アナ・ログ

部活動の思い出

梅島 三環子

2017/08/10

中学・高校時代は、化学部でした。

特別「化学」を愛していたわけではありませんが憧れだったソフトテニス部が人数一杯で入部できず、ひょんなことから足を踏み入れました。
ちなみに中高一貫校に通っていたため、6年間ずっと化学三昧です。

こう言うと、よく勘違いされるのですが決して私は化学の授業は得意ではありません。
クラスの方でも、苦手な部類だったと思います。

でも、実験は確かに大好きでした。

何かと何かを混ぜ合わす。
温度を変えて、実験を繰り返す。
はたまた、実験準備室の匂いを嗅ぐのも嫌いではありませんでした。
実験は非日常的で、そのワクワクする感じにそそられ続けていました。

しかし、実験にはトラブルも付き物でヒヤッとする場面も多々。いまだに、鼻筋に飛んだ硝酸銀のシミは消えることなく、薄くはなったものの、残っています。
当時は、かなりショックでしたが今となっては懐かしい思い出です。

ソフトテニス部でさわやかな汗を流していたら、まるで別の人生を送っていたのかもしれませんが、振り返ると、私には化学部の方がよかったのではと感じます。

そういえば、先日誕生日を迎えました。
祝って頂き、ありがたい限りです。

このテーマは、今日が最後。
次は飯田さんから、新テーマです。

牧 広大

2017/08/09

高校からゴルフを始め、
青春時代は青々とした自然に囲まれて過ぎていきました。

野球では甲子園、サッカーでは国立競技場(今はなくなってしまいましたが)、
それぞれのスポーツで目指す夢舞台がありますが、
高校ゴルフで当時私が目指していた聖地は
埼玉県にある霞ヶ関カンツリー倶楽部という場所です。
2020年の東京オリンピックゴルフ種目の競技場予定となっている場所で、
会員制でなかなか簡単には回ることができない、超名門コースでもあります。
結局高校時代はその聖地には届きませんでしたが、
大学時代に何度か足を運んだことがありました。(プレーはしませんでしたが….)
「いつかはプレーをしてみたい」と思うコースはたくさんありますが
その「いつか」はいつ来るのか(笑)

ただゴルフのいいところは歳をとっても長く続けられる点です。
高校生のように体のキレがある若いうちにプレーしたいというのもありますが、
歳を重ねてゆっくりのんびりとプレーするのも悪くないなと。

※写真は以前沖縄の公園で撮ったもの。
沖縄やハワイなど南国でゴルフは最近の夢です(笑)


このお題の最後は梅島アナです!

下山 由城

2017/08/08

先週末は夢メッセみやぎにて『みやぎ元気まつり』が行われました。
ご来場いただいた皆さま、ありがとうございました!
私は日曜日にステージイベントの司会として参加させていただきました。
「元気お笑いLIVE」では、ピスタチオの伊地知さん・小澤さん、ブラゴーリの塚田さん・鈴木さん、ペコリーノのクロコダイルミユさん・植木さん、3組にご出演いただきました。
皆さん気さくでステージでのトークも楽しくやらせてもらいました。
またご一緒できたらうれしいです!
ブラゴーリとペコリーノの皆さんは仙台放送で月曜深夜に放送している「新しい波24」にご出演中ですので、ぜひご覧ください!

さて、ブログテーマの『部活動の思い出』…
中学のときにはバスケ部に入っていました。
当時すでに身長が170cmを超えていて、高さのメリットがあったおかけで入部から1週間くらいですぐに試合に出られた記憶があります。
フォーメーション練習の前のフットワークメニューがとにかくハードで今思うとよくやってたなぁと懐かしい気持ちになります。
おかげでスタミナは相当つきましたけどね!

なぜバスケ部に入ったのか?

漫画「スラムダンク」の影響です。
父親が31巻すべて揃えていたこともあり家では何度も読み返し、気が付いたらバスケットボールに興味を持っていました。
今でもバスケの知識のベースにあるのは『スラムダンク』です。

好きな名シーンですか?
インターハイ予選の湘北vs陵南
終盤にダンクで4点リードに広げたあと桜木花道の「戻れ!! センドーが狙ってくるぞ!!」のセリフですかね!
それより前の練習試合のときに残り数秒でレイアップシュートを決めて逆転したにもかかわらず、ディフェンスを怠ったことから仙道彰の速攻で再逆転を許し負けてしまった。
あの経験がこのセリフを生み出したわけです。
桜木花道のノビシロ・成長力を象徴した場面でした。

久しぶりにバスケットしたいなぁ!
全然体動かなくなっているんでしょうけど(笑)

次は牧アナウンサーです!

飯田 菜奈

2017/08/07

中学校に入ると、本格的な部活動が始まりますが、小学校高学年で、すでに、その先駆けとなるクラブ活動が始まりますよね!

はじめてのクラブ活動、どれも楽しそうで魅力的に思えて、所属するクラブに悩むところですが…

小学校6年生の時、新しく「演劇部」をつくった思い出があります。

小学生のころから「将来は脚本家になりたい!」という夢を持ち、演技に興味を持っていた友人が、「演劇部をつくろう!10人集まれば、新しいクラブをつくることができるから、入って入って!! みんなでやろうよ!!」と呼びかけ、結局、クラスメイトの女子13人のうち、10人が入部。
さらに、メンバーの妹1人も加わり11人になったので、演劇部が成立したのです。

演目は『ピーターパン』。
ディズニー作品をもとに、みんなで脚本を考え、役を決めるためのオーディションをし、舞台衣装を作り、段ボールや画用紙などで小道具を作り、ちらしを配って…
体育館の舞台で、全校児童の前で披露。

他のクラブに加入していたクラスメイトの女子3人も、「私たちも手伝うよ!」と言って照明や音響をやってくれたので、最終的には、クラスの女子全員で作り上げたようなもの。

大人になった今では、当時は無我夢中で楽しかったな~と本当に良い思い出。
小学校の同級生と集まるときは、「○○の役、ハマってたよね~」などと、よく話題に上ります。

演技をするのは初めてでしたが、友人の誘いで新しいチャレンジができてよかった!!
ちなみに、私はウェンディー役でした!

そして、「演劇部をつくろう!」と言い出した友人は、ドラマの制作現場での仕事を経て、今は映画会社でバリバリ働いています(*^_^*)


写真は、文章とは全く関係ないですが、最近食べたパンケーキ。
パンケーキは春夏秋冬…いつ食べても美味しいな~と、感動したので、載せます。笑

お次は、下山アナウンサーです!

稲垣 龍太郎

2017/08/04

今の私からは想像もつかないかもしれませんが、こう見えて、小学生時代は、サッカー部と卓球部でした。
今や、たまにフットサルに参加し、温泉卓球をするくらいですが。

今の私からは想像もつかないかもしれませんが、こう見えて、中学時代は“弱小”水泳部でした。
今や、旅行先の海で泳ぐ程度ですが。

今の私からは想像もつかないかもしれませんが、こう見えて、高校時代は“将棋部”でした。
今や、市内の中華料理店で、先輩と酒を飲みながら、深夜まで、10局くらい将棋を指すくらいですが。

今の私からは想像もつかないかもしれませんが、こう見えて、高校時代は“人権部”にも入っていました。
留学生やマイノリティの方とお話し、国際問題や社会問題を考えるクラブでした。
ただ、活動そのものよりも、活動後の交流パーティーが
楽しみだったような気もします。
それでも、社会情勢に興味を持ち、生の声を聞くことの大切さを教えてもらったのは、この時の経験からだと思います。
今や、報道部を兼務しています。
夏休みの行先も、社会的に自分が関心のある場所を選ぶようになりました。
画像は台湾大地震の遺構・傾いたままの鉄塔です。
あえて、この状態で保存しているのだそうです。

一貫性なく、いろいろやってきましたが、何かは、その先の人生に結びついているのだなと思います。

ちなみに大学時代は、アナウンス研究会でした。
ただ、「満員電車のドアを閉めるアルバイト」の方が熱心に取り組んでいたような気もしますが…。
就職試験の時、ある放送局で、「このアルバイトの経験が、アナウンサーにどう生かせますか」
と聞かれて、絶句した思い出があります。

飲み会で盛り上がるような逸話は、たくさんあるんですけどね…。
社会って厳しいなと感じた大学3年生の夏の思い出です。

次は、飯田アナウンサーです。

佐藤 拓雄

2017/08/03

自分の部活動の思い出は、はるか記憶の彼方へ・・・というほどではないですが、ここに書くに値する話は思いつきません。

今「部活動」と言われて、すぐに連想するのは、どうしても長男の野球部と、その親としての自分のことになってしまいます。
ちょうど1年前、長男の高校野球が終わって、このアナ・ログにこんなことを書きました。

「この2年数ヶ月、私が親としてやってきたことと言えば、毎晩のユニフォームの洗濯、試合の応援、次々に痛む道具の購入や様々な徴収金の支払い、保護者会での役割、といった、書き連ねるほどでもない、フツーのことばかりではありますが、それなりにかなりエネルギーが必要でした。
小中学校時代とは違う、高校球児の親、というのはこういうものか、という一端をわずかながら体感し、どの親御さんもきっと同じように毎日黙々と支えているのだろうなと、チームメイトの親御さんはもちろん、見も知らぬ全国の親御さんに、連帯感を抱いたりもしました。」

先日、最後の大会で敗れた、早実の清宮選手が「弁当や洗濯など親の支えに感謝したい」と話していて、私は大きくうなずきました。
ここのところが分かっているかどうか。というか、こういうことが言えるかどうか。
言葉だけでもいいから、こう言ってもらえるだけで、親はうれしいものですし、私などは、長男の部活動の思い出で真っ先に浮かぶのが、毎晩の洗濯だったりします。

さて、現在高校生の長女の部活動は、親の関わりがほとんどないため、親としても、すっかり部活動の当事者ではなくなりましたが、長男を介し野球部員の親として出会った、長男の同級生の保護者の皆さんとは、今も強い連帯感でつながっていて、このご縁と様々な思い出は、私の一生の財産です。

そんな私たち親の繋がりは、なんだか親戚のようでもあり、その子どもである長男の同級生たちにも、今も我が子同然の思いがあります。
彼らが今後どんな大人になり、どんな人生を送っていくのか、ということが、本当に楽しみであり、心から応援したい気持ちです。

続いては、稲垣アナウンサーです。

高橋 咲良

2017/08/02

私、残念ながら、学校の部活動での思い出があまりないんです。

そのかわり、部活動並みにあるいはそれ以上に、学生時代打ち込んでいたものがあります!

クラシックバレエです。

4歳から習い始めて、高校生までは週4回、自習などを含めるとほぼ毎日踊っていました。
大学の時も、趣味で続けていました(^_^)

そんな私は、中学生の頃は、「総合運動部」という外部で活動する生徒のための部活に入り、
高校生のときは、何かしら部活には入らなくてはならなかったので、活動が週1回で、バレエに支障の少ない「茶道部」に入部しました。まさにバレエ優先。

バレエでの思い出はたっくさんあるのですが、

この時期の思い出といえば、
夏休みになると、何人かの友達とバレエ教室に朝から晩までこもって自習していたことを思い出します。

段々普通の練習に飽きてくると、教室のCDを勝手に拝借して(先生、ごめんなさい)
憧れの役柄の踊りを延々と踊る、ということをしていました。

難しい技に挑戦したり、男性の踊りまで踊ったり、普段できないことが思う存分できて、楽しかったなあ、、、

社会人になってからもバレエは続けたいと思っていて、
今バレエ教室を探し中です。早く踊りたい、、、!

写真は現在放送されている、宮城限定めざましじゃんけんのCM撮影中の1コマです。8月は楽天のペアチケットやグッズなどが当たりますよ!皆様のご参加をお待ちしています♪

続いては佐藤アナウンサーです!

金澤 聡

2017/08/01

中学時代はサッカー部。
顧問の先生は、Jリーグのアルビレックス新潟の前身、『新潟イレブン』に所属していました。
新潟では強豪チームで天皇杯に出場するほどでした。

ある日、家でローカルニュースを見ていると、
部活の顧問の先生がブラウン管に映し出されました。
全国大会に出場を決めた新潟イレブンに
テレビ局が取材に訪れたのです。
インタビューを受けている顧問の先生がアップで出ているのです。
『次の試合の相手は、日産ですけれど、しっかり0点に抑えていきたいと思います』
と答えていました。
テレビに出ているのにも驚きましたが、相手が日産ということにさらに驚きました。
「日産」といえば、現在のJリーグ・横浜Fマリノスの前身チーム。
当時は日本代表を揃える超強豪チーム。
そんな憧れのチームと顧問の先生が対戦するなんて、
なんてすごい人に毎日指導を受けているんだと大興奮。

しかし、結果は…   11-0 の完敗。
それでも、木村、水沼などの名選手と戦った先生を誇らしく思ったのを覚えています。


写真は、今回のテーマと全く違いますが、
先日、プロ野球の名選手で現在は釣り名人?の田尾安志さんが
タラの胃袋とレバーを持ってきてくださり、それを調理したものです。
珍味でしたが最高に美味しかったです。


次回は高橋アナウンサーです。

寺田 早輪子

2017/07/31

今日からのお題は『部活動の思い出』です!

高校生の頃、放送部でした。
普段は校舎の屋上で発声練習をしたり、放送部の全国大会のアナウンス部門出場を目指して、自分で書いた原稿を読む練習をしたり、ラジオドラマの制作などをしていました。

その傍ら、ローテーションで担当していたのがお昼の校内放送。
お昼のお弁当を食べながら聞くBGMを流すのですが、
当時、SMAPが大好きだった私は、ある日、買ったばかりのCDを全校のみんなにも聞いてもらおうと、BGMとして流すことにしました。

曲名は、その当時の新曲「$10(テンダラー)」!
CDを再生ながら歌ったり踊ったりしていたら、気分ノリノリになってしまい、
「続いて、お送りするのも、テンダラー!!」
「今日はもう一度、テンダラーです!」
「さあ!続いても、テンダラーです!!」

…と、調子良く10回ほどかけていたら、放送室に校長先生が!

「おまえらー!うるさーい!」

と、怒鳴り込んできたのです。

大目玉をくらいまして、先輩にも怒られまして、
しばらく、寺田はお昼の放送担当を外されました…。

何事もやり過ぎはいけませんね。
…ということを学んだ高校2年の冬でした。

☆写真は…、息子が工作した「おりひめ様とひこぼし様」です。

アナ・ログ。続いては…、金澤アナウンサーです!!