佐藤 拓雄
2020/08/27
私は、神奈川県川崎市で生まれ、その後東京都多摩市で育ちました。
大学入学まで暮らした多摩市が私にとってのふるさとと言える場所なのでしょうが、どちらも団地に住んでいたこともあってか、いまひとつ「ふるさと」感がありません。
しかも、両親は20年近く前に仙台に引っ越してきているので、帰省先と呼べるところもなく、ますます「ふるさと」感を希薄にしています。
【写真】は去年の冬、東京に行ったときにちょっと時間があったので、かつての実家付近を歩いてみた時のものです。こういう団地群の中で育ちました。
そのような私が、「ふるさと」という言葉でぱっとイメージするのは、父の実家である福島県郡山市。
住んだことは一度もありませんが、子どもの頃は、毎年、夏休みと言えば、郡山。団地ではなく平屋の日本家屋の祖父母の家で、セミの鳴き声のやかましい暑い中、縁側に座って、新鮮なトマトやとうもろこしを丸かじりしたとか、そういう経験や光景が「ふるさと」という感じです。
私の父は、ふるさと郡山を大学入学で出てから、戻ることなくそのまま東京で働いていました。
その息子である私が、郡山ではないものの、隣県の仙台の大学に入ったことを、祖父は「拓雄が帰ってきた」と表現して喜んだそうです。
私自身は、郡山や東北への思い入れから仙台の大学に入ったわけではありませんが、潜在意識の中にある、東北地方への「ふるさと」感が、仙台を選ばせたのかもしれない、と今になって思います。
さらに時は流れ、今度は私の長男が大学入学で家を出ました。その長男が入学した大学が、私のかつての実家に近い場所にあり、ひとり暮らしの住まいも、私にとって馴染みのある地域になりました。
実家を出た私と長男それぞれが、それぞれ父親のふるさとの地域に移り住むという、巡り合わせの不思議さを感じます。
明日は、西ノ入アナウンサーです。