アナ・ログ

新元号

佐藤 拓雄

2019/05/14

新元号のお祭り騒ぎをよそに、日常生活に変わりはないことを実感しているのは、私だけでしょうか。

確かに、「平成」というくくりで自分の過去を振り返ってみれば、大学に入って仙台に来て、就職して、家族を持って、という人生の節目がつまった31年間ではありました。

ただ、それも、後から振り返るとこうだ、というだけであって、元号が変わったからと言って、その元号でくくる時代を「このような時代に」というように、新しい何かを期待することには、どこか違和感があります。

そんな何となくモヤモヤした感じでいた改元前後、新聞に、「あしたのジョー」などを描いた漫画家のちばてつやさんの言葉がありました。
それは、「元号が変わっても、ずっと「戦後」であってほしい」というものでした。

本当にその通りだと思いました。
「平和」という抽象的なものでなく、「ずっと「戦後」」。なんと核心を突いた言葉でしょう。

「戦後」をずっと続けていくこと。
これこそ、元号が変わっても絶対にリセットしてはいけないことであり、今を生きる私たちの忘れてはいけないことだと気づかされました。


【写真】は、ゴールデンウイークのある日、仙台市内の某公園で。
こんな日常がずっと続くように、ずっと「戦後」でありますように。


明日は、飯田アナウンサーです。

キュリオス

佐藤 拓雄

2019/05/01

「令和」最初のアナ・ログ担当になりました。
かと言って、特別な感慨があるわけではありませんが、時代をまたいでも、引き続きこのアナ・ログをよろしくお願いいたします。

さて、キュリオス。

私が体験したシルク・ドゥ・ソレイユのショーは、数えてみると、「キュリオス」が7つ目になりました。
「ファシナシオン」「ドラリオン」「コルテオ」「オーヴォ」「トーテム」、そして、ラスベガスで観た「オー」。

どれも甲乙つけがたく素晴らしいものですが、共通していることの一つに、「重力が無くなっているのか?」と錯覚するような感覚があります。
今回は、これまで観たもののなかでも、さらに「無重力」な感じがしました。
それは、とんでもなく難度の高いことを、いとも簡単にやってしまうからこそそう感じるのでしょうが、先日仙台放送で放送したキュリオスの特番で、インタビューに答えていたアーティストが「簡単そうに演じるのが一番難しい」と言っているのを聞いて、ああ、これこそ「無重力状態」の理由であり、シルクの神髄なんだなあと、納得しました。

「キュリオス」の中で、私が最も印象に残ったのが、「バランシング オン チェア」という演目です。
まさしく無重力中の無重力。
気がついたら口を開けて見上げていました(笑)
とにかく驚きのパフォーマンスです。
ただ、日本語ではそういうタイトルなのですが、英語では「UPSIDE DOWN WORLD」。(【写真】私が観た日は第一幕の6番目でした。)
英語タイトルに、なるほど!納得!という内容です。
どうして、英語タイトルに納得したか、観た方なら分かるのでは?
これから観に行く方は、ぜひこの英語タイトルを頭に置いて観てほしいです。

最後に「キュリオス」を観に行く際の注意点。
早めに席にお座りください。遅くとも10分前には。
なぜか?シルク・ドゥ・ソレイユ経験者は、お分かりでしょう。
初めての方は・・・お楽しみに。

明日は、西ノ入アナウンサーです。

わたしのおすすめお花見スポット

佐藤 拓雄

2019/04/18

およそ花というものに疎い私ですが、桜は大好きです。

私は、桜という花は、「シチュエーションの花」だと思っています。

花そのものというより、風景の中にどう桜があるのか、というところが美しい、というか、その場所全体の風景の印象を、短い間だけ劇的に変えるその状況全体がよい、というか。

ここに桜があったのか!ということを、咲いた時に初めて知って感激する、というのもいいですね。
よく知った場所でも、毎年、ああ、ここにあったのか、という桜が一つ二つあります。見慣れた風景を一変させるような存在感。

そういうところがいいので、桜の下で宴会をするより、通勤途中とか、家のそばとか、日常の中で目にする桜が好きですね。
それから、学校の桜。これもいい。

毎年楽しみにしているのは、自宅近くの桜。
青空と桜のコントラストは、毎年、「目の深呼吸」のような清々しい気持ちになり、新年度スタートという時期と相まって、心身がリフレッシュされる気持ちになります。
以前、家族の大きな困難を乗り越えたタイミングでこの桜が咲き、心に沁みた思い出もあるのでなおさらです。

また「枕草子」みたいになってきましたので、このへんにしておきます。

私はこういう感じで桜を見ているので、お題の「おすすめスポット」というのが出てきませんでした。すみません。

【写真】は、仙台市内のある高校の裏で見つけた桜。少し古くなった建物の裏側で、敷地の外の道路に、はみ出さんばかりに咲き誇っていました。きっと桜の時期以外は、人が目を奪われたり、足を止めたりするような場所ではないはずです。
こういうのを見つけて写真を撮るのも、桜の季節の楽しみのひとつです。

明日は、西ノ入アナウンサーです。

新年度!

佐藤 拓雄

2019/03/29

週明けから新年度ですね。
今年も、仙台放送アナウンス部は、新入社員を迎えての新年度スタートになります。
ありがたいことに、3年連続で、新人アナウンサーを迎えることになりました。

今年は男性。
先日、入社を前に、ホームページなど広報で使う写真撮影をしました。
【写真】がその様子。肝心の顔が見えないのは、気もたせというよりは、一応入社前だから、という建前で(笑)。
4月1日、入社式より数時間前に(笑)、正面の顔が分かる写真とともに、この「アナ・ログ」に「デビュー」します。
よろしくお願いいたします。

例年通り、今年も3月から、内定者としてアナウンス研修を行っています。
発声・発音・滑舌、そして心構えといった、アナウンサーとしての基礎基本から始まり、ニュースや天気予報と、少しずつ実践に近づけ、「デビュー」に向かっているところです。

指導は、アナウンス部の中堅からベテラン5人が、交代でマンツーマンであたっています。

研修の中で、私たちが特に大切にしているのが、「声は人なり」という言葉。
研修の時だけでなく、私たち仙台放送アナウンス部、そして、フジテレビ系列のアナウンサー達の合言葉のようなものでもあります。
このことを説明した、アナウンステキスト冒頭部の文章は、毎日何度も繰り返し音読し、頭と心にしみこませてもらっています。
同時に、私たち指導する側も、改めて「声は人なり」を噛みしめる毎日。
自身を見つめ直し、背筋が伸びる思いで、頭も心も、そして声も、リフレッシュ・リセットされるような、そんな気持ちで新年度を迎えることができそうです。


ということで、次回4月1日、今年の新人アナウンサーの「初アナ・ログ」をお楽しみに。

好きな音楽

佐藤 拓雄

2019/03/18

まずはご報告です。
今年の「FNSアナウンス大賞」で、仙台放送は、新人部門・高橋咲良アナウンサー、ナレーション部門・梅島三環子アナウンサーが、それぞれ入賞しました!
二人(と私)は、先週、表彰式に出席してきました。【写真】
これも一つの励みにして、仙台放送アナウンサー一同、ますます実力を磨いていきます。

さて、本題。

亡くなった母が言ったことで、今でも忘れられないのが、
「好きな音楽は、趣味としてとっておいたほうがいいと思うよ」
という言葉。

私が高校生だった時、どうしても音楽大学に行きたいと、両親に懇願していた話し合いの場での一言でした。

私は、その言葉に納得するどころか、「好きな音楽だから趣味じゃイヤなんだ、仕事にして一生やりたいんだ」と言って両親を説得し、音大受験へと踏み出しました。

結局、人生最大の挫折とも言える音大受験失敗を経験し、音楽の道を諦めて進路を変更、遅ればせながら普通大学にどうにか進学し、今に至っています。

結果、好きな音楽を趣味としてやることはなくなりました。

そういう自分が、同じ年頃の子どもを持った今、思うのは、子どもは親の言うことを聞かない、ということ。
と同時に、親の言うことは聞いておくものだ、という、二律背反のような考え。
今、親として、何度もそう思わされています。

私の場合、ひとたび私が自分の進路を定め、邁進し始めると、両親は何も言わず、精神的にも、経済的にも、我を通した私を支えてくれました。
おかげで、人生最大の挫折についても、心に傷はいまだに残っていますが、その選択については後悔なしです。

親としての私自身は、そこまで大きく構えていられないのが情けないですが、私自身が経験したように、自分の子どもたちにも、本人にとって後悔のない選択をさせてやれるような親でありたい、と思っています。
理想と現実には、けっこうギャップがありますが(苦笑)

明日は、飯田アナウンサーの「好きな音楽」の話です。

東日本大震災8年

佐藤 拓雄

2019/02/27

今年の3月11日で、東日本大震災は8年となります。
今回は、私たちアナウンス部、それぞれの震災への思いを綴ることにします。

私は、震災の翌月から「ともに」という震災の番組を担当しています。来月で丸8年。今年の夏には、放送回数が100回になります。
今は、番組を続けていること自体も、一つのメッセージになっているのではないか、と思っています。

取材の中で出会った、印象的な言葉を改めて思い起こしました。

「2011年の3月11日は特別な日だけれど、これからの3月11日は、前を向いて歩いていく365日のうちの一日でしかない」
震災2年という時に、ある若い漁師さんはこう言いました。
逆に言えば、震災とは、3月11日のことを言うのではなく、毎日が震災なのです。
8年が経とうという今なお、仮設住宅で暮らす人が700人以上もいます。
行方不明のままの方は、1200人以上。
震災発生当時、復興は途方もなく長い道のりだろうと思った一方で、8年経っての今のこの状況までは想像できていませんでした。

震災は今も終わっていません。

この震災について、この仕事をする私たちができること、しなくてはならないことは、当初からはっきりしています。
9年目に入っても、それは変わりません。
震災直後から肝に銘じているのは、「最後の一人が『復興した』と言えるまで伝え続けること」です。

加えて思うのは、「最後の一人の復興」の次にも、私たちがすべきことはあるということ。それは、震災を知らない世代に、震災を伝えていくことです。

私たちのすべきことにゴールはなさそうです。

【写真】岩手県宮古市の宿泊施設に掲示されていた絵。宮古市役所周辺を襲う津波を、市民の一人が描いたようです。記憶を形にして残し伝えていくことの重要性を感じました。

明日は、「ともに」を一緒に担当している梅島さんです。

私の「あるある」話

佐藤 拓雄

2019/02/20

仕事を終えて帰宅し、スーツの上着を脱いだ時の違和感でようやく気づきます。
上着の右側の外ポケットに【写真】のものが。
「あー、またやってしまった・・・」
これが、私の「あるある」です。


【写真】の電話は、社内用PHS。
仙台放送社内では、各自がこのPHSを持ち、内線電話になっています。
「内線」電話ですので、社外に出ると、全く通じませんが、社内では常に持ち歩いていないと困るので、いつも仕事中は上着のポケットに入れていて、これを、そのまま家に持って帰ってしまうのです。


翌日その内線電話を家に忘れてしまってはもっと困るので、すかさずバッグにしまい、内線電話を家に忘れる、という事態は発生していませんが、「持ち帰り」はいまだにやってしまいます。


ところが、おかしなもので、その内線電話を、たまにデスク上に置いたまま席を離れてしまうことがあります。
想像がついたと思いますが、そういう時に限って、電話がかかってきていて、席に戻ってくると「着信あり」になっています。
これも、あるある、です。


明日は、高橋さんの「あるある」話です。

宇宙について

佐藤 拓雄

2019/02/04

まずは【写真】から。
先日、東京某所で見かけた看板。
なんかズルいですね(笑)

この看板は、宇宙とは何にも関係ありません。
それもズルいですか?
・・・本題に入ります。

今、私が「宇宙」と言って連想するのは、漫画「宇宙兄弟」。
私の漫画好きが遺伝したであろう長男に頼まれ、数年前に大人買い、今も続きを買って、親子でハマっています。
とにかく面白い。
人間ドラマであり、宇宙への憧れをかき立てられる、大長編です。

ですが、読んでいて思うことがあります。

「自分は絶対に宇宙には行けない」

閉所恐怖症気味の私にとっては、宇宙服がダメ、ロケットがダメ、空気のない月や星もダメ。
どうやったって、ムリです。
宇宙服も不要で、飛行機のような快適なロケットに乗って、空気の存在する地球のような星へ行けるようになれば、話は別ですが、私が生きているうちは無理でしょうね。

ただ、その恐怖心の理由は、閉所恐怖症だけではないような気がします。

子どもの頃、読んだり見たりした、物語やアニメ、例えば「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」、敬愛する藤子・F・不二雄さんの作品群、知る人ぞ知るというところで言えば、毎日のように聴いていた音楽絵本の「宇宙船ペペペペラン」。
どれも、宇宙は常に死や永遠の別れと隣り合わせなのだ、ということが、私にとっては共通した教えのように感じられたのだと、今は思います。

もちろん、生命の存在する星があるかも、といった話題には心躍りますし、宇宙の謎には大いに興味があるのですが、私にとって宇宙とは、死を感じさせる恐怖の存在(と言ったらちょっと大げさか)、少なくとも、畏れを抱く対象であることは間違いありません。


明日は、牧アナウンサーの「宇宙話」です。

受験あれこれ

佐藤 拓雄

2019/01/24

大学入試センター試験も終わり、受験シーズン本格突入ですね。
我が家は、今年、4年連続で受験生を抱えています。
【写真】は、その受験生本人の長女に頼み込んで、渋々撮ってきてもらいました。

さて、若い皆さんはご存じないかもしれませんが、このセンター試験が始まる以前は、「共通一次試験」という、国公立大学の、似たような試験がありました。
私は、この共通一次「最終回」を受験しています。平成元年のことです。

恥ずかしながら、「事情」により(苦笑)、現役生の弟と同じ共通一次を受ける羽目になってしまった私。
しかも、試験場は、弟と同会場、同教室でした。
席順が五十音順で、私の席から一列左の前方に、弟の後ろ姿が見えるというシチュエーション。正直、弟の事が気になって仕方ありませんでした。
何かの科目の終わりには、解答用紙が回収されたあと、弟が試験監督の人に何やら話しかけているのが見え、「何かやらかしたのか?」と気が気でなくなったり。
かと言って、自分の試験に集中できないほど「弟思い」なわけでもなく、試験には淡々と集中したので、目標点に少し足りない結果になったのは、単に私の実力の問題です。

弟が何を試験監督に話していたのか、後で聞いてみると、「受験番号を書き忘れたかもしれない」ということだったと記憶しています。
実際に書き忘れていたかは知りませんが、弟の共通一次の成績は芳しくなかったようです。
ただ、弟は、その共通一次の後、恐ろしいほど猛勉強をして、私立の合格を勝ち取りました。浪人の私は、もうこの時期は、体調を崩さないようにとか、そんな感じで、勉強のペースは落としていましたが、現役生はこれがあるんですよね。

だから、特に現役生の皆さん(我が家の受験生含む)には、最後まで粘れ!と言いたいです。

いずれにせよ、高校受験は15の試練、大学受験はハタチ前の試練。受験は試練です。
同時に、受験生の親も試練です。

しかし、高校も大学も、そして就職も、勝負は入った後。どこに入るか、はもちろん重要ですが、そこで何をするかがもっと重要です。
・・・と今は言えますが、受験生当時は、入れるか入れないか、それしか見えないですもんね・・・

とにかく、受験生諸君、諦めるなよ!

明日は、飯田アナウンサーの受験あれこれです。

平成最後のお正月

佐藤 拓雄

2019/01/04

あけましておめでとうございます。
今年も仙台放送と仙台放送アナウンサーをよろしくお願いいたします。


【写真】は平成最後の初日の出。

とかく、何かにつけて「平成最後の」と言いがちな今日この頃。
新しい年のはじまりに、「最後の」をつけるのは、少々違和感がありますが、それはさておき。

私が平成最後のお正月に思い出すのは、昭和最後の日、昭和64年1月7日の朝です。

大学入試目前、お正月どころではないと勉強に勤しみ、この日の朝も予備校の自習室に行くため、急ぎ足で新宿駅を歩いていた、その時でした。
「天皇陛下におかれましては、今朝、崩御されました」というような構内放送が流れたのです。
今調べてみると、崩御の発表が午前7時55分だったようですので、おそらく、その発表を受けてすぐだったと思われます。
さすがに私も周りの人たちも、その瞬間は足を止め、無言で耳を傾けたような記憶があります。
その時、「今日が昭和最後の日」とすぐに思ったわけではありませんが、これが私にとっての「昭和最後の日」の記憶です。

翌日から元号が平成に。
その4月、つまり平成元年4月に、私は大学に入学し、仙台にやってきました。
平成のはじまりと同時に、私は宮城県民になったのです。
それから30年、大学を卒業し、仙台で職を得ました。
家庭を持ち、子どもたちは皆平成生まれ。

私にとっては、平成という一つの時代は、人生の激動期でもあったんだなあと、感慨深い、平成最後のお正月でした。

次回は、平成生まれの西ノ入さんです。

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