アナ・ログ

大切な場所

佐藤 拓雄

2019/06/17

先月、神奈川県川崎市で発生した無差別殺傷事件。
被害に遭った人の多くは、カリタス小学校の子どもたちでした。

私は、この学園の幼稚園、カリタス幼稚園の卒園生です。
もう40年以上前、幼稚園の2年間通っただけですが、それでも、この学園は、私にとって間違いなく大切な場所です。
カリタス幼稚園での2年間は、私の人格形成に多大な良い影響を与えてくれたという確信があるからです。

なんという事件が起きてしまったのか、と戦慄を覚えると同時に、母校の子どもたちが被害に遭ったことに、とても強い悲しみと憤りを感じました。

それにしても、スクールバス自体が子どもたちの安全のためのものであるはずなのに、それを待っている場所でこのようなことが起きるとは・・・
子どもを持つ親の一人として、一体どうすれば安全を確保できるのか、答えが見つかりません。

ところで、母校と言えば、先日、卒業した小学校を訪れる機会がありました。
【写真】がその校舎です。
ただし、校舎はありますが、ここはもう小学校ではありません。
私の時代には地区に4つもあった小学校が、少子化に伴って統廃合され、母校もなくなりました。
現在は市民の活動施設として使われていましたが、校舎の手入れはあまりされていないようです。
ここも、実に色々なことを覚えさせてもらい、楽しい思い出もたくさんある、大切な場所なのですが、きれいなクリーム色だった校舎が、この写真でも分かるように、薄汚い感じだったのは、寂しいものがありました。

私にとって大切な場所だからこそ、大切にされていないと悲しいのですね。

翻って、私自身が、誰かにとって大切な場所を大切にしていない、ということのないようにしないといけない、と思いました。


明日は、新人・堤アナウンサーの「大切な場所」です。

最近ヒットしたもの

佐藤 拓雄

2019/05/27

先日、自宅でニュースを見ていたところ、八木山動物公園の日本最高齢のゴリラが死んだ、というニュースが入りました。

このニュースに反応したのが、一緒に見ていた小4の次男。
「『死んだ』だなんて言って!『亡くなった』って言わないと!」
と語気も強めです。
・・・そこですか?と思いましたが、言葉のニュアンスの違いを分かっていることについて、本人をおおいに褒めつつも、
「でもね、『亡くなる』というのは、人間だけに使う言葉で、動物は『死ぬ』なんだよ」
と教えました。

次男は、その説明にすっきりはしなかった様子。
「死ぬ」と「亡くなる」の違いが、いわば二つあるわけで、日本語は難しいですね。
でも、その違いのひとつを理解しているだけで、小学4年生としては上出来です。言葉に対する感覚がしっかり育っていることに、とてもうれしくなりました。

何が言いたいかというと、「ゴリラ死ぬ」のニュースが、次男にヒットし、その次男の反応が、親バカの私に「ヒットした」というお話でした。


さて、【写真】は、「令和」ゆかりの地として、大変なブームになっている、福岡県太宰府市の坂本八幡宮。
「梅花の宴」が開かれた大伴旅人の邸宅跡と言われているため、大変な賑わいになっているのです。
それまで十数人程だったという一日の参拝客が、今は5千人とか。その一人に私も含まれるわけですが、この日もご覧の賑わいでした。
言葉としては合っていないかもしれませんが、「最近ヒットしたもの」にこじつけての一枚です(苦笑)
ちなみに、手前の列は、御朱印をもらおうという方々。御朱印も「最近ヒットしたもの」ですかね。


明日は、新人の堤勇高アナウンサー。朝や夜のニュースで、テレビに登場するようになりました。放送での姿もご覧いただければ幸いです。

新元号

佐藤 拓雄

2019/05/14

新元号のお祭り騒ぎをよそに、日常生活に変わりはないことを実感しているのは、私だけでしょうか。

確かに、「平成」というくくりで自分の過去を振り返ってみれば、大学に入って仙台に来て、就職して、家族を持って、という人生の節目がつまった31年間ではありました。

ただ、それも、後から振り返るとこうだ、というだけであって、元号が変わったからと言って、その元号でくくる時代を「このような時代に」というように、新しい何かを期待することには、どこか違和感があります。

そんな何となくモヤモヤした感じでいた改元前後、新聞に、「あしたのジョー」などを描いた漫画家のちばてつやさんの言葉がありました。
それは、「元号が変わっても、ずっと「戦後」であってほしい」というものでした。

本当にその通りだと思いました。
「平和」という抽象的なものでなく、「ずっと「戦後」」。なんと核心を突いた言葉でしょう。

「戦後」をずっと続けていくこと。
これこそ、元号が変わっても絶対にリセットしてはいけないことであり、今を生きる私たちの忘れてはいけないことだと気づかされました。


【写真】は、ゴールデンウイークのある日、仙台市内の某公園で。
こんな日常がずっと続くように、ずっと「戦後」でありますように。


明日は、飯田アナウンサーです。

キュリオス

佐藤 拓雄

2019/05/01

「令和」最初のアナ・ログ担当になりました。
かと言って、特別な感慨があるわけではありませんが、時代をまたいでも、引き続きこのアナ・ログをよろしくお願いいたします。

さて、キュリオス。

私が体験したシルク・ドゥ・ソレイユのショーは、数えてみると、「キュリオス」が7つ目になりました。
「ファシナシオン」「ドラリオン」「コルテオ」「オーヴォ」「トーテム」、そして、ラスベガスで観た「オー」。

どれも甲乙つけがたく素晴らしいものですが、共通していることの一つに、「重力が無くなっているのか?」と錯覚するような感覚があります。
今回は、これまで観たもののなかでも、さらに「無重力」な感じがしました。
それは、とんでもなく難度の高いことを、いとも簡単にやってしまうからこそそう感じるのでしょうが、先日仙台放送で放送したキュリオスの特番で、インタビューに答えていたアーティストが「簡単そうに演じるのが一番難しい」と言っているのを聞いて、ああ、これこそ「無重力状態」の理由であり、シルクの神髄なんだなあと、納得しました。

「キュリオス」の中で、私が最も印象に残ったのが、「バランシング オン チェア」という演目です。
まさしく無重力中の無重力。
気がついたら口を開けて見上げていました(笑)
とにかく驚きのパフォーマンスです。
ただ、日本語ではそういうタイトルなのですが、英語では「UPSIDE DOWN WORLD」。(【写真】私が観た日は第一幕の6番目でした。)
英語タイトルに、なるほど!納得!という内容です。
どうして、英語タイトルに納得したか、観た方なら分かるのでは?
これから観に行く方は、ぜひこの英語タイトルを頭に置いて観てほしいです。

最後に「キュリオス」を観に行く際の注意点。
早めに席にお座りください。遅くとも10分前には。
なぜか?シルク・ドゥ・ソレイユ経験者は、お分かりでしょう。
初めての方は・・・お楽しみに。

明日は、西ノ入アナウンサーです。

わたしのおすすめお花見スポット

佐藤 拓雄

2019/04/18

およそ花というものに疎い私ですが、桜は大好きです。

私は、桜という花は、「シチュエーションの花」だと思っています。

花そのものというより、風景の中にどう桜があるのか、というところが美しい、というか、その場所全体の風景の印象を、短い間だけ劇的に変えるその状況全体がよい、というか。

ここに桜があったのか!ということを、咲いた時に初めて知って感激する、というのもいいですね。
よく知った場所でも、毎年、ああ、ここにあったのか、という桜が一つ二つあります。見慣れた風景を一変させるような存在感。

そういうところがいいので、桜の下で宴会をするより、通勤途中とか、家のそばとか、日常の中で目にする桜が好きですね。
それから、学校の桜。これもいい。

毎年楽しみにしているのは、自宅近くの桜。
青空と桜のコントラストは、毎年、「目の深呼吸」のような清々しい気持ちになり、新年度スタートという時期と相まって、心身がリフレッシュされる気持ちになります。
以前、家族の大きな困難を乗り越えたタイミングでこの桜が咲き、心に沁みた思い出もあるのでなおさらです。

また「枕草子」みたいになってきましたので、このへんにしておきます。

私はこういう感じで桜を見ているので、お題の「おすすめスポット」というのが出てきませんでした。すみません。

【写真】は、仙台市内のある高校の裏で見つけた桜。少し古くなった建物の裏側で、敷地の外の道路に、はみ出さんばかりに咲き誇っていました。きっと桜の時期以外は、人が目を奪われたり、足を止めたりするような場所ではないはずです。
こういうのを見つけて写真を撮るのも、桜の季節の楽しみのひとつです。

明日は、西ノ入アナウンサーです。

新年度!

佐藤 拓雄

2019/03/29

週明けから新年度ですね。
今年も、仙台放送アナウンス部は、新入社員を迎えての新年度スタートになります。
ありがたいことに、3年連続で、新人アナウンサーを迎えることになりました。

今年は男性。
先日、入社を前に、ホームページなど広報で使う写真撮影をしました。
【写真】がその様子。肝心の顔が見えないのは、気もたせというよりは、一応入社前だから、という建前で(笑)。
4月1日、入社式より数時間前に(笑)、正面の顔が分かる写真とともに、この「アナ・ログ」に「デビュー」します。
よろしくお願いいたします。

例年通り、今年も3月から、内定者としてアナウンス研修を行っています。
発声・発音・滑舌、そして心構えといった、アナウンサーとしての基礎基本から始まり、ニュースや天気予報と、少しずつ実践に近づけ、「デビュー」に向かっているところです。

指導は、アナウンス部の中堅からベテラン5人が、交代でマンツーマンであたっています。

研修の中で、私たちが特に大切にしているのが、「声は人なり」という言葉。
研修の時だけでなく、私たち仙台放送アナウンス部、そして、フジテレビ系列のアナウンサー達の合言葉のようなものでもあります。
このことを説明した、アナウンステキスト冒頭部の文章は、毎日何度も繰り返し音読し、頭と心にしみこませてもらっています。
同時に、私たち指導する側も、改めて「声は人なり」を噛みしめる毎日。
自身を見つめ直し、背筋が伸びる思いで、頭も心も、そして声も、リフレッシュ・リセットされるような、そんな気持ちで新年度を迎えることができそうです。


ということで、次回4月1日、今年の新人アナウンサーの「初アナ・ログ」をお楽しみに。

好きな音楽

佐藤 拓雄

2019/03/18

まずはご報告です。
今年の「FNSアナウンス大賞」で、仙台放送は、新人部門・高橋咲良アナウンサー、ナレーション部門・梅島三環子アナウンサーが、それぞれ入賞しました!
二人(と私)は、先週、表彰式に出席してきました。【写真】
これも一つの励みにして、仙台放送アナウンサー一同、ますます実力を磨いていきます。

さて、本題。

亡くなった母が言ったことで、今でも忘れられないのが、
「好きな音楽は、趣味としてとっておいたほうがいいと思うよ」
という言葉。

私が高校生だった時、どうしても音楽大学に行きたいと、両親に懇願していた話し合いの場での一言でした。

私は、その言葉に納得するどころか、「好きな音楽だから趣味じゃイヤなんだ、仕事にして一生やりたいんだ」と言って両親を説得し、音大受験へと踏み出しました。

結局、人生最大の挫折とも言える音大受験失敗を経験し、音楽の道を諦めて進路を変更、遅ればせながら普通大学にどうにか進学し、今に至っています。

結果、好きな音楽を趣味としてやることはなくなりました。

そういう自分が、同じ年頃の子どもを持った今、思うのは、子どもは親の言うことを聞かない、ということ。
と同時に、親の言うことは聞いておくものだ、という、二律背反のような考え。
今、親として、何度もそう思わされています。

私の場合、ひとたび私が自分の進路を定め、邁進し始めると、両親は何も言わず、精神的にも、経済的にも、我を通した私を支えてくれました。
おかげで、人生最大の挫折についても、心に傷はいまだに残っていますが、その選択については後悔なしです。

親としての私自身は、そこまで大きく構えていられないのが情けないですが、私自身が経験したように、自分の子どもたちにも、本人にとって後悔のない選択をさせてやれるような親でありたい、と思っています。
理想と現実には、けっこうギャップがありますが(苦笑)

明日は、飯田アナウンサーの「好きな音楽」の話です。

東日本大震災8年

佐藤 拓雄

2019/02/27

今年の3月11日で、東日本大震災は8年となります。
今回は、私たちアナウンス部、それぞれの震災への思いを綴ることにします。

私は、震災の翌月から「ともに」という震災の番組を担当しています。来月で丸8年。今年の夏には、放送回数が100回になります。
今は、番組を続けていること自体も、一つのメッセージになっているのではないか、と思っています。

取材の中で出会った、印象的な言葉を改めて思い起こしました。

「2011年の3月11日は特別な日だけれど、これからの3月11日は、前を向いて歩いていく365日のうちの一日でしかない」
震災2年という時に、ある若い漁師さんはこう言いました。
逆に言えば、震災とは、3月11日のことを言うのではなく、毎日が震災なのです。
8年が経とうという今なお、仮設住宅で暮らす人が700人以上もいます。
行方不明のままの方は、1200人以上。
震災発生当時、復興は途方もなく長い道のりだろうと思った一方で、8年経っての今のこの状況までは想像できていませんでした。

震災は今も終わっていません。

この震災について、この仕事をする私たちができること、しなくてはならないことは、当初からはっきりしています。
9年目に入っても、それは変わりません。
震災直後から肝に銘じているのは、「最後の一人が『復興した』と言えるまで伝え続けること」です。

加えて思うのは、「最後の一人の復興」の次にも、私たちがすべきことはあるということ。それは、震災を知らない世代に、震災を伝えていくことです。

私たちのすべきことにゴールはなさそうです。

【写真】岩手県宮古市の宿泊施設に掲示されていた絵。宮古市役所周辺を襲う津波を、市民の一人が描いたようです。記憶を形にして残し伝えていくことの重要性を感じました。

明日は、「ともに」を一緒に担当している梅島さんです。

私の「あるある」話

佐藤 拓雄

2019/02/20

仕事を終えて帰宅し、スーツの上着を脱いだ時の違和感でようやく気づきます。
上着の右側の外ポケットに【写真】のものが。
「あー、またやってしまった・・・」
これが、私の「あるある」です。


【写真】の電話は、社内用PHS。
仙台放送社内では、各自がこのPHSを持ち、内線電話になっています。
「内線」電話ですので、社外に出ると、全く通じませんが、社内では常に持ち歩いていないと困るので、いつも仕事中は上着のポケットに入れていて、これを、そのまま家に持って帰ってしまうのです。


翌日その内線電話を家に忘れてしまってはもっと困るので、すかさずバッグにしまい、内線電話を家に忘れる、という事態は発生していませんが、「持ち帰り」はいまだにやってしまいます。


ところが、おかしなもので、その内線電話を、たまにデスク上に置いたまま席を離れてしまうことがあります。
想像がついたと思いますが、そういう時に限って、電話がかかってきていて、席に戻ってくると「着信あり」になっています。
これも、あるある、です。


明日は、高橋さんの「あるある」話です。

宇宙について

佐藤 拓雄

2019/02/04

まずは【写真】から。
先日、東京某所で見かけた看板。
なんかズルいですね(笑)

この看板は、宇宙とは何にも関係ありません。
それもズルいですか?
・・・本題に入ります。

今、私が「宇宙」と言って連想するのは、漫画「宇宙兄弟」。
私の漫画好きが遺伝したであろう長男に頼まれ、数年前に大人買い、今も続きを買って、親子でハマっています。
とにかく面白い。
人間ドラマであり、宇宙への憧れをかき立てられる、大長編です。

ですが、読んでいて思うことがあります。

「自分は絶対に宇宙には行けない」

閉所恐怖症気味の私にとっては、宇宙服がダメ、ロケットがダメ、空気のない月や星もダメ。
どうやったって、ムリです。
宇宙服も不要で、飛行機のような快適なロケットに乗って、空気の存在する地球のような星へ行けるようになれば、話は別ですが、私が生きているうちは無理でしょうね。

ただ、その恐怖心の理由は、閉所恐怖症だけではないような気がします。

子どもの頃、読んだり見たりした、物語やアニメ、例えば「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」、敬愛する藤子・F・不二雄さんの作品群、知る人ぞ知るというところで言えば、毎日のように聴いていた音楽絵本の「宇宙船ペペペペラン」。
どれも、宇宙は常に死や永遠の別れと隣り合わせなのだ、ということが、私にとっては共通した教えのように感じられたのだと、今は思います。

もちろん、生命の存在する星があるかも、といった話題には心躍りますし、宇宙の謎には大いに興味があるのですが、私にとって宇宙とは、死を感じさせる恐怖の存在(と言ったらちょっと大げさか)、少なくとも、畏れを抱く対象であることは間違いありません。


明日は、牧アナウンサーの「宇宙話」です。

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