佐藤 拓雄
2017/12/13
先月末、秋田へ出張に出かけたら、雪の影響で新幹線「こまち」が止まってしまいました。【写真】
田沢湖駅で45分ほどの足止めですので、たいしたことはなかったのですが、仙台の積雪はもっとずっと先のことでしょうから、11月でこんなに積もるのかと驚き、東北は広いなあと変に納得してしまいました。
さて、先日、大きな魚を釣った夢を見ました。
「新巻鮭」くらいのサイズです。種類は分かりません。
夢の中の私は、大物を釣って浮き足立ち、写真を何枚も撮っていました。
そうこうしているうちに魚は瀕死の状態に。
夢の中の私は、その弱った魚を海にリリースしようと考えていました。
なんと理不尽で残酷な、と目が覚めて思いました。
だけど、じゃあ、食べれば残酷じゃないのか?
うーむ。
幼い頃、肉を食べられなくなったことがあります。
牛や豚を殺して肉を食べることが、あまりにもかわいそうだと思ってしまったのです。
突然そんなことを言い出した私のことを、母が幼稚園の園長先生に相談したそうです。
カトリックの幼稚園の園長先生は「神様が食べるために与えてくださったんですよ」と私に言いました。
つまり「神様からの贈りもの」だということです。
当時の私はそれで納得し、それまで通りに肉を食べるようになりました。
が、やはり、そんなエピソードを持ってしても、理不尽極まりない、という思いが頭の中にはあります。
「進撃の巨人」で、巨人が人間をバリバリと食べるシーンは衝撃的でした。
それと同じことではないか、とどこかで思ってしまう自分がいます。
だからと言って肉を食べられなくなることはなく、むしろ大好物なのですから、身勝手なものです。
しかし、それでも、「神様からの贈りもの」とまで割りきれない自分もいたりします。
肉にしても、魚にしても、「命をいただく」という、理不尽極まりないことをし、それで自分の命をつないでいる、そういうことは頭の片隅に置いておきたいと思った、冬の朝の目覚めでした。
続いては、牧アナウンサーです。