後はそうならないように気を付けながら上達していきたいと思っています。
あーでもないこーでもないと考えながら打つと、奥深さが魅力に思えるかもしれません。

写真は雪降る仙台駅です。
この日は風も強く吹雪のような状態。
駅舎の上にある「仙台駅」の文字にも雪がついて、オレンジから白になっていました。

次は高橋アナウンサーです。

寒さの話あれこれ

堤 勇高
2024/02/06
今年は暖冬と言われていますが、当然寒い日はとことん寒いですね。
数少ない雪の降った日などはなおさらですし、風が吹けばより一層です。

先日、スキー場に取材に行きました。
仙台市内の平野部でもまとまった雪が降った日で、雪不足に悩むスキー場や利用者の声を取材するという内容でした。

雪不足でクローズだった複数のコースを営業する目処がつき安心していたスキー場。
新雪で滑ることができて喜びの声が聴かれたスキーヤーとスノーボーダー。
まさに恵みの雪でした。

一方で平野部ではそれほどでもありませんでしたが、スキー場では風がとても強く吹いていて一時はホワイトアウト状態に。

私も万全の防寒対策はしていたつもりですが、肌が少しでも出ている部分は無数の針を刺したかのような痛みが走るほどの寒さでした。

何度もゲレンデと室内を往復して、寒さを耐えしのぎながら取材を無事に終了させました。

これで一件落着ということで帰りの車に乗り込み少しすると、指先にピリピリとした感覚が。
それから少しすると耳にも同じようなピリピリが現れました。

何年振り、何十年ぶりかもしれませんが、しもやけ(多分)になってしまいました。
その日はその後1日中定期的に、特に指が痛痒い状態が続き、なかなか仕事にも集中できませんでした。

症状自体は軽かったのか、次の日にはかゆみも収まりましたが、子どもの頃に味わったあの症状を、よりにもよって暖冬の今シーズンに味わうことになるとは思いませんでした。

写真はそんなスキー場取材の際に撮った一枚です。顔は全く出ていませんが(笑)

次は寺田アナウンサーです。