アナ・ログ

今年の自分を漢字1字で表すと

梅島 三環子

2011/12/12

「考」
2011年、今年は考える・考えさせられることがたくさんあった年でした。

3月11日 午後2時46分…
私たちの生活・日常を一瞬にして奪ったあの日の地震。

震災から9ヶ月が経ち、復旧・復興を遂げるものもありますが、それ以上に失ったものは未だたくさんあります。元に戻らない現実からは、逃れられません。

当たり前だと思っていた日常は、当たり前ではないことを考えさせられました。私たちの安心や安全は、誰も保証してはくれないことを考えさせられました。何の前触れもなく、大切な人がいなくなってしまうことも考えさせられました。
もちろん、震災前から頭ではわかっていました。

ただ、大きな不自由もせず、生まれた日から平穏な日常を過ごした私にとっては、今後もこれまでのように、同じ日常が続くことは当たり前と思っていたのが事実です。

仙台市の中心部で暮らして、本当に震災の苦しみがわかったとは到底言えませんが、震災によって受けた、悲しみ、そして不自由となった生活は私の考えに変化をもたらしています。

明日からは、テーマが変わります。
アナウンス部一人ひとりが、今年を振り返ります。

あなたのドラ1は?

梅島 三環子

2011/11/22

わたしは、焼き鳥が好きです。

ですから、焼き鳥屋さんで
ドラフト(選抜)すると考えるとしたら…
1位でハツを指名します。
2位は、砂肝。3位は、ひざ軟骨です。

学生時代は、「皮」とか、「ぼんじり」などに飛びついていましたが、味覚が変わったのか、少し大人になったのか、最近ではあまり食べなくなりました。
嫌いではありませんが。

そういえば、大学の近くにあった井の頭公園脇の焼き鳥屋さんでは、タンとかシロもよく頼んでいました。
でも思い返してみると、あれは「焼とん」だったんですよね。
お財布に優しい1本80円という価格で、友達と公園のベンチで2・3本つまんでから帰るということもよくありました。
誕生日も「梅ちゃん、3本買ってあげる」と言われて、プレゼントしてもらった記憶があります。

何よりです。

あとまた10年経ったら、また選抜メンバーは入れ替わるのでしょう。

写真は、レバーです。
ハツが一番好きなのですが、このお店ではレバーとつくねは、外せません(笑)

次は金澤アナウンサーです。

冬が来る前に

梅島 三環子

2011/11/07

冬が来る前に、親知らずを抜いてきました。
抜歯後の穴も半年ほどで徐々に埋まってくるということで、これで、すっきりした心地で新年を迎えられそうです。

そもそも私と親知らずの戦いは、大学生の時代から。
「この生え方は、大掛かりになるね」「顔腫れるよ」
何人かのお医者さんに同じようなことを言われ、小心者の私はずっとこの爆弾を抱えて生活しておりました。
ですが…今年の痛みはこれまでと違ったのです。

ショックのあまり、おかしくなると思いこんでいた抜歯当日。ビビリすぎている私を、歯医者さんは優しく迎えてくれました。
「梅島さーん、大丈夫だよー。」
「痛くしないからねー。」
「嫌だったら、すぐ教えてねー。」
言葉通り、麻酔がとても上手な先生は、私の歯を痛くせずに抜いてくれたのです。
大げさでなく、神だと思いました。
奇跡だと思いました。
こんな小心者の私が、叫びもせず泣きもせず、親知らずを抜けるとは思いませんでした。感動です。

あれからもうすぐ1ヶ月。私は、親知らずの無いはじめての冬を迎えます。正月の餅がつまらないかいささか心配です。

写真は…まさか持って帰った歯を載せるわけには行かないので取材先で出会ったサンタさんとのショットです。

明日は、林アナウンサーです。

いも煮

梅島 三環子

2011/10/17

先日、スーパーに行ったら惣菜売り場に『仙台いも煮(うどん入り)』が売っていました。最近では、“チン”するだけで、いも煮が手軽に楽しめるのですね。大変重宝いたします。

さて、そのいも煮。いも煮歴のまだ浅い私は、もっぱら、野菜を切るだけで味付けに関与したことはございません。こればかりは生粋の仙台人に任せるのがベストです。と言いますか…触らせてもらえません(笑)。

「いも煮」という言葉さえ、仙台に来て初めて知った者からすると、秋になると「仙台の人は本当にいも煮が好きだよなぁ」としみじみ感じます。ですが、確かに秋になるとなんだかいも煮をしたくなる…という気持ちもだんだんとわかってきました。
川原でみんなで飲むビールはおいしいし、BBQも楽しいし…
ちょっと寒くなった頃に食べる味噌の汁とほっこり煮えた里芋はまさに格別です。

食べすぎたり、飲みすぎたり…
翌日までちょっと引きずるような辛い思いもしないでもありませんが、それもみんなで共有すれば楽しい思い出です。
いつかは私も、いも煮を作れるようになって、いも煮を主催できるようになってみたいものです。

次は拓雄アナウンサーです。

2011年 秋

梅島 三環子

2011/10/03

この秋、「ビール初仕込み」の取材に行きました。
場所は、仙台港に程近く、震災直後は壊滅状態になったという工場です。

構内にはビールの缶や瓶ケースが散らばり、高さ20メートルほどのビール貯蔵タンクも倒壊するという状況。
流された車が散乱し、安全が確認できないことから従業員は震災からおよそ1ヶ月間立ち入り禁止の状態が続いたといいます。

その後、連日続いた手作業でのガレキ撤去…
工場機能の復旧を経て、先日の仕込み再開でした。

半年振りのビール製造。「ようやく」と周囲の声がある一方、工場長は「こんなに早くできるとは…」と感慨深げでした。

確かに待つ身としては長く感じる半年も、直後の状況をしっていれば、復旧への苦労を感じていたら…。とてもあっという間の半年だったかもしれません。工場長が、「作れる幸せを感じた」とも話した今回の仕込み。
その出来は、例年とは違ったものとなりそうです。

次は、林アナです。

震災から半年

梅島 三環子

2011/09/13

きょうからテーマが変わります。
「震災から半年」です。

一瞬にして、私たちの日常を奪い去った震災から半年が過ぎました。
寒くて、真っ暗だったあの日の仙台…。
半年後のことなど想像だにつきませんでしたが、過ぎてみれば、仙台市の中心部はあっと言う間に復旧し、活気も戻ってきました。
もちろん、県内を見渡してみれば、復旧した場所ばかりではありません。それでも、半年という時の流れは、私たちにとって、一つの区切りといえるのではないでしょうか。

半年をきっかけに、あの日と今をよく比べてしまいます。
1ヶ月以上、家のお風呂に入れなかったこと。
ご飯を作ろうにも、なかなか営業がされなかったり、大混雑でお店に入れないこと。
やっと手にした白菜は、1株900円!高かった…。
仕事では、常にすっぴんで、化粧もせずに、ヘルメットをかぶって、マスクをつけて取材に行っていました。
余震も多く、震度5弱で冷静にいられる自分がちょっと怖かった気もします。

この半年で、生活が元に戻り、普通に生活できることが、こんなにも幸せなんだと実感させられました。県内始め、全国の方々のたくさんの努力によって、元に戻った日常。感謝の気持ちを忘れずにいたいものです。

明日は、拓雄アナウンサーです。

2011年、夏

梅島 三環子

2011/09/06

2011年の夏は、節電の夏。全国的に節電ムードの夏となりましたね。わたしも、微力ながらがんばりました。
町で集めた、うちわを片手に、部屋では、梅島家の夏の定番「ムームー」を着用。加えて、手ぬぐいも引っ張りだして首にかけていましたっけ…。
そして28年生きてきて、これ以上に氷を作った年はないというくらい氷も作りました。飲み物、キンキンです。

エアコンを使わず、どうしたら涼しく過ごせるか…、考えました。部屋の全ての窓を開けて、玄関のドアも開け広げちゃって。蚊やら謎の虫やらが入り込み、痒い思いもしましたが、確かにエアコンが無くても、それなりの日なら対処できると勉強することができました。

色んな方が、色んな工夫をして過ごした今年の夏。節電の意識は、今後も持ち続けていきたいですね。

次は、金澤アナウンサーの夏です。

ともにII

梅島 三環子

2011/08/29

先日、新幹線に乗って遠出をする機会がありました。
ぼんやり車窓を眺めていると、空き看板や空き地、そして工事現場などに「頑張れ東北」、「継続支援」、「共に前へ」など…東北に向けた、様々な応援メッセージが書かれていました。

全国の方々から被災地域のことが、忘れられていないこと、そして気に留めて応援していただいていることを実感することができました。

またこの夏は、実際に仙台にも多くの方が集まり、地域を活気付けてくれました。
東北六魂祭や仙台七夕祭り…。
どちらも、予想以上の人出となり、六魂祭では一部混乱も見えましたが被災地域にこれだけの人が集まるというのは東北の人間として、全国の方々に、感謝しなければいけないことかもしれません。

静岡に住む私の高校時代の友達も、この夏仙台に家族旅行にやってきました。人生初の仙台だとのことで、仙台・宮城をたっぷり観光したようです。

震災を受け、スピードでは様々ではありますが、復興へと向かう被災地域。全国の人に支えられて、ここまで来たこと。そして、全国の人がいたからここまでこれたことを考えさせられます。

ともに

梅島 三環子

2011/08/11

ご無沙汰しております、梅島三環子です。
雪のふっていた、3月のあの日から季節はすっかり夏になってしまいました。
もう8月なのか、まだ8月なのか、わたしも未だに複雑な思いを抱えながら過ごしています。

先日、若林区荒浜の深沼海水浴場を取材させていただきました。海水浴場の入り口は、未だガレキの山。砂浜には、どこから流れ着いたのか大量のゴミがありました。海水浴シーズンというのに、だれもいない深沼は、本当に不思議な光景です。

震災を乗り越え迎える初めての夏。海で遊べない夏でもあります。プールで出会った子どもたちが、海に行きたいと残念そうにしていたのが印象的ですが、皆が色んなことを色々な形で我慢する夏なのかなと思っています。

出来ないことをあげれば、キリがありませんが、楽しいこともきっとあると…。
みんなで、素敵な夏を過ごしたいですね。

明日は、浅見アナウンサーです。

恩師の思い出

梅島 三環子

2011/03/11

先生と出合ったのは、幼稚園の年少
3歳のとき。
夫婦で習字教室の指導にあたる先生のことを
当時の私は、男の先生、女の先生と呼んでいました。
いまでは大好きな先生ですが、
あの頃は、男の先生が怖かった…のです。

一人っ子の私は、それまで父親以外の男の人を見た事がなく
なぜか「知らない男の人=とても怖い」という認識があったようです。
2階にあった教室まで、階段で駆け上がり、
扉を開けるとそこには、男の先生がいる。
全くもって、当たり前な話なのですが、
「いる~!」と、びゃーびゃー泣いて階段を駆け下り、家まで走って帰る。
まぁ、家に帰ると、母親にこっぴどく怒られるので
また、びゃーびゃー泣いて教室に行くのですが、
すると、男の先生は隠れていてくれて、女の先生に迎え入れられるのです。
本当にご迷惑をお掛けしました。

しばらくすると、それも無くなり…
それどころか、「また習字行くの?」「あんたは、何時間習字をするの?」と
親に嫌味を言われるまでに教室好きになりました。
しかし、あの鮮烈な先生との出会いは、幼い頃ながら覚えております。

それからも、様々な迷惑をかけながら通った15年間。
男の先生と女の先生は、私の大切な恩師です。

明日は、拓雄さんの恩師です!

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