アナ・ログ

2011年、夏

梅島 三環子

2011/09/06

2011年の夏は、節電の夏。全国的に節電ムードの夏となりましたね。わたしも、微力ながらがんばりました。
町で集めた、うちわを片手に、部屋では、梅島家の夏の定番「ムームー」を着用。加えて、手ぬぐいも引っ張りだして首にかけていましたっけ…。
そして28年生きてきて、これ以上に氷を作った年はないというくらい氷も作りました。飲み物、キンキンです。

エアコンを使わず、どうしたら涼しく過ごせるか…、考えました。部屋の全ての窓を開けて、玄関のドアも開け広げちゃって。蚊やら謎の虫やらが入り込み、痒い思いもしましたが、確かにエアコンが無くても、それなりの日なら対処できると勉強することができました。

色んな方が、色んな工夫をして過ごした今年の夏。節電の意識は、今後も持ち続けていきたいですね。

次は、金澤アナウンサーの夏です。

ともにII

梅島 三環子

2011/08/29

先日、新幹線に乗って遠出をする機会がありました。
ぼんやり車窓を眺めていると、空き看板や空き地、そして工事現場などに「頑張れ東北」、「継続支援」、「共に前へ」など…東北に向けた、様々な応援メッセージが書かれていました。

全国の方々から被災地域のことが、忘れられていないこと、そして気に留めて応援していただいていることを実感することができました。

またこの夏は、実際に仙台にも多くの方が集まり、地域を活気付けてくれました。
東北六魂祭や仙台七夕祭り…。
どちらも、予想以上の人出となり、六魂祭では一部混乱も見えましたが被災地域にこれだけの人が集まるというのは東北の人間として、全国の方々に、感謝しなければいけないことかもしれません。

静岡に住む私の高校時代の友達も、この夏仙台に家族旅行にやってきました。人生初の仙台だとのことで、仙台・宮城をたっぷり観光したようです。

震災を受け、スピードでは様々ではありますが、復興へと向かう被災地域。全国の人に支えられて、ここまで来たこと。そして、全国の人がいたからここまでこれたことを考えさせられます。

ともに

梅島 三環子

2011/08/11

ご無沙汰しております、梅島三環子です。
雪のふっていた、3月のあの日から季節はすっかり夏になってしまいました。
もう8月なのか、まだ8月なのか、わたしも未だに複雑な思いを抱えながら過ごしています。

先日、若林区荒浜の深沼海水浴場を取材させていただきました。海水浴場の入り口は、未だガレキの山。砂浜には、どこから流れ着いたのか大量のゴミがありました。海水浴シーズンというのに、だれもいない深沼は、本当に不思議な光景です。

震災を乗り越え迎える初めての夏。海で遊べない夏でもあります。プールで出会った子どもたちが、海に行きたいと残念そうにしていたのが印象的ですが、皆が色んなことを色々な形で我慢する夏なのかなと思っています。

出来ないことをあげれば、キリがありませんが、楽しいこともきっとあると…。
みんなで、素敵な夏を過ごしたいですね。

明日は、浅見アナウンサーです。

恩師の思い出

梅島 三環子

2011/03/11

先生と出合ったのは、幼稚園の年少
3歳のとき。
夫婦で習字教室の指導にあたる先生のことを
当時の私は、男の先生、女の先生と呼んでいました。
いまでは大好きな先生ですが、
あの頃は、男の先生が怖かった…のです。

一人っ子の私は、それまで父親以外の男の人を見た事がなく
なぜか「知らない男の人=とても怖い」という認識があったようです。
2階にあった教室まで、階段で駆け上がり、
扉を開けるとそこには、男の先生がいる。
全くもって、当たり前な話なのですが、
「いる~!」と、びゃーびゃー泣いて階段を駆け下り、家まで走って帰る。
まぁ、家に帰ると、母親にこっぴどく怒られるので
また、びゃーびゃー泣いて教室に行くのですが、
すると、男の先生は隠れていてくれて、女の先生に迎え入れられるのです。
本当にご迷惑をお掛けしました。

しばらくすると、それも無くなり…
それどころか、「また習字行くの?」「あんたは、何時間習字をするの?」と
親に嫌味を言われるまでに教室好きになりました。
しかし、あの鮮烈な先生との出会いは、幼い頃ながら覚えております。

それからも、様々な迷惑をかけながら通った15年間。
男の先生と女の先生は、私の大切な恩師です。

明日は、拓雄さんの恩師です!

寒かった思い出

梅島 三環子

2011/02/07

「春になるまで、寝ていたい」
布団の中で、何度願ったことでしょうか…。今年の冬は、本当に具合が悪くなるほど“寒すぎる冬”でした。ということで!
(…ということで?)
今日からの新テーマは「寒かった思い出」です。

私の、ここ最近の寒かった思い出は「初詣」です。
お正月に、大混雑の中、行ってきたのですがあまりの寒さでずいぶんあっさりとしたものとなってしましました。

だって寒いんだもん。
そして、先日は冬の動物園に取材にいきました。ブラッザグエノンという猿の赤ちゃんを撮影するためです。

でも、生後間もないことに、寒さも加わり、なかなかお母さんにしがみ付いて離れません。顔を見せてもらうのに、ちょっとねばってしまいました。

早く春にならないかなぁ。
次は、広瀬アナウンサーです。

バーゲンセール

梅島 三環子

2011/01/19

2011年、バーゲンセールに出かけた1月3日。

正月疲れがたたってか、私の口にはヘルペスらしきものが宿り上唇だけがボッコリ。ペンギンのような顔となった私は、マスクをして街へと出陣することに決めました。

1番欲しかったのは、帽子です。髪型が決まらなくてもお出かけが楽しくなるような可愛らしいニット帽が狙いでした。
しかし、何を試着しても似合わない。マスクがいけないのか…。半分以上顔の隠れるマスクのせいと確信し、早速はずすことに。

いや、でも似合わない。口先を摘まれたような口をしては、如何なる帽子も似合いはしないのです。
お店の人に、「だいぶ悩まれてますねぇ…。」と声をかけられ気まずい雰囲気に。えぇ、出直しです。

無理を押してまで行ったのに、戦利品なしというなんとも悲しいバーゲンの思い出となりました。

写真は、もうヘルペス治ってます。仙台のアーケードにて。

次は、ななちゃんです。いいもの買えたかな?

2011 卯

梅島 三環子

2010/12/27

先日、実家のある静岡に帰ったら、家から結構近いところにガンダムがいました。なので、後ろから撮影した写真を記念にゲットしてみました。ガンダム世代でも、何でもありませんが、見たらちょっと惚れました。強そうで、かっこよかったです。

さて、2010年も残すところあと僅か。みなさん今年に悔いはありませんか?私は、今年10年以上ぶりに火傷を負いました。これが悔いです。しかも、炒め物をしていたらという…なんともお恥ずかしい理由。「どうやって?」と色んな人に聞かれましたが、そこはご想像におまかせします。

ちなみに10年以上前の火傷は、高校の化学部時代、実験中に硝酸銀を鼻の頭に飛ばしたときにできたものです。
花盛りの16歳に…なーんてことは言いませんが、当時は大層へこんだ記憶があります。

鼻の火傷は大分薄くなっていますが今年の腕の火傷は今でも跡がくっきり。2011年は、新たな傷を作らないこととこの傷跡を治すことに努めようと思います。

では、末文になりましたが皆様に年末のご挨拶を。

今年も私の拙いアナログにお付き合いいただきありがとうございました。来年も、精進して執筆してまいりますのでどうぞよろしくお願いいたします。

次は広瀬アナ。
2010年ラストを飾っていただきましょう。

今年中にやっておきたいこと

梅島 三環子

2010/12/01

「寿司桶をつかうこと」です。わが家には、就職した時に買って以来一度も使ったことのない新品の寿司桶があります。
仙台にきてすぐ、一人暮らしに欠かせないだろう…と即決して買ったものです。

大学時代、私は本当によく「ちらし寿司」を作っては、食べて暮らしていました。おかずが無くても気にならないし、日持ちはするし、何よりも私は無類の寿司好きです。

学生時代は、炊飯器の中で混ぜて作っていましたが、せっかく社会人になったのだから、桶で作ろうではないか!と思っての“桶”購入です。

しかし…
社会人になると食生活は変わるもので。なかなか桶をだす機会に恵まれずここまで来てしまいました。ちらし寿司パーティーやら手巻き寿司パーティーでもやればいいのでしょうが、そういうこともなくもうすぐ5年がたちます。

最近、新品のはずなのに何故かくすんで見えた桶を見てなにか作ってあげようと心にきめた次第です。

きょうは、梅島のすぐにでも解決できそうな「やっておきたいこと」でした。

あっ、写真は宮城学院女子大学付属幼稚園の園庭にあった遊具です。先生の許可をいただいてのせてもらいました。

ちょっと童心に戻りました。
次回は浅見アナの「やっておきたいこと」です。

あったかエピソード

梅島 三環子

2010/11/05

最近、ソファーで寝込むことが多々あります。それは、ちょっと寒いなぁとリビングに、毛布やら電気カーペットを持ち込んではテレビを見てしまうからです。

最初は、足元だけあっため、座って見ていたテレビも
だんだんと体制は変化し、傾き、ゆくゆくは横になって見ることに。
「いかんいかん」と思いながらも、毛布は腰までかかり気がつくと、いつも首までしっかりかけてしまいます。あったかいに負けて、1時間くらい。いや、たまに3時間。心地よいあったかと日々格闘しています。

写真は、実家のソファーから顔を出す愛犬ジュニ子さん。彼女は、寒かろうと暑かろうと常時ソファーで寝込んでいます。
怠惰…。だけど、ちょっとうらやましい。

つぎは、広瀬アナのあったか談です。

耳に残るあの音

梅島 三環子

2010/10/12

耳に残るのは、「あぶない刑事」のサントラです。
シーンシーンで流れる歌が、みんな耳に残るのですが…
中でも、ランニングショットが劇中に流れてくるとなんだか血が騒ぎます。ユージに、「いくぜっ!」といわれると、なんだかゾワっとします。あぶ刑事は、実にかっこいいいですね。

残念ながら、ドラマをリアルタイム見ていた世代ではないのですが、映画はレンタルなどもして完全制覇済みです。

98年の“フォーエバー”は、いち早く見たくて試写会に応募して見に行きました。確か、ともにあぶ刑事ファンの、りえちゃんと見に行きました。いい席で見たくて、上映の何時間か前から並んだ記憶が…。

05年の“まだまだ”は、本場で見たいと大学4年、当時の私が考えた「あぶ刑事」の本場、丸の内の東映劇場で鑑賞しました。
初日の舞台挨拶の場所です。
しかし、映画を一人で見る勇気がなかったこの頃。一緒に映画に付き合ってくれる友達を探すのに大変苦労した記憶があります。
かなりしぶしぶでしたが、あぶ刑事デビューしてくれた、りさちゃんには心から感謝しています。

ちなみに、私の小学校の通学路には、柴田恭平さんの実家があるという都市伝説があります。
6年間毎日通過したユージの実家。
こんなところから、私のあぶ刑事好きは始まったのかもしれません。

次は浅見さんです。
鉄砲むけて、ごめんなさい。

次へ ≫